12 純潔の涙とレクスの大望
7月7日
この日は、夕食時間まで自由行動となった。リッキはロンの店と防具屋へ出かけて行った。デューンは1人格闘の稽古に勤しんでいた。マナツとテラはギルドに向かい、ファンゼムはカイトと共に観光に、ハフは1人でショッピングへ、ダンは王立図書館へ出向いていた。
夕方になり、リッキが戻って来た。リッキは鎖帷子を着込み、兜を被り、胸と背を覆う金属製の鎧、金属製の篭手と腿当て、脛当て、腰からは四方に金属を編み込んだ垂れがついていた。全身が黒光りするフルアーマーとなっていた。かなり値の張る装備ではあったが、12年に1度のお干支祭り期間のセールとロンの紹介もあり、格安で手に入れることができたらしい。それでもリッキはほぼ全財産を叩いていた。
「素晴らしいフルアーマーだな」
マナツが見とれていると、
「こりゃ、とんでもない逸品じゃわい」
ファンゼムも驚いている。
「リッキさん、とても似合っていますよ。そして、とても強そう」
「テラ、リッキさんは元から、とても強いんだよ」
デューンがテラに反論した。リッキは口角が上がり満足気だった。
「テラとデューンの誕生会だ。それにリッキのフルアーマーお披露目会にもなったな。さあ、盛大にいこう」
マナツの言葉におぅと掛け声が飛んだ。この席には、ロンさんがお礼を兼ねて参加してくれた。
女神の祝福の祝い宴は、食い飲み笑い、盛り上がっていた。女性ウエイターのミリアも料理を運んだり、食器を下げたりするだけで大慌てだった。
「女神の祝福の皆様、先日は私の妻と子供たちの命を救っていただきましたことに改めてお礼を申し上げます」
ロンが恭しく礼を述べた。
「当然のことをしたまでです。それよりこの街でご便宜を図っていただいたことにお礼を申し上げます」
マナツがそう答えると、
「妻と子供たちは私の命よりも大事なものです。この御恩は生涯忘れません」
「そう思っていただけるだけで、加勢できたことを誇りに思えます」
「皆様はノドガルに船を停泊させているとお聞きしました。ノドガルには私共の本店の『ロン&チョコ』という船会社もございますので、そこで改めてお礼を致したいと思います」
「もう、十分です。どうか、お気を使わずにお願いします」
マナツが丁寧に断りの言葉を述べた。そして、ダンを見て、
「ダン、ご苦労だった。何か分かったか」
「ええ、古代文明の4大秘宝については目新しい情報は何も。ティタンの民に関する記述は、国立図書館の蔵書でさえ、3つしか見つかりませんでした」
「4大秘宝は難題だな。して、ティタンの民については、何とあったのじゃ」
「ティタンの民は、土属性の魔力を巧みに扱う。約800年前の人魔大戦では、大功を上げた。およそ30年前にザーカード帝国によって滅ぼされた。その時に王族はことごとく処刑された。現在は。ティタンの民はザーカード帝国の奴隷として、魔族の生贄として存在を許されている」
リッキが、
「ティタンの民は、高い魔力ゆえに、人間からも恐れられ迫害されているということなのか?」
「そうかもしれません」
ダンが答えると、マナツが問いかける。
「デューン・レクス・ティタンのミドルネームについては分かったのか」
「ティタンの王は、レクス・ティタンという名を持っていたと記されていました。これが文献で分かったことの全てです」
「そうなるとじゃな、デューンは王族ということになるんかのぉ」
「その可能性はあります。あくまで可能性ですが・・」
「そうだな、王族は処刑されていたとなれば、デューンの父の言葉が、誠かどうかはもはや分からない。他にも知っていそうな身内はいるのか?」
と言って、マナツはデューンを見た。
「俺の家族は皆死んでいる。奴隷として惨い仕打ちを受けて死んだか、生贄として死んだ」
と言って、デューンはうつむいた。
「それとは別件になりますが、受胎の刻印についての記述もありました」
「それはどんな内容なのですか」
と、デューンが身を乗り出した。
「ミリアー」
店中に響く大声がした。
女神の祝福のメンバーも他の客も、全ての視線が店に飛び込んで来た男に向いた。その男は身長が180cm半ばはありそうで、筋肉質のがっしりとした体躯をしていた。左目の横から頬にかけて傷跡があり、精悍さを際立たせていた。その男はウエイターのミリアを見止めると、その眼だけを見つめ、一直線に歩みを進めた。ミリアはその男を見たまま立ち尽くしていた。店の全ての客は沈黙の中、2人を凝視していた。
「ミリア、俺と結婚してほしい」
店の中の誰もが息を飲んだ。ミリアは手にもっていた皿を床に落とした。ガシャンという皿の割れる音で、客たちは呼吸を思い出した。
「・・・バイカル様、でも、私と貴方様では身分が違いすぎます」
「今日、タフロンの次期領主メルファーレン様の騎馬隊を辞めてきた。この街でミリアを幸せにしたい。いや、俺と一緒に幸せを築いていこう」
「・・・バイカル様、貴方様のお気持ちが嬉しいです。私はとても幸せです。ありがとうございます」
ミリアは両手で顔を覆った。
店内からは、おおぉという歓声が巻き起こった。
バイカルは泣いているミリアを黙って見つめていた。
「・・・・・・」
バイカルの唇が動く、
「ミリア、返事はどうなのだ」
と、戸惑いながら、ゆっくりとした口調で尋ねた。
店内のだれもが、「え」と考えた。
ミリアは駆け出し跳ねた。ミリアの足は宙に浮く。バイカルの首に手を回して抱き付いた。
「私は貴方と幸せになります」
「ミリア、ありがとう」
バイカルの逞しい手がミリアをきつく抱きしめた。
「おめでとう」
「ミリア、おめでとう」
「バイカル、ミリアお幸せに」
と、大声援が起こり、拍手と指笛が鳴った。
それをみていた年配で小太りのウエイターが、
「ミリア・・・おめでとう。本当に・・本当に良かった。これで貴方の夢がかなったのね」
とエプロンの端で目の涙を拭きながら、独り言を言っていた。
「なんて素敵な愛なの・・・憧れるわ」
などと、テラがもらい泣きをしていた。
ハフは尻尾をパタパタと振りながら、
「あぁ、ミリアさん、純潔の涙が綺麗きれい・・・愛し合う2人って、素敵だわ」
と、唇を動かしていた。
その時、店の外から街が揺れる程の大歓声が起こった。
「きっと、カミュー様だ」
店内の客が口々にそう叫ぶと外へ出て行った。女神の祝福のメンバーも外へ駆け出した。
外は石畳を覆い尽くす程の人で溢れていた。そして、誰もが北の空を見ていた。
「さっき、干支の七七柱雲が東の空に見えた」
北の夜空が明るくなった。まるで小さな太陽が動いている様であった。その光を掴んで空を泳ぐ白く巨大な龍がいた。
「カミュー様だ」
「カミュー様がお姿をお見せになったぞ」
「ありがたや、カミュー様」
女神の祝福メンバーもこの景色に驚愕していた。
マウマウがテラに呟いた。
『あれが破魔神獣神龍のカミュー・・・』
「え、あれがカミュー様なのね」
『そうよ。西から迫る脅威を撃ち払いに行ったのね。それにしても凄い民の祈りと願いだわ』
テラはカミューの飛び去る夜空をずっと眺めていた。
テラたちの後ろには、バイカルとミリアが肩を寄り添いながら、カミュー様に祈りを捧げているかのように静かに見上げていた。ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。ミリアの頬にはまだ純潔の涙が輝いていた。
やがて、強い雨となり、街に降り注いだ。その雨の中、ドリアドの街では、街を震わすほどにカミューを讃える歌が響き渡っていた。
♪
実れよ実れ黄金の海よ
実る黄金はカミューの涙
そよぐ黄金はカミューの息吹
鳥が飛ぶ飛ぶ東空
虫が鳴く鳴く西の空
干支の七七柱雲
お天道様を手に持って
天の川を泳ぐよ泳ぐ
風の川を泳ぐよ泳ぐ
実れよ実れ黄金の海よ
見つけた見つけたあの子が見つけた
カミューのお山は黒と赤
滝とお池はカミューのお宿
♪
7月8日
女神の祝福は、カイトを馬車に乗せ、ドリアドの街からタフロンへ出発した。タフロンまでは3日間の旅程であった。
一行はどこまでも広がる麦畑の間に延びる街道を進んでいた。時折出合う農作業をする人と挨拶を交わしていた。
「キャプテン、デューンに元気が無いようなのだけど・・」
ハフの言葉に、マナツは、
「私も気になっていたところだ。昨夜のダンの報告のことではないかと思う」
「レクス・ティタンのことですか」
「あぁ、自分が滅ぼされたティタンの王の末裔だと知ったら、ザーガード帝国にいるティタンの民を開放しなければならないという使命感が芽生えたのかもしれん。そして、ティタン王国の再興」
「まさかそんな大それたことを。ザーガード帝国って軍事大国ですよ」
「恐らく、まだそこまでは考えていないだろうが、いずれそう考えてもおかしくないと言うことさ」
「ダンが火をつけたということですか」
「ダンの責任ではない。遅かれ早かれデューンは知ることになったと思う」
「そうですね。自分の出生ですものね」
「隠さずに共有している仲間がいること自体が、デューンにとってはプラスだと思うよ」
ハフは、馬車の反対側を警護しているデューンの沈んだ顔を思い出していた。
テラは、卵を大事そうに抱えて啐啄の時を待ち焦がれていた。卵からは断続的にカツカツと音がしたり、震えたりすることはあるが、短時間で止んでしまっていた。
「マウマウ、デューンにはデューン・レクス・ティタンという名があったのだけれども、どんな意味なのか分かる」
『ティタンの言語でデューンは砂丘を表し、レクスは王を表しているのよ』
「それでティタンの王という意味なのね。ねぇ、私のテラはどんな意味なの?」
『テラはアースのこと』
「アースって?」
『アースは地球とか、大地という意味よ』
「私の名は、地球という意味なのか」
『そうね。良い名よ』
「ふーん」
テラは、麦畑の広がる大地を見渡していた。
7月9日
東から北東にかけて、ジロジ山脈の薄紫の山々と真っ青な空のコンストラストが鮮やかに映えている。嶺の稜線は霞んで見えた。
デューンが馬車の左翼を警護するリッキのもとへ近づいて来た。リッキは兜を脱ぎ、背中に掛けている。リッキはデューンをちらりと横目で見たが、また前を向いた。
「リッキさん、俺はどう生きていくかを決めた」
「そうか」
「ティタンの民を開放する」
「そうか」
「でも、今の俺の力では到底無理なので、自分の願うことを叶えられる力を蓄えるつもりだ。それが何年、何十年かかろうとも」
「そうか」
「その日がくるまで、俺は女神の祝福で腕を磨く」
「そうか。デューン、義務ではなく、自分の願いに従え」
「・・・王としての義務ではないよ。苦しむティタンの民を開放したいだけだ」
「そうか」
「リッキさんに言えて、すっきりした」
デューンは晴れ晴れとした顔で語った。
遠くで駆ける騎馬隊40騎が見えた。全身に銀色の鎧を装備して草原を疾風の如く駆け抜けている。深紅の布地に銀色の剣と槍が斜めにクロスし、その上に銀色の五角形の盾、まるで海賊旗のような意匠の旗が風に揺らめいている。騎馬隊の先頭には、兜に深紅の羽根飾、背には深紅のマント、長い槍を抱えた騎士がいた。
「見事なものだ。先頭にいる騎士の合図で、まるで1匹の生き物様に隊形と進行方向、速度を変えている。しかも、あの速度であの距離を走り続けられるとは、全て駿馬だ」
マナツは、遠くの騎馬隊をみて惚れ惚れした目をして言った。
テラは騎馬隊を見つめながら、マナツの傍に来た。
「母さん、騎馬隊ってかっこいいね」
マナツもハフも騎馬隊を見ながら頷く。
ハフが、
「あの統率力と馬術、スピード。敵にしたら魔物の群れよりも遥かに恐ろしい・・・あの騎馬隊とだけは戦いたくないわね」
先頭を駆ける騎馬を見て言った。
7月10日 夕暮れ時
一際高い城壁に囲まれたタフロンの街に女神の祝福一行は着いた。
この街は、ロベルト・メルファーレン辺境伯が納める街であり、不正を許さぬ厳格な法の執行によって街の治安は良く、民は安心して生活を送っていた。
カイトは、マナツの差し出した書類にサインをすると、丁寧にお礼を述べた。カイトは暫く宿屋に留まり、赤石についての情報を集めた後、改めて赤石の採掘・採集に出る予定だと言った。
女神の祝福メンバーは、当面の宿屋を確保した。ダンは薬店に急いで出かけて行った。ダンのお目当てであった万病に効くと言われているタフロンの涙を購入しに行ったのだ。他のメンバーは、交易ギルドと冒険者ギルドに出向いて、この街の特産品の有無や物価、流行等をチェックすると共に、ここでの依頼等を確認した。
ロベルト・メルファーレン辺境伯の治世が良く、賊や魔物の脅威からは程遠いため、冒険者ギルドの依頼には緊急性を要するものはなかった。依頼書の貼っている掲示板を見て女神の祝福のメンバーは目ぼしい依頼のないことにため息をついた。そこにタフロンの涙を購入しに行っていたダンが冒険者ギルドに飛び込んで来た。入って来るなり、角帽を被った薬学者のダンだけは依頼の貼ってある掲示板を凝視した。そして、1枚の張り紙を食い入るように読んでいた。1枚の依頼書を手に取ると、おもむろに歩き出すとカウンターに行って、
「エメラルドシード(種)6個の採集に申し込みをします」
と、言ってのけた。これには女神の祝福もメンバーも驚いた。
「ダン、いきなりどうしたのだ」
「しー、静かに。エメラルドシードとその樹木の生えている場所を、受付のこの女性から詳しく聞きたいのです」
「・・・・」
ダンは、冒険者ギルドの受付嬢から、エメラルドシードの採れるエメラルドオレンジの樹木の特徴とその場所について詳しい説明を受けていた。
宿屋に戻るとダンがエメラルドシードについて詳しく話をしだした。何でも、昨年に開発された新薬タフロンの涙は、感染性の万病に効くと言われていた。先ほど、その薬を購入してダンの特異スキル咀嚼解析を行ったところ、主成分がエメラルドモルド(カビ)と判明した。ダンは依然にタフロン産のエメラルドオレンジを食した時に、その実についていたエメラルド色のカビつまり、エメラルドモルドを舐めてみた。その成分と先ほど飲んだ万能薬タフロンの涙の主成分が同一だったと言う。
エメラルド色のカビであるエメラルドモルドは、エメラルドオレンジのみに発生するカビである。しかも、エメラルドオレンジはローデン王国の固有の野生種であるため、手に入れることが困難であった。また、野生の親樹のエメラルドオレンジが天候や病気にも強いということだったので、栽培する場合には野生の親樹のエメラルドオレンジが選ばれるそうだ。
タフロンの住民に対しては、タフロンの涙は、エメラルドモルドから生成されていることが今でも秘密にされていたようだ。タフロンの涙の生産に伴い、エメラルドオレンジの需要が急激に高まり、果樹園の拡大を図る農家から、野生の親樹のエメラルドオレンジへの依頼となったようだ。
エメラルドオレンジの野生の親樹の生える森はタフロンの街からも近く比較的安全な森ではあったが、初夏になると虎の魔物が獲物を求めて大移動する経路に当たっていた。このため、この時季はこの森に足を踏み入れる街民はほとんどいなかった。このこともあり、エメラルドオレンジの種であるエメラルドシードの採集が冒険者ギルドの依頼に上がっていたのだ。
「1年前にタフロンで開発されたばかりの新薬です。感染性の万病に効く万能新薬との噂があります。まだ、アジリカ連邦国はローデンと正式な国交がありません。したがって、新薬の輸入には時間がかかります。最悪の場合には、新薬がアジリカ連邦国に輸出されない場合もあります。もし、これを自国で生産できれば、民は万病から救われます。薬学者の私の夢が1歩前進します。勿論、新薬の製造機密を盗むわけではありません」
「なるほどそういうことかいな。ダンの夢であり、民の希望となる新薬と言うこっちゃな」
ファンゼムが納得していると、マナツが、
「しかし、そのエメラルドシードを持ち出しは禁止されておらんのか」
「現在、禁止されていません。それに、民には秘匿しています。エメラルドオレンジは隣国には輸出しています。ただ、数年後には、ローデン王国から持ち出し禁止とされるかもしれません」
「これで、万能薬が精製できるということなのね」
テラが言った。
「エメラルドシードからエメラルドオレンジの栽培、エメラルドモルドの培養。そこから新薬の精製と各段階で解決せねばならない課題があります。まだまだ研究は必要です。特に精製についての工程は試行錯誤となります。エメラルドシードはその第1歩なのです」
「それなら私も手伝うわ。デューンもまだ冒険者ギルド個人I級なのだから、ダンと一緒に受けてポイントを貯めてはどう」
「テラにそう言うとムッとくるが、ダンのためだし、俺も依頼を受けるよ」
「ダンと一緒にか。それはデューンにとって、よい事かもしれないな」
リッキがダンとデューンを交互に見て言った。
「デューンは、ダンと2人で依頼を受けることに、私も賛成する。恐らく、リッキと同じ理由だ。是非、そうしてほしい」
マナツがデューンを見て言った。
「同じ理由?」
デューンは訝し気に首を捻った。
「片道2時間と言っていましたから、出発は明日の朝にしようと思っています」
ダンがデューンにそう告げた。
「そうと決まれば、デューンは冒険者ギルドへレッツゴー」
ハフが指さした。
皆が退出すると、リッキがマナツに話しかけた。
「キャプテンもデューンの足りないところにお気づきでしたか」
「ああ、デューンは確かに強いが、危うさがある。双子島での魔族との戦いで感じた」
「俺も、デューンと語り合う中で、危うさを感じました」
「ダンなら、最適だろう」
「確かに」
2人は頷いた。




