27.王妃の学び
「王后陛下にご挨拶申し上げます。」王妃の応接間に通されるなり、宰相のアルバ公は胸に右手を当てて頭を下げる臣下の礼を取った。宰相の後ろに控えるアマリス伯も、同じく礼をする。
「宰相殿。忙しいところ、時間を割いてもらってうれしく思います。スニシャ、宰相殿とアマリス伯を案内して。ミルヤはお茶を。」
王妃は応接間のテラス寄りに置かれた8人掛けの楕円形のテーブルの中央に座り、その向かい側に宰相とアマリス伯用のお茶のカップがそれぞれ用意されていた。
スニシャに案内されて、宰相とアマリス伯がテーブルに着くと、ミルヤがオルドネージュから持参した果実茶を煎れ、それぞれのカップに注いでいく。ルシャの爽やかな香りが部屋中に広がった。
「ほう、これはルシャの果実を使ったお茶ですか。」宰相がカップを持ち上げて香りを楽しむ。
「茶葉と乾燥させたルシャの実をブレンドした、王后陛下お手製の果実茶にございます。」ミルヤがティーポットをテーブルの上に置きながら控えめに説明し、後ろに下がった。
「陛下お手製の果実茶をいただけるなど、光栄でございます。このような良い香りのするお茶は初めてですわ。」アマリス伯もお世辞ではなく、心からルシャの香りを楽しみながらお茶をいただく。
「実は陛下がルシャの果実を好まれるというのは、サイラスにも広まっております。民達が陛下のお越しを楽しみに待つ間、王都ではルシャの果実酒が飛ぶように売れたとか。」アルバ公が話を振ると、エナの顔がパッと明るくなった。
「まあ、ルシャの果実酒ですか。どんな味がするのか、飲んでみたいわ。」
「では、取り寄せ・・・」アマリス伯が言いかけたのを、宰相が右手をあげて遮った。
「陛下、ルシャの果実酒は庶民の間で楽しまれている飲み物です。まだ作られて日も浅く、貴族にまでは広まっておりません。王都広場の屋台などで飲めるのですが、オルドネージュの皇女であられた陛下のお口に合うかどうか。」
「サイラスの民が飲んで美味しいものは、私が飲んでも美味しいと思います。」屋台でしか飲めないなんて、もしかして宰相はお忍びを勧めている?エナはワクワクしてきた。
「市の立つ日によく国王がお忍びで王都アルカスを視察されているので、同行されてはいかがでしょうか。」アマリス伯も宰相の意図を知り、さりげなく勧めた。
いつもならお忍びなぞ言語道断!と叱り飛ばす宰相が、エナとアルディンに街歩きを勧めるのは、宰相なりに国王夫妻の仲を心配しているのだろう。アマリス伯も思いは同じだ。
宰相たちの後ろに控えるミルヤは、エナの後ろに控えるスニシャと視線を合わせ、グッと両手を握りしめた。白い結婚ではなく、本物の夫婦になって欲しい。思いはみんな同じなのだ。
「では午後の陛下の執務の休憩時に、このルシャのお茶をお持ちしてもよろしいかしら?」
善は急げ、じゃないけれど、早くアルディンに会って、市の立つ日に果実酒を味見に行く約束を取り付けたい。そんなエナに、宰相は頷いた。
「承知しました。ルシャの果実茶の爽やかな香りは、きっと国王の疲れも癒やすでしょう。ところで陛下、本日はどのようなご用件でのお呼びでございましょうか。」
すっと本題に入った宰相に、隣りのアマリス伯の背筋も伸びた。
王妃は柔らかい笑みを浮かべたまま口を開いた。
「私はサイラスのことを学びたいと思っています。サイラスの歴史、外交、地理、気候風土、風習・慣習、神話・民話や文学、音楽に舞踊など、サイラスについて学ぶために講師の手配を頼みます。」
一瞬、宰相とアマリス伯はポカンとした。妻を初夜に放置した国王について、愛妾の有無や女性関係などを問いただされると覚悟していたのに。サイラスについて学びたいなど、まさか斜め上のことを言われるとは予想だにしなかった。
「承知いたしました。陛下がサイラスを知ろうとされるお心に感服いたしました。文学や音楽など芸術関係は外部からスペシャリストを招聘します。それ以外の実務に関係する分野に関しては、各大臣たちに進講させましょう。」
宰相の言葉に、エナは目を輝かせた。芸術関係のスペシャリストだけではなく、国政に係わる各大臣に進講させるなど、思いも寄らなかった。サイラスの今を知るには、サイラスを実際に動かす人たちの経験や生の声を聞くのが一番良い。しかもサイラスの廷臣たちと親しくなれる絶好の機会だ。
「歴史は私、外交は外務大臣キリアン公、魔物による被害状況は厚生大臣シエロ侯・・・」宰相が次々と挙げていく大臣の名をアマリス伯がメモしていく。
「そして、サイラスの地理や気候風土については風習も含めて国王陛下に講師を依頼します。」
最後に国王アルディンの名前も挙がって、エナは驚いた。
「国王陛下にも、講義をお願いするのですか?」
「もちろんでございます、陛下。大臣たちとのスケジュール調整は、スニシャと筆頭文官のネイサンにさせましょう。国王とのスケジュール調整は、王都アルカスへのお忍びの日取りと併せて、午後のお茶の時に直接されるとよいでしょう。では、のちほど。」
そうして宰相とアマリス伯は、王妃の応接間を辞した。
「スニシャ、ミルヤ、午後は忙しくなりますよ。」エナは弾んだ声で2人に声をかけた。
「「はい、陛下。」」答える2人の返事も明るく弾んだ。
「陛下、午後から執務室に王后陛下が訪ねて来られます。」エナとの謁見を済ませた宰相が、アルディンの執務室に顔を出して告げた。
書類に目を通していたアルディンは、王妃が執務室に来ると聞いて固まった。
「陛下?」
「・・・ああ。わかった。」
昨夜のことで何か言われるのだろうか。自分でも情けないことはわかっている。だが、王妃が自分に会いに来ると聞いて、顔が赤くなるのが自分でもわかった。左手に書類を持ち、右手でさりげなく口元を押さえ、書類に没頭している風を装う。
王妃が会いに来ると聞いただけで、全く仕事が手につかなくなったアルディンは、口の悪い従兄のネイサンを宰相が引き取ってくれてホッとした。
やがて王妃が側仕えを2人連れて、執務室を訪れた。側仕えの1人は給茶の用意を、もう1人は軽食が入っているらしいバスケットを持っていた。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。執務でお疲れかと思い、お茶を煎れに参りました。」エナが明るく告げたその声に、アルディンはエナが昨夜のことを怒ってはいなさそうだとホッとする。
「ちょうど一息いれようとしていたところだった。ありがとう。」耳を赤くしながら礼を言うアルディンの様子を見て、エナも自分は嫌われてはいないようだと安堵した。
執務室内には、いつもは筆頭文官のネイサンが側机に、他にも大臣や文官たちが入れ替わり立ち替わり報告や承認を求めて来るのに、今日は護衛騎士カロンとアルディンしかいない。
宰相が、口の悪い息子のネイサンを自分の執務部屋に連れていくのと同時に、王城内の全文官・武官に午後の3時から4時の間は国王の執務室への立ち寄り厳禁を命じたからだ。
護衛騎士カロンが、お茶のセットや軽食入りのバスケットの置き場を探していたスニシャたちを、執務室奥の小部屋に案内し、それからスニシャに宰相の執務部屋にすぐに行くように伝えた。王妃への進講の件でスケジュール調整が必要だときいて、スニシャは慌てて宰相の元へ向かった。
お茶の準備はミルヤ1人ですることになり、カロンが少しだけ手伝った。無骨な騎士が慣れない手つきで、繊細なティーカップを怖々とテーブルの上にセッティングするのを、ミルヤは面白そうに見やった。
国王の執務机から立ち上がったアルディンが「昨夜は・・・」すまなかったと謝ろうとした。だがそれより先に、エナがニコッと微笑んで「陛下のお陰でぐっすりと休むことができました。お心遣いに、感謝いたします。」と礼を述べた。
本当にぐっすりと眠ったので、礼の言葉も笑顔も自然に出た。その自然な笑顔と声音にアルディンは救われた思いがした。
「陛下、お茶の用意が調いました。」ちょうどよいタイミングで、ミルヤが声をかけてきた。
「王妃、こちらへ。」アルディンが右手を差しだし、エナを小部屋へと案内した。執務室内のちょっとの移動なのに、案内してくれるアルディンの心遣いがうれしくて、エナは顔が赤らんでしまう。
小部屋の中はルシャの実の爽やかな香りに満ちて、リラックスできる空間に変わっていた。ミルヤはなぜか対面でも隣り合わせでもなく、テーブルの角に直角に2人の席を用意していた。2人分のお茶を煎れ、小部屋の扉を閉めて出ていくミルヤを見送り、エナは大好きなルシャの実の香りを楽しんだ。
アルディンもルシャの爽やかな香りに、緊張がほぐれていくのを感じた。
「陛下、あの・・・」
「お、王妃・・・」
2人同時に話しかけて、慌てて口をつぐむ。そのまま少しの間、沈黙が続いた。しかし、お茶の香りが場の緊張を緩めたのか、アルディンもエナも、意外と居心地の悪さを感じなかった。
「陛下、お茶のおかわりはいかがですか?」
「あ、ああ。頼む。」
沈黙の途中でエナがお茶のおかわりを勧めると、アルディンが慌ててカップを差し出した。エナはクスクス笑って、「陛下、危ないですからカップを下に置いてください。」と言うと、アルディンが慌ててカップを下に戻す。
『陛下ってかわいい方だわ。素直っていうか。』エナは心の中で微笑む。
魔法石で温めたお湯をポットに注ぎ、果実茶を時間をかけて蒸らしていると、薄らいでいたルシャの香りがまた立ち上った。
その香りに背中を押されるように、アルディンが口を開いた。
「王妃、いろいろとその、すまなかった。」
「陛下・・・ 傷つかなかったと言うと、嘘になります。」静かな声でエナも気持ちを吐露した。
だろうな、とアルディンがうつむく。
「私たち、お互いを知るところから始めませんか。陛下、時間をかけていいので、私を知ってください。私も陛下のことをもっと知りたいです。」
「王妃は強いな。僕は・・・王妃に嫌われたと覚悟していた。」
「嫌ったりしません。」その言葉に勇気を出して、アルディンがそっとエナの左手に自分の手を重ねた。
「いつか・・・」
「はい。」
「いつか、必ず理由を話す。だから今は・・・」
エナの左手の上に重ねて置かれたアルディンの手は、温かかった。彼が女性にトラウマがあることは理解した。その傷がまだ癒えていないことも。
今はこうやって、手を触れあうだけでいい。エナだって、クライストンの皇太子によって傷付いた心が癒えるまで、数年かかったのだから。お互いに寄り添い、ゆっくりと本物の夫婦になっていこう。でも女性は妊娠出産にタイムリミットがあるから、ゆっくり急がなきゃ。
そう心に決めると、エナは「はい、陛下。」と明るく答えた。
続けて、王都へのお忍びに同行させて欲しいことや、サイラスについての学びなど、色々なことを話した。
エナが話すこと一つ一つにアルディンは誠実に返事をし、気付いたら部屋の中が少し薄暗くなり初めていた。慌てて小部屋を出ると、ネイサンや宰相の他、数人の文官たちが室内に戻って執務を再開していた。
2,30分程度しか話していないと思っていたが、小一時間以上も話し込んでいたようだ。エナは慌てて、邪魔をしてすまなかったと詫びながら逃げるようにその場を辞した。それを文官や護衛騎士たちが生暖かい目で見送った。
お読みいただいて、ありがとうございます。残業続きでなかなか更新できなくてすみません。もう少しで完結なので、それまでなんとか頑張ります!あと少しだけお付き合いいただけるとうれしいです。よろしくお願いいたします。




