29.名前の由来
ルシャの果実酒を味見し終わると、王都広場の食べ物系の屋台が並ぶところに移動した。手はずっと繋いだままだ。
「サナ、お腹は空いていないか?」さっきから肉の焼けるいい匂いがエナの鼻孔をくすぐり、実はお腹がペコペコだった。王都アルカスの夜市の屋台は、紗奈だった頃の世界のフードフェスティバルにそっくりで、ケバブのように串に刺して焼いた肉を食べたくてたまらなくなった。
いかにもお腹が空いたという顔のエナに、アルディンはクスッと笑って、陰に控えているであろうサザランドに「浄化を」と命じた。
果実酒の屋台は店主に気づかれないように、魔法師に事前に安全を確認させたので、安心してエナに飲ませることができた。だが、屋台の場合はエナがどの屋台の食べ物に興味を示すかわからないし、もしかしたら屋台料理を不潔と感じて、何も食べようとしないかもしれない。
だから事前チェックはせずに、エナが屋台料理に興味を示してから、サザランドに王都広場を屋台ごと浄化の結界を張らせることにしたのだ。
魔道士長のサザランドはアルディンの合図に、王都広場全体に浄化の魔方陣を敷いて結界を張っていく。
薄い緑の光が広場を包み、次いで青白い光の柱がぐるりと王都広場を囲むと空に向かって伸びた。幻想的な光景に、広場にいた人々は魔塔からの光のプレゼントだと喜び、歓声を上げた。
「綺麗だわ。王都広場全てを結界で囲むなんて、凄腕の魔法士がいるのね。」ほうっとエナがため息を吐いた。
「あれが結界だとわかるのか?」驚くアルディンに、
「ええ、オルドネージュでは定期的に魔法師が王宮に結界を張り巡らせていたから。それでも暗殺者たちは結界を張り替える隙を突いてきたわ。」こともなげにエナが答える。
「オルドネージュは大国だけに、敵も多そうだな。サザランドが張ったあの結界は、対攻撃用ではなく、食中毒を防ぐ浄化の結界だ。」
エナは驚いてアルディンを見上げた。「それは、もしかして私のためにですか?」
アルディンは何も答えず、笑顔でエナを見下ろすと「屋台を少し見てまわろう。」と誘った。
エナは食べたいものが決まっていた。肉の串焼きだ。大勢の人が並んでいる串焼きの屋台に向かおうとすると、アルディンが手を引っ張って止めた。「サナ、待って。串焼きが食べたいんだね。用意させるからここにいて。」
「あら、並ぶのも楽しいのよ。それとも警護の関係で並ぶのはダメなのかしら。」しゅんとするエナに、アルディンが慌てた。「いや、あの屋台は人が多いから、長時間並んでサナを疲れさせたくないんだ。」
長時間って・・・あのくらいの人数だと、30分も並ばずに済むだろう。Dランドの人気アトラクションなんて、2時間以上並ぶこともざらだった。あれに比べたら、たいしたことじゃない。
「陛下、2人で並ぶと時間なんてあっという間ですよ。」早く並ぼうと繋いだ手を引っ張るエナを、逆にアルディンが自分の方に引き寄せた。
思わずよろけたエナを抱き止め、その長躯をエナの方に屈め、耳元で囁く。「陛下じゃない、ディンだ。」
囁くアルディンの息がくすぐったくて、エナは思わず首をすくめた。顔に血が上ってくる。
『女性に不慣れだと思っていたのに・・・ こんなことされたら、心臓がもたないわ。』もうっ!と思いながら顔を上げると、アルディンがニコッと笑った。「行こうか、サナ。」
2人は串焼き肉を2本購入すると、屋台料理を食べる人たち用に用意されたオープンエアのテーブル席に向かった。2人が空いているテーブルを探していると、たまたま1つ空いた。カロンたちが陣取ってくれていたらしい。
「ディン、これは大黒熊の肉?」一口頬張って、エナが美味しさのあまりうっとりする。
「正解。魔物肉を食べたことがあるの?!」アルディンが驚いた。オルドネージュに魔物が出たという話は聞いたことがない。
「北王国で食べたの。本当に、美味しいわ。」エナは夢中で串焼き肉を頬張った。そのエナの食べっぷりに、アルディンは目を瞠った。心から美味しそうに食べるのに、食べ方がとても綺麗なのだ。思わず見惚れてしまう。
串焼き肉を食べ終わったころ、テーブル脇を通りかかったミルヤが、濡れたタオルをすっとエナの手に落として去っていく。それでごく自然に口や手を拭くエナの姿に、アルディンは吹き出した。
「さすがは王妃の侍女だ。連携が素晴らしい。」
エナは何も答えず、両手と口を美しい所作で拭き取ると、立ち上がってアルディンの方を向いた。アルディンが慌てて自分も立ち上がろうとしたのを、エナは両手をアルディンの両肩に置いて座ったままにさせる。そして、その体勢から顔をアルディンの方に近づけた。
アルディンは驚きのあまり、顔がカーッと赤くなった。「な、なにを・・・」何をするのだと、押しとどめようとしたが、なぜか体に力が入らない。
エナの唇がアルディンの顔に触れそうなほど近づき、そしてその唇はアルディンの耳元にすっと逸れた。
「王妃ではない、サナよ。」エナが囁いた。
そして何食わぬ顔で自分の椅子に戻り、さっきの仕返しをしてやったりと微笑むエナに、アルディンも笑みが止まらなかった。
やがて、王都民の間に紛れていた護衛騎士たちが、ソロソロと国王夫妻の周り近くに集まりだした。エナも気付く。もう、時間なのか。2人は顔を見合わせると、立ち上がった。
紋章のない粗末な外観の馬車にまた乗り込むと、今度はアルディンも馬車に乗ってきた。
「サナ・・・これからは、2人だけの時はサナと呼んでいいか?」少し顔を赤らめて聞くアルディンに、サナも「はい。私もディンと呼ばせていただきます。」と答えた。
「ところで、どうしてサナなのだ?エドウィナの愛称なら、普通はウィナかエドナじゃないか?」
聞かれると思った。それはエナも思ったのだ。でも今はまだ、言えない。
「ディンになんと呼ばれたいか考えた時に、サナという名前が浮かんだんです。陛下は、ディンはエドナかウィナって呼びたいですか?」
「いや、サナでいい。サナがいい。綺麗な響きだ。」
綺麗な響きと言われて、エナはうれしかった。いつか、この人に言える日がくるだろうか。サナは昔の名前で、私は別の世界から来たんですって。エナはアルディンに微笑みかけた。




