第18章 鏡に映る姿
第18章 鏡に映る姿
王都ロド北の最終防衛線。神聖国家防衛隊作戦本部。
「東から魔族部隊、およそ160匹。こちらに向かってきます。距離5キロ」
斥候から報告が届いた。
「時刻も魔族数もタジとカガリの連絡通りだな。あと1時間で開戦だ・・・そうなると2時間後には増援40匹も来るな」
ホワイト侯爵が呟いた。
「兵に開戦予定は9時と告げ、交代で5分間の休憩を与えよ」
アルベルト王子は、ホワイト侯爵に伝えた。ホワイト侯爵は、伝令に各部隊長に伝達するように命じた。
魔族迎撃のために緊張が続いていたが、魔族迎撃までの時間の目安を知ることができたため、兵士たちも落ち着くことができた。
「真っ青な空で小鳥がさえずっている。あぁ、ここは草原なんだな」
鳥の鳴き声に、ようやく気付いた兵士も多くいた。
神聖国家防衛隊作戦本部に伝令が駆け込んで来た。
「魔族部隊が接近中。距離2キロ。間もなく視認できます」
「いよいよだ。皆、頼んだぞ」
アルベルト王子の言葉に、
「「「はっ」」」
最前線防衛陣。
最前線の兵の足元に土嚢そして柵、その向こうには広い緑の草原が続いていた。
最前線の兵の後ろには土嚢が高く積まれていた。
臨時軍務大臣兼近衛長官ホワイト侯爵が兵たちに激を飛ばす。
「我がナギ王国の勇敢な兵士よ。国家の存亡はこの1戦にある。アルベルト王子とナギ王国。そして、その民のために己の力を振り絞れ、命を燃やせ。
誇り高きエルフの兵士たちよ。我が国土を犯すことへの代償を魔族に払わせてやるのだ。
勇敢な兵士たちの名は、長き寿命のエルフにおいても、万世まで語り継がれていくことだろう。
魔族を打ち払い、我が祖国を守るのだ」
「おおー」
兵たちの雄叫びは、大地を揺らした。
魔族東別動隊の第1波の魔族兵20匹が、飛行して来る。
兵は、ゴクリと唾を飲んだ。
「撃てー」
ドゴゴーン、ドゴゴーン、ドゴゴーン
炸裂火炎砲45門が一斉に火を噴いた。
バババン、バババン、バババン
空中で乾いた音を立てて真っ赤な炎を広げ炸裂する。
魔族兵は結界を張って身を守るが、結界にひびが入る。
先陣を飛んできた魔族兵たちが次々に飛んでくる砲弾で炎を纏い砕け散る。
「次弾装填」
炸裂火炎砲は極めて殺傷力の高い武器であるが、次弾発射まで最速で30秒を要した。
「魔導士兵、撃てー」
魔導士の放った火弾が一直線に炎の軌跡を描いて魔族に直撃する。魔族は胸に穴を開けて墜落する。
想定されていた通り、侵攻する魔族が空中から接近し、これを遠隔武器で撃ち落とす形で開戦した。
「本日午前9時、王都ロド北の平原にて神聖国家防衛隊と魔族軍開戦」
伝書鳩が王都ロドへ飛んだ。
魔族の本能の成せることなのであろう。第1陣の魔族が柵を越えて第1防衛陣の歩兵と弓兵に襲い掛かろうと降下してきた。第1防衛陣の後にある高く積み上がた土嚢の後ろから一斉に矢が放たれた。矢は黒い雨となり、降下して来る魔族に次々と当たる。
魔族が手にした武器で切り刻むことに快楽を感じる本能を踏まえて、第1防衛陣の後ろには弓隊を多数配置していた。この弓隊の流れ矢が当たらぬように第1防衛陣の兵の後ろには土嚢が高く積み上げらたのだ。
第2波の魔族兵20匹が雄叫びを上げながら地上を駆けてくる。魔族の波状攻撃だ。
第1防衛陣の弓兵が矢を射る。第2波の魔族兵が正面の柵に達しようとした瞬間、防衛陣の左右に伏せてあった騎馬隊が、側面から魔族兵を挟むような形で突撃してきた。騎馬隊はその抜群の機動力を生かし瞬く間に魔族を捉えた。怒涛の如く駆ける騎馬隊の槍が魔族の胸を突く。首を払う。馬の蹄で踏みつける。第2陣の魔族は騎馬隊に蹂躙された。騎馬隊は、その機動力と攻撃力で防衛柵前におけるスイーパーの役を担っていた。空に逃げようと飛び立つ魔族は、柵の後ろから飛んでくる矢に狙い撃ちされた。
銅鑼が連打された。第1波と第2波の魔族は引き上げていく。その数は10匹程度まで減っていた。魔族東別動隊の第1次攻撃は、何も戦果を残せず、兵を失っただけであった。
緒戦は神聖国家防衛隊の戦術の勝利であった。
神聖国家防衛隊兵から歓喜の声が上がった。
「貴様ら、この不甲斐なさはなんだ。魔王ゼクザール様に顔向けができるのか」
左右の側頭部から闘牛のような角が生えた魔族東別動隊長シャクゲが怒り心頭で兵を叱責していた。
緒戦は神聖国家防衛隊の一方的な優勢に、シャクゲは打開策のないまま鬱憤を爆発させるだけであった。
「誰かあの陣を突破できるものはおらんのか」
シャクゲが怒鳴る。
「シャクゲ、魔族と人間の違いは、その魔力の大きさにある。魔族には魔族の戦い方がある。お前は、それを生かし切れていないだけだ」
4人の元分隊長の1人、ザザイが言った。元々ザザイは傀儡師ホージュスの参謀長であり、東分隊をまかされていたが、ホージュスの助勢に来た円舞のオルバ分隊が、数にものを言わせて吸収合併したために、シャクゲに従っていただけであった。
「なんだと、ザザイ、このシャクゲ様を愚弄する気か」
「シャクゲ、儂の戦術に任せろ。防御陣を業火の渦に巻き込んでくれるわ」
「ホージュス配下の参謀長ザザイか。大口を叩きおって、できなかった場合には、我自らその首ををはねてくれようぞ・・・其方の力を見せてもらおうかのう」
ザザイの爬虫類のような冷酷な眼が光った。ザザイは、魔族兵90匹を集めると、第1波として10匹ずつの3組に分けた。第2波も20匹ずつに分けた。だが、第2波の合計60匹には、武器を手にすることを一切禁じていた。
「ザザイめ、第1波は武器を持っているが、第2波の俺たちは手ぶらとはどういうことだ。死んで来いということか。やってられないぜ。いっそ逃亡するか」
などと、魔族兵たちが囁いていると、
密かに第2波の魔族兵たちが呼ばれ、作戦を伝授さえた。
「ぐへへへへ、魔族らしい戦い方ではないか。俺の好みだ・・・命令だからな、悪く思うなよ」
と第2波の魔族兵がほくそ笑んだ。
魔族東別動隊による神聖国家防衛隊への第2次攻撃が開始された。魔族兵は神聖国家防衛隊の中央を目指して飛行して来る。
「シャクゲよ。魔族にしか出来ぬ、魔族の本能を生かした戦いを見るがよい」
今回の攻撃を本陣で指揮をとるザザイは、隣にいるシャクゲにニヤリとして言った。
「ザザイ、その余裕は、攻撃が成功してから言え」
「我らが緒戦で苦戦した原因は、人間の機動力と遠隔攻撃の火力だ。まず、それを人間から奪う」
中央を目指して飛行していた魔族兵は10匹ずつの3組に分かれた。左右が大きく横に開く。中央と左右の騎馬隊の3か所へと迫っていく。
ザザイが右手を上げた。
銅鑼が1つ鳴る。すると第2波の武器を持たない魔族60匹が魔族本陣から3組に分かれて飛行していった。中央と左右の騎馬隊を目指し、第1波の3組の後を追う形となった。
魔族東別動隊の第1波は、炸裂火炎砲を恐れ、互いに距離をとって目標の防衛陣へ迫る。
中央の防衛陣には、炸裂火炎砲25門と魔導士兵400人、弓兵800人、歩兵1200人が守備を固めている。
防衛陣の左右に控える騎兵500騎には、それぞれ炸裂火炎砲10門と魔導士兵50人、弓兵100人、歩兵300人が守備を固めていた。
「撃てー」
ドゴゴーン、ドゴゴーン、ドゴゴーン
炸裂火炎砲が一斉に火を噴いた。
バババン、バババン、バババン
と、空中で乾いた音を立てて真っ赤な炎を広げ炸裂する。空中への炸裂火炎砲の砲撃は、魔族の個を狙って撃っているわけではない。炎と爆風の弾幕で飛行する魔族を撃ち落としているのだ。
「次弾装填」
「魔導士兵、撃てー」
次弾装填中のタイムラグを生める魔導士兵が魔法を放つ、弓兵が矢を射る。しかし、次弾装填の30秒間は、魔法と弓のため火力が落ちる。魔族が個別に張った結界で防がれる。
第1波の魔族部隊では、各組の数匹の魔族が防御柵を越えて兵士の脇に着地した。すると、手に持った武器や近接魔法で砲撃兵や魔導士兵、弓兵を斬る、突く、叩くと暴れまわる。歩兵が魔族を取り囲み応戦するが、魔族から風の刃が次々と飛び、周囲の兵を切り刻む。人間を遥かに上回る魔族の戦闘力が猛威を振るう。防御柵内の遠隔攻撃に隙が生まれた。
「第1波の奴らが暴れるから、人間の遠隔攻撃がずいぶんと減ったな。今度は俺たちが暴れる番」
第2波の魔族たちが飛行しながらほくそ笑んだ。
第2波の武器を持たない魔族兵が、魔法攻撃を始めた。
ドゴーン
ドガガーン
バン、バン
その魔法攻撃は、豊富な魔力にものをいわせた高出力広範囲の連続魔法だった。
炸裂火炎砲や魔導士、弓隊の周辺に攻撃が集中する。第1波の魔族が地上で、砲撃兵や魔導士兵などと肉弾戦をしている場所へもお構いなしに魔法攻撃をする。
ドゴーン
ドドドーン
敵も味方も焼き払い、吹き飛ばしていく。
「ぐあー」
「無差別に魔法を撃っているぞ」
「まて、俺は魔族だ。待てー。ぐぉ」
「腕が・・助けてくれ」
ドドゴーン
阿鼻叫喚の世界となっていた。
左右の騎兵たちに襲い掛かった第1波と第2波の魔族隊も同様に、第1波の魔族が人間の兵と戦っていてもお構いなしに高出力広範囲の魔法を連発していた。
防御陣内は炎で埋め尽くされているようにさえ見えた。地上に降りた第1波の魔族は全て死んでいた。
「残りの魔導士兵と弓隊を全て前進させて、防御陣を救え」
ホワイト侯爵が指示を伝える。
アルベルト王子をはじめ本部の参謀たちは青ざめていた。
「み、見方を吹き飛ばしながら攻撃するとは・・・こ、これが、戦術といえるのか・・・」
と、驚きを隠せずに参謀長が呟いた。
「人間には考えも及ばない策だ・・・・魔族にしかできない戦法だ」
神聖国家防衛隊本部から非難とも驚愕とも恐怖とも思える声が上がる。
「このままでは、遠隔武器と機動力が壊滅します。早急に、第2防衛陣まで下げましょう」
参謀となったマクレール男爵が言う。
「それを好機とみて、そのまま魔族が前進してこないか」
他の参謀が懸念する。
「第2次攻撃の2波の魔族は、魔力が切れるころです。その証拠に火力が落ちています。武器は持っていないので、総攻撃の前に必ず本隊に戻り武器を手にするはずです。下げるなら今です」
マクレール男爵が言った。
参謀長ダリ伯爵と参謀たちも頷いた。
「我らが緒戦で苦戦した最大の原因は、己が武器で人間を切り刻むことに最高の快楽を感じる魔族の本能だ。第2波には武器を持たせていない。切り刻めないのだ。だから魔法攻撃で人間を殺すこと、魔族を後ろから魔法で焼き殺すことが、唯一の快楽となる」
と、ザザイは、シャクゲに得意げに説明した。続けて、
「シャクゲ、今こそ全軍突撃の好機だ」
ザザイは、シャクゲに突撃を促す。
「ザザイ、お前は俺を突撃させて、その後ろから魔族兵に魔法を撃たせる気か」
シャクゲはザザイを睨んだ。
ザザイは舌打ちしてから、
「・・・シャクゲ、何を馬鹿な。我を疑うなら、第2波の魔族兵を一旦下げよう。魔力の枯渇した魔族は、戦場にいても邪魔なだけだ。武器を持たせ、突撃させよう」
そう言いながら、ザザイは手を上げた。
銅鑼が連打された。
第2次攻撃はこれで終了した。
魔族東別動隊の第2次攻撃によって、防御陣が破られ、炸裂火炎砲と魔導士、弓隊、騎馬隊のほとんどを失い、遠隔攻撃力と機動力は戦術的に機能しなくなっていた。
神聖国家防衛隊本部。
「飛行した魔族から魔法攻撃を浴びては我が軍の被害を大きくするだけです。次の魔法攻撃には耐えられないと思います。アルベルト王子、ここは王都まで一旦下がって、勝機を待ちましょう」
「私も、その策しか残されていないと思います」
本部に詰めている参謀たちが所見を述べる。
アルベルト王子は、椅子に腰かけ、目を閉じていた。
マクレール男爵が
「私は、先ほどの戦術はもうないと考えます。いえ、飛行しながら魔法を撃つことすら、できないと考えています」
と、言った。
「マクレール、何を根拠に、先ほどの戦術はないと言っているのだ。楽観論は止めろ」
古参の参謀が新参のマクレールを睨みつけて言った。
「それでは、恐れながら申し上げます。第1次攻撃と第2次攻撃とでは、戦術の意図や発想が異なりました。第2次攻撃には、異なる参謀の魔物が発案した戦術と私は考えているからです」
「それが関係あるというのか」
「はい、とても大きなことです。第1次攻撃から先ほどの戦術を取らなかったのは、この戦術を取れる環境ではなかったのでしょう。経験や力関係など何らかの原因が影響していたと思います。
恐らく、第2次攻撃を発案した参謀の魔族は、より大きな力を持った魔族から排除される可能性が高いと思います。それは、目先の戦果を求めて、部隊に深刻な悪影響を及ぼしたからです」
「あれだけの戦果を挙げたにも関わらず、悪影響とは何だ」
「それは、地上を攻める部隊からの不信感です。もう、囮となって味方の魔法を背中に撃たれる地上部隊役は、誰も引き受けないでしょう。
それに、いかに魔族とは言え、魔力に限界があることは先ほどのことからも分かりました。魔法だけで、我らの部隊を全滅させることはできないはずです。王都攻略を目標とするからには、魔力の全てをこの1戦で枯渇させることはしないでしょう。
そうなると、地上からの攻撃は、魔族の目標達成のためには必要不可欠となります。しかも、地上における個の武力に優る魔族は、残虐なその本能で地上戦を好みます。
以上から、第3波の戦術は地上戦を選択し、魔族間で芽生えた不信感から、飛行を禁止して来るでしょう」
「しかし、それはあくまで其方の推測であって、その推測が違った場合には、我が軍の全滅もありうる。危険すぎる」
参謀が意見を述べた。
アルベルト王子は、参謀長ダリ伯爵に意見を求めた。
「マクレール男爵の考えをどう考える」
「はい、理にかなった推測だと考えます。しかし、この推測が異なった場合には、我が軍の損害は甚大となります」
「魔族が地上戦を選択した場合には、我が軍に勝機はあるのか」
「はっ、五分五分といったところだと考えております。先ほどの魔法攻撃をされるよりは勝算は高くなります。ただ、魔族の援軍40匹が到着した場合には、戦況は大変厳しくなります。例え王都に籠城したとしても、魔族に援軍が来る以上は、厳しいことに変わりありません」
「魔族は地上戦で来る。これを前提にして迎撃策を立ててくれ」
アルベルト王子が決断した。
「はっ」
王宮グレートフォレスト。
「いけません、ローズ第2王妃様。おやめください」
リリーが大きな声でローズ第2王妃を嗜める。
ローズ第2王妃は、黄色のシルク生地のワンピースを着て、透き通った、淡い青の羽衣のような長い布を肩かから掛けていた。口元にしていた黒い喪布は外して素顔を見せている。
ルーナ王女の部屋の前にいた護衛もローズ第2王妃の行く手を遮る。
「私はルーナ王女と話をするだけです。ここを通してください」
「ルーナ王女は、今は誰にもお会いできません」
リリーが必死に止める。
「ローズ第2王妃を見舞いに行った時のアルベルト王子を見ているようですね」
後ろから声がした。
ローズ第2王妃もリリーも振り向くと、ダイチがそこにいた。
「リリー、ローズ第2王妃を通してあげてください」
「ダイチ様、でもそれは・・・」
「ローズ第2王妃、私からも伝言を・・・アルベルト王子率いるロド北の神聖国家防衛隊の戦況は、捗々(はかばか)しくはないようです」
「分かりました。必ずお伝えします」
ローズ第2王妃が頷いた。
「今のルーナ王女に戦況だなんて・・・」
心配するリリーにダイチが言う。
「リリー、今だからなのだよ。ルーナ王女がどのような決断をしても、それを悔やまないように正しい情報は伝えておかなければならない」
「それほどまでに戦況が・・・」
と、ローズ第2王妃に緊張の色が出た。
「私はこれから南の軍事都市ガイへ行きます。それでは、失礼します」
ダイチはそう言うと駆け去った。
「リリー、お願い。ルーナ王女と話がしたいの」
「・・・・ローズ第2王妃、分かりました」
リリーはそう言うと、ルーナ王女の部屋の扉を叩いた。
「ルーナ様、リリーです。今ここにローズ第2王妃がいらっしゃっております」
ルーナ王女の部屋の扉が開いた。
「ルーナ王女、私は貴方と女同士の話をしに来ました」
「ローズ第2王妃、どうぞお入りください」
ルーナ王女は、白いシルク製のゆったりとしたワンピースを着て現れた。
リリーを目で制止して、ローズ第2王妃だけを部屋に招き入れた。
「ルーナ王女、貴方はアベイス国王陛下のことは許せないと思っていますね。私も第2王妃として彼の判断には、賛成できません。王として許されざることだと考えます」
テーブルを挟んで座るローズ第2王妃が言う。
「・・・私は、父が国王として、民への裏切りとも言える判断をしたことを許せません」
「私も同意見です」
「民を慈しんでいたあの父アベイス国王の心と行動が、偽りであったと疑念を抱いています」
「ルーナ王女、私はアベイスの妻として申しげます。アベイスの民への慈しみは誠の心でした。お側にいた私には分かります。貴方もそう感じていたはずです」
「・・・でも」
「いいえ。誠の慈しみでした。民への慈愛をもった賢王でありました」
「では、なぜ」
「・・・私はいまでも信じられません。もし、本当にそうだとしたら、愛深きゆえに、己の誠を見失ったのだと思います」
「愛深きゆえに・・己の誠を見失う・・・」
「アベイスは、私を深く愛してくれました。グレイス王妃やルーナ王女、民にも同じです。そして誠を尽くされてきました」
「ローズ第2王妃、私には、それが分かっているのです。分かっていても、父の判断を許せない自分自身が許せないのです」
「ルーナ王女、貴方は信頼していた父が、自分を信頼してくれていなかったと感じていることが辛い。その辛い気持ちの矛先を父アベイスに向けることしかできない自分が許せないのですね」
「・・・・その通りです」
「許せない気持ちは、そんなにいけないことなのかしら」
「・・・え」
「ルーナは、許せない自分を恥ずかしく思い、それを隠すことで、他人の眼を欺いているだけのようにも感じますわ」
「そ、そうかしれません。王女として、尊敬される人であらねばならないと、本心を隠し、自分を守ってきました」
「アベイスは王として、貴方たちと民を心から愛していた。父としても、貴方を愛していた。そして大きな過ちをした。今は亡き人となった。貴方がどう考えようが、これは変えようのないことなのです。
・・・ルーナ、貴方には、私には分からぬ悲しみがまだありそうですが、それも受け入れるしかありません」
「・・・・」
「後は、貴方が事実を受け入れ、自分自身の心にけじめをつけるだけです・・・民のために、そしてあなた自身のために前を向きなさい」
「・・はい」
ローズ第2王妃は、ルーナ王女の前まで来ると、緑と青のヘテロクロミアの瞳を見つめた。
「ルーナ王女、それでも私は、妻としてアベイスの深き愛と誠を信じています」
ローズ第2王妃は、そう言うと、
「これは貴方の父アベイス国王陛下からいただいたものです」
ローズ第2王妃は肩から、透き通った淡い青の羽衣のような長い布を持ち上げ、ルーナ王女の首元にそれをかけた。
そして、部屋の外へ向かい歩き出した。扉に手を掛けると振り向いた。
「そうそう、アルベルト王子は、魔族の侵略からこのナギ王国を、民を守るために出兵しています」
「え、アルベルトが」
「アルベルト王子は、慈愛に満ちたアベイス国王陛下の遺志と、自らそれに背いてしまった父の後悔の念を受け入れています」
「・・・・」
「ダイチとか申しものから伝言では、アルベルト王子率いるロド北の神聖国家防衛隊の戦況は、捗々(はかばか)しくないそうです。この報をもたらしたダイチは、ロドの南の戦線に赴くそうです」
ルーナ王女は椅子から立ち上がった。
「・・・・ローズ第2王妃、父アベイスはもういません。でも、私はもっと、もっとアベイス・フォレストの子供でいたかっただけです」
「そう、・・・私もそうよ。ルーナ王女、貴方とお話ができてよかったわ」
そう言って、ローズ第2王妃は部屋を後にした。
「ローズ第2王妃・・・ありがとう」
ルーナ王女はそう呟いた。
そして、ドレッサーまで歩いて行った。引き出しから指輪を取り出して右手に握った。
右拳を開くと、掌には記憶の指輪が載っていた。
ルーナ王女は、ドレッサーの鏡に映る姿を見た。
母グレイスに似ているという口元。
父アベイスに似ているという鼻筋。
雪乙女からの緑と青の瞳のテロクロミア。
ルーナは自分の唇と鼻、眼に手を当てた。
「どれも譲られたもの。どれも私の自慢の一部。
あかあさん、温かな眼差しで見守ってくれてありがとう。
お父さん、私はあなたの子供に生まれて幸せでした。
さようなら、お父さん。さようなら、おかあさん。
さようなら、王女ルーナ・フォレスト」
ルーナ王女はそう言うと、透き通った、淡い青の羽衣のような長い布を手で触れた。そして、左指に記憶の指輪をはめた。




