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翌日。
授業を終え、教室を出た杏珠は環と共に門へと向かう。
途中で「あっ!」と杏珠が声を上げた。
「どうしたの?何か忘れ物?」
「ちゃうんよ~。……しまったぁ、有馬に待ち合わせ場所を言っておけば良かったぁ!」
はああ、と大きな溜め息をつく。
それを見て、環はにんまり笑った。
「何よ、有馬さまのこと邪険にしながら、実はそばにいて欲しいのね」
「そうやなくて。何も言ってないから、きっと門で待ってる……!」
そう、誰もが必ず通る学校の門できっと有馬は待っている。
ということは。
「きゃあ、あの方、どなた!?」
「素敵~!お声を掛けたら、はしたないかしら」
門へ近付くと案の定、女学生達がざわざわしていた。少し人だかりも出来ているようだ。
環がなるほど、と小さく呟いた。
「ちょっとお馬鹿だけど、確かに顔はそんなに悪くないものね」
「せやろ。見た目だけはまあまあやから」
たぶん、本人にその自覚はないだろうが。
環は諦めたように軽く肩をすくめた。
「仕方ないわね。なるべくさっと車まで行きましょう」
大勢の注目を集めながら、有馬と合流し環の車に乗り込む。明日、きっと環が周囲から質問攻めに合うことだろう。
「ありがとう、晴吉。じゃ、日本橋へ向かってくれる?」
「へい、お嬢様」
ドゥルンと大きな音を立てて、車が動き出した。
「さすが贅沢ですねー、嶋津森のお嬢様は」
「文句があるなら、降りていただいて結構よ」
「いえいえ!自分、車は大好きなので。近々、免許も取る予定です」
目を輝かせ、胸を張る有馬。環は「えっ!」と助手席から振り返った。
「有馬さまが運転するの?!」
「来週から、練習します」
「……人を引いたりしないでね」
「大丈夫です。馬は得意ですから!」
「……馬と車は全然違うわよ」
不安そうに環は呟き、杏珠も同意するように何度も頷いた。
───最初に訪れたのは、古雅堂という骨董品屋だ。
軒先に古びた壺や大きな睡蓮鉢、灯籠などが並んでいる。
入ってすぐの通り土間にも、年期物の古道具がたくさん置かれていた。
帳場にいた泥鰌髭の男が立ち上がる。
「らっしゃい。どのような物をお探しで?」
「あら。骨董品屋やのに、夢二の絵を置いてはるんやね」
帳場の日めくりカレンダーの横に目を留めた杏珠がふと呟く。
愁いを帯びた少女が佇んでいる絵だ。泥鰌髭の男は、頭をがしがしと掻いた。
「うちのカミさんが好きでしてねェ。古くさい掛け軸なんかよりこっちがいいと勝手にポスターを貼りまして。おや、お嬢様、夢二の絵に出てくるような美少女じゃないですか」
「まあ、ありがとう!」
言いながら、杏珠はちょこんと帳場の上がり框に腰掛ける。そして、にこにこと泥鰌髭の男へ話し掛けた。
「あのね。先日、芥河原男爵のお宅に行ったのだけど。そこで素敵な壺を見たの。牡丹の花が描かれた大きな美しい壺」
「ああ!うちで買われた壺ですね」
「ええ。ああいうの、他にもあるのかしら?」
男は大きく頷いた。
杏珠は三つ編みに袴姿という見るからに女学生といった様相である。骨董品を買い求める風にはあまり見えないが、なにせ車で来店している。そして、連れの二人も上品。決して冷やかしではなく、上客に違いないと判断したようだ。愛想笑いではない満面の笑みが浮かぶ。
「ありますよう。ただ、あれほどの大きさは今は無いですねぇ」
「あらぁ、残念。おじいさまに贈ろうと思っていたのに」
残念そうに眉を落としてから、あ!と呟いて首を傾げた。
「そうそう。おじいさまの屋敷は少し山手の方にあって。細い階段道を行かねばならないんだけど、ああいう大きくて重い物でも大丈夫なの?」
「もちろん!慣れておりますから、問題ありませんよ」
男は大きく頷いて、奥に向かって声を張り上げた。
「三郎!ちょっと来い!」
やって来たのは、二十歳過ぎくらいの人の好さそうな大柄な青年だ。
「へい、旦那さま」
「こいつがね、大層力持ちでして。大抵の物は一人で運べるんですよ」
「わあ、すごーい!」
青年は恥ずかしそうに頭を掻く。
店主は青年に土間に置かれている大釜を指した。
「ちょいと持ち上げな」
青年は頷き、ひょいと持ち上げる。かなりの重さだろうに、軽々とした動きだった。
「まあ、そんなに力持ちなら、安心ね。……芥河原男爵宅にも貴方が行かれたの?」
「へえ」
「そういえば……男爵宅の客間に絵が飾られていたんですけど。入って左側の方にあった絵が破損していたらしくて。壺を持っていったとき、何も問題はなかったかしら?画商の尾嘉田さん?が最初っから破損しているものを持ってきたんだろうって疑われていて」
店主が目を丸くした。
大袈裟に手を振る。
「尾嘉田さんはそんなことしませんよぅ!うちが男爵に紹介したんです。絵が欲しいって言われたんでね」
「そうなんですか」
「壺を持っていったとき、わたしも行きましたんでね。絵は見た覚えがあるなぁ。ああ、そう!夢二の作品ですよね?あのときは全然、問題なかったですよ。あのときに何も問題なかったら、尾嘉田さんに責任はないでしょう」
「そうですか。一体、いつ破損したんでしょうねぇ」
不思議そうに杏珠は首を傾げ───その後、自然な調子で、壺を持っていったときの女中とのやり取りや、部屋の様子などを聞き出した。
やがて、満足そうに微笑んで立ち上がった。
「ありがとう!芥河原男爵には、尾嘉田さんは関係ないって伝えておくわ。……また、後日、改めて来るわね」
「はい、お待ちしております!」
黙って付き添っていた環と有馬は小さな声で囁き合った。
「すごいわね。買う気ないのに、ちゃっかりあれこれ聞き出したわ」
「山手に屋敷のいるおじいさまって誰かと思いました。……よくまあ、あれだけスラスラ作り話を……」
「普段のあのうさんくさい関西弁って、嘘なの?ちゃんとお嬢様らしい話し方も出来るじゃない」
小さい声だが、杏珠には聞こえていたらしい。二人は杏珠からじろりと睨まれた。




