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学校は十八歳で卒業する。
だが、十七歳で退学するものが多い。わたし同様、〈力〉が顕現せずに、在籍の権利を失うからだ。
そして勿論、わたしのように、結婚によって難を逃れ、退学にならずにすむ者も存在する。
しかし、学校で教えているのは、〈力〉の扱いについてだ。ということは、〈力〉を持たないわたしは、授業をうけてもなににもならない。
「今日は、バル・ディオヘルム先生と、キー・ルロイヤル先生の授業ですわ」
「ああ」
「評価シートはお持ちになりました?」
「持った」
「わたくしは草むしりをしております。なんぞありましたら」
「ああ、すぐに連絡する」
夫は腰をかがめ、白桃色の掌でわたしの頬に触れる。「藪で手を切らぬように」
「かしこまりました」
夫はわたしの唇に軽く口付けて、出ていった。
わたしはそれを見送って、ふっと息を吐いた。結婚してから十日、授業への参加を教授達に拒否されたので、わたしは剣衝洞の草むしりに精を出している。
結婚の翌日、ベルデ家から連絡が来た。殿下のあんまりななさりように、父母は怒っているらしかったが、アル卿が救い出してくれたのでよかったと喜んでいた。
わたしの両親は、わたしが〈力〉を持っていなくても、どうにかベルデ家に残れないか、尽力してくれていたらしい。
それでアル卿が、とも考えたのだが、そのような取り決めや約束などはないそうだ。アル卿がわたしを見初めた理由は、だから両親にもわからない。
わたしは帽子を被り、男のようにずぼんをはいて、外に出ている。手袋をした手には鎌を持っていた。これでヘアリーベッチと燕麦を刈り、建物の裏手へ運んで積み上げておくのだ。そうすれば、従僕が堆肥にしてくれる。
匂いは凄まじいが、液肥もつくっていた。ごく単純なもので、有機物を腐らせて漉し、その汁を希釈してまくのだ。残りかすは堆肥に混ぜ込んでいた。
アル卿が「岩の貴公子」の異名をとっているのは、岩のようなかたいまもりで他国の軍を幾度も退けてきたからだと思っていた。
だが、それだけれはない。アル卿の手にかかれば、岩のようだった粘土質の大地も、素晴らしい団粒構造の土に変化するらしい。「岩の貴公子」というよりも、「大地の貴公子」である。いや、「畑の貴公子」だろうか。
従僕や女中は、近在の農家まで行って、土いじりを嫌わない者を雇ってきたそうだ。夫は本当に、土が好きなのだ。
どうしてここに住んでいるのかも、わかったつもりだ。畑にできる土地がたっぷりあるし、ぶどうに限らず果樹が幾つも植わっている。
わたしはうきうきと、ヘアリーベッチを刈り、ざるへ放り込む。
〈力〉のない妻をあえてほしがるなんて、どんな変わり者だろうかと思っていた。もしかしたら、貴族として育った娘に、よからぬことをしたいと考えているのかも、と。けれど、アル卿は誠実で、気の優しい、物腰穏やかなかただ。わたしがいやがれば、同衾もしない。
傷跡くらいできゃあきゃあ喚いている女生徒達が、愚かに思える。それになにより、あの傷は、アシャンテ王国をまもってできたものなのだ。敬いこそすれ、おそろしがることはない。
「奥さま」
従僕が走ってきた。最初のふつかくらいは緊張した様子だったが、今は従僕も女中も、気易く喋ってくれる。
「なにかしら?」
「たまごの薬をまくんで、手伝ってもらえますか」
「ええ」
わたしは鎌を置いて、従僕と一緒に建物の裏手へ走った。
たまごの薬、というのは、撫子色の液肥である。たまごと水となにかをまぜてつくるもので、日にあてると鮮やかな撫子色か若葉色に変化するので、それをうすめてまくのだ。ただし、それなりに強烈な匂いがする。
たまごの薬は、堆肥にまくと、発酵がはやくすすむらしい。今日はその作業をするそう。
「これを」
従僕が持ってきたのは、箱のようなものから紐が伸びた、妙なものだった。ベルトがついていて、背負えるようになっている。
「これはなあに?」
「旦那さまが持ってきたものです。ここに薬をいれて、これをおすと、ほら」
従僕が箱のなかにたまごの薬をいれ、側面をおすと、紐の先からなにかが出てきた。成程、あれは紐ではなくて、筒なのだ。箱にいれた薬が、筒を通って出てくる。しかも、筒の先は細かい穴のあいた蓋がかぶせられているようで、薬は雨のように細かくなって出てきた。
「面白いわねえ」
従僕と女中が顔を見合わせて、笑う。
「なあに?」
「旦那さまも、面白いだろうっておっしゃったんです」
「奥さまと旦那さま、同じことおっしゃるんだって、おかしくて」
ふたりが楽しそうに笑うので、わたしも笑った。
「それで、とても面白かったのですわ。あ、でもわたくし、失敗してしまって、ずぼんがたまごの薬でもう凄い匂いに。お洗濯が大変でしたの」
「それは、楽しんでいるようで、よかった」
「あ、刈った草はきちんと堆肥に追加しましたわ。落ち葉は釘の薬のつぼへ」
夕食の席で、昼間あったことを互いに喋っている。この時間は、わたしにはとても楽しい、癒される時間だ。
ログ・ガーブさまと結婚していたら、こんな楽しい時間を持てただろうか、と思う。〈力〉が顕現していたとしても、それは無理だった気がする。
牛糞で足を滑らせたとか、逃げ出したがちょうを三人で追い込んで捕まえたとか、そんなようなことを話した。がちょうは草を食べてくれるので、ためしにつがいで飼っているのだ。
「あなた、本を読みましたわ。鶏糞もよいのですってね。あとは、竹を細かくしたものがいいとか」
「ああ。今度、堆肥にしてみよう」
「お手伝いいたしますわ」
アル卿は優しい顔で頷いた。わたしも、自然と微笑んでいる。
「トマトはどうだ?」
「あなたのいいつけどおりに、根をたしかめました。おっしゃるとおりで、下のほうまで根をはっています。それも、細かい根を」
夫は満足そうに頷く。建物の右手には畑があるのだが、そちらでは今、きゅうりやトマト、パセリなどを栽培していた。それぞれの畝には、彼が最初に壜を埋め、時折それを外して根を観察できるようにしてある。今日、観察すると、白くて細かい小さな根が、沢山はっていた。
「明日は休みだ。暗渠をつくらねば」
「お手伝いいたします」
「俺は頼もしい妻を持ったようだな」
「あら、今頃気付かれたのですか?」
アル卿が声をたてて笑い、わたしもそうした。声をたてて笑うなど、貴族の娘らしくないが、どうせわたしには〈力〉はない。肩肘をはる必要はない。