8.後宮は女の戦場ですか
サイラスの王都は、早春の月でも日陰に入るとまだ肌寒い。アルディンは王宮と庭園を繋ぐように建つ瀟洒な建物の前で、少しでも暖かい日向を見つけてホッとしながら内務大臣を待っていた。
「陛下、お待たせしてしまいましたか。申し訳ございません。」
「かまわない。ぼくが約束の時間より早く着いただけだから。」
内務大臣のアマリス伯爵は、いつもの男女兼用の内務服ではなくドレスを着て現れた。
「アマリス、ドレスを着ると美しさがより際立つな。」
「陛下もお口が達者になられたこと。誰から学んだのやら。」それでも褒められて悪い気はしないのか、アマリス伯は顔をほころばせた。
「で。どう思う?」アルディンが顎でくいっと目の前の建物を指す。
「遠くから見ると美しい宮殿ですが、近くで見ると一部タイルが剥がれたり、手入れがされずに崩れている箇所があり、老朽化が目立ちますわね。」アマリス伯が美しい顔をしかめる。
「主のいない宮殿は荒れるのが早いからな。オルドネージュの皇女が到着するのは晩春の月。改修工事が間に合うだろうか。」
2人の目の前にある瀟洒な建物は後宮だ。国王は王宮内にある住居スペースで暮らすが、国王の手がついた女性たちは後宮で暮らす。歴代の王妃たちは、夫婦仲がよければ王宮内の住居スペースに居室を持ち、国王と子供たちと一緒に暮らしたが、同居を嫌って後宮で暮らした王妃の数の方が実は多い。
ちなみにアルディンの両親は夫婦仲が最悪だったので、母は後宮で暮らした。母が離宮に追放された後に父が迎えた側室たちは全員後宮に部屋を与えられた。どんなに寵愛を受けようとも側室が王宮内に部屋を与えられることは決してない。王の結婚は政治なので、王妃と側室の立場は厳然と分けられていた。
「親書にはオルドネージュ風に、とありましたが。わたくし、オルドネージュ風というのがイマイチよくわかりません。」
「サイラスじゃあ、誰も知らないと思うよ。とりあえず外壁を修復し、宮殿内は隅から隅まで磨き上げろ。リネン類は全て新調し、調度品は王妃の間とその側仕たちの居室を優先して新しいものに変えてくれ。」
てきぱきとアルディンが指示を出していく。この若い国王は決断が早いので、ものごとが早く進んでいく。慎重過ぎてなにもかもが遅々として進まなかった前国王時代とは大違いだ。アマリスは指示を出すアルディンの横顔を見上げて微笑んだ。
「承知いたしました。後宮の外壁修復はひと月以内に終わる予定です。今日はこれから後宮内を歩きながら、お越しになる皇女さまや女官たちの導線を確認します。」
「だからドレスを着てきたんだな。」ふっとアルディンが笑った。
「はい、女の宮殿はドレスを着なければわからない点が多々ございますから。」
では、とドレスの脇を両手でつまみ、貴族女性としての礼をすると、アマリス伯は侍女頭を従えて後宮内に消えていった。
「オルドネージュ風か。そんなものは、到着してから皇女が好きに改修すればいいさ。」
どこか投げやりにアルディンは呟いて、執務室に戻るために後宮に背を向けた。晩春の月半ばに妻となる女性が来るというのに、ときめきも妻への期待もいっさい感じなかった。
執務室には筆頭文官のネイサンが、魔道士長のサザランド、情報大臣のエルメ侯爵と共に報告を持って控えていた。
「陛下、エドウィナ皇女殿下の姿絵について、さきほど皇国の魔法士より連絡がありました。」
サザランドからの報告に、皇女の姿絵を皇国に頼んだ覚えがないアルディンは首を傾げた。
「ほう、送ってくるのか?」
「それが、姿絵を準備して送る間に先に皇女殿下が到着されるとのことでした。」
「よっぽど容姿がアレなんだろうなあ。姿絵で断られるのが怖いんだろう。」
ネイサンが毒を吐く。
いやいや、そうとも限らないですよと情報大臣のエルメ侯が横から加わった。
「あちらの皇宮に送り込んだ配下からの報告では、すくなくとも第一皇女は第三皇女と違って父親似ではないとのことです。ただ・・・」
「「「ただ・・・?」」」その場の全員が問い返す。
「皇女は離宮暮らしで公の場には一切出ないため、離宮の側仕え以外は誰も皇女の姿を見たことがないそうです。」
「サザランド殿は、皇女の姿を写し出す魔法具を持っていないのか?」ネイサンが聞くと、魔道士長は肩をすくめた。「遠くにいる相手の姿を移す遠鏡なら、もちろんあるさ。でも遠鏡は双方向で操作するもので、片一方からの覗き見は結界にはじかれて出来ないよ。」
また皇女の容姿の話か。国益のための政略結婚に容姿は関係ない。アルディンは皇女の容姿をこれ以上詮索させないために、きっぱりと言い切った。
「ぼくは、人間の女であればかまわないよ。」
「「「陛下・・・」」」