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大正ロマネスク事件簿  作者: もののめ明
二、黒い絵

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10/23

 続いて三人が訪れたのは、額縁屋“やまさき”である。先ほどの骨董品屋から歩いて行ける距離だ。

 額縁屋は、元々は木彫り師だったのだろうか。店はわずか三畳ほどの板間だが、そこにたくさんの額縁と共に仏像や動物の木像彫刻が置かれている。

「あら、ここにも夢二」

 目立つ位置に、洋装の女性の絵が額縁に入れられて飾ってあった。

 環が呟くと同時に、奥から頭に手拭いを巻いた六十代くらいの男が現れた。四角い顔に、白い無精髭。厳つい雰囲気だが、目はやや垂れており、人が好さそうに見える。

「今、夢二が人気ですからね。儂は風景画の方が好きなんですが」

「これは、ポスター?」

 杏珠が夢二の作品を指して尋ねる。男は頷いた。

「本物なんか、買えませんよ」

「ポスターでも、額縁に入れるだけでぐっと良い雰囲気になるのね」

「ええ」

 にこっと破顔すれば、男の目は一層垂れた。そうすると、厳つさは一瞬にして消え去る。

 男に劣らぬ人の好さそうな笑みを浮かべ、杏珠は今度は奥を指した。

「ねえ!あれはもしかして写真機?」

「ええ。伜のものですが。庶民じゃ額縁に絵を入れて飾ろうなんてお人も少ないでしょう。でも、何かの記念に家族写真でも撮ったら額縁に入れて飾りたくなるんじゃないかと言い出しまして。写真屋を始めるつもりらしい」

「まあ!写真、いいわね。杏珠、撮りましょうよ!」

 環が喜んで手を叩く。有馬が目を丸くして、ぶんぶんと頭を振った。

「ダメですよ!そんなことをしているヒマ、あるんですか?撮りたいなら、別の日にしましょう」

「う……、そ、そうね。それに、せっかく撮るなら、お気に入りの着物で撮りたいわね。じゃあ、また日を改めて……」

 残念そうに環は肩を落とす。店主の男はにこにこと笑みを浮かべたまま、頭を下げた。

「お待ちしております。どっちにしろ、今日は伜が出ておって、儂では写真は撮れませんので……」

「ええ、分かったわ」


「それで、どのようなものをお探しでしょう」

 改めて店主の山左記(やまさき)から聞かれ、杏珠は両手を合わせた。

「ごめんなさい。今日は額縁を買いに来たのではなくて……芥河原男爵家のことを聞きたくて来たの」

 その途端、男の顔が曇った。

「芥河原男爵さまですか……」

「お客さまのことをあれこれ言えないのは、分かっているわ。ただ、絵が黒くなった件はご存じ?画商の尾嘉田さんが変な絵を売ったと言われて困ってるようでね。いつ、黒くなったか調べているの」

「絵が黒く?」

 山左記は驚いたように口を丸くした。そして、首を傾げる。

「ついこの間、注文を受けていた額縁を伜が納品してきたところです。そのときは何も言っておらんかったんですが……」

「ああ、あの額縁かしら?くるんとした葉っぱの素敵な額縁。とても細工が細かくて……」

「ええ、儂が彫ったものです」

「そうなのね!ただ……異国風の絵なら合うでしょうけど、日本画に額装されていて、正直、ちょっと違和感はあったわ」

 杏珠の言葉に、山左記は苦笑する。後ろ頭を掻きながら、手近の額縁の縁を撫でた。

(せがれ)も同じことを言っておりましたよ。倅が注文を伺って採寸などをしたので、儂は現物は見ておらんのですがね。芥河原様は、とにかく派手なものをお好みとか……」

「みたいね。息子さんは、絵には詳しいのかしら?」

「彫り師より画家になりたいと子供の頃は言っておりましたよ。御嘉田さんのところによく出入りもしておったので……わりと詳しい方だと思います。まあ、結局は木彫りの跡を継いでくれるようですがね。……額縁屋を兼業しているのは、絵の好きな伜のためってところですよ」

 なるほど、と頷いて杏珠は並んでいる木彫りの仏像などに目をやった。

 そして、思案するように人指し指を軽く噛み……

「息子さんは、いつ戻られます?」

と尋ねた。

 山左記は視線を遠く彷徨わせ、思案する。

「……そうですねぇ。今日は材料を仕入れに遠くまで行ってるので、帰宅は遅くなるかと。申し訳ない、わざわざお出になったのに」

「あら、客ではないから、そんな気を使われてはかえって申し訳ないわ」

 杏珠はパタパタと手を振り、慌てて気にしないで欲しいとお願いした。

 山左記は眉を下げる。

「いえいえ。芥河原様は尾嘉田さんからご紹介いただきました。なので、お役には立ちたいんですがねぇ……」

「尾嘉田さんとは長いお付き合いですか?」

「そうですね。先代の頃から良くしてもらってます」

「そうですか。ありがとうございます。それでは、失礼いたしますね」

 杏珠は丁寧にお辞儀して、店を後にした。


 最後は蓄音器商会だ。もう日はかなり暮れている。

「だいぶ、遅くなってしまったわね」

「うん。車があって助かったわぁ、ほんま、おおきに環!」

「いえいえ。でも、聞いて回った意味、あった?」

「そうやねー、まあ、蓄音器商会で聞いてから、かな」

「んもう、ケチー」

 そう言うものの、環は特に気にした風もなく、運転手の晴吉に「あ、そっちを曲がって」と指示を出す。あれだけの話で結論が出るはずがないと思っているからだろう。

 杏珠は考え込む表情になり、移り行く車外の景色に意識を向けた。


「これはこれは、嶋津森侯爵のお嬢様。ようこそ、我が商会へ」

 重厚な雰囲気の洋風な店内に入るなり、背広姿のモダンな男性に迎えられた。

 環がにっこり笑って、会釈する。

「新しいレコードはあるかしら?」

「これは申し訳ない。今、お嬢様にお勧めできるものはありませんねぇ」

「残念。……ねえ。芥河原男爵家に蓄音器を販売したでしょう?使い方の説明に行ったのは、どなたかしら」

 男に案内されながら奥へ向かい、環はさっそく本題に入る。

 蓄音器商会の那賀多(なかた)とは親しいので、聞き取りは自分にやらせてくれと杏珠に頼み込んだのだ。

「おや?何故、そのようなことをお聞きになるんです?」

「わたくし、探偵の助手をしているのよ」

「探偵。まさか殺人事件の捜査ですか」

 おどけた仕草で尋ねられ、環は首をすくめた。

「まさか!そんな恐ろしいことには関わらないわ。……芥河原家で絵が黒くなった原因を調べているのよ」

「ほう。絵が……黒く?」

 那賀多は目をぱちぱちとさせ、環と、その後ろにいる杏珠や有馬にも視線を向けた。


 ───芥河原家へ蓄音器の使用方法を説明しに行った従業員が呼ばれる。

 まだ二十代になったばかりの若い男と、五十代くらいの年配男性の二人だ。しかし、二人とも絵の存在すら意識していなかった。

「壁に絵ですか?あったような……気はしますが、覚えてませんねぇ」

「あの家、やたら物があふれていましたし。ぶつかったら大変だなって思ったくらいです」

 ということで、聞き込みはすぐに終了してしまった。


 蓄音器商会を出て、丸ノ内方面へ向かいながら環が口を尖らせる。

「せっかく、いっぱい聞こうと思っていたのに!なんにも覚えてないなんて。あの人たち、ちゃんと目はついているのかしら」

「え?」

 環のぼやきに、驚いたような声が上がる。

「目、あったと思いますけど。落っことす人なんて、いるんですか?!」

 有馬の的外れな問い掛けに、環はがっくりと俯く。

「妖怪じゃない、そんな人間……」

「でも環さまが目はついてるのかって」

「はいはい。わたくしの失言ね。ここにあの人達よりお馬鹿な人がいるって失念していたわ」

「どういう意味ですか、環さま」

「気にしなくってよろしくてよ、有馬さま。あなたの純粋無垢さに感動しているだけ」

「ありがとうございます?」

 いまいちよく理解していない顔で、礼を述べる有馬。その横で杏珠は吹き出す。

「環!有馬をいじめたら、可哀相やん」

「いじめてないわ。呆れてるだけよ」

 それなりに教育を受けているはずなのに、有馬はときどき、素っ頓狂なことを言う。年上なのに、どうにも頼りなくって仕方がない。これで本当に杏珠のお守りが出来るのかと上壱條侯爵に問い質したくなる。

「……それで。明日も聞き込みする?」

 気持ちを切り替え、環は杏珠に質問した。

 聞き込みするとすれば、あとは額縁屋の息子くらいだが……。

「ん~、謎は解けたと思うからもういいかな」

「えっ、解けたの?!」

「うん。でも、黒くさせた気持ちが分かるから、罰されるのは回避してあげたいかも」

 右手を唇に当てながら呟く杏珠に、環は目を円くさせて詰め寄る。

「つまり黒くなった原因も、誰がやったかも解ったってこと?」

「う、うん。危ないよ、環」

 狭い車内で、助手席から身を乗り出す環を慌てて押し戻す。

 綺麗に舗装されていない道では、ときどき車が大きく揺れる。不安定な姿勢をしていると、怪我をしかねない。

「全部!ちゃんと説明してもらわないと、わたくし、今日は家に帰りませんからね!」

 目を爛々と輝かせ、環は拳を握り締めた。

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