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大正ロマネスク事件簿  作者: もののめ明
二、黒い絵

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13/23

登場人物紹介および用語解説など

【 登場人物紹介 】

上壱條(かみいちじょう) 杏珠(あんじゅ)

  十四歳、卯都(うと)高等師範女学校三年。

  上壱條忠誠(ただしげ)侯爵の娘(妾腹)。母は京都の芸者、(ゆき)

  母の死を切っ掛けに、東京の侯爵家に引き取られる。

  素では関西弁で話す。


嶋津森(しまづもり) (たまき)

  十四歳、卯都高等師範女学校三年。

 嶋津森俊親(としちか)侯爵の娘。母はみさを。

  薙刀(なぎなた)の有段者。歯に衣着せぬ物言いをする。

 怪談などが大好き。


有馬(ありま) 清隆(きよたか)

 有馬伯爵家の四男。

 素直な性格が上壱條侯爵に気に入られ、杏珠のお守りを任されている。


富久(ふく)

  元々は杏珠の母に仕えていた女中。

  杏珠が東京へ移るときに一緒に付いてきてくれた。




【 用語解説 】……という名の自分のための忘備録。

大正時代:1912年~1926年。


◆ 高等師範女学校:中等教育を行っていた教育機関。十二~十七歳の少女達が通う。


◆ 活動写真:キネマ、映画のこと。当時は無声映画。活動弁士によって字幕と場面の状況が解説された。


◆ エス:sisterの頭文字。少女同士の友情とも疑似姉妹的ともつかない特別で親密な関係のことを指す。


◆ カフェー:明治21年に東京下谷で日本最初の本格的喫茶店“可否茶館”が開店。以後、日本各地にカフェーが普及する。

ちなみに東京で初めてカフェーの名を冠したのは“カフェー・プランタン”。芸術家や一流の文化人が集う社交場として賑わった。明治44年開店。また、同年に開店した“カフェーパウリスタ”ではカフェー・プランタンの3分の1の値段(5銭)でドーナツ付きコーヒーが楽しめた。


◆ 珈琲:日本にコーヒーが伝わったのは江戸時代初頭頃と考えられている。人々に受け入れられ始めたのは、明治時代になってからだった。


◆ サイフォン:コーヒーサイフォンの起源には諸説あり。19世紀にイギリスで考案されたというものがもっとも有名。日本では大正2年、河野氏により珈琲サイフォン株式会社設立。


◆ 写真:紙焼き写真と言えるものが始めに登場したのは、19世紀前半のイギリス。タルボットが塩化銀紙にネガを密着させて太陽光で感光する方法を成功させた。


◆ 蓄音機:1877年、エジソンが発明する。明治43年には国産の蓄音機が販売されるように。


◆ 探偵:日本初の私立探偵は明治28年、“岩井三郎事務所”を開いた岩井三郎氏と言われている。


◆ 一丁倫敦(ロンドン)(丸ノ内):明治27年に煉瓦造の三菱一号館が竣工、十三号館まで揃って“一丁倫敦”と呼ばれる西欧風の町並みが造り出された。多くがオフィスビルだったが、六号館と七号館には住宅が設計されていた。各住戸に玄関・台所・バス・トイレ等が備えられ、押入のついた畳敷きの部屋や床の間もあった……とか?

有馬、本編にフルネームが入ってないよ……。

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