1
上壱條杏珠は、卯都高等師範女学校三年の教室へ入った途端、「杏珠~!」という歓声とともに盛大にしがみつかれた。
「た、環?!」
「おはよう、杏珠!大変ですのよ、生首ですって、生首!!」
切れ長のすっきりした一重の瞳に隠しきれない興奮の色を乗せて、嶋津森環は友人をがくがくと揺さぶる。朝からえらく物騒な話である。
遠慮なく揺さぶられ、目を回しそうになりながら杏珠は「ちょ、ちょお待って、落ち着いてや環!」と慌てて声を上げた。常に持ち歩いている杖で、倒れないよう必死に自身を支える。
我に返ったのだろう。環はハッと目を見張り、杏珠から身を離した。
「あら、ごめんあそばせ。つい、興奮してしまったわ」
「つい、て。興奮しすぎやわ」
はー、びっくりしたぁ……と呟きつつ、杏珠は胸を撫で下ろす。
杏珠は以前、骨折したことによって左足がやや不自由だ。普通に歩くことは出来るが、こんな風に勢いよく友人に突進されたら、上手く支え切れるか怪しい。環とて忘れている訳ではないだろうが、よほど興奮していたらしい。しがみつき方や揺さぶり方が尋常ではなかった。
ちょっとだけ、申し訳なさそうに環が身を縮める。杏珠は苦笑しながら、ゆっくり自分の席へと向かった。
教室内に級友の姿はまだ少ない。その全員がちらちらとこちらを見ているが、特にその視線を気にも留めず、杏珠は環に質問した。
「で、どないしたん?誰か、首を切られたん?」
「まあ、嫌だ。打ち首なんて野蛮な話じゃないわ」
ぷくっと可愛く膨れて、環は否定する。そして、少し離れたところで所在無さげに立ち尽くしていたお下げ髪の少女を手招いた。
「八重さま!こちらへいらして。杏珠にも聞かせてあげて欲しいの」
「え、ええ」
呼ばれたのは、名井藤八重だ。
いつもはハキハキと元気な名井藤八重だが、今日は顔色が冴えなかった。額には、大きな巻木綿が巻かれている。
環に呼ばれ、八重はおずおずと二人のそばに来た。
鞄を机に下ろし、杏珠は首を傾げる。
「えーと……八重さまが生首を見たん?」
「そうなの!八重さまを見て、ニタァと嗤ったんですって!」
杏珠は八重に聞いたのだが、答えたのはもちろん環である。声からウキウキしている心情が滲みまくっている。なにせ環は、怪談や不思議な話が大好物なのだ。子供の頃、河童が現れるという池に三日も通ったり、火の玉が出るという神社に夜中に一人でこっそり出掛けたり、彼女の怪奇現象にまつわる逸話は限りない。
やや精彩を欠いていた八重だが、環があまりに楽しそうなので釣られたらしい。やや表情を明るくした―――。
東京府小石川区にある卯都高等師範女学校は、良妻賢母の育成に力を注ぐ多くの女学校とは違い、“職業婦人”を目指す女子を育てるべく外国語教育やタイピングの訓練などに力を入れている学校である。
高位の華族のお嬢様はあまり選ばない学校だが、ここ、三年の教室にはなかなか目立つ侯爵家のお嬢様が二人いた。
上壱條杏珠と嶋津森環である。
小柄でふわふわと可愛らしい印象の杏珠と、すらりとした日本美人の環。好対照な二人だが、仲はとても良い。どちらも侯爵の名を誇示することなく、誰にでも愛想が良いので学校の人気者だ。
そして杏珠は、おっとりした外見から窺えぬ意外と鋭い洞察力の持ち主で……友人や知り合いからの相談事をいつの間にか、さらりと解決したりするのだった。
―――何から話を始めましょう?
(と、八重は考え込むように首を傾げた)
生首を見たのは、昨夜のことなんですけどね。
でも、実はここ数日……気持ち悪いことが続いているんですよ。
えーと、五日前だったかな。商談のために、父達が大阪へ行ったんです。そうしたら、その日の夜に廊下で妙な音がして。
最初は、誰かが廊下を歩いていると思ったんですよ。それで、「誰?何か用?」と聞いたら、タタタッと走って去っていくような音がして。てっきり、わたしは使用人の誰かがいたのかな?と思いました。
ところが翌日、使用人全員に聞い回っても誰もわたしの部屋の方へ行っていないと言うんです!
ちょっと怖くなってしまったから……その日の夜は、女中に何回か見回りするよう言い付けました。そしたら……その女中が庭に白いものが漂っている、見回りが怖いと言い出して……。
下男が庭を調べましたが、結局、何もありませんでした。
そこで次の夜は、下男と女中の二人組で見回りをさせました。すると……どこからともなく不気味な唸り声が聞こえ始めて。それ、わたしの部屋でも聞こえたんですよ。もう、本当に本当に怖かったです。
(ぶるぶると震え、しばらく八重は話を止めた。何度か深呼吸し、改めて口を開く)
そして昨夜なんですが……。
また何か怪異が起こるんじゃないかとびくびくしていたら、こんこん、こんこんって壁を叩くような音がしました。唸り声のときは怖くて部屋から出られなかったけれど……壁を叩く音だったので、どの辺りから音がするかだけ確かめようと部屋を出ました。
わたしの部屋を出て左に曲がると廊下があり、突き当たりは右に曲がっています。その先は父の書斎と物置きになっている部屋です。
どうもその廊下の方で聞こえるような……と思い、部屋を出て、ひょいっと廊下を覗いたんですね。そしたら……そしたら、突き当たりの壁に、ボヤァと女の小さな生首が……生首が浮かんでいたんです!!顔には髪がかかっていて、目とか、ハッキリ分からなかったです。最初は俯き加減でしたが、すぐに少しずつ上を向き始めて。そしたら、口元がゆっくりと笑う形になったのが見えました。
それで……それで、わたしは大きな悲鳴を上げて、慌てて逃げようとしたら足をもつれさせてしまって。
角の柱で思いっきり頭をぶつけ、気を失ってしまったんです……。
なるほど、額の巻木綿はそのときの怪我らしい。
「もう、怖くて怖くて。一晩中、古くからいる女中に部屋にいてもらいました。……ねえ、環さま、杏珠さま。どなたかお祓いのできる方をご存じありませんか?今晩、とても家で過ごせそうにありません……!」
話している途中で涙目になってしまった八重の手を握り、環が申し訳なさそうな顔になる。
「お祓いのできる方は知らないわ。でも、父の知り合いで神職の方がいるから、相談してみるわね」
「ありがとうございます……!」
ホッとした様子の八重に、環はさらに言葉を重ねた。
「というより今夜、わたくし、八重さまのお宅に泊まりに行きましょうか?お父さまたちがおられないなら、一人では不安でしょう?」
「ええっ、そんな、そこまで環さまにご迷惑は掛けられないです」
「何を言うの。わたくしたち、級友じゃない!」
……ただ単に生首が見たいだけやろ?と杏珠は心の内で突っ込む。明らかに環の表情は心配しているそれではない。好奇心いっぱいで抑えきれない顔になっている。
しかし、そんなことは口にせず、杏珠は別の提案をすることにした。
「八重さま。お祓いを呼ぶ前に、ちょっとうちに現場を見せてもらっても構へん?それ、本当に怪現象かどうか、調べてみたいと思うんやけど」
途端に、少女二人が目を丸くした。
「えっ、怪現象じゃない場合があるんですか?!」
「うそ、本物の幽霊とかじゃないのぉ?!」
一人はほのかな期待で明るく、一人はがっくりと失望し───対照的な返答に思わず吹き出しつつ、杏珠はにっこりと笑った。華やかな顔立ちの杏珠はこういう笑顔をするととても魅力的だ。八重はポッと頬を染めて俯いた。
「幽霊の正体見たり、枯れ尾花って言うやろ。でも、もしかすると裏に心配なことが隠れている可能性もありそうやし、調べた方がいいかなって思うねん」




