第14章 神龍の逆鱗
第14章 神龍の逆鱗
「わらわは、他人への不信を植え付けて、その者を人形のように操作する傀儡師ホージュス。高い精神力や魔力をもつ者が抗ったとしても、わらわの精神攻撃魔法は、幻覚と幻聴を見せ、不安と恐怖を与える。だが、最も恐ろしい効果は、芽生えてくる自己への不信感だ。この自己への不信感は他人への不信感よりも心の奥深くまで食い込む。
わらわが精神魔法を操作できると知るだけで、その魔法の発動の有無に係わらず、己への不信感が芽生え増長していく。そうなれば、自分自身では抜け出すことはできないのよ。
オホホホホホッ、か弱き召喚術士ダイチ、わらわが精神攻撃魔法ディレインジの効果はどうだ」
と、ホージュスが左手で渦巻き状の角に触れながら、ニヤリとしながら言った。
「俺は、精神攻撃魔法ディレインジの攻撃を受けているのか。いや、本当に攻撃を受けているならホージュスがわざわざ話す必要はない。これこそがトラップだ。俺はまだ精神攻撃魔法ディレインジの攻撃を受けていない。
精神攻撃魔法は、1度に複数を対象にして発動できないのかもしれない・・・」
ダイチは、そう考えたが、エクスティンクションで半径500メートルを消滅させるイメージが浮かぶ。
「駄目だ。このイメージのままエクスティンクションを撃てば、辺り一面が消滅する」
ダイチは、心の奥底に芽生えた自分自身への猜疑心が邪念となって、エクスティンクションを制御する自信と平静さを失っていた。
『ダイチ、しっかりしろ。お前は大丈夫だ』
クローがダイチに言う。
「・・・・・駄目だ。自分への猜疑心で精神を不安定にして、魔法イメージをコントロールできない」
『ダイチ、しっかりしろ。魔族の攻撃が来るぞ。魔法がだめなら、武器を構えろ。最後まで抵抗しろ』
ダイチは、アイテムケンテイナーから黒の双槍十文字を取り出した。
「まぁー、そんな槍でわらわと魔族兵たちと戦うつもりなのかしら」
ホージュスが笑うと、
ゲハハハハハッ
カミューの攻撃から空中に退避している魔族たちも一斉に笑った。
「俺に、エクスティンクションが撃てないなら勝ち目はない」
ダイチは、アルベルト王子とルーナ王女、リリーの顔が浮かんだ。
「・・・すまない」
ダイチは、頭を垂れた。
カミューは、傀儡師ホージュスの精神攻撃魔法で、幻のホージュスめがけて攻撃を繰り返している。
『・・・ダイチが出来ぬなら、カミューだ。神龍の逆鱗を使え。カミューの周囲の魔族を殲滅させろ。カミューの魔力が尽きる前に神龍の逆鱗だ』
「神龍の逆鱗って、クローが禁忌のスキルと言っていたではないか」
ダイチは、カミューのステータスを始めて見た時のクローの言葉を思い出していた。
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『カミューの神龍の逆鱗は、一時的にステータスを倍にするが、我を忘れて本能のまま、気が済むまで暴れる。仲間が近くにいる場合には禁忌となるスキルだ』
するとカミューは、
『禁忌のスキルとはなんだ。我ら神龍が授けられたスキルだぞ。クローごときに愚弄されることではない』
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「今の俺は仲間を信じるしかない。カミューを信じよう。クローの判断も信じよう」
ダイチは、幻惑に苦しむカミューの下顎に手を伸ばした。1枚だけ逆についている鱗を力一杯に引っ張った。
『グア・・・・・』
カミューは、動きが止まり、ダイチを睨みつけた。
ダイチが叫んだ。
「カミュー、神龍の逆鱗だ!」
『グオォォォォォーン』
カミューは、雄叫びを上げた。地上最強生物の激怒の唸り声に、ホージュスは思わずその場に立ち上がり、宙に浮く魔族には全身が凍りつくような恐怖が襲ってきた。
黒い雲が湧き、辺りが薄暗くなり始める。突然、突風が砂塵を巻き上げる、天を切り裂く閃光と雷鳴、豪雨が大地を叩きつける。
カミューが赤い光に包まれると、体長が倍に膨れ上がり、瞳は赤く白目は黄色、体の白い鱗は深紅に、金色の髭や背、手足の付け根の毛は漆黒の炎に変わり、宙に舞い上がった。舞い上がりながら神龍の息吹を宙に浮く魔族めがけて放った。
ピーッ
宙に群がる魔族たちを薙ぎ払う白い閃光が雨雲を切り裂き、天を突き抜けていく。
ドゴゴゴゴゴゴゴーッ
と、大気を裂く衝撃波と轟音が地上のダイチに響く。
ダイチは、懸命にその場から駆けて逃げる。
バリ、バリ、バリ
ドゴゴゴゴーン
と、凄まじい落雷が大地のあちらこちらに刺さる。
ダイチの足元にも落ちて来た。ダイチはその衝撃で飛ばされ倒れたが、すぐに顔を上げて起き上がった。しかし、ダイチは、思わず後ずさりした。ダイチの目の前には、既に無数の強大な竜巻が天と地を結ぶ柱のように舞い踊っていた。
「もう前にも、横にも逃げ場はない」
ダイチは、後ろを振り返ると、宙に浮く魔族の姿は1匹もなかった。
一面の荒野に岩のドームが1つあるだけであった。
「深紅のカミューが、僅かな時間で残りの魔族全てを殲滅したのか」
ダイチはゴクッと唾を飲み込んだ。
ダイチが辺りを見回すと、暴風雨と落雷、大地は草木が抉り取られて凹凸だらけの荒れ地が広がり、魔族の亡骸が横たわっていた。深紅のカミューは、怒りに我を忘れ、宙を乱舞しながら落雷を放っていた。
バリ、バリ、バリ
ドゴゴゴゴーン
雷は天から大地をめがけ煌めく、横に、斜めにと無数に走る。
カミューが大地に降り立った。
『グオォォォォォーン』
と、雄叫びと共に、神龍の息吹が天を裂く。
「カミュー」
『やめろ、ダイチ。カミューは神龍の逆鱗で自我を失っている。躊躇なく殺されるぞ』
クローが叫ぶ。
深紅のカミューの首が向きを変えた。黄色に赤い瞳がダイチを睨む。
『グオォォォォォーン』
カミューは、雄叫びを上げてダイチに迫って来る。
『ダイチ、逃げろ。殺されるぞ』
「カミュー、カミューもういい。十分だ。魔物はもう殺しつくした」
カミューの目には殺気が満ちていた。ダイチにはカミューの赤い瞳は、血の涙を貯めているかのように見えた。
カミューが尻尾を横に振る。
ダイチは黒の双槍十文字の柄で脇腹を防御したが、そのまま吹き飛ばされた。ダイチは地面を数回跳ねて倒れた。
カミューは口から出た牙を光らせ、容赦なく近づいて来る。ダイチは双槍十文字を杖代わりにしてよろよろと立ち上がり顔を上げると、ダイチの視線の先に岩ドームが見えたが、その視線を遮るようにカミューが迫って来る。
「ハァ、ハァ・・・このままでは、こ、殺される・・・カミューと対峙して分かった。こ、これが究極の恐怖というものか・・・これが生物界頂点に君臨する神獣の1つ、神竜の圧倒的な迫力か・・・狩られてきた魔物や魔族に同情するよ・・・・」
ダイチは、迫る脅威と恐怖の前で他人事のような言葉が口から出た。
カミューはダイチの頭上めがけて尻尾を振り下ろした。ダイチは黒の双槍十文字の柄で防ぐが、片膝が地面につく。
「カミュー、もう十分だ。戻れ、カミュー」
『ダイチ、これ以上は無理だ』
「無理じゃない。諦めない・・・カミュー、カミュー」
『グオォォォォォーン』
『ダイチ、エクスティンクションで・・・』
「クロー黙れ。それから先の言葉を俺は許さない」
クローが叫ぶ。
『ダイチ・・・エクスティンクションで、カミューを倒せ。それしか生きる道はない。これが正解だ』
「俺は・・・そんな正解を認めない、決して許さない」
ダイチの体力は限界を迎え、カミューの尻尾の一撃を支えている黒の双槍十文字の柄を握る手がブルブルと震え出した。
『グオォォォォォーン』
カミューは赤い瞳で殺気を放つ。
ダイチは、カミューの頭を見た。
その時、魔王ゼクザールを倒すために立ち上がるきっかけとなったカミューの言葉が頭の中に走馬灯のように甦った。
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『主、改めてお願いする。魔王ゼクザールを一緒に倒してくれ』
「カミュー、クロー、絶対に死ぬな」
『承知した。主もだ』
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『あ・じ、われを・ろせ』
カミューの絞り出すような言葉に、赤い瞳とダイチの瞳が重なる。
ダイチは瞳から自然に溢れる涙で、カミューの顔が滲んで見える。
ダイチは片方の槍の柄を地面に着き、片手の袖で涙を拭った。そして、カミューが右手に握る眩いばかりに輝く龍神白石に、手を伸ばした。
「カミュー・・・この龍神白石が、俺とカミューを結び付けてくれた・・・俺は魔王ゼクザールを倒す。そして、これからもこの世界で逞しく生きていく・・・約束する」
ゾーブ
「エクスティンクション」
魔力がわずか1の魔法使いであるダイチは召喚術士である。
召喚無属性魔法エクスティンクションは、目標の1点に反発エネルギーであり、負の圧力を持つダークエネルギーを召喚する。
目標の1点から透き通った球が膨張した。それは瞬きよりも短い出来事だった。球形が目に見えた訳ではない。ダイチの想定した効果範囲であるゾーブ(人が中に入って遊ぶ球)大の直径3メートルの透き通った球が存在を示すかのように、球形の輪郭内で背景が歪んだのだ。その刹那、球形の輪郭が1点に収縮し消滅した。
後にはゾーブ大に天井が抉り取られた岩ドームがあった。
9
天井を失った岩ドームが崩れ始める。
8
岩ドームの崩壊が止まらない。
7
岩ドームが崩れ、右半身が消失したホージュスが立っている。
6
「なぜ、自己不信の中でわらわへ攻撃ができるのじゃ。なぜ、最大の脅威のカミューではなくわらわへ攻撃をしたのじゃ。」
ホージュスが震えながら問いかける。
5
4
「それは簡単だ。クローが、俺は精神攻撃魔法にはかかっていないと言った。カミューは『魔王ゼクザールを一緒に倒してくれ』と言った。俺は自己不信でも、仲間を信じる心は疑いようもない」
4
3
ピッ
神龍の息吹の閃光の中にホージュスが姿を消す。
2
ドゴゴゴゴゴゴゴーッ
と、大気を裂く衝撃波と轟音が大地に響いた。
1
「・・・カミュー、お帰り」
0
「主、・・・苦労をかけた」
カミューは、元の4メートルに縮みはじめた。髭や背、手足の付け根の毛が金色の白龍に戻った。
『カミュー、ダイチの命は、神龍の逆鱗でかなり危なかったぞ』
『主、すまなかった。だが、我の命も危なかったぞ。どこぞの誰かが、主にカミューを倒せって叫んでたしな。エクスティンクションにロックオンされたら最後だ』
「カミュー、お前、聞こえていたのか」
『憤怒しかない心の中で、どこか遠くで、何者かがひそひそと囁く声が聴こえていた』
「憤怒の心なのか」
『感覚的には、憤怒の漆黒の闇と猛火の赤の感情の中で、極小さな光が1つ見えていた。そこから囁き声が聞こえ、主の瞳が見えた。近づいて行くと、主は泣いていた』
「人間には分からない精神状態かもしれないな」
『我にとっても初めての精神状態だった』
「最後の神龍の息吹は、ホージュスによく当てられたな」
『あの時も、我の眼にはホージュスの姿は見えなかったが、最も信頼できる視線の延長上に神龍の息吹を撃っただけだ』
「あははははっ」
『カミュー、まあ、私の判断は正しかった。全員無事だしな』
クローが怪しげにコトッと動いた。
「クロー、お前の神龍の逆鱗の判断は、俺たちの命を救うために正解だったかもしれないが、クローとカミューを信じた俺のエクスティンクションも正解だったろう」
『そうとも言えるな。正解の積み重ねの勝利だな』
クローがブルブルと震えながら言った。
『主は、ホージュスにエクスティンクションを撃った後に、我に切り刻まれるとは考えなかったのか』
「バイカル鍛冶屋で、カミューは俺に、魔王ゼクザールを一緒に倒してくれって言ったじゃないか。それに俺に死ぬなとも。その言葉を信じただけだ」
『自己不信でも、相手の心は信じることができたということか。それに、カミューが、そのような心の切なる思いを言葉にしていなければ、ダイチのエクスティンクションで死んでいたかもしれないな。例え稚拙な表現で全ての思いを言葉にできなくても、その切なる思いは伝わるということだな』
クローの言葉に、ダイチとカミューは黙って頷いた。
「しかし、神龍の逆鱗はすごいよな。あっと言う間に魔族が全滅だ」
『ステータス値が2倍になるからな。主、我を信じてくれたことに感謝する』
「当たり前のことだろう」
カミューは嬉しそうに牙を光らせた。
「クローのことも信じている」
『ダイチ、それは分かっている』
「さあ、西の魔族を倒しに行こう」
『いや、待ってくれ。先ほど、神龍の逆鱗を使ったので、魔力がもうない。今は飛行もできない。主すまん』
「そうなのか。魔族本隊を全滅させるほどの魔力を消費したのだし、仕方ない。回復にはどれくらいの時が必要なのだ」
『恐らく1日。だが、6時間から8時間位あれば、何とかなるだろう』
「1日か。厳しい時間だな」
『ダイチ、ここで無理をして、魔族に破れれば魔王ゼクザール討伐の希望は潰える。回復のために1日待つしかない』
『主、クロー、心配は無用だ。神龍の息吹や魔法だって何発かは撃てるだろう』
「カミュー、お前の気持ちは分かる。俺もナギ王国の危機に出来ることをやりたい・・・しかしだな・・・」
『大丈夫だ。主』
カミューは、ダイチの瞳を見つめて譲らない。
「・・・・・」
『・・・・・』
「俺は、カミューの魔力回復については何も分からない・・・お前を信じるよ」
『かなりのリスクを負うことになるな。だが、ダイチがカミューを信じると言うなら、私はこれ以上、何も言うまい』
「よし、8時間休憩とする。今夜の午後10時に出発だ」
ダイチは、アイテムケンテイナーからキャメルさんが用意してくれたパンとトナカイに似た魔物の肉の燻製、葡萄ジュースを取り出し、カミューに渡した。ダイチもそれを口に頬張った。
カミューは、食事を口に流し込むと、
『出発の時刻まで、魔力を回復する』
カミューはそう言うなり、横になるともう寝ていた。
「カミューは、相当疲弊していたのだな。神龍の逆鱗は、我を忘れて暴れるハイリスク・リターンだが、激しい魔力消耗もハイリスクの1つとしてあったのだな」
『ああ、それでもあの状況では、神龍の逆鱗がなかったら、ホージュスも魔族兵も倒せなかっただろう』
「そうだな」
ダイチは、乾いたパンを頬張り、葡萄ジュースを飲んだ。
「俺も寝る」
そう言うと、ダイチも寝息をかいていた。
クローは、ダイチの脇に置かれたまま、ナギ王国で展開されるこれからの戦闘について考えを巡らせていた。




