①おっさんとの出会い
俺は走るそいつに追いつき首根っこを捕まえた。彼は観念したのか、抵抗することなく、息を切らすことを優先して、両腕は膝に置き俯いていた。
俺もそこそこ疲れたから、息を切らしながら、街灯に照らされた彼を上から眺めていた。
彼は歳の頃五十前後で、小太りの中年であった。距離からして、一キロ以上は走ったのではないだろうか。
十七歳の俺たちを振り切り、ここまでの距離を走るのもなかなかだが、その脚のスピードもなかなかであった。仲間二人は早々に着いて来れず、持久力で最後は勝った感じであった。
アフリカのサバンナで言えば、老いたシマウマがライオンに捕まったような絵であった。あとは言うことを聞いてもらうだけだ。
これは夜の裏路地で行われたオヤジ狩りであった。
息が落ち着き始めたおっさんは言った。
「わ、わかった。金、払うよ。いくら?」
俺は黙って見下げていた。逃げて殴られるとでも思ったのか、腕を顔と脇へ泳がしていた。
三月とはいえ、冬着でこんな猛ダッシュをしては、もう汗だくである。俺も上着の前を開け、懐に冷気を取り入れた。風邪引く典型であった。
おっさんを首根っこを掴んだ手を離した。手は彼の汗でネトネトしていたので、彼の背中で拭いた。そして、手の匂いを嗅いだ。
「おっさん、早ぇな。すげぇよ」
俺がそう言うと、おっさんは俺からの意外な言葉に顔を上げた。そして、息が落ち着いたのか、身を起こして背筋を伸ばして言った。
「疲れたよ」
「もう、いいよ。俺らの負けだ」
俺はあっさり言うと、迷惑かけたと詫びの一言も加えた。
俺はオヤジ狩りなんかしたくなかった。仲間がそういう連中で付き合っていただけであった。仲間がこのおっさんを捕まえていたら、どうなっていたことか。
電話が鳴った。俺はおっさんを見つめたまま電話を取り出し、耳に当てた。
「ダメだ。逃げられた。もう帰るよ。またな。あ、じゃあな」
俺は仲間に別れを告げて電話を切った。
立ちすくんだままのおっさんに言った。俺は気を取り直し、目上の方だからと敬語を使って言った。
「失礼しました。仲間には逃げられたと言いましたので。ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
そして、頭を下げた。
おっさんはキョトンとした顔をして言った。
「帰んの?」
「えぇ、帰りましょう」と俺は言った。
そして、互いに歩き出した。
駅の駐輪場に繋がる人通りの少ない路地でおっさんに声をかけ、逃げるおっさんを追いかけ走ってきたため、ここはもう隣りの駅の方が近かく、お互いにそちらへ足は向いていた。
オヤジ狩りで襲った奴と、襲われたオヤジが逃走追跡劇をした上に、一緒に駅に向かって歩くのは、おかしな光景であった。
「一杯行こうよ」
おっさんは微笑んで言った。俺は何言ってんだ?と、おっさんの言葉が理解できなかった。
「一杯?俺、高校生ですけど。それに俺はあなたを襲ったんですよ」
「今時高校生でも、酒くらい飲むでしょ。助けてくれたお礼だよ」
「お礼って、襲ったんですし。強盗未遂ですよ。未成年に酒飲ましたら、あなたもマズいですって」
「未成年って、未遂だけど、立派に強盗してんだから、高校生には見えないって。大丈夫。大丈夫」
「ホントに酒は飲めませんよ」
俺はお酒が飲めないことを念押した。
「いいよ。話し相手になってよ」
そのままおっさんのペースに持っていかれた。
隣りの駅なら、仲間の目にも付かないだろうと、駅前の居酒屋に入った。
おっさんはビールジョッキを掲げると、「お疲れ様」と俺のコーラのグラスを弾いた。おっさんは目を瞑り、旨そうに「かぁ〜っ!ウメェ」と言った。私も同じことをした。
おっさんは目が合うと、「何のお疲れ様だよってね」と言い、満面の笑みで笑っていた。俺も釣られて笑っていた。
おっさんは自己紹介を始めた。
名前は深谷といい、歳は五十二歳。結婚二十年目で十四歳の高校生の男の子がいるという。仕事は魚を焼く仕事とのことで、よくわからなかったが、おっさんのことなどどうでも良かった。
見た目はてっぺん禿げの小太りのおっさんで、駆け足で負けることはないと思ったが、あの体力はどうしても気になった。
「君は高校生って言ってたね。息子の三学年上だね」
俺も自己紹介するべきだろうか。乾杯した間柄でも、三十分前には強盗未遂をした相手である。偽名を使うべきか考えたが、おっさんの笑顔を信じることにした。
俺は鈴江隆也といい、十七歳の工業高校の高校生である。両親と妹がいる普通の高校生であるが、訳あって地元の悪いのと付き合っている。
彼らとはオヤジ狩り、カツアゲ、万引き、空き巣、バイク窃盗、ケンカとガキの悪さを満喫していた。いつ逮捕されるか、大怪我するかわからなかった。
しかし、おっさんは何故、俺と息子が三学年違いとわかっていたのだろう。
おっさんはポテトサラダをひとすくいして自分の皿に乗せると、俺の方へ寄せた。そして、住んでる場所を聞くと言った。
「家、近いね」
まさか近所のおっさんを襲うところだったのか。おっさんも近所の子供に襲われるところだったと思ったはずである。
俺は記憶を手繰り寄せたが、このおっさんのことは思い出せなかった。
「お会いしたことありますかね…」
おっさんは、大根の煮物を口に運ぶと、笑みのまま言った。
「君、野球やってたろ」
俺は長く野球をやっていて、地元ではちょっと知られていた。このおっさんは俺を知っているようであった。
信じられない展開にバツが悪くなってきたが、だいたい幼馴染の岡澤なんかと連んで、地元で悪さするのがいけなかった。
野球というキーワードに俺の気持ちはくすぐられ戸惑っていた。おっさんはピンポイントの質問をしてきた。