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絵を黒くさせた犯人は、額縁屋“やまさき”の店主の息子だった。
絵の扱いについて何度か苦言したものの、聞き入れる様子のない芥河原に我慢がならなかったらしい。
「当然よね。わたくしだって腹が立ったもの。芥河原男爵って芸術を愛する心をまったく持ってないから呆れたわ。高価な物をただごちゃごちゃ並べるだけだし、絵を直射日光の当たるところへ飾るなんて……もっての外!」
環がぷんぷんした様子で言う。
なお、芸術に愛のない芥河原は……嶋津森侯爵から正しい絵の扱い方を厳しく指導して貰った。
身分で態度が変わるような人間は、身分を利用して躾けるのが一番だと環が言ったためである。父としての威厳を取り戻したかった嶋津森侯爵は、娘からのお願いを快く引き受けてくれた。途中からは“探偵助手”をすることに娘以上に乗り気になっていた風にも見えたが……。
そして男爵に大いに反省を促し、今後は絵および美術品の扱いを改めると約束させたあと(勿論、犯人を罪に問わないとも約束させた)―――杏珠達一行は嶋津森邸へと移動していた。
「素晴らしい絵をお金の価値でしか判断しないなんて……それは本当に許せませんわね」
環の母・みさをも杏珠達に加わり、事件の結果を聞いて眉を寄せる。
みさをは芸術をこよなく愛する婦人で、嶋津森邸に飾られている美術品の多くは彼女が選んだものだ。洋間も和室も、それぞれに品良くまとめられていて、みさをのセンスの良さが滲み出ている。
「それで……結局、本物の絵はどこにあったのかしら?」
そっと頬に手を当て、小首を傾げながら尋ねたみさをに、杏珠はにっこり笑って指を上げる。
「もう一つの日本画の後ろです」
「まあ!そんなところに?」
「絵の大きさが違ったので、ちょうど良い隠し場所になったようですね」
「すごいのよ、お母様。杏珠は犯人に聞き込みをする前に、本物の絵の場所までちゃんと分かっていたのだから!」
環が我がことのように胸を張る。
―――額縁屋の息子・実には、昨日のうちに話をつけていた。
自分のやったことに戦々恐々として怯えた日々を送っていたそうだから、二度としないように!と叱る程度にとどめている。彼の父親も詳細を聞いて怒ったので、もうこのようなことを実行することはないだろう。
芥河原が購入した絵と似たような色合いのポスターを買った実は、杏珠が予想した通り、硝酸銀を塗って芥河原家へ持ち込んだそうである。日の光が駄目だということを、解らせてやりたい一心だったそうだ。風呂敷に包んで持って行った新しい額縁の中に、板に貼ったポスターを忍ばせておいたらしい。
そして、目論み通りにポスターを本物の夢二の作品と差し替え、本物の方はもう一つの日本画の後ろに……新たな額装を施した日本画の裏に隠した。丁寧に油紙に包んで。
ただ、硝酸銀を塗ったポスターは色合いは似ていても全く違う絵である。きっと自分が帰ったあと、すぐに気付かれて警察へ突きだされるだろうとビクビクしていたそうだ。怯えるくらいならば止めておけば良かった話だが、我に返ったのが帰宅してからだというから如何ともしがたい。
しかしながら自分のやったことが露呈することはなく、日が過ぎてゆく。
父から“絵が黒くなったと騒ぎになっている”という話も聞いたが、自分が疑われている様子もない。どうすれば良いか思い悩んでいたところ、杏珠と環がやって来て自身の悪事を暴かれ……ホッとしたそうである。
今度、無料で杏珠と環の写真を撮ってくれるそうだ。
「それにしても……貴方まで“探偵助手”だなんて。そんな楽しそうなこと、何故わたくしも誘ってくださらなかったの」
事件のあらましを聞き終わって、みさをが嶋津森侯爵にちろっと恨みがましい視線を送った。
嶋津森は「んんっ!」と咳払いをし、環と杏珠にそっと目配せをする。
環は軽く溜め息をつき、杏珠がにこやかに説明した。
「今回は、無理を言って侯爵に来て頂きました。実さんをお咎め無しにして、芥河原男爵に大いに反省してもらうには、うちらでは役不足でしたから。侯爵。ほんまに有り難うございました!」
「あら、そうなの。まあ、この人は顔は強面だし声も大きいですものね。お役に立って良かったわ」
みさをは納得したように素直に頷き、嶋津森はその横でホッとしたように胸を撫で下ろした。
嶋津森の“浮気疑惑”(嶋津森いわく、浮気は決してしていないそうである。女中が勝手に抱きついてきたらしい)について、みさをは偶々実家へ里帰り中でその件を知らない。
だが、環は根に持っていて、事あるごとにちくっと嫌味を口にする。愛する妻に誤解されたくない嶋津森は、そのため、今は環のお願いごとを必死に引き受けている最中であった。今回も実は仕事で忙しいなか、時間を遣り繰りして手伝ってくれたのだ。そろそろ許してやってもいいのでは……と杏珠は思っている。
(環だって誰それが格好いい、素敵だとよく目移りしているのになー)
それとこれとは話が別らしいのだが、未だに色恋に興味のない杏珠にとってはどっちもどっちであった。
それよりも目下、大事なのは―――
(今度、写真を撮ってもらうとき……一緒に現像とか、やらせて貰われへんかしら?!)
そう、自分の知識や体験をどんどん増やしていくことである。
以前から写真機には大いに興味があった。とはいえ自分で買って使ってみるというのは、なかなか難易度が高い。この機会に、横で見学しながら教えて貰うのは悪くない考えだ。
どう頼めばいいかな~と、さっそくあれこれ考え始める杏珠だった。
(了)
今後も不定期に連載をしていく心積もりをしています。
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