28.初めてのお忍び
初めて国王の執務室にお茶と軽食を届けにいった日から、アルディンとエナは毎日午後のひと時を一緒にお茶を飲んで過ごすようになった。お茶は執務室内の小部屋で淹れることもあれば、庭園の東屋で用意することもあった。時間は大体30分前後。
最初はあまり話が弾まず、沈黙が続くことも多かった。それでもエナは幸せだった。アルディンがエナと過ごす時間を捻出するために、忙しい時間を割いているのを知っていたから。
アルディンはアルディンで、エナと過ごす時間は居心地がよく、沈黙が続いても無理に話題を探す必要もなくリラックスできた。
各方面からの陳情が長引いたり、突発的な会議でお茶の時間がとれなかった日は、エナもアルディンも、翌日のお茶の時間を待ち遠しく感じるようになった。
各大臣からの進講も始まり、エナはまるで学生時代に戻ったかのように勉学に勤しんだ。
エナはとても熱心で優秀な生徒だった。最初は『大国出身のお姫様の単なる暇つぶし』と渋い顔をしていた講師役の大臣たち。だから講義も側近たちにレジュメを作らせ、それをただ読み上げるだけだった。
ところが、熱心にメモを取りながら話を聞き、時おり鋭い質問をするエナの姿に、王妃は本気なのだと悟った大臣たち。本気には本気で応えようと、大臣たちも真剣に講義をするようになった。
こうして充実した日々を過ごして3週間が過ぎたころ。いつものように午後のひと時を執務室の小部屋でお茶を楽しんでいたエナを、アルディンが王都アルカスのお忍びに誘った。
「王妃、以前ルシャの果実酒を味見してみたいと言っていただろう。明日の夕方から、アルカスでは夏の夜市が始まるんだ。よかったら、一緒に見物に行かないか。」
エナはパッと顔を輝かせた。「行きたいです、陛下。ぜひ、連れていってください。」喜ぶエナの顔に、誘ってよかったと安堵しながら、「国王と王妃ではなく、素性を隠して行くのでそのつもりで。」と付け加えた。
「お忍び、でございますね?」エナがいたずらっぽく微笑む。
「陛下はお忍びされるときは、どのような恰好をされるのですか?」
「旅人に扮したり、普通に王都民の服装の時もある。ああ、そうか。王妃は変装の心配をしているのか。」
「はい。明日は大店の旦那様と侍女なんか如何でしょう。」エナの提案をアルディンが速攻で却下した。
「王妃は侍女の制服を着ても、侍女には見えない。」きっぱり言うアルディンに、「では貴族の若奥様と護衛騎士はどうですか?」続けてエナが提案した。
それなら大丈夫だと頷くアルディンに、エナの後ろで壁になって存在を消していたミルヤが、コホンと咳払いをした。
「ミルヤ、どうしたの?何か気づいたことがあれば、言ってちょうだい。」アルディンも「許す。」と短くいって頷いたので、ミルヤは恐る恐る奏上した。
「王都の夜市でルシャの果実酒を味見されるということは、ほかにも屋台で何か召し上がることもございましょう。若奥様と護衛騎士では、一緒に何かを召し上がったり、お酒を飲んだりはできません。」
「「あ・・・」」そこまで考えていなかったという顔の国王夫妻に、
「普通に王都の若夫婦ではダメなのですか?」不思議そうな顔でミルヤが聞くと、エナとアルディンは顔を赤らめながら視線をそらした。
「そ、そうだな。若夫婦でいこうか。」「はい、陛下。ふ、夫婦で参りましょう。」アルディンにつられてエナまで口ごもってしまった。
「それと・・・」続けるミルヤに、「なんだ?」「なに?」国王夫妻がパッとミルヤを見た。
「この国で白金の御髪は珍しいので、明日は魔導士様に王后陛下の御髪の色を変えていただかねばなりません。あとは国王陛下も王后陛下も、互いに呼び合う愛称をお決めくださいませ。」
「「愛称?」」これは意外な指摘だったようで、二人はきょとんとする。
「平民の若夫婦は、互いを陛下、王妃とは呼び合いません。」
「「あ・・・///」」
翌日の昼過ぎ、魔塔から女性の魔導士が後宮に派遣されてきた。エナの髪の色を魔法で変えるためだ。
スニシャが女官長を通じて用意した、サイラス都民の若い既婚女性が着る服に着替え、髪色をサイラスでは珍しくない赤毛に変えてもらうと、すぐに出かける準備は整った。
紋章のついていない粗末な外観の馬車で王宮を出発し、市の立つ大通り付近で馬車を降りると、先に視察にきていたアルディンが迎えてくれた。
アルディンの護衛騎士カロンとミルヤが夫婦に扮して、さりげなく2人のそばをつかず離れずついてくる。エナは、他にも顔を知っている近衛騎士が5人ほど平民に扮して、夜市のあちこちに立っているのに気付いた。顔を知らないだけで、ほかにもたくさん紛れているのかも知れない。
たくさんの監視付きだけれど、自分の身分を考えたら仕方がない。エナは護衛たちに気づかない振りをして、夜市を楽しむことにした。
「ディン、喉が渇いたわ。」エナが傍らのアルディンを見上げた。
「あっちにルシャの果実酒を売る屋台があるはずだよ、サナ。」アルディンが時計塔のほうを指さす。
ディンというのはアルディンが考えた、自分が呼んでほしい愛称だ。学院時代はアルと呼ばれていたが、エナにはエナだけの愛称で呼んで欲しいと思った。
サナはエナが選んだ自分の愛称だ。この世界でエナになったけれど、自分が紗奈であったことを忘れたくなくて、サナと呼んでもらうことにしたのだ。
夜市に到着したときは、まだ人はまばらだったが、暗くなるにつれてどんどん人が増えてきた。もう、護衛たちもどこにいるのかわからないほど。
「ディン、その屋台に連れて行って。」エナが頼むと、迷子にならないようにとアルディンがエナの右手を掴んで時計塔のほうに歩きだした。最初はぎこちなくエナの手を掴んでいたのに、いつの間にか恋人つなぎになっていた。
ミルヤが恋人つなぎの2人に気づいて、ぐっと両手を握る。ミルヤ的にこれはグッジョブのポーズなのだ。
カロンがそんなミルヤを面白そうに見下ろした。
「きれいな色!」初めて見るルシャの果実酒を、エナは目をキラキラさせて屋台の店主から受け取った。
「きれいな緑色だろう。だけど色だけじゃなくて、味も最高だよ、奥さん。」店主から奥さんと呼ばれて、エナは恥ずかしそうにアルディンを見上げた。
「飲んでみて。」アルディンが促す。
頷いて、エナが一口飲んだ。色は緑なのに、甘酸っぱいパイナップルサワーのような味。
「これは・・・喉がシュワッとして美味しい!」エナが目を見張ると、「夏は微発砲させるんだ。うまいだろう?」と店主が自慢する。
「ディンも飲む?」とカップを差し出すと、アルディンが「ありがとう、サナ」と言って受け取り、ゴクリと一口飲んでから、エナに戻した。
「おたくら、新婚さんかい?若いっていいなあ。」店主がしみじみ言う。
「わ、わかるのか?」真っ赤になったアルディンに、「そりゃわかるさ。何年も客商売やってるからなあ。来年の夏の夜市には、赤ちゃん連れて来とくれよ。」店主の言葉に、今度はエナが真っ赤になる。
果実酒を飲み終えてカップを戻し、手を繋いで人込みに消えていく2人の背を見送りながら、「若いっていいなあ」店主がしみじみと同じことを繰り返した。
お読みいただき、ありがとうございます!どんどん二人の距離が縮まっていきますね。この調子で、アルディンには頑張ってもらいます。




