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大正ロマネスク事件簿  作者: もののめ明
三、幽霊の訪(おとな)い

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15/23

 階段を上がってすぐが湖洲(こじま)の部屋である。細い廊下が奥まで続いていて、その先にはもう一つの階段があり、そこから一階にある共用の厠へ行けるそうだ。

 有馬によると、貸し部屋はすべて押入れ付きの三畳一間らしい。部屋の戸は襖ではなく引き戸になっており、各部屋ごとに内側から掛けられる鍵も付いているそうだ。

 有馬が戸を叩く。

「……誰だ」

「有馬れす」

「有馬?」

 中からくぐもった声が誰何(すいか)し、有馬が名乗るとすぐに戸が開いた。

 現れたのは、布団を頭から被った青年だ。

 戸を開けた青年は、杏珠を見て少し驚いたように目を丸くした。

 杏珠は素早く前に出て、とっておきの笑顔を作る。

「初めまして!私は上壱條(かみいちじょう)杏珠と申します。有馬から、あなたがとても困った状況にあると聞きまして。お力になれるかなと思ってお邪魔しましたの。あの、父の知り合いに神社関係の方がいますから……」

「えっ、上壱條侯爵のお嬢さん?!」

 慌てて青年は布団を後ろに投げて、おたおたしながら髪を整えた。

「神社関係……あ、もしかして、お、お祓いとか、そういう……?」

「ええ。その前に、詳しい話を聞かせて欲しくて」

 目の下に濃い隈のある青年は、杏珠の返事にホッとした顔になった。よほど悩まされていたようだ。

「ちょ、ちょっと部屋を片付けるので、少しお待ちください!」

 一気に明るい声になって、バタバタと室内に駆け込んだ。


 部屋の中には、卓袱台くらいしかなかった。

 さっきまで青年が被っていた布団は押入れに放り込んだらしい、押入れの隙間から布団の端が見えている。

「すみません、座布団もなくて……」

 青年は恐縮しながら、申し訳無さそうに頭を下げた。

 杏珠はニコニコと首を振る。

「気にしないでください。さっそくですけど」

 促されて窓に近い辺りに座りつつ、くるっと部屋を見渡す。

「幽霊が出るんですよね?何時頃、どこに?どんな幽霊ですか?」

「えっと……そうですね」

 湖洲も杏珠に向かい合って座り、思案する。

「正確な時間は分かりませんが、深夜にはなっていないと思います。こんな何もない部屋なので、飲みに行かなかった日は九時過ぎには寝ちまうんですよ。で、寝て……そんなに経たない頃、窓がコツンと鳴りますから。一回ではなく、三回も四回も」

 湖洲は気味悪そうに窓を見上げた。

 障子が閉められていて、外は見えない。

「気になって障子を開けて外を見たら……前の道の斜め向かいくらいに……提灯を持った髪の長い女の幽霊が……じっと立っているんです……!」

「どうして幽霊だと?普通の女の人が、誰かを待って立っていたのでは?」

 杏珠のもっともな問いに、湖洲は首を振った。

「だって足が……足が無かったんですよ」

「おー、そりは幽霊っすね!」

 有馬が興奮して相槌を打つ。

 湖洲は情けない顔で有馬を見た。

「だから幽霊だと言ってるだろう!なのにお前はぐーすか寝やがって」

「すいません。自分、一回寝てしまふと朝まで起きれないんれす」

「……れすってなんだ」

「あ、舌をちょっと火傷しまして」

 二人が話している間に、杏珠はスッと立ち上がって窓の障子に手を掛けた。

 躊躇わずに開けて、前の道を眺める。

「その幽霊は、こちらを見ていたんですか?」

「いや……最初は俯いていました。俺がギョッとしていたら、急にこっち見て。……て言っても、ざんばらな前髪のせいで顔は分からなかったんですけどね」

「毎回、最初は俯いているんですか?」

「いや、最初のときだけでした。それ以降は、いつも障子を開けたらこっちを見ています。もう……怖くて、怖くて……」

 精悍な顔立ちの湖洲だが、今は怯えて全く冴えない顔になっている。

 両腕で自身をぎゅっと抱き締め、ブルル!と大きく震えた。

「……見覚えのある女性でしたか?」

「ありませんよ!俺が付き合ったことのある女で、あんな感じの長い髪に、痩せているちっぽけな女はいない。なぜ……俺んとこへ出るんでしょう……」

 最後の方は弱々しく消えるような声音だ。

 しかし杏珠は頓着せずに次の質問を出す。

「どなたか、恨みを買った覚えはありますか?」

「恨み?そんなの、ある訳がない!」

「本当ですか?女の恨みって怖いんですよぉ?湖洲さんはその気じゃなくても、勝手に心を寄せていた女の人が自殺し、毎夜、訪れているかも知れません」

「そんな……」

「本当に心当たりはありませんか?こういうことはちゃんと教えてもらわないと、ほら、お札とか、正しいものが用意出来ませんから」

 神妙に手を合わせ、杏珠が言う。

 湖洲は、目を見開いて、コクコクと頷いた。

「そ、そうか、そうですね。えーと……じ、実はつい最近、振った女がいるんです。この近くの飯屋で働いていた子なんですが、どうも勝手に俺に恋慕していたようで。ある日、急に結婚して欲しいと言われて、それは無理だと言いました。だって、付き合ってもいないんですからね!」

「なるほどぉ。もてる方は大変ですねぇ。……で、その彼女は?」

「田舎へ帰ったようです。ただ、あの幽霊とは違うと思います。もっとこう肉感的というか……あ、いや、体格が違うというか」

「分かりました。他には?」

 湖洲が言葉に悩んでいるうちに、杏珠は次を促す。

 湖洲は眉を寄せて考えていたが、しばらくして力無く首を振った。

「ここ最近は特に……新しい職場へ異動したばかりで、遊ぶ暇もあまり無いですから」

「そうですか」

 頷いた杏珠は、もう一度、外に目をやる。

 長屋の前の道は、あまり人通りが多くはないようだが、今は昼間なので不気味な雰囲気は欠片も感じない。

「……幽霊と目が合ったあと、湖洲さんはいつもどうしているのですか?」

「すぐに障子を閉めて、布団を被って念仏を唱えています」

「そのとき、コツコツと音はしますか?」

「いいえ。一度、障子を開けたら、あの音は収まります。でも開けないと、いつまでも鳴っている……!」

 湖洲はまた大きく身震いして、耳を塞いだ。

 その様子を眺めながら、杏珠はこれ以上、彼から聞くことは無さそうだと判断した。

 とすれば、長居は無用だ。

「それでは……一度、失礼しますね」

「え?あ、あの、俺は、このあとどうすれば……」

「まずは、お祓い出来るかどうか、聞いてきますから。後でまた来ます!」

「ほ、本当ですか?あとで……絶対に、絶対に来てくださいね!」

 湖洲は縋るような眼差しで杏珠と有馬を見送った。

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