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大正ロマネスク事件簿  作者: もののめ明
四、時間稼ぎの侵入者

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22/23

 晴れ晴れとした顔で嶋津森が腕をまくる。

「よし!では、布寺枝君が帰ってくるまでに、彼の作成した書類を確かめるか。書類を調べるだけなら、事務の者にも手伝ってもらえるな。……うん、これなら今日中に帰れそうだよ。ありがとう、杏珠君」

「いえいえ、どういたしまして。おじ様」

 まだきちんと解決した訳ではないため、お礼を言われるのは早いのではないか?と思いつつ、杏珠は言葉を返す。

 なにはともあれ、役に立てて良かった。

 嶋津森は張り切ってさっと立ち上がり……すぐに「あっ」と叫んだ。

「そうだ。先に杏珠君を送らねばならんな。これ以上、遅くなる訳にはいかん」

「でも……」

 今の件は、急いで調べなければならないはずだ。それなら、このまま嶋津森を手伝いましょうか―――と言おうとしたら、杏珠の隣に座る青年が「では」と手を挙げた。

「俺が送ります。ちょうど車で来ていますから」

「いや、しかし」

「大臣は、この件を片付けることに専念してください」

「うむ……うーむ。まあ……うん、そう、か……」

 二人のやり取りに、慌てて杏珠は割って入る。

「あの!ちょっと待ってください。……失礼ですが、どなたかも存じませんし、初めてお会いした方に送って頂くのは遠慮したいのですけど。それなら、歩いて帰ります

 なんなら、人力車に乗ってもいい。

 嶋津森と親しいうえに、この事件を共有している以上、怪しいものではないのだろう。だが、それとこれとは別である。

 きっぱりと拒否の意思を示すと、青年は目を見開き……

「そうか。名乗っていなかったな。これは失礼した」

と言ってさっと立ち上がった。そして、一礼する。

「改めて、はじめまして。(あららぎ)一真(かずま)という。君のお父上、上壱條侯爵と面識はあるし、陸軍省に勤めているので……うーん、まあ、そんなに怪しい者ではないと思う」

「あららぎ……」

 珍しい苗字に、杏珠は軽く眉を寄せた。

 聞いた覚えがある。

「あららぎ……公爵……?」

 小さく呟くと、青年は頷いた。

「ああ、それは父の方だね。俺はまだ、爵位は継いでいない」

 すると、嶋津森も頷いた。

「うん、一真君は蘭公爵のご長男だ。そうだね、彼の身元は私が保証するよ、杏珠君に不埒な真似をすることはない。……大体、彼はご令嬢がたの誘いにまったく乗らない堅物でも有名だしね」

 にやっと笑う嶋津森に、青年……蘭一真は苦笑した。

「上壱條侯爵のお嬢さんに不埒な真似は決してしませんよ……でも、俺はそんなに堅物じゃないですけどね」

「そうかね?君に秋波(しゅうは)を送ってもさっぱりだと嘆いている女性がどれほど多いことか」

「まさか。魅力的な女性を前にすると、俺も心は動かされてしまいますよ。たとえば、杏珠君のような」

 軽く笑いながら言うので、(お世辞やね)と杏珠は内心で肩をすくめた。

 こういうお世辞は鼻で笑って吹き飛ばす方だが、蘭の言い方は下心も嫌味も感じなかった。こんな風に爽やかにいなす彼は、実際、女性の間でかなり人気なことだろう。

 それにしても、嶋津森と青年はかなり親しそうである。

 となると、嶋津森が太鼓判を押した時点で、これ以上、杏珠が断わるのは難しそうだ。また、今、嶋津森の時間を余分に使う暇もない。

 仕方なく、杏珠は蘭の申し出を受けることにした。

「……それじゃ、お言葉に甘えて送って頂けますか、蘭さま」

「分かった。……では、嶋津森大臣。あとで報告をお願いします」

 紳士的に差し出された蘭の手を(渋々)取って、杏珠は大臣室を後にした。


 部屋を出てしばらくしてから、蘭が口を開く。

「君は謎解きが得意なのかい?嶋津森大臣が名探偵なんだよと仰っていたけれど」

 彼の目は煌めいていて、興味津々といった様子だ。子供のお遊びと思って、面白がっているのだろうか。

 探偵云々は、友人の環が勝手に広めているだけだが……謎の解明にはちゃんと真面目に取り組んでいる。

 だから杏珠は済ました顔で頷いた。

「子供のお遊びやないですよ?嶋津森候爵からは、ちゃんと依頼料も頂いてますから。ま、岩井三郎事務所みたいに事務所を開いてる訳やないですけど」

「へええ」

 蘭はますます興味深そうな顔になった。

「では……困った問題があったら君に依頼してもいいかな?」

「依頼料、もらいますけど」

「もちろん、お支払いするよ」

 きっと冗談を言ってからかっているのだ。

 杏珠は(ま、どうせ二度と会うことも無いやろうし)と心の内で呟いて、にっこりと笑った。

「ほな、依頼が来る日を楽しみにお待ちしております」

 もし、本当に蘭が相談ごとを持ってきたら……そのときは、遠慮なく依頼料を貰うだけだ。


 階下の受付の前に、見慣れた青年の姿があった。

 何か受付の男性と話していたようだが、杏珠の姿を見るなりホッとしたようにこちらへ走ってきた。

「杏珠さま!お迎えに来ました」

「有馬!え、わざわざ来てくれたん?」

 有馬は杏珠の父・上壱條候爵から杏珠のお守りを頼まれている青年だ。

 と言っても、基本的に平日の夕方に様子伺いをしにアパートメントへ顔を出すくらいである。そして、人の多い場所や危なそうなところへ行くときには付き添いをしている。杏珠のアパートメントに住み込みしている訳ではないため、あまり送り迎えに来ることは無かった。

 予想外の人物の登場に驚いていたら、有馬はにこにこと説明をしてくれた。

「アパートメントへ寄ったら、お富久さんが杏珠さまの帰りが遅いと心配していて……そしたら、ちょうど嶋津森候爵の部下の方が来られたんですよ。杏珠さまが候爵の手伝いで逓信省にいるって。ということで、もう日も暮れたし自分が迎えに来たんです。もちろん、車で!」

「えーーー」

 有馬の最後の言葉に、杏珠は一気に渋い顔になった。

 最近、有馬は車の運転免許を取って、車を運転するようになった。

 初めの頃はかなり危なかっかしい運転だったが、今は非常に上手くなった。運動神経や反射神経の良い男なので、さすがというべきだろう。

 ただ上手すぎるせいか、どんな狭い道でも余裕で爆走する。

 なので杏珠はあまり乗りたくなかった。跳ねる車の乗り心地は最悪なのである。

 さらに。

「というか。よう、ここまで来れたね」

「キヨシくんを連れてきました!」

「あ……そう」

 有馬は極度の方向音痴なのだ。まともに目的地へ着いたことが無い。

 散々迷って、とんでもないところへ行ってしまう。

 杏珠が道をしっかり案内出来ると良いのだろうけれど、いつも揺れる車内で必死に体を支えているため、まったく案内が出来ない。そもそも、杏珠もあまり東京の地理には詳しくは無いのだ。

 そんな方向音痴の有馬がこんな短時間(?)で逓信省まで来れたのには……ちゃんと理由があったらしい。

 キヨシくんとは―――少し前に、ちょっとした事件で知り合った少年のことだ。機転の利くなかなか賢い少年である。

 豆腐屋で奉公しているのだが、空いている時間に出来る仕事はないだろうかと相談してきたので、杏珠が新聞社の助手の仕事を紹介していた。豆腐屋の配達と、新聞社の使いっ走りで街を走り回って東京の地理に詳しくなっているキヨシならば……確かに道案内役はぴったりだろう。

(良かったぁ、帰り道でとんでもないところまで連れて行かれる心配がのうて……)

 杏珠は内心、胸を撫で下ろした。

 さて、こうしてお迎えが来たので……

「蘭さま。せっかく送ってくださると申し出ていただいたのに恐縮ですが……」

 振り返り、傍らの蘭を見上げる。蘭は小さく溜め息をついた。

「残念だなぁ。もう少し、君とお喋りをしてみたかった」

「まあ、また機会がありましたら」

 ちっとも残念に思っていない杏珠は、笑顔で頭を下げる。

 すると、二人の間に有馬が割って入ってきた。

「蘭さま、杏珠さまがお世話になったようで、ありがとうございました。それでは、もう遅いので失礼します」

 かなり強引な割り込みだ。

 蘭が面白そうに目を煌めかせた。

「……へえ?俺の名前を知っているんだね、有馬君」

「蘭さまの方こそ。まさか自分ごときの名を知っているとは……思いませんでした」

「知っているよ。陸軍省に入ってもらおうと目をつけていたのに、上壱條大臣に取られたものだから」

 言って、そっと有馬に顔を寄せて囁く。

「君の身体能力を考えると、うちの方が良いと思うんだが……鞍替えしないか?」

「買い被りです。自分程度の腕では、蘭さまには敵いません。……それでは」

 ぐいっと杏珠は有馬に腕を引っ張られた。

 一瞬、足元がよろけるが、有馬は上手に杏珠の肩を支えてバランスを戻し、その背を押す。

「さあ、杏珠さま!お富久さんが待っているので、早く帰りましょう!」

「う、うん……」

 いつも人の好さ全開の有馬が、こんな風に警戒感いっぱいなのは珍しい。

 杏珠はやや驚きながら、素直に有馬に従った―――。

来週はちょっとお休みするかも知れません…あと少しで終わるのにごめんなさい~!

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