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②エピソード

 おっさんは二杯目を注文すると、鍋でも食べようといって適当に注文し始めた。そして、店員の女の子に冗談を言うと、笑いながらこちらに目を向けた。


「君はブラザーズだったな。ピッチャーで三番か四番を打っていて、良いピッチャーだったのをよく覚えているよ」


 少年野球時代のことで、それは図星であった。俺は驚きを表情に出し頷いた。おっさんは記憶を手繰り寄せながら話し出した。それも詳細に…。


「相手はアトムズで、どちらもリーグ優勝には落とせない試合だった。試合は何点も入らず平行線のままで、見ていて飽きるかドキドキするような試合だった」


 今から五年前のことであった。確か俺たちが勝った試合であった。


「始めは君らに勝機があったけど、スクイズでアウトになり、チャンスを逃すんだよな。確か三塁ランナーはキャッチャーだった子じゃないかな」


 当たっていた。岡澤のことであった。岡澤とはさっきこのおっさんを襲っていた。


「彼も上手かったな。でも、脚が遅い。バント成功してスクイズでアウトはなかなかないからな」


 そう言うとおっさんは笑った。俺も話に驚きながら笑っていた。おっさんは笑いながら付け加えた。

「さっきも早々に遅れをとってたもんな」


 それを聞いて私は驚き絶句した。


「でも、彼が何だか投げたあれは背中に当たるかと思ったよ。スローイングは上手いな。あの試合でも、スクイズ失敗の後、三盗を刺したよな」


 その話も合っていた。二塁ランナーを盗塁で三塁へ送っていたら、そして次の打者に大きな外野フライを打たれたことを思えば、確実にタッチアップでホームを獲られていた。


 このおっさんは何者だろうか。そして、さっき岡澤の投げた「あれ」というのは短い

 木刀で、頭を狙ったはずである。それがおっさんの足に間に合わず、背中になっただけである。それもおっさんは後ろに目があるかのように避けていた。


 俺は聞いた。

「何でそんなに詳しいんですか。俺たちを知ってるんですか」

 おっさんはビールジョッキを下ろすと言った。

「見てたから」

 そりゃそうだろう。おっさんは続けた。

「息子が野球やってたからね」

「うちのブラザーズで?」

「いや、コンドルズ」


 何だよアトムズでもなく全然違うチームかよと思った。しかし、同じ野球の連盟で、息子さんも野球をやっていた。息子さんは十四歳といっていたので、俺よりも三歳下であった。面識はなかったと思う。


「で、君らは優勝したんだよな」

 おっさんは微笑んで言った。俺は「はい」と頷き、ソーセージをパクついた。


「中学でも野球やってたよね?」

 おっさんは運ばれた鍋の中身を見ながら言った。ぐいぐい来るおっさんの質問から逃れたい反面、そこに話題を持ちたい気持ちが交差した。


 それは、俺が野球を辞めてしまい、グレて現在に至っているからであった。


 おっさんの言うように、俺は中学でも活躍した。区内では敵無しで、都内にも俺の球に歯が立つバッターはいなく、地元ではちょっとは知られていた。甲子園を目指せるとも言われていたし、甲子園に行くとも思われていた。


「辛かったろ。キツかったろ。辞めたくないけど、辞める方向に向かってしまうっていうか、天狗にもなってたろうし、将来が明るい分、それが何となく怖くてな」


 おっさんは、だいたいの人がしてくる質問とは違っていた。このいきなり出てくる内面を悟ったような言葉は、一体なんなのだろう。


 だいたいの人は「なぜ辞めた」「なぜ諦めた」「もったいない」と言うのだが…。


 確かに俺は、中学の夏の大会の終わりには、関東の強豪校から野球推薦の話がいくつも来ていた。どこでやるかはこちら次第であった。


 そして、近年甲子園に出場した都内の強豪校に行くことまで決まっていた。高校までストレートに決めて、あとはバンバンストライクを獲って、アウトを稼ぎ、甲子園へ行くまでであった。後にはプロというストーリーもあった。


 しかし、さっきおっさんが言ったような。そんな流れに俺は流されて、コントロールが外れてボール球の山を築いた。誰に打たれることなく、押し出しの失点で自滅した。例えるならそんな感じである。


「今の高校に行ってから、また野球を始めたと聞いたけど」


 おっさんはまた、どこで聞いたんだという話を始めた。素行の悪さから、決まっていた野球推薦の高校から推薦は白紙にされ、さらに荒れた挙句、どこからも声がかからなくなり、都内の工業高校に入った。


「小枝川工業だったよね。軟式じゃ有名なとこだったよね」


 おっさんはどこまで俺のファンなんだ。当時の俺を片思いしてた女子でも、気にしない話である。


 現在、小枝川工業高校に在籍している。野球部は去年の秋に辞めた。いや、追放された格好である。


「軟式じゃつまんないか?」

 おっさんは、鍋を取り皿にすくう俺に言った。

「そんなことはないです」といって、俺はおっさんに取り皿を渡して、話を続けた。


 回りが下手くそ過ぎたのだ。荒れてから酒にタバコに、遊びに明け暮れて、野球からは全く離れていて体力は落ちていたが、身に染みていたセンスはそのままであった。


 しかし、打たれるわけのない球も弾かれちまうほど落ちぶれていた。それにしても、あまりに回りが下手くそ過ぎた。何でもないフライは落とすし、ゴロはトンネル。カカシの方がまだマシな守備するんじゃないかってね。


 やる気のない回りの態度にイライラが募り、腹立たしく、それは態度に現れて、下手な奴や下の連中に厳しくなり、俺はチームから孤立していった。


「負けたくなかったのです。もう負けたくなかった」

 俺は語るだけ語って、そう吐いた。しばらく鍋の音だけが続いていた。


 おっさんが言った。

「酒飲めんじゃん!」

 そう言うと、店員へ手を挙げていた。


「違いますって!ここまで私の話を聞いて、それっすか」

 俺が笑いながらそう言うと、さすがにおっさんは笑いながら謝った。

「すまん。すまん。違うんだ。悪かった」


「おじさんの話も聞かせて下さいよ」

 俺は酔いも回ったおっさんに話を振った。


「俺の話ぃ?」

 おっさんは、人の話を聞いておきながら、話すことなんかないよといった素振りをした。しかし、どうせ話好きなおっさんで、気持ちよく自分の話でもするのだろう…くらい思っていた。


「おじさんは何なのですか」

 俺は、おっさんが俺のいろいろを知っていること、足の速さ、木刀を避ける機敏な身のこなし、その正体を知りたかった。

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