11.カウントダウンが始まった
春月の25日。サイラスの王都アルカスでは、春の陽気に誘われるように、たくさんの人が大通り広場に繰り出した。広場のそこかしこに屋台が並び、お祭りのような賑わいだ。いや、これはもうお祭りなのだろう。広場の中心には時計塔があり、中段にある窓からは15と書かれた垂れ幕が掲げられている。
アルディンは赤褐色の髪を異国風にターバンで巻き、西方の海の彼方から来た東国人風の衣装で変装して王都の様子を視察していた。時計塔の垂れ幕の数字は、皇女が到着する日までのカウントダウンで、明日は14の数字の垂れ幕に変わるという。
国王の元に大国オルドネージュの第一皇女が輿入れするというニュースは、驚きをもって国民たちに受け止められた。
「すごいなあ、オルドネージュのお姫様が来るんだってよ。」
「あの大国のお姫様を迎えるなんて、うちの王様も大したもんだ。」
「皇女さまは今日、オルドネージュを出発したんだって。ほら、あの垂れ幕で到着の日までカウントダウンするらしいわよ。」
通りのあちこちで、垂れ幕の数字の15の意味や、皇女の人となりを想像を交えて語り合う人々。その会話をさりげなく盗み聞きしながら、アルディンは国民が好意的に皇女を迎えようとしているのを感じて安堵した。
王妃は国外からではなく、自国の姫をと望む声がたくさん上がったら困ると危惧していたが、杞憂だったようだ。アルディンの父は王妃を外国から迎えて失敗したので、国民は外国からの王妃を歓迎しないのではないか、と心配していたのだ。
アルディンの母親はチトリアというクライストン帝国の南側にある小さな国の王女だった。当時はまだクライストンもオルドネージュも、小国に毛が生えた程度のちっぽけな国だった。それが互いに大陸の覇者を目指し、領土を広げるために周囲の国々を侵略し、属国化し始めた。
チトリスとサイラスは、サイラスがオルドネージュに、チトリスはクライストンに侵攻されたら援軍を送りあう密約を結び、同盟の証として王女がサイラス王国に嫁いできた。
王妃はキレイな人だったが、性格がとてもきつかった。サイラス王は可愛げのない王妃にすぐに嫌気がさした。それでも後継ぎは作らなければならない。王は義務を果たすためにひと月に1度だけ王妃と閨を共にした。3年後にやっと第一子アルディンを授かると、王は二度と王妃のもとを訪ねることはなかった。
王妃が嫁いでから10年が経った頃、恐れていたことが起きた。クライストンがチトリスに侵攻したのだ。チトリスは王妃の兄に代替わりしていて、兄王から何度もサイラスに援軍の要請がきた。
だが、サイラス国王は動かなかった。王妃を愛していなかったからではなく、同盟を結んだ頃とは世界地図が一変していたからだ。サイラスとチトリスが同盟を結んだ当時、小さな王国に過ぎなかったクライストンは巨大な帝国に変貌しつつあった。援軍を送ったところで焼石に水、ヘタをすれば次はサイラスが攻め込まれる。
王妃は朝晩、国王の元に来ては援軍を出すよう懇願した。だが国王はついに動かず、チトリスは滅んだ。
「女は恐ろしい。自分の思い通りにならないと、癇癪を起こして周囲を傷つける。」アルディンはそっと首元に手をやった。まだ6歳だったアルディンは、生まれた国が滅んで気が狂い始めた母に、渾身の力で首を絞められたことがある。母は同盟を破って援軍を出さなかった王を憎み、その憎い男の子供であるアルディンを憎み、本気でアルディンを殺そうとした。
ある日の昼下がり、カウチでウトウトしていたアルディンは海に落ちる夢を見た。体がどんどん沈んでいき、息ができない。何かが首に巻きつき、海に引きずり込もうとする。苦しい、誰か助けて!!
と、突然「きゃあっ!痛いっ」という悲鳴が耳に飛び込んできた。同時に首の圧迫から解放され、ゴボゴボとせき込んだ。何が起きたかわからず、咳込んで涙目になりながら周囲を見ると、従兄のネイサンが王妃の腕に噛みついてた。
その日、アルディンを驚かそうとコッソリ部屋に忍び込んだネイサンが見たのは、アルディンの首を両手で絞めながら、ブツブツと何かを呟く王妃の姿だった。慌てて王妃の手に飛びつき、アルディンの首から引きはがそうとしたが動かない。まだ少年だったネイサンの力より、王妃の力の方が強かった。
王妃の両手をつねったり爪で引っ搔いて、なんとかアルディンの首から引きはがそう四苦八苦しているうちに、アルディンの顔が赤黒く変色し、ぐったり脱力してしまった。もう猶予はない。とっさに王妃の右腕に噛みついた。ネイサンは歯で王妃の腕の肉を噛みちぎろうとし、王妃が悲鳴を挙げたところで、アルディンの護衛騎士が部屋に飛び込んできた。
国王は王妃によるアルディン殺害未遂を聞いて、面倒なことをしでかしたものだと心の中で舌打ちした。
王妃が生んだアルディンに愛情は感じ無かったが、それでもサイラスの王太子だ。それを殺そうとしたのだから、極刑は必至。だが、同盟を破って援軍を出さなかった国王は、王妃に対して負い目があった。
王妃は極刑は免れたが廃后され、後宮から追放された。元王妃が死ぬまで閉じ込められたのは、王宮の北に建つ朽ちかけた離宮だった。
母は性格がきつく、可愛げがないと父から疎まれた。小国出身の母でさえ、あの気の強さと気位の高さだ。オルドネージュのような大国に生れた皇女は、母よりもっと気位が高くて面倒な生き物に違いない。
24歳の健康な男性として、もちろんアルディンには閨の知識がある。だが、果たして大皇国の皇女を相手にあんなことや、こんなことができるだろうか。正直、皇女を床に組み敷くより、魔物を地面に組み敷く方がよほどワクワクする。
皇女がサイラスに到着するまであと15日。到着した翌日にはサイラスの大教会で婚礼の儀が執り行われ、続いて床入り前の儀で魔導士による王妃の処女チェックがある。
王妃は別に処女でなくても構わない。この床入り前の儀で厳重にチェックされるのは、王妃が処女かどうかではなく、国王以外の男の種を体に宿していないかどうかだ。
オルドネージュがあれほど急いで皇女をサイラスに嫁がせようとしたのは、皇女が妊娠しているからではないか、と外務大臣やネイサンは疑っている。正直、どうでもいい。
アルディンは時計塔の垂れ幕に大きく書かれた15の数字を見上げながら、深いため息を吐いた。




