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第2章 嗚咽

 第2章 嗚咽


 ダイチはただ歩いた。先程の草原での凄惨極まる現場から逃れるように、振り返らずにただ歩いて来た。

 森に入ってどのくらい時間が経ったのだろうか。辺りには杉や松、樫、ブナ、桐、楠など馴染みのある樹木が太く、高く四方に枝を広げ、森の空を覆っていた。

 森の中は薄暗く、黒と紫色で満ちた色のない世界が続いていた。風に枝葉が擦れてサワサワというかすかな音と生き物の甲高い鳴き声だけが断続的に響いていた。木々の間には、背丈2メートル半くらいのススキのような白い毛を付けた植物が、吹き抜ける風を知らせるかのように揺れている。背丈が高く黄色い花を付けるセイタカアワダチソウのような植物があちこちで群生していた。ヘビイチゴの黄色い花。ヤブガラシに似た植物も樹木の根元や背の低い植物を覆うよう広がっていた。視界が悪く足元しか見えない森でこのような景色の繰り返しは、精神的な疲れが増してくる。唯一の慰みとなることは、雑草ともいえる植物であっても、薄暗い森の中でかすかな色を添えていることだ。

 「しかし、茂を掻き分けながら進むのって大変だな。裸足だから足の裏も痛いし。もう体力の限界を突破してるよ」

などとぼやきながら、両手で草を掻き分ける。

 「ここの植物は元の世界の植物とよく似ているが、暗い森の中でも茂っているところをみると、日照にはあまり左右されない逞しさがあるのかな。でも今は、その逞しさが鬱陶しい」

と虚ろな頭で愚痴った。泥だらけの靴下の踵は破れ、その穴からうっすらと血が滲んでいた。

 樹々の間からわずかに見える太陽は低くなり始めていた。

 「喉が渇いた。水がほしい。どこかに水はないか」

 しばらく前から激しい喉の渇きに襲われている。川や湧き水がないかと辺りを探しているが、見つけることができないでいる。

 ここに来るまでの間に、木の根元近くに生えていた棘のある植物に付いている黄土色で金平糖程の大きさをした実を見つけ手に取った。

 「黄土色ってあのオークの革鎧を思い出すな。あの悲惨な戦闘も。トラウマだ。」

しばし黄土色の実を見つめ、口にすることを躊躇したものの、

 「とにかく水分だ。この実は金平糖だ」

目をつむり、頬張った。強烈な渋みがあり思わず吐き出した。

 「まだわずかに舌に痺れが残っているような感覚がある程渋い。あの実はひどかったな」

ゆっくりと歩きながら思い出していた。

 その時、茂から何かが、影のようなものが素早く動いた気配がした。とっさに身構えた。

 「・・・・・」

 あんな光景を見てきたからか、胸のざわつきが収まらない。警戒して五感を研ぎ澄ましていると、微かに聞こえる。

 「ああああっ、水の音だ」

耳に手を当て、じっと耳を澄ませていると微かに聞こえる。ザーザーと水の流れる音が聴こえる。

 「水の音だ。川だ。この右側の先に川がある」

 喉の渇きに急かされて、薄暗く色のない木々の根元の繁みを手でかき分けながら、音のする方へ進んだ。背丈の高い茂をかき分け1歩踏み出すと、

 「うあぁ」

茂の向こうは急な斜面になっていた。階段を踏み外したかのように、前のめりに斜面を滑り落ちていった。何回転かした後に衝撃と共に止まった。

 「あ痛たたたた」

右手で腰を抑えながら呟いた。目の前には広い河原、その先には川が流れていた。

 「水だー」

 河原の石でよろけながらも、裸足のままで走った。川岸まで来ると左に抱えていた本を脇に投げ、川に向かって跪くように身を屈め、両手で水をすくった。ダイチは両掌に顔を埋めるようにして飲み始めた。何度も何度も飲んだ。ようやく体を起こして、

 「プファー、冷たくてうめぇー。生き返るなー」

 一息ついて辺りを見渡すと、川はS字型に曲がり、森の樹々が川縁を隠すようにせり出し、そのまま斜面を覆い森へと続いていた。今いる場所はS字の下流の曲がった内側部分にできた河原である。この河原は長さが百数十メートルで幅の広い三日月型をしていた。河原には石と大小さまざまな岩が転がっていた。見たこともない赤い大きな岩が1つあり目に留まった。

 川の下流は、川幅が急に広がり流れも緩やかになっていた。この河原からやや上流は川幅が狭く、流れも速そうだった。水面には大小の岩が重なるように飛び出ているところがあり、流れに変化を与えていた。そこから更に50メートル程上流の対岸にも河原があった。それより上流は川が曲がっているため、樹々が生い茂る森が見えた。その森の遥か遠くには、草原で眺めた青紫の山々の稜線が霞んで見えた。空を見上げると、空高く大きな鳥のような生き物が飛んで行くのが見えた。

 

 頭から水を浴び、顔を洗った。ふと靴下に目が行く。踵が破れ、泥だらけだった。服も泥だらけであることに気付いた。

 「プッ、ひどいかっこだな」

 今日初めて笑った気がした。

 「こんな泥だらけでは、健太や妙子たちに笑われるな。・・・・・そうだ、学級の子供たちはどこにいる? みんなもこの世界にいるのか? みんなは無事なのか?」

 「そもそも、ここはどこなんだ?」

 「目が覚めたら、なぜここにいるんだ?」

 「元の生活に戻れるのか?」

 「魔物や魔法って何だよ。確かに見たよな?」

 「ここって、小説やゲームにある異世界なのか?」

 命の危機を回避し、心に余裕が生まれてきたためなのか、今まで後回しにしていた疑問が止めどもなく溢れてくる。

 「みんなが無事か、分からない」

 「ここはどこか、分からない」

 「なぜここにいるのか、分からない」

 「元の生活に戻れるのかは、分からない」

 「魔物と魔法は、確かに見た。音や臭いまでも感じた」

 「異世界かどうかは、分からない」

自分の疑問に自分で答えていった。少しだけ混乱していた頭が整理できた。自分は何も知らない、分からない、ただ魔物がいて、魔法が存在していたということだけは事実として理解できた。

 「さっきのように戦争や魔物、魔法と、常に命が危うくなるのなら、最優先は『生き抜く』ことだ。そして、無事に元の場所へ帰ることだ」

 それには、情報が少なすぎる。人を見つけて聞くしかないな。でも、どこに人がいるのだ。ひとまずは、森から出て街を探そう。下流だ。下流になれば土地は開けてくるし、集落があるかもしれないなどと、思考が整理されきた。

 「よし」

と、右手で拳を握った。足元の石の上に本が転がっていた。水を飲むときに手放したままだった。右手を延ばし、本の汚れを払いながら、

 「草原で目覚めた時に、なぜこの本を持っていたのだろうか。この本に見覚えはない。黒のハードカバー付で高価な感じはする。この金色の装飾も豪華さを表しているよな。本の中身は白紙。この本だけが、今の俺にとっての唯一の財産、そうお守りだな」

 本を手に取りながら呟いた。

 「よし、必ず生きて帰って元の生活を取り戻す。それには生き抜くこと。まずは、現状把握と帰る手段を見つけるための情報を集めることだ」

と、自分を奮い立たせるように言った。

 突然、本が青白く光り出した。思わず本を手から落とし仰け反っている。

 「なんだ。本が光っている」

やがてその光が収まると、遠くから本を慎重に観察し始めた。

 「確かに光ったよな。気味悪いな・・・・。今は特に変わったところは見当たらない」

 「あれ、表紙に書かれている金色の不思議な文字が太くなっている。本の題名みたいな位置だ」

 「黒の神書・・・・本の題名が読めるぞ。なぜ急に読めるようになたんだ」

 ダイチは近くの枯れた小枝を拾うと、それを使って本を突いてみた。枝に押されて本は小石から落ちてカタッと音が鳴ったので、思わずビクッとした。慎重に小枝で突くようにして本をめくってみた。黒いハードカバーの裏側には、金色の文字で書かれていた。


 汝の欲するところを示さん


 目的

     元の生活を取り戻す


 目標

     1.生き抜くこと

     2.情報を収集すること


 「汝の欲することを示さん 目的 元の生活を取り戻す、目標 1.生き抜くこと、2.情報を収集すること、って書いてある」 

思わず本を両手で掴んだ。

 「なぜ、見たこともないこの文字が読めるのだろうか? 魔物や魔法を見た後では、なんでもありって感じだけど」

 「うーん、『汝が欲するところを示さん』ってどういうことだ。言葉の意味は分かるが、なぜ示されれたのか予想もできない」

 「むう、今、俺が目的や目標として口に出したことが書かれているようだな」

 ダイチはしばらく本を見ながら状況から考えを巡らす。

 「ひょっとして、俺の言葉で本の力が発動して、字が読めるようになったのか。この状況で考えられるのは、そんなところか」

 本を開きながら、右に左にうろうろと歩いた。ダイチの思案する時の癖である。時より立ち止まっては、空を眺めたり、河原の石に目を落としたりしていた。

 「分かったことは、不思議な力を秘めた本ということだ。曖昧なことは、所有者の俺が欲することを自動でメモ書き整理するための本なのか、欲するところへ導くための本なのかだ。大雑把に言えば、メモ帳かガイドブックのどちらなのかだ。この本の機能に関わる核心部分だから、最優先で確かめる必要があるな。課題としては、確かめた機能を目的達成のためにどう有効活用していくかという点だ」

 河原の大きな赤い岩の脇に転がっていた石に腰を降ろして、本を閉じた。表紙に書かれた金色の文字が再び目に入った。

 黒の神書

 「・・・この本は神の書ってことなのか。なんとなく期待できそうだな」

ダイチは、藁にもすがる思いで本を力強く握った。精神の高揚を抑えきれない程だった。

 黒の神書と書かれた文字に手を当てて、

 「ここはどこ?」

と、尋ねた後に、さき程の通りに黒の神書を開く。

 「何も変化がないな。疑問形や行間を読むような曖昧さがあるとだめなのかな。意味を明確にして、命令形にしてみるか」

そう言いながら、黒の神書を閉じて表紙に手を置き、 

 「ここはどこであるかを示せ」

 黒の神書を開くと1ページ目には、ここはどこであるかを示す P3 と書いてあった。1ページは目次なのかと思い、3ページを開くと


 ここはどこであるかを示す


  ジパニア大陸

  

 3ページの上段にそう書かれていた。

 「おおぉ、自動メモ書き機能の本ではない。なんと素晴らしい。俺の知りたいことへ回答するガイドブック機能だ。」

思わず立ち上がって叫んでいた。自分の声の大きさにハッとして思わず周りを見回したが、そこには川だけが変わらずにサラサラと流れているだけだった。

 「まさに神書。こんな高機能な本は、この世界でも特別かもしれない。楽して大金を得る方法、国の滅ぼし方、人の操り方など欲と悪意にまみれた人から見れば、この本は手段を選ばず手に入れたいはずだ。この本は人前に出すのは控えよう」

 黒の神書の機能を拡大解釈しているかもしれないが、用心していこうと心に誓った。

 改めて石に座り直して、他のページもめくってみたが全て白紙だった。

 「しかし、簡潔で明瞭な回答といえばそうなのだけれども、2ページの上段に2行だけとは、残りの白紙がもったいないな。というより、もっと国名とか緯度・経度とか地図とか余白に示せるでしょうに・・・まさか大陸名だけとは。尋ね方が悪いのか、何らかの条件を満たさなければ詳細は書かれないのか、研究の余地ありだな」

 教え子のことが心配になってきた。自分と同じようにこの世界に来ているのだろうか。もし、子供たちがこの世界に飛ばされていたら、あのオーク兵から逃れる術はない。そのことが気になっていた。子供たちの安全を祈るような気持ちで、また本を閉じ、表紙に手を当てた、

 「俺の教え子たちは元の世界にいるかどうかを示せ」

ページをめくるが、これに関する記述はなかった。この質問には回答を拒否されたようだ。こうなっては、今の俺できることは、子供たちが元の世界で無事に生活していることを祈るだけだった。しかし、問いに対して、拒否もあるのかよとイラつく気持ちを抑え、俺がここにいる理由を尋ねてみるかと、

 「俺がなぜここにいるのかを示・・・」

 いや、これだと森を歩いて来たからとなるかもしれない。行間を読むことを期待せずに直接的な表現にしないといけないと考えな直して、

 「俺は自室で寝たはずなのに、目覚めたら草原にいた理由を示せ」

 目次に質問内容と回答ページが載っていた。4ページを開くと


 目覚めたら草原にいた理由


  パラレルの境界を越えた


 先程と同じように、1ページ分の紙の上段に2行だけ書かれていた。

 「パラレルの境界を越えた?・・・・何のことだ。パラレルって平行世界のパラレルワールドのことなのか」

 しばし考えていたが、

 「平行世界があると仮定して、そこに分岐? なぜ俺の見たこともない魔物や魔法が・・・、魔物とか魔法はファンタジーやゲームで見たことはあるけど。それが原因でこの世界へとは考えにくい。俺の昨日まで生活していた世界とは全くつながりを感じないのにパラレルワールドは妙だ。そもそも俺の平行世界への理解の仕方が根本的に違うのか」

自問自答していても回答は見つからない。

 「そうそう、もっと核心を突く質問をしないといけない」

俺が昨日までいた世界に戻る方法だ。再び黒の神書を閉じ、手を乗せて、

 「昨夜、俺がいた部屋に戻る方法を示せ」

 黒の神書を開くのを躊躇った。開こうとして右手を動かした途端に、もしも方法がなかったらと不安が込み上げたのだ。心臓の鼓動が強く速くなっていくのを抑えきれなかった。

 5ページを開くと、

 

 元の部屋に戻る方法


  ない


 「え、ない。ないなんてまさか」

 目の前がグラグラ揺れるような感じを覚え、急いで表現だけを変えて再び問う。

 「パラレルの境界を越えて、元の世界に戻る方法を示せ」


 パラレルの境界を越え元の世界に戻る方法


  ない


 「嘘だー! そ、そんな、そんなはずはない。もう一度だ」

 「俺の戻りたいと欲する世界に戻ることは可能か不可能かを示せ」

ページをめくろうとしたが、慌てていてうまく開けない。指先が震えている。ようやく6ページを開くことができた。


 戻りたいと欲する世界に戻ることは可能か


  不可能


 「なぜだ、なぜなんだ。俺は境界を越えて来たんだろう。それなら戻ることも可能なはずじゃなか。理由を言えよ。理由を・・・」

 「俺がいた元の世界に戻れない理由を示せ!」

そう叫び、慌ててページを無造作にめくった。そしてページに目をやった。

 ダイチの手から黒の神書がポロリと滑り落ちた。

 河原には嗚咽だけがいつまでも響いていた。


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