初夜に夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。結婚は嫡子の義務でしたまでだ、期待など一切するな!」
氷のような眼差しで、日中に式を挙げたばかりの妻を睨み据えて言い放つ。
今までのことで自分が歓迎されているとは思っていないだろうが、念のためだ。畏れ多くも王族の血を引く侯爵家の跡取りからここまで拒絶されれば、余程の馬鹿でもない限りは――
「婚約期間も披露宴も放置しまくったの全部棚に上げて、その上モラハラパワハラですか? 弱い者イジメでイキってんじゃありませんよ、馬ぁぁぁぁぁッ鹿」
「ばっ!? お、おおおおおおおまっ!! 何だその口のきき方はーッ!!!」
「あら、ごめんあそばせアドルフ様。つい本音が」
間髪入れずに百倍返し、いやそれ以上の破壊力でぶった切ってきた相手に、顔を真っ赤にしたアドルフが食って掛かる。それに対して欠片も心のこもっていない謝罪をしつつ、抱え込んだ枕の陰でふん、と鼻を鳴らすクラリッサである。別に隠さなくてもいい気はするが、単純に目を合わせたくないのだ。
「義務でした、というのなら私も同じことです。そもそもこのお話、そちらのご当主が激押ししてこられたと記憶しているんですが? もう覚えてらっしゃらないんですか? ていうか馬鹿なんですか??」
「何度も馬鹿馬鹿いうな!! 確かにうちの父上が持ちかけた、俺の意向を無視してな!! 自分で選べるんなら誰がお前なんか選ぶか、辺境伯の『むっつり令嬢』なんぞ!! 顔はまあ見られないこともないし、ちょっとは可愛いところでもあるかなぁと思えばとんでもない毒舌だしな!?!」
「知ってます? 愛情も信頼も無条件では得られないし、不誠実な人に対してはどんどん目減りしてくんですよ。初対面以前に方々で女性を取っかえ引っかえしてる、って事実に幻滅して、信用なんてとっくの昔に底ついてたんですから仕方ないでしょう。バッテンバーグ家の『顔だけ花丸令息』さん?」
「く、くわー!!!」
「あらいやだ、こんなところに雄鶏が。締めてリンゴ酒蒸しにしたら美味しそうですね? 私は絶っっっ対に食べませんけどね、腐った性根が感染ったらヤですもん」
またしても先ほど以上の悪口雑言をぶつけられ、もはや返す言葉もなく奇声を発するアドルフ、一応ニ十歳。金髪碧眼に絵画のごとく整った顔立ちで、すらりとした長身だ。これで怒りのあまり赤黒い顔色をして、その場で駄々っ子のように地団太を踏みまくっていなければ、そこらの一般的な令嬢が想像する『白馬の王子様』像にぴったり一致することだろう。
対するクラリッサはと言えば、さらさらの黒髪にきゅっとつり上がった猫のような菫色の瞳。ややクリーム色がかった肌色が東洋人形めいた愛らしさを醸し出す十八歳だ。同年代のご令嬢と比べると小柄で華奢だが、やたら堂々とした立ち居振る舞いと据わり切った度胸が独特の雰囲気というか、一種の迫力のようなものを生んでいる。『ねえ君、うちの隊で騎士にならない?』と、初めて行った王宮舞踏会で騎士団長直々にスカウトされたことは、すでに社交界の語り草だ。
そしてその度胸、および口達者なことこそが、現バッテンバーグ侯爵が『ぜひ倅の嫁に!』と縁談をごり押し……もとい、熱心に頼んできた最大の理由だった。
『あいつの素行は二親を以ってしても修正不可能だ。こうなったら一切頭が上がらないほど立派な奥方に来てもらって、日々全力で圧をかけてもらうより他ない! 恥を忍んでお頼みいたします……!!』
「って、そうおっしゃったんですよ、お父上が。恥ずかしいとか申し訳ないとか……いえ、思わないから『顔だけ花丸』なんでしたっけ。はーぁあ」
「これ見よがしにため息をつくなー!! 良いだろ別に遊んだって、貴族に愛人がいるなんて普通のことじゃないか!! 念には念を入れて、万が一にも盾突いたり裁判に持ち込んだりできないくらいの家格だったり、そもそも平民で逆らえないって相手から選んでるしっっ」
「…………へえええ???」
唐突に、本当に突然、クラリッサの声が数段低くなった。同時に表情も、平素の生意気で鼻持ちならない雰囲気が一変し、恐ろしく冷淡な目つきで睨みつけてくる。そんなはずはないのに、周囲の温度まですうっと下がった気がした。
「なるほどなるほど、そういうことでしたか。どうりでうちの侍従さん達に調べてもらうまで、ウワサこそあれ実害のデータが出てこなかったわけです。――うん、もういいや」
「……な、何がだよ?」
ぽつんと呟いた口調が凄まじく冷え切っていて、訳が分からないながらも不安を煽る。思わず怒りを忘れて訊ねたアドルフに、クラリッサはにっこりと、大層可愛らしく微笑んでみせた。
それについホッとしかけて、寸でのところで気付く。……目が全く笑っていない。
「実はですね? つい先ほど、アドルフ様のご友人と偶然出くわしまして。ぜひともお祝いを言いたいと待っておられるんですよ」
「は……? 招待した客はとっくに帰ったぞ? 誰だ?」
「ご覧になったらわかるのでは? ――お待たせしました、さあどうぞ!!」
――バンッ!!!
張り上げたクラリッサの声に続いて、何故かバルコニーに面した窓が全開になった。折しも今夜は新月、バッテンバーグ邸の裏手に広がる林のせいもあって、外は真の暗闇だ。
その漆黒が、ぶわあっと膨張した。正確にはバルコニーの手すりを乗り越えて、帯状になった黒いものが部屋に飛び込んできたのだ。それはわき目も振らずにアドルフへと殺到し、ぐるぐる巻きにして絡め取っていく。
「ひっ!? おいっクラリッサ、なんだこいつは!! お前なにかしたんだろ、俺の友人なんて大ウソをつきやがって……!!」
「ウソなんてついてませんけど? ほら、もっとちゃんと見てください。覚えてるでしょう? ――みーんな、貴方に苦しめられた人ばかりですよ」
「え。――っ、ぎゃあああああ!?!」
果たして思い至ったのかどうか。唐突に絶叫したアドルフの身体が、そのままずるずると引きずられていく。バルコニーで待ち構えている影――大きく歪な黒いヒトガタに浮かび上がる複数の女性の顔が、全く同時に虚ろな瞳でにたぁ、と嗤った。
「私は一人寝で全く問題ありませんので。遠慮なく旧交を温めていらしてください、アドルフ様。――どうぞごゆっくり」
ことばの最後で影の方に向かって、丁寧に令嬢の礼を送ると、かすかに目礼で応える気配があった。黒い帯、いや、無数の束になった長い糸のようなモノに巻き取られた新郎が、耳障りな悲鳴を上げながら外へ引きずり出される。
それとほぼ同時に、床から天井近くまである窓硝子が、開いたときのように勝手に閉まった。
――結論からいうと、グレイヴィア家とバッテンバーグ家の縁組は解消になった。
仮にも格上の侯爵家から持ち掛けられた話を、いともあっさり反故に出来た理由はいたって明解だ。まず、新郎である侯爵家嫡男のアドルフが、新婦にあり得ない暴言を吐いた上にそのまま初夜をすっぽかしたこと。次に、彼が散々やらかしてきた火遊びの証拠が続々と集まり、およそ王家と血縁関係でござい、とは口に出来ないような生活態度が暴露されたこと。そして、
「――クラリッサ嬢、今日はずいぶんとご機嫌だね。何か良いことでもあったかい?」
「ええ、先程実家から手紙が来まして。私の元婚約者が、無事に養生先の辺境領に着いたそうです」
「そうか、それは何よりだ。……いや、君にとってはあまりいい思い出ではないな。不躾にすまない」
「とんでもないことですわ。お気遣いいただきありがとうございます、騎士団長」
親切にも言い添えてくれる相手に、クラリッサは心からの礼を返す。今まで婚約者に罵詈雑言ばかり投げつけられていた身にとって、こういう素朴で優しい言葉はいちいちありがたかった。
今をさかのぼること二か月前。アドルフは失踪から数日後、王都はずれの小さな森で、ボロ雑巾のごとき状態になって発見された。人事不省ながら奇跡的な生還――のように見えたのだが、なんと重度の腎虚に加えてすさまじい女性恐怖症になっており、特に若い娘が近づくとパニックを起こすようになってしまったのである。
こんな状態では、自力で子作りなんて到底望めない。症状の改善は絶望的、という診断が下ったのち、跡取りは分家から養子をもらうことにして、本人は田舎で静養という名の早すぎる隠居生活に入ることになった。現侯爵夫妻にとっては苦渋の決断だったことだろう。
まあクラリッサにしてみれば、あっさりお役御免となって婚姻解消、多額の慰謝料と共に晴れて実家に出戻れたわけだから、願ったりかなったりであったのだが。
(とにかく、あの人たちが本懐を果たせてよかった。あれ以上ほったらかしたら、無関係の第三者にも被害が出ていただろうし……こういうときは便利ですよね、私の体質って)
実はクラリッサ、いわゆる視える人である。物の怪や妖怪変化といったものはもちろん、呪詛や生霊みたいな他人からの念も知覚できる。現侯爵が頼みに来た時から、あの一家周辺で渦巻いている負の念が視えていたし、実際アドルフに会ってみて『あ、これは手遅れだ』というのもわかっていた。
だからこそあの晩、外でウロウロしていた影――アドルフが弄んで捨てた女性たちの、生霊の集合体を邸に招き入れたのだ。新婚初夜という事で、邸の者は気を遣って奥に引っ込んでいたから、クラリッサが生霊を呼び込む声も、それにアドルフが上げた悲鳴も、誰一人として聞いてはいなかった。
だいたい、親の手にも負えない我儘バカ息子になり果てたのって、当の両親が今まで散々甘やかしてきたからのはずで。それを赤の他人に何とかしてもらおう、と考えること自体がおかしい。恨みつらみが凝り固まった存在にさらわれて、命があっただけラッキーというか、殺す価値すらないと思われた可能性が大だ。
(今まで好きなものにだけ囲まれて、都合のいいことだけ見聞きして育ってきた甘ったれだもの。あんなのに襲われたら、恐怖と悍ましさで女性自体が怖くなったっておかしくないですよね、ええ)
そしていくら引きこもっていようとも、貴族の邸には必ず使用人というものがいる。親族や友人が訪れることだってあるだろう。そのすべてを男性に限定するのはかなり難しい。いつ出くわすかわからない女性の姿におびえる日々が延々と続いて、果たしてどれほど命を永らえるやら。
だが、これは完全なる自業自得だ。アドルフは己の意思にかかわらず、今まで自分が傷つけてきた人々の何倍も苦しんで生きていくことになる。他人にかけた迷惑を、この先の人生で贖いながら。
「やっぱり人間、正直で誠実なのが一番ですよねぇ……」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、ほっとしたらめいっぱい鍛錬したくなったなぁと。良いお天気ですし」
「ああ、それはいいな。今日は陛下方がお忍びで観覧にいらっしゃるそうだから、しっかり活躍しておいで」
「はい! 行ってまいりますっ」
穏やかに促されて、元気よく一礼したクラリッサが走り出す。このひと月ですっかり板についた騎士装束は、見栄えがいいだけでなくとても動きやすい。部隊にいる先輩方は男女問わずみんな優しいし、灰色の婚約期間とは打って変わって毎日が楽しかった。実家に戻ってきたとき、思い切って団長のスカウトを承諾してよかった。
「自分の力で生きていく方が、私の性に合ってますもんね!」
ご機嫌で駆けていく新米騎士は、『むっつり令嬢』のあだ名とは程遠い、輝くような笑顔だった。
【END】
久々に息抜きで短編を書いてみました。テンプレート(?)な結婚当日の夜のお話です。
いきなり別居もしくは離婚、あるいは所業をバラされて身内からフルボッコと、皆さん散々にざまぁなさってて痛快!……なんですが、『場合によってはそれじゃ手ぬるい! ってやつもいるんだろーなぁ』などと思ったので、個人的に最凶の仕返しをやってみます。実際被害に遭ったひとたちが直接ボコれた方が、きっと全員が納得してスッキリ出来ますよね! え、旦那本人の人権? 知らん←