26.エナの思い
サイラスの初夏はオルドネージュよりも暖かい。スニシャは夜明け前に目を覚ますと、暖かい空気にほっとしながらベッドから下りて、大きく伸びをした。身支度を済ませて側仕えの部屋を出ると、すでにミルヤとマリサの2人が薄暗い廊下に控えていた。
王妃となったエナとともに迎賓館からこの後宮に移ってきて、最初の夜明けだ。スニシャたち3人は、国王夫妻の寝所にエドウィナ陛下を迎えにいった。
後宮と王城は別々の宮殿だ。王城の正門から後宮の正門へは、外を通るとかなりの距離がある。それは国王以外の成人男性が入ることを許されない後宮が、王宮の奥に位置しているからだ。
しかし、後宮の王妃の間と王城の王の間は裏で回廊により繋がっていて、回廊を使えば後宮と王城への行き来は簡単だ。国王夫妻の寝所へはこの回廊から渡り廊下を通って入る。
寝所には閨だけではなく、湯殿や居間、小さなダイニングキッチンまで完備されていた。ここは寝所というより離れと呼ぶほうが近い。それもそのはず、もともとはアルディンの曾祖父が曾祖母と夫婦水いらずに過ごすために造らせた離れだった。
スニシャたちが寝所へ到着すると、扉前には国王の護衛騎士の姿はなく、国王がすでに寝所を出たことがわかった。
扉の向こうはシンと静まり、物音ひとつ聞こえない。そこに後宮側の回廊から、アマリス伯爵が女官長のエミルナと後宮侍女2名を伴って現れた。
アマリス伯とエミルナ女官長の姿に、スニシャ、ミルヤ、マリサの3人は頭を下げて迎えた。
「王后陛下はお目覚めですか?」アマリス伯がスニシャに問う。
「私たちも今しがた、こちらに着いたばかりでまだ確かめてはおりません。陛下に急ぎのご用でしょうか?」
「婚姻が正しく行われたか検分する必要があるんです。オルドネージュ側の立ち会いはスニシャにお願いしましょうか。ほかの者たちは湯殿の準備やお着替えなど、王后陛下のお世話をお願いします。」
スニシャの後ろでアマリス伯の言葉を聞いたミルヤは驚いた。閨事の痕跡を臣下に確認されるなんて。国王夫妻も大変だなと同情した。
「では、中にはいりましょう。」エミルナ女官長が寝所の扉を侍女に開けさせ、アマリス伯を先頭に中に入った。閨は居間の左奥に設えてある。その扉の前で、スニシャが中にいるエナに声をかけた。
「陛下、お目覚めでしょうか。」返事はない。
「エドウィナ様、スニシャです。開けてもよろしいですか?」もう1度声をかけたが、やはり返事はなかった。
アマリス伯が女官長に目配せした。2人は、エナがアルディンとの初夜を終えた恥じらいから、返事をしないと推察したのだ。実際、そんな新妻の話は多々あり、決して珍しくはない。
アマリス伯はスニシャに扉を開けるように命じた。恐る恐るスニシャが扉を開け、アマリス伯、エミルナ女官長、スニシャの3人がまず中に入った。
夜は既に明け、朝日が明るく照らす閨の中で3人が見たのは、ちっとも乱れていないベッドでスヤスヤと寝息を立てるエナの姿だった。
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昨夜、アルディンが挙動不審になって閨から出ていった後、しばらくエナは上半身をベッドに横倒しにしたまま起き上がれなかった。
「嫌われた?なぜ?わたし、何かした?」アルディンの後ろ姿が閨の扉の向こうに消えるのを見ながら、とっさに頭に浮かんだ疑問。当然だろう。初夜に夫が妻を放置して立ち去ったのだから。
「何がいけなかったのだろう?」どんなに考えても、国王の気分を害するようなことをした覚えがエナには全くなかった。
婚姻の儀のために大広間に入場した時、アルディンはエナの姿を見て目を瞠った。それから少し顔を赤く染め、すっと視線をそらした。あれが嫌いな異性に対する反応であるはずがない。
エナだって、前髪をキリッと後ろに整えて正装したアルディンの姿を目にした途端、心臓がトクンっと跳ねて頬が熱くなり、彼の顔を正視できなくて視線をそらせたから、同じだと思う。
では、婚姻の儀が終わった直後の大広間で、居並ぶ大勢の貴族たちの前に初めてサイラスの王妃として国王の隣りに立ち、挨拶を受けた時か?あの時、アルディンは自分の隣りに立つように右手を差し出してくれた。オルドネージュでは皇后は皇帝の左側に立つが、サイラスでは王妃は国王の右に立つ。
アルディンはオルドネージュの作法がサイラスと違うことを事前に調べ、エナが作法の違いで戸惑わないように気遣ってくれた。嫌いな女にそんな気遣いを示すとは思えない。
では、テラスで国民たちの祝福を受けた時?それとも、一連の儀が終わり、後宮に渡る回廊の前で「では、のちほど。」と互いに顔を赤らめながらいったん別れた時か?
閨で最後に会話した時のアルディンの様子から、彼は女性との閨は初めてなのかとも思った。だが、一国の健康な国王が、24歳にもなって女性経験がないなんてとても信じられない。
考えれば考えるほど混乱して、答えはでない。
エナは、だから考えることを止めた。アルディンがエナをどう思っていようと、それはアルディンにしかわからない。わからないことをグルグル考えて悩んでも、仕方がない!
今、すべきことは自分がどう思っているかだわ。
エナは、改めて自分がアルディンをどう思っているか、考えてみた。好きか嫌いかと聞かれたら、嫌いじゃない。初めて対面してから、あまり会う機会はなかったけれど、それでも不器用な中に精一杯の優しさと気遣いを見せてくれた。
外見は・・・タイプだわ。薄くそばかすの散った童顔に赤褐色の髪、そしてサイラス王族の象徴である金色の瞳。一目惚れするような美青年ではないけれど、会えば会うほどに好ましい気持ちが募っていく、そんなタイプの顔だと思う。
そしてよく鍛えられていることが、衣服を通してでもわかるしなやかな長躯。あの腕に抱きしめられたら・・・思わずエナは両手で頬を押さえ、ベッドに突っ伏した。
『私の馬鹿、何を考えているの?!あなたは既婚者の紗奈じゃなくて、もうエナなのよ。』自分で自分に突っ込みを入れながら、お酒を飲みながら夜通し恋バナをした学生時代が、懐かしくてたまらなくなった。
ふと、オルドネージュを出る前に母に言われたことを思い出した。国王の婚姻では初夜が完遂したかどうか、翌朝に閨事の痕跡を確認されると。白い結婚を防いだり、王妃が懐妊したのが本当に国王の子であると証明するためらしい。
それを聞いた時、中世ヨーロッパの王族の話を思い出した。ルイ14世の両親は初夜に失敗したとか、チェーザレ・ボルジアの初夜にはフランス王が立ち会ったとか。妙に生々しくて記憶に残っていたのだ。
こちらの世界では、直接見届けるのではなく、翌朝に痕跡を確認されるだけとはいえ、ものすごく恥ずかしい。普通、他人の夫婦のそんな痕跡を確認するか?!いや、王族は普通じゃないのか。自問自答を繰りが返しながら、エナはベッドから下りて、布団やシーツの状態を確認した。
明日は、白い結婚の噂が王宮中を駆け巡るだろう。こういう場合、失敗の責は男性側が負うのだろうか。仕方がない、だって本当にアルディンのせいなんだから。
グルグル考えたり、アルディンのことを思って一人恋バナしたり、自問自答するうちに、気持ちが落ち着いてきた。同時に、眠気も襲ってきた。
寝よう。疲れたわ。エナは腹を決めると、ベッドに上がって布団の中に潜り込んだ。アルディン様・・・ 夫の名前をつぶやき終わるや否や、エナは深い眠りに落ちた。
「あらっ」
「まあ・・・」
「・・・」
アマリス伯たち3人は、ほとんど乱れの見えないベッドですやすやと眠るエナを見て、三者三様の反応を示した。
「陛下。エドウィナ様?朝でございます。」スニシャが布団の上からエナの肩に触れながら、何度か声をかける。しかし、エナはよほど疲れていたのか、ぐっすりと眠っていて起きる気配がない。
「エドウィナ様、おはようございます。朝でございますよ。」何度か声をかけ続けて、やっとエナが反応した。「ん・・・ああ、スニシャ。おはよう」いつもと変わらぬ様子で返事をすると、エナはベッドから起き上がった。
そこに、アマリス伯が躊躇いながら声をかけた。
「王后陛下、おはようございます。よくお眠りになられたようですね。」
「ああ、アマリス。こんな朝早くから、大儀です。」
素直な反応のエナに、アマリス伯がさらりと続けた。「昨夜、国王陛下はこちらにお渡りになられましたか?」
「はい、陛下はお越しになりました。ですが、ゆっくり休めとおっしゃって、すぐに王城に戻られました。おかげで私は、ぐっすり休むことができました。」
エナの答えに明らかにアマリス伯とエルミナ女官長の顔が曇った。これでは褥を改めるまでもないだろう。
アマリス伯はエナの女官長に向ける視線に、初対面だったと気づいて紹介した。
「陛下、こちらは女官長のエミルナにございます。オルドネージュから陛下に付き従ってきた女官たちのサイラスでの処遇についての話もございますゆえ、のちほど改めてご挨拶に伺わせます。まずは朝のお支度を。」
エナは鷹揚にうなずくと、スニシャに手を取られて湯殿に案内される前に、アマリス伯に声をかけた。「のちほどそなたに話があります。宰相どのにも話があるゆえ、調整を。昼前であればうれしい。」
承知したとアマリス伯は頭を下げながら、きゅっと胃が痛むのを感じた。宰相まで呼びつけるとは、昨晩の国王の不首尾について何か言われるのだろうか。当分、胃痛が続きそうだ。
王妃が宰相に話があると言っても、後宮には国王以外の成人男性が足を踏み入れることはできない。そこで、後宮から回廊で繋がった王の間の隣りに王妃専用の応接間が用意された。
王妃が希望した昼前に、宰相とアマリス伯が王妃を訪ねた。てっきり昨晩のことで何か言われると覚悟していたのに、王妃の口から出たのは意外な言葉だった。




