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 女生徒達がかすかに嫌悪のまざった呻きをあげた。

 アル卿は、大柄で、顔に傷痕が幾つもある。槍の稽古をしていたのだろうか、重そうな鎧を身につけ、左脇にかぶとを抱えていた。

 大きな〈力〉を持ち、他国との小競り合いやなにかで戦っていらしたかただ。顔だけでなく体中に傷痕があると噂されている。

 治癒の〈力〉を持つ者が治療をしても、それだけの跡が残るのだ。想像もしたくないような怪我をしてきたということだ。


 アル卿はわたしの近くまで来ると、こちらへ頭を軽く下げた。その意味がよくわからないまま、わたしはお辞儀を返す。

 アル卿は、熟したカラスノエンドウの実のような、深く黒い肌をしている。髪は漆黒で、瞳は栗の渋皮の色だ。石に彫刻したような顔の造作は整っているし、恋愛ものの小説に出てくるような偉丈夫である。

 けれど、ひきつれの残る傷跡は、アル卿の口や左目を完全に閉じることができなくしてしまっているし、生々しく肉のえぐれた痕は女性達には刺激が強すぎる。アル卿が歩いてくる間に、複数の女生徒が逃げ、また複数の女生徒が顔を背け、数人が失神した。


 アル卿は気を失った淑女に配慮することなどなかった。勿論、わたしにも。

「ログ・ガーブ殿下。メサ・ベルデ嬢との婚約を破棄すると云うのなら、俺が譲り受ける」

 持ちこたえていたカン・リビードロ嬢が、うーんと唸って倒れた。




 カン嬢はうんうん唸っている。

 わたしは治癒室のベッドの傍に立ち、カン嬢の額の汗を拭っていた。最後まで味方してくれたのは、彼女だけだ。こちらも礼を尽くさねばならない。

「治癒士に任せては?」

 壁に背をつけて腕を組んだアル卿が、こともなげに云った。鎧は脱いで、かぶともどこかへやり、学校の制服姿だ。クリーム色の上下に、瑠璃色のサッシェ……けれど、本来ブリーチズをはいて黒い革靴のところ、長ずぼんに黒いブーツだった。古傷をさらさないようにという、学校側の配慮だろう。

 わたしは彼へ頭を振った。

「わたくしのことで煩わせたのですから、わたくしが責任をとります」

「彼女が倒れたのは、多分に殿下の責任だと思うが」

 それはわたしも考えていたことだ。婚約を破棄するにしたって、あのような形で行わなくてもよかった、と。カン嬢が気分を悪くするような事態には、ならなかったろうから。

 でもわたしは返答しなかった。まだ正式にはベルデ家から追い出されていないわたしの発言が、父母に迷惑をかけるかもしれないからだ。


 アル卿は頭をかく。

「少なくとも、あなたは喜ぶと思ったんだが」

「喜んでいます」

 平坦な声が出た。アル卿は肩をすくめる。

「喜んでいる女の声じゃない」

「そうですかしら」

「ああ……俺からの誕生祝いは、殿下からのものよりもよほど、気が利いていたと思っているんだが?」

 わたしが肩をすくめる番だ。今日は、わたしの十七歳の誕生日だ。




 カン嬢は目を覚まさない。アル卿が急かすので、後は治癒士に任せた。

 わたしは学校内にある、僧院へ向かっている。アル卿も一緒だ。どちらも制服姿で、草の生い茂った道を、少し距離をとって歩いている。

「宜しいのですか」

「なにが」

「〈力〉のない者を、妻に迎えて」

「それに関しては、心配要らない。俺が〈力〉を持っている。〈力〉を持った貴族が束になったくらいの〈力〉をな。だから妻にまで〈力〉を求めずともいい。宿題をふたりで分けるようなものだ」

 立ち停まった。アル卿もそうする。

 彼はいらだっているように見えた。傷跡をゆがませて、目を細くしている。

「なんだ、我が妻よ?」

「まだ結婚していません」

「すぐにする。あなたがもうあと少し歩くのを承知してさえくれれば。疲れたのなら、抱えていくが」

「どうしてわたくしなのですか」

 彼はくいっと肩をすくめる。

「俺を見てまともに会話できる。ベルデ家には恩義がある。ついでにあなたは美しい。求婚するだけの理由に、これで足るか?」

「ですが、わたくしには〈力〉が……」

「ログ・ガーブの気が変わらぬうちにことをなしておきたい。あれが、美しいあなたを愛妾にしようなどと考えぬうちに。わがままを云わずに、来るんだ」

 アル卿はわたしの手をひっぱり、無遠慮に抱え上げた。アル卿は岩のような、ごつごつした体をしている。

 わたしはアル卿の首にしがみつき、僧院へと運ばれた。途中、巡回中の衛兵をアル卿が呼びとめ、彼らが立会人になった。わたしとアル卿の結婚の。




 〈力〉がなくとも、王侯貴族と結婚すれば、配偶者に準じた扱いをうける。それが、アシャンテ王国の決まりだ。

 わたしは僧院で、アル卿との結婚を(しゅ)に誓った。立ち会いの衛兵が書類に署名し、僧が書類を奉納する。ここから国府へ、結婚証明書が送られ、すぐに報せが来た。わたしはベルデ家の籍を外れ、アル・テルスター卿の妻として今後は扱われる。


 わたしと夫は、僧院で買ったお菓子を衛兵達に渡して解放し、草の生い茂った道をまた、歩いている。

 わたしは今まで、女子寮に住んでいたが、これからはアル卿のつかっている剣衝洞に暮らすことになる。アル卿含め、功績があるか、王家に連なる者である学生は、普通の寮ではなくそれぞれがひとつの建物をもらうのだ。

 アル卿は、旧王家の跡取りである。




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