第7章 炭焼き小屋
第7章 炭焼き小屋
声をかけてきた男は身長が180センチ半ばはありそうで、筋肉質のがっしりとした体躯をしていた。左目の横から頬にかけて傷跡があり、精悍さを一層際立たせていた。黒いつなぎに袖のない茶色の皮ジャケット、足首の上まである頑丈そうな革の黒い紐靴を履いていた。背負っている大剣から手練れの冒険者、もしくは山賊の棟梁といった雰囲気だった。
「お、俺は、そ、その・・・」
いきなりの出来事に言葉が詰まっていると、
「おおぉ! あんたの後ろにある岩は、龍神赤石ではないのか」
と、精悍な顔立ちの男性は岩を指した。
「あ、は、はい。そうみたいです」
男性は無言のまま岩の脇まで行って、
「ほほー、これは見事な龍神赤石だ。俺もここまでの大きさと艶をもった石があることを想像すらしたことがなかった」
男性は岩を両手で撫でながら言った。続けて、
「この岩はあんたが見つけたのか。よかったら少し分けてもらえないか。あ、勿論金は出す」
矢継早の質問にしどろもどろしていたが、
「私は、ダイチ ノミチといいます。この岩を見つけたのは私ですが、この河原にはまだまだ龍神赤石が落ちていますよ」
とりあえず、ファーストネームを先に言っておいた。
「なんだと」
男性は辺りを見回し、河原に転がっているいくつもの龍神赤石に気付いた。
「おおぉ、そこらじゅうにあるじゃねーか・・・・でも、おまえ、ダイチが見つけたものだろう。高価な鉱石は、見つけたものに所有権があるのが常識だ。あ、悪い、悪い、俺は鍛冶職人のバイカルだ。龍神赤石を見てつい先走った」
ダイチは首を振りながら、
「このお宝は、俺のポケットには大きすぎる」
「・・・・・まぁ、分けてもらえるということだな」
ジョークですよ、ジョーク。俺の大好きなアニメ映画でどろぼうさんの台詞なのだけれども、この世界ではダメだったか。でもねぇ、実際には、労力を惜しまなければ、河原の龍神赤石全てを俺のアイテムケンテイナーに入れられるかもしれないけれど・・・。そんな気はさらさらない。
あ、今、俺、会話していたよな。日本語のように意味が分かり、普通に話をしていたよな。全く違和感のない会話にこの世界の能力が関係しているかもしれないと考えた。
「どうぞ、私はもう十分ですので」
「悪いな」
と、バイカルは片手でダイチを拝むと、足元に降ろしてあったサンドバック型のバックを拾い上げた。
バックの口から小型の弓と数本の矢が見えた。バックに入っていた薪を取り出し、河原にある龍神赤石に詰め替えていった。
「悪いな・・・俺も家族を魔物から守らないといけないからな」
と、言いながら、龍神赤石を何個も拾っていた。
俺はまだ出合ったばかりのこの精悍で逞しい体躯のバイカルさんに半信半疑でいた。魔物のいる森の中で一体何をしていたのかが気になった。逃亡者か山賊の斥候の可能性もある。こっそりとアイテムケンテイナーからクローを手に取って、ボソボソと唱えてからページを読んだ。
氏名:バイカル 年齢:39歳 性別:男性 所持金:1,905,882ダル
種 :ホモ・サピエンス
称号:鋼の逸品を鍛えし者
ジョブ・レベル:冒険者・ レベル 51
騎馬戦士・ レベル 10
鍛冶特級職人・ レベル 67
体力 437
魔力 0
俊敏性 183
巧緻性 241
カリスマ性 132
物理攻撃力 412
物理防御力 494
魔法攻撃力 0
魔法防御力 238
生得スキル
ジョブスキル
両手剣攻撃力微増
焼き入れの妙技
特異スキル
バイカルさんは、精悍さと逞しい体躯だったから、悪人ならどうしようかと警戒していけどれも、本当に鍛冶職人だったのですね、素直に信じられなくて申し訳ない。などと考えながらクローをアイテムケンテイナーへしまった。
バイカルさんのバックは、満帆になってかなりの重量になっているはずだった。俺は持てるのかなと心配で見ていたら、
「ありがとうよ。もう十分だ」
と、ひょいと満帆のバックを肩に担いだ。
その逞しい体躯は伊達ではないですねと思いながら、大きめの石を椅子替わりに勧め、残っている焼き魚を串ごと渡した。
バイカルは美味そうにさめた焼き魚を頬張った。焼き魚を三口で食べ終わると、骨を河原に投げ捨てて、ダイチを頭の上からつま先まで視線を配る。
「その視線が痛い」
ボソッと呟く。だって、俺は上下赤いスエット、踵の破れた靴下のみ。どう考えても森の中の河原にいること自体に違和感があるでしょうね。バイカルの服装からもこの世界に赤地に白いラインが入ったスエットなんかあるようには思えない。
「ところでダイチは、どうしてこの河原に?」
当然そうなるよな、と思いつつ、
「二日前に森からこの河原に落ちて、今になります」
「なに、信じられんな。武器もなさそうなのに、この河原で二晩もたった1人で生き延びられたのか。この森には夜行性の魔物が・・・・あ、龍神赤石に守られていたのか・・・・なる程」
1人で納得していた。待てよ、ということは、2日前にこの河原に来られなければ、夜を迎えたとたんに夜行性の魔物に食われていたということか・・・・、ブルッと寒気がした。今後のことも考えて、どこまでこの2日間のできごとを打ち明けてよいものかと思案を巡らせた。
・境界を越えてきたこと
・黒の神書のこと
・ジョブに関すること
・ステータスに関すること
・スキルに関すること
の5つは厳禁と決めた。
バイカルさんには、俺は異国から来たばかりで、気付いた時には多数の魔物と人間たちの戦いから、逃げ出すようにしてこの森へ来た。森を彷徨い、身一つでいた。記憶にあいまいな点が多く、行き先も帰る当てもないことなどを可能な限り嘘を避けて話した。悪意のある嘘を決してついてはいないが、少し罪悪感があった。
「それは難儀だったな。この森にたった1人、身一つ。挙句の果てに、行く当ても、帰る当てもなしとは・・・・よし、俺と一緒に来い」
「ありがたいですけど、ご迷惑ではないですか」
ここで断られると、間違いなく魔物に食われます。迷惑と言わないでくださいと念じた。
「何を言っている。魔物に食われるぞ。さあ、ついてこい」
バイカルさんに肩を組まれて背中を押された。俺は心の中で手を合わせて感謝した。
向かう先はバイカルさんの炭焼き小屋。南へ歩いておよそ1時間半、この森を抜け、その先の林を越えた丘の上だそうだ。この森に棲む山岳系の魔物は縄張り意識が強く、この森から出ることはほぼないそうだ。森を抜ければ、低地に生息する魔物と稀に遭遇することはあっても、それはどこの地域でも同じ程度ということであった。森を抜けるまでの約1時間は、気を引き締めるように念を押された。
炭焼き小屋までの道中でいろいろ話ができた。この国は、ジパニア大陸の南西に位置するローデン王国。この森はローデン王国の東に位置する国境線と重なるジロジ山脈の南端。バイカルさんの住んでいる街はドリアド。ドリアドは炭焼き小屋から西に位置するらしい。ジロジ山脈の東側にはオーク蛮国と呼ばれているオークの国があるそうだ。やはり、あの魔物はオークだったのだと考えていた。また、戦場の草原から見えた山々の峰はジロジ山脈と言うことも分かった。
バイカルさんは、元は名の通った冒険者だったそうだが、結婚を機に引退をして、今は製造業の盛んな街ドリアドで鍛冶職人をしているそうだ。この森と林を抜けたところに炭焼き小屋を持っていて、そこへ鍛冶で使う木炭を調達に来たのだという。今朝早くから木炭の原料となる薪の調達で、護身用に大剣を背負い、いつもよりも森の奥まで足を踏み入れて来たそうだ。この森には火力が高い木炭の原料となる良質の松が樹勢良好で、危険を冒してまで来る価値はあるという。バイカルさんの鍛冶屋では、鉱石から質の高いインゴット(塊)を作り、それを焼き叩いて鍛造するのが自慢だそうだ。最近、燃える黒石が見つかり、ドリアドの街で木炭の代わりとして売買しているのを見かけたそうだが、まだ高価で火力の扱いが難しいため木炭が最適だとのことだ。しかし、1人で森の奥までとは、さすが元冒険者だ。河原へは、森の中に漂う焼き魚のよい匂いにつられて森から降りて来たということだった。
龍神赤石を手に入れたかった理由は、炭焼き小屋に初めて同伴した家族3人の安全のためだという。炭焼き小屋は、森と林を抜けた傾斜の緩い丘の上にあるそうだ。小屋を囲むように数個の龍神赤石の小石を配置しているものの、妻と息子、娘を連れて来ているため、少し不安が残っていたという。だから龍神赤石を炭焼き小屋の回りにもっと配置できることを喜んでいた。
バイカルにアイテムケンテイナーについてさり気なく尋ねてみると、
「ああ、ありゃ、垂涎の的だな。容量内なら何だって入れられる。収納できる重量は関係ないらしいからな。商人とっては特にありがたい。仕入れだって、納品だって格段に楽になるし、生ものだって腐らない。俺が冒険者時代の仲間にアイテムケンテイナー持ちがいて、食料や予備の武器を入れていた。背負う荷物が減って、移動や戦闘が楽だったよ。ただよ、あれは持って生まれた資質だからなー。生まれた時に持っているかどうか、容量はどれ程かってことだ。訓練でどうこうなるもんじゃねぇ。神様からのギフトみたいなものだな。だから垂涎の的だ」
アイテムケンテイナーは、千人に1人は所有していると言われているそうだ。収納容量は個人差がある。大まかに言えば、ポーチから部屋サイズまであるらしい。正式な規格があるわけではないが、便宜的その容量をアイテムポーチとか、アイテムボックスとか、アイテムルームとかに例えているそうだ。アイテムケンテイナーは、ポーチ、ボックス、ルームサイズと容量が大きくなるにつれて、所持者は少なくなるらしい。ポーチサイズの所持者でもその安全性から重宝がられ、様々な職業で引く手数多だそうだ。
ジョブについては、元の世界の職業のように従事している仕事の職種がそのままジョブ名となっているようだ。例えば、大工や鍛冶職人、教育者、商人など。元の世界と異なる職種には、錬金術師、魔導士などがあった。
興味深かった話は、バイカルさんが冒険者時代に、固有の職業をもった将軍や冒険者がいたという話を聞いたことがあるそうだ。伝説上の話だと前置きがあっての上だったそうだが。
魔法が使えるか否かは個人の資質である生得スキルに依存していて、魔法の種類や効果には個性があるそうだ。初級魔法までなら、10人に1人程度使えるそうだ。ただ、中級以上の魔法を使えるものは、極稀となり、魔法の資質を顕在化させるための努力と環境が必要になるそうだ。本人がその資質に気づかなければ、宝の持ち腐れで終わるといわれているそうだ。
途中の森の中で、バイカルさんは何度も魔物の足跡を見つけ、遭遇を避けて迂回した。足跡をしばらく眺め、顎に手を当てて何か考えていることもあった。また、バイカルさんの指示で何度か樹の陰に隠れて魔物をやり過ごしたり、1度だけ戦闘をしたりした。戦闘といっても夕食の肉の調達のための狩りだった。俺は、その狩りでいくつものことを学んだ。
その狩りの様子といえば、
バイカルさんが、無言のまま左の拳を出して俺を制止させた。そして低い藪を指さした。指し示した方向には、葉と葉の間から何かが潜んでいるのが見えた。バイカルさんは龍神赤石の入ったバックを静かに置くと、弓と矢を取り出し、身を屈めながら1人で右へと回り込んで行った。俺は唾を飲み込みながら藪の中の何かを見つめていた。次の瞬間、藪の中からギッと一瞬声がして、藪が揺れた。バイカルさんがその藪に走り寄る。矢の刺さった兎を手に持って戻って来た。
「これはハーフラビットだ。魔物だが臭みはほとんどなくスープに入れてよし、焼いてよしの美味い肉だ」
この哀れな魔物は、兎に体格が似ているが、自分の知っている兎に比べるとかなり大きく、中型犬くらいあった。上半身が黒、下半身が白のツートンカラーで、胴回りからきれいに色分けされていた。それでも魔物だ。耳の上からは闘牛のような二本の角が前に向かって生えていた。バイカルさんはハーフラビットから矢を抜くと、手早くナイフで首にスーと1本の線を引き血抜きした。腹もススーッと切れ目を入れると腸を取り出した。取り出した腸には土をかぶせていた。
「今夜は美味い飯が食えるぞ」
手早く弓をバックに戻すと、左肩にバックを担ぎ、右肩にハーフラビットを背負うと背中の大剣が揺れた。バイカルさんはもう歩き出していた。俺は、一部始終を眺めていて、その手慣れた動作を逞しく感じていた。生きていくということは、他の命を己の糧としていくこと。スーパーでパックに入った肉を買っていた俺は、その命の摂取について考えなかった。いや、想像する必要がなかった。でも、バイカルさんにとっては、ごく当たり前の日常なのだろう。俺の目的「この世界で逞しく生きる」には、まずこのようなバイタリティを養う必要があると感じた。
「あれだ」
バイカルさんが小屋を指した。林を抜けると針葉樹に囲まれた低い丘の上にいくつかの小屋があった。
小屋をめざして緩やかな斜面を登っていった。小屋の周りは整地され、ほぼ平らな庭があった。そこから数十メートル離れたところにおそらく炭焼き小屋と思われる小屋が3つ併設されていた。そのうち1つの小屋の煙突からは、青い空に真っ直ぐに伸びる白い煙が出ていた。後から聞いた話だが、その3つの小屋を窯のある上屋、作業をする前屋、道具や炭を置く尻屋と呼んでいるらしい。母屋の前には、荷馬車の荷車と厩の外で茶色い毛の馬一頭が草を食んでいた。
外で遊んでいた10歳前後の男の子と6,7歳の女の子が、バイカルさんを見ると、母屋に向かって何か叫び、手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。女の子はバイカルさんに抱き着いた。
「ピーター、エマ、だだいま」
「おかえりなさい」
バイカルさんの息子のピーターと娘のエマは、俺に興味があるのか、俺を見つめていた。目が合うと、
「こんにちは」
「こんにちは」
と、笑顔で挨拶をしてきた。
俺も笑顔で挨拶を返した。
子供の笑顔は天使の笑顔に見える。担任をしていた学級の子供たちの笑顔と重なった。数日しか経っていないのに、どこか懐かしく感じる気持ちに襲われた。もう会うことは叶わないからだろうか。不意の涙で目の前がぼやけて見えた。
母屋からは妻らしき女性がゆっくり出て来た。夫を見つめ、笑顔で出迎える。
「家族っていいなー。夫婦羨ましいー」
心の叫びが、そのまま口に出ていた。バイカルさんは、あははははと、声に出して笑い。出迎えた妻は照れたように微笑んだ。
バイカルさんは、
「ミリア、森で捕れた」
と、ハーフラビットの肉を妻のミリアに手渡すと、子供たちはハーフラビットの肉に近づき何やら声をあげて喜んでいる。
「ピーター、ガリムを呼んでくれ」
「はーい」
と、煙の立ち上る小屋へ走り出した。
バイカルは走り去るピーターの背を見てから、俺を母屋に誘った。