第3章 俺って意外に器用
第3章 俺って意外に器用
背中にゴツゴツと当たる石の感触が不快で目が覚めた。
目を瞑ったまま、昨日のことは全て夢であってほしい、起きたら自分のベッドの上であってほしい。また「おはよう」と子供たちに笑顔で挨拶したい、そう祈りたいが背中に当たる石の感触で、今の現実を受け入れるしかなかった。
その日は、河原にある赤い大きな岩の脇で目が覚めた。
川の水で顔を洗った後に、空を見上げた。灰色と暗い影のある厚い雲で空は満たされていた。河原は朝を迎え、明るくなってきているが、白黒写真のように色のない世界が広がっていた。
「あれからどれくらい寝ていたのかな」
曇天を見上げて呟く。
「ふー。もう、この世界で生きていくしかない。生き抜かなければならない」
そう自分に言い聞かせた。口からでた言葉は、色のない世界に虚しく響いた。
グググゥーと腹が鳴った。
「こんな状況でも腹が減るんだなぁ。そういえば一昨日の夜から何も食べていない」
辺りを見回したが、食べられそうなものが見つかるはずもない。
川岸から水面を覗いた。所々に黒い影が見えた。水の流れで水面がキラキラと光り、黒い影の輪郭が揺れている。
「何だろう。魚かな」
赤いスエットのズボンを膝上までまくり上げて静かに川の中に入った。無数に見える黒い影の一つにゆっくりと近づいた。
「あ、魚ではないな。これは石かな」
黒い影のすぐ脇で屈みこむようにして残念がった。石に手を伸ばして持ち上げ、
「結構大きな黒石だな。これ黒曜石かな。川の中にたくさん転がっている。近くに火山でもあるのかな」
などと考え、かぼちゃ程の黒曜石を、不満そうに河原に向かって放り投げた。
下流の川幅が広く、流れの穏やかな場所に目をつけた。下流の河原でスエットも下着もすべて脱いだ。裸になると急に両手で前を隠した。辺りをキョロキョロと見回し、
「全裸での魚捕り。もし俺がこんな人と出合ったら見て見ぬ振りをするだろうな。まぁ、誰もいないし、まずは魚、魚。めしだ」
そう言いながら川に入って行った。
魚は見つからない。探すうちにどんどん水深が深くなってきた。
「ここ、かなり深いな。もう腰くらいだ。まあ、水泳は趣味だし、流れが穏やかだから泳いでも問題ないか」
川に潜り魚を探し始めた。やっと見つけた銀色に光る魚影を追いかけていくうちに水深は更に深くなっていた。その時、川底からキラキラと輝く白い光を見つけた。泳ぎは達者だ、不思議に思って近づいてみようとしたが、息が続かない。水流に逆らうようにして、慌てて水面を目指した。
「ブハッー、ハァ、ハァ、あの白い光は何だ。あれ、川の真ん中あたりまで来ていたのか。リトライだ」
そう言うと、息をゆっくり深く吸い深い川底目指して潜っていった。
水流のためか川底から見える白い光は揺らいでいた。白い光を目指して更に潜っていった。川底に近づくにつれて水流は激しさを増していた。流されないように懸命に潜り、ようやく川底につくと白い光の脇にあった大きな石を掴んで止まった。
「これだ。白い光の正体は白石か、眩いばかりに輝いているな」
眩いばかりに輝く白石は、ソフトボールくらいの大きさで川底にあったが、他の石と石の間に挟まっていた。水流に逆らいながら、眩いばかりに輝く白石に手を延ばす。
「周りの石に挟まれていて取れないな」
右手で白石を掴み、左手で上の石を持ち上げた。浮力と水流で動きはするが、退けられない。そのまま両足を川底に付け、力を込めて持ち上げた。
「取れた」
喜ぶのは束の間、仰け反るような姿勢のまま水流に流された、白石は落とさないように強く握りしめた。
「うあ」
さっきまでとは異なり、川底は流れが速く、身動きが取れないまま錐揉み状態で流された。ゴボゴボと水の激しく流れる音がした。
「息が持たない。ダメか」
その時、背中が何かにぶつかり、引っかかるようにして止まった。夢中でそれにしがみ付いた。頭も胴も足も水流の圧力を感じる。体勢を整えながら、しがみ付いている物を見た。
「何だこれはぁー!」
気が付くと溺れるようにして水面を目指していた。恐ろしくて何度も振り返り見たが、それは川底に沈んだままだった。
「ぶはぁ、ハァ、ハァ、なんだあれは」
水流で結構な距離を流されていたようだったが、上流にさっきの河原の端が見えた。数回の深呼吸の後に、水面の流れに逆らって泳いだ。背が立つ水深になったとこころで、よろよろと立ち上がった。
「体が重くて怠い」
目指していた河原の端からはだいぶ下流に流されていたようだが、流れに逆らい水を蹴るようにして河原を目指して歩いた。
河原に上がると仰向けで大の字になって、荒く呼吸を繰り返した。右手の白石は、眩いばかりに輝いていた。
「ふう、ふう、死ぬかと思った・・・。水中で俺がしがみ付いたのは、とてつもなく巨大な頭蓋骨だったよな」
その状況を冷静に振り返った。眩いばかりに輝く白石を掴んだ瞬間に水流に流されて、夢中でしがみ付いたのが巨大な頭蓋骨だった。その頭蓋骨は、後頭部から顔にあたる部分が前に突き出していて、ワニか蛇の頭蓋骨に似ていた。大きな眼の穴、多くの歯と牙があり、長さは10メートル程か。まるでバスのような大きさと形をした頭蓋骨が川底に沈んでいたのだ。夢中で水面を目指し泳ぐなかで、振り返ると背骨の一部かと思われる骨も視界に入っていた気がする。巨大な魔物がここに住んでいたのか、死んで流されてきたのかもしれない。
「頭蓋骨が10メートルって、どんなに大きい化け物だ。バスは、50人くらい乗れるよな。一口で何人食えるんだ、ぶるっ。六頭身でも全長60メートル、八頭身なら80メートル、十頭身以上なら100メートル超えだ。想像できる魔物の範疇を超えているな」
ダイチは、深く息を吐いた。
「この世界は怖い。そこで生き残る・・・・」
灰色の空を間眺めてた。
「よし、生き抜くためには食うしかない。でも、魚を捕るといっても、さすがにこの頭蓋骨のある場所は足がすくむ。上流の岩の重なった場所に移動だ。チッ、下流には魚が少なかったぜ」
そう捨て台詞を吐いて、右手に眩いばかりに輝く白石、左手には脱いだスエットを抱えながら、河原にある赤い大きな岩へ向かった。歩きながら、気になって何度も右手の石に目をやったが、優先事項は魚捕りと念じた。
7 ,80メートル程歩いて、赤い大きな岩にたどり着いた。一呼吸すると、そこに眩いばかりに輝く白石とスエットを置いてから、3,40メートル上流にある水面から大小の岩の出た場所へと全裸で移動した。
「おぉ。何匹もいるぞ。岩の下に身を隠したり、出たりたりしている。」
大小の岩の間は流れが速い。でも、水深はかなり浅い。岩の間で何匹もの魚が川上に頭を向け、まるで水中でフォバーリングをしているかのように、その場に留まりながら鰭だけを動かしているのが目に映った。
「いるいる。よい子だから、動くなよ」
先程の下流の川底にあった巨大な頭蓋骨のことはもちろん頭を過ったが、そんなことで止めては生きていけない。
「骨は過去の遺物だ、今は生きていない。大丈夫、大丈夫」
と、呪文を唱えるように繰り返しながら、魚に気付かれないようにそろりそろりと川に入る。膝くらいの水深だった。腰を屈めて水中に両手を静かに漬けた。魚の尾鰭の斜め上から慎重に手を近づける。時が止まったような静寂と心臓がドクッ一度鳴る。
「よし、ここだ」
一気に掴みかかる。魚はスイと身をひるがえす。
「くそー、速いな。水の振動を感じているのかな。それとも魚は目が横に付いているから、後ろから捕まえようとしても俺の手が見るのかな。視力がよいかどうかは分からないけど。死角から攻めるとしたら・・・・むう、腹の下からかな。何事も経験、リトライだ」
次の魚には、両手の甲を川底に付けながら慎重に魚の腹下の位置まで手を伸ばした。
掌で掴む。
「と、捕れたー」
バガツと立ち上がり、両手で30センチ位の魚を握り高く掲げていた。
「やった、やったぞ。銀の魚体に薄い緑と橙の線、そして黒い斑点。美しいなー」
イワナに似た魚を下から眺めた。曇天に魚の色や模様が映えた。
その後は同じ要領で簡単に捕まった。
「俺って結構やるな。手づかみでの魚捕りってこんな簡単にできるものなのか。最初こそ失敗したものの、2匹目からは無造作に捕まえられた感覚だ。次はたき火だな」
などと、自画自賛しながら大きな岩の上に並べた5匹の魚を全裸で眺めていた。
「さてと、まずは火おこしだ。体験学習の一環として、きりもみ式での火おこしをやったことがあったけれど、指導はゲストティチャーとしてきてもらった専門家任せだったからな。大変な労力だった記憶しかないな」
赤地に白いラインが入ったお気に入りのスエットを着ながら、火おこしの方法についての記憶を辿る。その方法を懸命に思い出していると、子供たちが、
「もう疲れた」
「腕が痛い」
などと、弱音を吐きながら、両手を擦るようにして火きりぎねを回す様子、火を起こせて、くちゃくちゃになったあの笑顔を思い出していた。
「そういえば、学習に消極的だった勇人が1番に火を起こしたな。弘子なんて手の豆がつぶれても黙々と続ける程、我慢強くてがんばり屋だったな。啓太は、火きり板のこの穴では火種を作りづらいとみると、その穴に見切りをつけて、隣の穴に変えてすぐに火種を起こせたな。こだわらずに見切りをつけるってことも大事だよな。今頃、みんなはどうしているかな・・・・」
思い出していた温かな記憶が寂しさとなって込み上げてきた。
「う、うん、材料は、杉の板とセイタカアワダチソウ、麻糸だったはずだ。確か森の中で杉とセイタカアワダチソウは見かけたな。問題は麻紐か」
速、河原から続く斜面を登る。意外に急だった。
すぐに枯れ枝や獣か何かが剥がしたのか薄い板状の杉2枚と串に使う細い枝や乾いた薪なんかを拾い集めた。セイタカアワダチソウは、比較的日当たりのよい場所に群生していたので、茎を数本か折った。
「抱えきれない程薪があっても、持ち運べないからこれでいいか。問題は麻糸だな。本来なら麻紐をほぐして、火種を包んで息を吹きかければ火を起こせるのだけど。麻紐はさすがに森にはないよな。別の素材で火種を優しく包めて着火しやすいものとなると、枯葉かな? でも、葉は意外に厚いし、葉は重なって空気が入りづらく着火しにくそうだからなぁ。あ、あれだ、あれだ」
と言って、近くの木に駆け寄った。それは松の木だった。根元辺りには枯れた松葉が積もっていた。それを手に取った。
「枯れた松葉。試してみるか。」
河原に戻ると、キョロキョロと何かを探し始めた。
「あった、あった。これこれ、さっき川で拾った黒曜石」
手ごろな大きさの岩に腰掛けると、黒曜石を腿の上に置いて、固そうな石でコツコツと叩いた。最初は、力加減が分からず小さな破片が剥がれるばかりであったが、徐々に要領がつかめてきた。黒曜石は剥がれるように薄く割れた。割れた破片は、ナイフのような鋭利な刃をもっていた。
「俺って意外に器用」
刃先を整えると黒曜石のナイフができた。厚みも鋭利な刃先もなかなかの出来栄えだ。
薄い杉板状のものを黒曜石のナイフで平たくし、といっても薄く削りながら形を整えるだけだ。
杉板には深い爪跡が残っていた。
「三本の鋭い爪跡・・・・どんな獣だ。まさか魔物か」
1枚の板の端に円い穴と溝をあけて鍵穴の形にする。イメージとしては、鋸の金属のギザギザした刃の部分に鍵穴を作っていくことになる。この鍵穴の形が大事ということだが試してみないと分からないので、複数の鍵穴を作る。これで火きり板の完成。
「火きり板の下にもう1枚の杉板をおいて、火きり板は準備完了。セイタカアワダチソウの葉をむしって茎だけの棒にすると火きりぎねの完成だ。」
枯れた松葉を揉んでから手元に準備して火おこし開始。
「セイタカアワダチソウの棒から作った火きりぎねを両手で拝むように持って、火きり板の鍵穴の円い方に刺し込む。これはイメージとしては、錐で板に穴をあける時のように、両手で火きりぎねを揉み込むように、上から下へと両手を動かしながら錐揉み。火錐ぎねを回す。回す。回す」
拝むポーズで一心不乱に火きりぎねを回し続けた。
「鍵穴の溝の部分に黒い粉と煙がでてきた。これは順調だ」
火きり板を持ち上げると、下の板には煙を出している黒い粉があった。この火種を掌に置いた枯れた松葉で優しく包む。
「まるで梅干し入りの松葉のおにぎりみたいだな」
松葉のおにぎりめがけて息を吹きかける。
「やった、橙の炎が生まれた。あちちっ」
細い枯れた枝の薪の間に置く。枯れた松葉も添えておいた。息を吹きかけていると薪に火がついた。
火おこしの前に、捕った魚に細枝をS字状に刺しておいた。細枝の串を口から入れてエラから出して、魚をS字にくねらせ、尾鰭の手前でもう1度刺す。それをたき火で遠火にして焼く。たき火を囲むように串に刺さった魚を小石の隙間に刺し置いていく。
「1匹目、2匹目・・・・5匹目と、火からはこのくらいの距離でいいかな」
橙色の炎に照らされて焼かれる魚を見ていると、薄っすらと橙色に照らされた魚が揺らめいているように見えた。よい匂いが立ち込める。
「美味そうだな。待ち遠しい」
頃合いをみて焼けた魚を刺した枝を握りしめてがぶりと頬張る。
「あちちちち、ガフゥ、ガフゥ。フゥー、フゥ―、ホフッ、ホフッ、こ、これは美味い。ホフッ、ホフッ、最高だ」
それからは、5匹の焼き魚を余すことなくいただいた。大満足であった。




