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色のない世界編  第1章 遠い記憶

    ANOTHER EARTH

     ― 魔力がわずか1の魔法使い ―


    色のない世界編


     花野井 京



 第1章 遠い記憶


 若葉の香り、風にそよぐタンポポの綿毛が頬を撫でる。心地よいまどろみの中にいた男は少しむずがゆくなり、静かに目を開ける。視線の先には、どこまでも深く澄み切った青空が広がり、湧き出てきたばかりの白く柔らかそうな雲が高く浮いていた。上空は風が強いのか、その白い雲は風に流されながら二つに分かれいく。

左の掌に何か当たった。黒いハードカバーの本だった。

「本?」

黒いハードカバーの表紙に、淵に沿った金色の線、見たことのない文字が書いてあった。この本に見覚えはなかったが、丁寧に表装されていることから高価で貴重と感じた。


********************************************

この男の名は、野道のみち 大地だいち25歳、小学校教員である。残業代なしの職場で、1日14時間労働。例外なく保護者からのクレーム対応にも追われるごく普通の教員である。休みの日には水泳、ドラマ、料理、ゲームなどを楽しんでいた。

昨晩は、自宅に帰ってから、部屋で明日の授業の準備として教科書や教科指導書、参考資料などに目を通していてが、そのまま寝てしまった。

********************************************


「あっ! 今何時だ。仕事に遅れる」

勢いよく体を起こした。

目の前には白い綿毛を丸く実らせたタンポポと若草色の草原が広がっていた。遠くにはラベンダーのような紫色の花が緩やかな起伏のある斜面を彩っていた。遥か遠くには、薄紫の山々と真っ青な空とのコンストラストが鮮やかで、嶺の稜線は霞んで見えた。

「こ、ここはどこだ?」

訝しげに左に目をやると、草原の緑に眩いばかりに輝く銀色の光が無数に見えた。

「眩しいな。」

眼を細めて、銀色の光を凝視した。

「あの銀色の輝きは人?」

無数の光の正体は、兜と鎧に身を包み、手には槍と五角形の盾を構え、防具を付けた馬に跨り、全てが銀色の騎士が横一列に並んでいた。騎士たちは、中世のヨーロッパの騎馬隊そのもので、精悍な顔つきをしていて真っ直ぐ前を睨み微動だにしない。時折、馬から

ブフォロロロッ

と、吐く息の音だけが聞こえる。

 騎士の後ろには、白い布地に黄色い獅子2頭が互いに背を向けながら後ろ足で立ち、その間には麦が三本実る意匠の大旗と、深紅の布地に銀色の剣と槍が斜めにクロスし、その上に銀色の五角形の盾、まるで海賊旗のような意匠の中旗が風に揺らめいている。

 前には、黒光りする鎧の歩兵が長方形の盾と槍を身に付け立っている。歩兵の盾は身長の半分程の大きさで騎士のものより大きく、大旗と同じく黄色い獅子がデザインされている。歩兵が手にしている槍の穂先からも鋭い光が放たれていた。

 騎兵と歩兵を合わせて400人近い軍勢である。軍勢は石でできた人形のように、静かにただそこにあるだけのようにも見えるが、伝わってくるその存在感と威圧感に気圧されていた。

 「ちょ、ちょっと待って、鎧を着た騎士と兵士?」

 「え、映画のロケ現場に迷い込んだのか? いや、自分の部屋でうとうとしていたはずだ」

と、状況を理解でずに、意味のない自問自答を繰り返していた。

 「俺は今、赤地に白いラインが入ったお気に入りのスエットを着ているよな。昨晩、着替えた服と同じだ。部屋にいたから靴下のままだし」

 昨晩は、帰ると部屋でお気に入りのスエットの上下に着替え、持ち帰りの仕事をしながら、睡魔と戦っていた記憶を辿っていた。

 ブォホォーーーーーーーーーーーッ!

角笛が草原と真っ青な空に鳴り響いた。ダイチが慌てて右を振り向くと、

 ムガー!

という雄叫で大地と大気が揺れた。黄土色の鎧に身を包んだ別の軍勢が、銀と黒光りする鎧の軍勢と対峙するかのように睨み合っていた。

 「右にも軍勢が・・・!」

 400人はいるであろうか、黄土色の軍団がまるで一つの生き物のように「ガー!」と雄叫びを何度も繰り返す。その雄叫びは、遥かに見える薄紫の山々とその峰の稜線にまで吸い込まれていくようたった。雄叫びと同時に手に持っている斧と小型の円い盾を上に掲げ、何度も大地を踏み鳴らす。その度に大地が、大気が震動する。

 よく見ると黄土色の鎧はヒョウ柄で袖がない革鎧のようだ。兜は付けてない。革鎧から出ている頭部と肢体は薄緑色。後頭部にかけて、モヒカン刈りのような頭髪がオレンジ色をして逆立っている。

 雄叫びを上げる度に白い牙が覗く。目は吊り上がり、瞳は大きく黄色い。首は太く胴体との区切りがないようにさえ見える。革鎧から延びる丸太のように逞しい筋肉質の腕、体長は2メートル半ば、筋骨隆々のプロレスラーを二回り程大きくしたような見事な体格だ。人間と似ているが、明らかに自分の知っている人間ではない。 

 「人間じゃないよな。ま、魔物の軍勢なのか? ゲームによく出てくる魔物、確かオークだ、そうオークだ。などと考えている場合ではないな。ここって・・・」

緩やかな起伏をもった若草色に広がる草原の左に銀と黒光りする鎧に身を包んだ人間の軍勢。右に黄土色のヒョウ柄の革鎧をまとったオークの軍勢の双方が対峙している。まさに自分がその間にいることを理解した。空気が乾いているように感じ、ゴクツと唾を飲んだ。

 「人間とオークの戦い。ここに居ては巻き込まれて死ぬ」

混乱する頭のなかで、恐怖だけが突き抜けてきた。

 ジャン、ジャン、ジャァーン

突然、左にいる人間の軍勢から銅鑼を打つ音がけたたましく響いた。

 ダイチの頭の上を何かが、かすめるように飛んで行った。

 「ひゃー」

 ボウリングのボールくらいの無数の火の玉が一直線に光の糸を引きながら、オーク軍めがけて飛んで行く。それはオーク軍に吸い込まれ、炎と轟音ともに炸裂した。まるで打ち上げ花火をオークに発射したかのような光景だった。

 腹に火の玉の直撃を受け、上半身が吹き飛び下半身だけになっているオーク兵。右肩から先を失い悲鳴を上げているオーク兵。首から上を失い音もなく倒れるオーク兵。火の玉の直撃を受けた隊列が阿鼻叫喚となっていた。

 「ま、魔法なのか? 信じられないことばかりだ。とにかく逃げないと」

 起き上がると戦闘の始まった両軍勢の間を避けるように駆け出した。草原についたわずかな傾斜を利用して低い方向へ駆けた。火の玉は次々にダイチの頭上をかすめていく。

 走りながら火の玉の発射地点に目を向けるとゲームやアニメで見るような魔法使いの服装をした人間10名くらいが長い杖を持って、呪文を唱えているのが見えた。右側では、火の玉の着弾と同時にオーク兵が弾けるのが見えた。

 しかし、オークの軍勢はいまだに動かない。「ガー!」の雄叫びと大地を揺るがす足踏みを繰り返すばかりだった。オーク兵の体は薄緑色からしだいに赤黒く色を染め始めている。

 一際体の大きな青のオーク兵が、鉄球のついた武器を高く上げた。

 ヴゥ、ヴゥ、ブォホォーーーーーーーー

 角笛の合図で、オーク軍が沈黙したまま前進し始めた。オークの軍勢は真横に100人、前後に数人程度の横陣のまま歩調を合わせ前進している。その間にも火の玉は次々に着弾し、オーク兵は弾け飛んでいく。

 オークの軍勢は徐々に足を速め始めた。まるで一つの生き物のように迫ってくる。ダイチとオーク軍との距離が近づいてくる。

 「うぁー!早く、早くここを抜けないと巻き込まれる。」

 その時、ダイチは勢いよく倒れた。靴下のまま走っていたので草に足が滑り、バランスを崩して転倒したのだ。そのまま持っていたハードカバーの本で頭を隠しながら身をかがめる。そっと頭だけ起こし、左右を確認すると、また両軍の間を勢いよく走り出した。両軍の間を無我夢中で走った。ようやく両軍の間を駆け抜けた。少し先に岩が見えた。

 「ハァ、ハァ、ハァ、もう走れない」

 戦場からやや離れた小さな岩に抱き着くように身を屈めた。

 「こっちには来ないか?」

まだ整わぬ息のまま、岩陰から頭だけを出して様子を窺った。

 対峙する軍勢の間を、

 シュルシュルシュル

と、唸るような音を上げて何かが高く飛んだ。

 「矢だ」

 人間たちの軍勢から矢が放たれた。無数の矢が高く弧を描き、真っ青な天を隠す黒い雨となって降り注ぐ。

 オーク軍は小型の円い盾を頭上に揚げる。

 カン カン カン コツ コツ

 矢は盾に次々と弾かれていく。しかし、盾と盾の隙間から漏れ注ぐ矢がオーク兵に突き刺さる。胸に三本の矢を浴びて片膝をつくオーク兵。頭と首に矢が刺さり崩れるように倒れるオーク兵。無数の矢を浴びハリネズミとなって、バタバタと倒れていくオーク兵たち。

 前進するオーク兵たちは、倒れたオーク兵の屍を、道に転がる石を踏みつぶすかのように、無造作に踏み越えていく。沈黙のまま前進し、倒れ、そして屍を踏み越えていく。草原には、魔物の足音とシュルシュルと矢の飛ぶ音だけを感じる。

 「地獄だ」

声を押し殺して呟く。


 人間の軍勢が動いた。歩兵の間から銀色に輝く鎧に身を包まれた騎馬隊40騎位が前に出てきた。騎馬隊はまたたく間に三角形に隊列を組み突撃隊形をとった。騎馬隊には深紅の布地に銀色の剣と槍と五角形の盾の中旗もなびいている。この旗は、騎馬隊の軍旗のようだ。地響きをあげながら前進してくるオークの軍勢と対峙する形となった。

 「陣形か。これって、三国志などにでてくる魚鱗の陣っていうやつなのか」

 騎馬隊の先頭には、銀色に輝く兜と鎧を身に付け、その兜には深紅の羽根飾、背には深紅のマント、長い槍を抱えた騎士がいた。

 「遠くからでも別格だとわかる風格だ。歴戦の勇者という感じだな」

憧れるような目をして眺めていた。

 ヴゥ、ヴゥ、ブォーーーーーーーーー

と、魔物の軍勢から角笛の音が響く。

 「ガロッーーーーーーーー!」

 正に雷鳴。350匹位に減ったオーク兵たちは雄叫びを上げて、人間の軍勢に向かって一直線に駆け出した。突撃である。

 オーク兵はすでにさき程よりも濃い赤黒色に変色していた。手にもった斧を振り上げ、赤黒い顔で眼を見開き、牙を剥き、地の底から湧き上がるような雄叫びを上げながら駆けている。トランス状態になっているのだろうか、オーク軍からは恐怖を感じない。その形相、勢い、迫力、圧力の凄まじさがこちらまで伝わってくる。

 人間の歩兵たちは横一列に盾の壁を作っていた。盾と盾の間からは無数の槍が光っていた。

 騎馬隊の先頭にいる赤いマントの騎士が槍を高く上げ、迫ってくるオークの軍勢中央部に槍先を向けて何か叫んだ。騎馬隊はオーク軍めがけて駆け出した。

 「中央へ突撃か。すごい、風のようだ」

 ダイチは、置かれた状況を忘れ、いつの間にか騎馬隊の勇猛に駆け抜ける姿に気分が高揚していた。

 騎馬隊は砂煙を巻き上げ、更に加速する。迫ってくるオークの軍勢に一本の槍のごとく突撃する。オーク兵も手に斧を振り上げ、雄叫びを上げて走り迫って来る。

両軍が交錯する。

 先頭にいる深紅のマントの騎士は、すれ違いざまに右腕の槍でオーク兵の胸を突いた。オーク兵は断末魔を上げる。抜く穂先で更に右のオーク兵を横に切りつける。切りつけらオーク兵は喉元に赤い1本の筋が見えるやいなや血が噴き出した。後ろから続く騎士も槍で突いていく。オーク兵は次々と葬られていく。

 オーク兵が騎士めがけて斧を振り回す。騎士は槍で受流すが、斧が馬の尻に食い込んだ。斧を受けた馬は棹立ちになり騎士を振り落とした。地上に倒れた騎士の足に斧を叩き込む。オークは更に集まり倒れた騎士を囲むようにして次々に斧を振り下ろす。オーク兵の頬や胸に返り血が飛び散る。

 騎馬隊は槍を突きながら前へ前へと駆ける。騎馬40の突撃によって、オーク軍横陣の中央部が削られ分断していく。

 騎馬隊が突撃した中央部以外では、オーク兵が盾の壁へと迫る。斧を振り上げ、殺気を帯びた吊り上がった黄色い眼、雄叫びをあげる口から剥き出している無数の牙を、盾の壁の間から歩兵は肉眼で捉えた。全力で走るオーク兵からも盾の壁から出された鋭く光る無数の槍の穂先が目に映る。その刹那、

 衝突

 カン、キン、ドドーン

という甲高い金属音と肉体が衝突する低く鈍い振動が草原にこだまする。

 雄叫び、悲鳴、絶叫がいたるところから湧き上がる。オークか人間か、それともその一部か、血飛沫とともに宙に舞った。盾の間から出た槍に胸から背中までを串刺しにされた数多くのオーク兵。

 そのオークを押しのけて迫ってくる無数のオーク兵。

 オーク兵の突撃の圧力に負けじと盾を構えた前列の歩兵の背中を後ろの歩兵が肩で押す。後ろにいる歩兵もオーク兵も次々に盾の壁めがけて押し合った。兵士とオーク兵は互の頭がぶつかり、呼吸が聴こえ、血と汗の臭いを不快に感じるほど密着した激しい押し合いとなった。頭と頭を擦り合わせるようにしながらも、その眼光で互いを睨み、唸り声を上げていた。

 オーク兵の斧の力強い一振りで兵士2人の盾が飛ぶ。盾の壁の崩れたところに雪崩れこむオーク兵。

 歩兵が迫りくるオーク兵の右目を槍で貫く。オーク兵は断末魔を上げてそのまま息絶えた。その歩兵が槍をオークの右目から抜こうとするが、槍が深く食い込んでいて抜けない。

 槍に貫かれたオーク兵の頭の横から別のオーク兵が歩兵の顔を覗き込んできた。目と目が合った。オーク兵が歩兵の頭を左手でひょいと掴むと牙を見せながらニタッと笑う。歩兵の顔は恐怖でひきつる。次の瞬間、歩兵の首にかぶりつく。血飛沫で周りの歩兵も赤く染まる。

 隣の歩兵が、かぶりついているオーク兵に槍を突き出す。血の滴っているオークの下顎から後頭部までを貫いた。


 オークの伏兵か、遅参した別動隊なのだろうか。4,5匹単位の部隊が戦場に集まって来る。その数は、12,3部隊程度。次々に人間の軍勢に押し寄せて来る。

 岩陰から見ていたダイチの左手から黒いハードカバーの本が落ちて我に返った。目の前で起きている信じがたい現実、阿鼻叫喚の世界に思考が停止していたのだ。目の前の草原には、人間とオークの死討、絶叫、屍、赤黒く光る血。そよぐ風からは鼻を突く生臭さを感じ、鎧の輝きが目を刺した。

 遥か遠くには、薄紫の山々と真っ青な空とのコンストラスト。嶺の稜線が霞んで見えた。

 「人間とオークの陰でラベンダーはもう見えないんだな」

そんな言葉をこぼした。

 若葉の香りの草原、そよぐ風とほほを撫でるタンポポの綿毛、斜面を彩る紫色のラベンダー、心地よいまどろみ、全てが遠い記憶のように感じた。

 「惨い」

 最後にそう気持ちを吐き捨てるとゆっくりと立ち上がり、背中を向けると裸足のまま歩き出した。うなだれ、ただ足を前に進めているだけのような歩みであった。


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