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 縦穴暗渠をつくり、籾殻を詰める作業を手伝った翌日、夫は宮廷へ呼び出され、遠征へ出た。隣の国が軍隊を進め、我がアシャンテ王国へ攻め入ろうとしているらしい。

 不安だったが、衝突は小さなもので、相手はすぐに退いた。だから、アル卿も、考えているよりもずっとはやくに戻ってきた。


 けれど、アル卿はまた、大きな怪我を負っていた。顎の左の辺りに、ばっくりと肉が割れた跡が残っている。

 戻ると聴いて、アル卿が居ない間にあったことをきちんと伝えなくてはと思っていたのに、疲れた様子の夫を見るとそれどころではなくなった。わたしは涙をこらえて、女中に風呂の用意を命じ、厨房にはいった。草を摘んでつくっておいたお茶をいれ、はちみつに漬けたトマトをもって、広間へ行く。

 アル卿は汗を落とし、寛いだ格好になって、従僕に足をもませている。どれだけ疲れ、戦いで消耗したともしれないのに、夫はトレイを持ったわたしに笑みをくれた。

「やあ、我が妻よ。畑の水はけはどうだ?」

「……ようございますわ」

 洟をすすって涙をごまかし、わたしはお茶のマグと、はちみつ漬けトマトのお皿を、夫の前へ置いた。従僕がアル卿の足にやわらかい室内履きをはかせ、お辞儀して立ち去る。

 アル卿がぽんと、膝を叩いた。わたしはたまらず、夫の膝へよじのぼる。




「あなたが俺のことを、そんなに心配していたとは思わなかった」

 頭を振る。アル卿はわたしをきつく抱いて、優しく云う。「ひとに心配されるのは、気分がいい」

「……わたくしは吐きそうですわ。夫が戦いに行くなんて」

「誰かがやらなければならないことだ。仕方がない」

「あなたは、誰かを傷付けるのではなくて、大地をいたわり、植物を慈しむのがお好きですのに」

「したいこととできることが同じとは限らない」

 夫はわたしの頭を撫でる。

「それで、畑はどうなっている? 病気がはやったりは、していないか」

「問題ございません。ピーマンに少しだけ、赤さびが出ましたけれど、ひろがりはしませんでした。摘芯もきちんとしています」

「それはいい」

 アル卿は疲れていらしたのだ。わたしを抱えたまま、寝息をたてはじめた。

 マグのなかでお茶がさめていく。




「これは?」

「油粕を戴きましたの。腐汁というものをつくれないかと思ってためしているところですのよ」

「そうか……あなたは、俺が思っていたよりも、随分しっかりしている」

「まあ」

 怒った顔をしてみせた。「わたくしをどうお思いでしたの?」

「美しくて、弱い娘だと思っていた」

 アル卿はまったく、あたりまえのようにそう答えた。


 ふたり並んで、建物のまわりを散歩している。アル卿は昨日今日と、授業を休んだ。遠征帰りの生徒が休んでも、教授達はなにも云わない。

「この間、洗濯が大変だと云っていたな」

「ええ」頷いた。「匂いがなかなか落ちません。せっけんも、いろいろと工夫はしていますのよ。粘土をまぜてみたり……」

 アル卿は頷いて、ふと足を停める。

「アル卿?」

「ジャシ皇国から輸入されたものが、ある」

「はあ」

「洗濯につかう道具なんだが、俺達ではつかいかたがよくわからないので、そのままになっている。あなたは、本を読むのが好きだろう。扱いかたが書かれた本がついていたから、それを読んでくれないか?」

「ええ……」

 アル卿は小首を傾げた。「我が妻よ、どうかしたか」

「どうしてそのような道具を? あの、液肥をまく道具も、ジャシ製でしょう?」

 あの箱は便利だが、手でまいてまけないこともない。洗濯も、手でできる。

 アル卿はわたしの疑問に、簡単に答えた。

「俺は、〈力〉なき者でも、暮らしに困らぬようになってほしい」

「……〈力〉なき者……」

「ああ。ジャシ皇国には、〈力〉を持つ者がほとんど居ないと、知っているか?」


 驚きのまま、激しく頭を振った。ジャシ皇国と云えば、この世界で一番の大国だ。アシャンテとは、わずかに交流があり、ジャシ製のものをたまに見かける。

 世界一の大国で、その都には、天を衝くような建物が並び、宮廷は(しゅ)のおわすような立派な建物だときいたことがある。


 それなのに、〈力〉を持つ者がほとんど居ないなんて、信じられない。

「〈手紙〉をつかったことは?」

「勿論、ございます。両親ともそれで連絡を」

 アル卿は頷く。

 〈手紙〉はジャシ皇国の技術で、特殊な板に文字を書くとそれとつながった板に同じ文字が浮かびあがるというものだ。板同士は自由に、つないだりつながりを断ち切ったりできる。

 王侯貴族なら知っているし、つかったことがある。一般市民でも、役所で見たことがあるだろう。

「あれは、〈力〉を持つ者がつくり、〈力〉を注いで」

「いや、それは真実ではない。〈力〉を持たぬ者でもつくれるし、〈力〉で動いているのではない」

 また、信じられないことだ。わたしは口を開ける。声は出ない。

 アル卿は微笑んだ。

「俺も、ジャシ人からそれを聴いた時、信じられなかった。だが、そうなのだ。我らが〈力〉を持つのは、(しゅ)とのとりきめに従っているからだ。ジャシ人は(しゅ)ととりきめをしていない。〈力〉がなくて、当然だ」


 それで、はっとした。たしかにそうだ。五つの家系の者が国を出たり、絶えたりしたら、〈力〉はなくなる。なら、ほかの国には居ない……。


「ジャシ人が〈力〉を持たなくとも〈手紙〉のようなものをつくり、扱えるのだから我が国の一般市民でもできるだろうと思ったんだ」

「それで、道具を……」

「ああ。道具をつかえる人間を増やせば、道具は売れる。皆がつかうようになれば、その分暮らしは楽になる」

「……王家はどう考えていますの?」

「さあ」アル卿は肩をすくめた。「〈力〉を持った人間は、普通〈力〉をどうつかうかしか考えない。王家へ上奏したかったが、親に停められた。〈力〉のない人間に気を遣う意味がないと」

 また、声が出なくなってしまった。

 アル卿が、両親のことを話さず、わたしのことを伝えているかどうかも教えてくれない理由が、わかった気がする。夫の両親は、おそらくわたしを認めないだろう。〈力〉を持たないから。




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