9.政略結婚の覚悟を決めました
昏睡状態で1年2か月、身体が回復するのに3年、離宮に移ってから更に3年。事故に遭った時は18歳になる直前だった紗奈は、25歳になっていた。リハビリに励んだり、この世界に慣れるために必死だった頃と違い、離宮に移ってからはすることがなかった。生きる目的も気を紛らわすものもなければ、四六時中翔太のことを考えてしまう。
翔太を思い出すのが辛いので、紗奈は考えることを止めた。離宮の庭園や部屋の窓辺で日がな1日ただボーッとするだけの毎日は紗奈の顔を無表情にしていく。スニシャとミルヤは、体が回復したのに紗奈が日々沈んでいく理由がわからず、途方にくれた。
そんな時、紗奈が「私は子供を生んだことがあるかしら。」と聞いた。あまりに久し振りに紗奈の声を聞いて驚いたスニシャが、それを「私は子供を生むことができるかしら」と聞き間違え、そのまま皇后に報告した。
その報告から3週間が過ぎた、晩冬のある日。皇后に呼ばれた紗奈は、スニシャの先導で皇后の居室に向かった。皇后の居室は広くて続き部屋もいくつかある。紗奈が昏睡から覚めてから生れた第四皇女のオフィリアは、母の続き部屋に住んでいる。もうすぐ6歳になるだろうか。
紗奈が皇后の居間に入ると、オフィリアがすぐさま「お姉さま!」と声を上げて駆け寄ってきた。紗奈が表情をゆるめると、「早く早く、お母さまがあっちで待ってるの。リアのケーキもあるの。」と言いながら、紗奈の右手を掴んでテラスの方にぐいぐいと引っ張った。
紗奈を待つようにとお預けをくらったケーキを、食べたくて仕方がないようだ。そのままオフィリアに引っ張られるようにテラスに出ると、皇后がお菓子やケーキが彩りよく並べられたテーブルで紗奈を待っていた。晩冬なのに外のテラスは魔法で外気から遮断され、春のように暖かい。
紗奈がテラスに出てくると、皇后はすぐに立ち上がって紗奈を迎えた。「エドウィナ、また少し痩せたようね。ちゃんと食べてるの?」紗奈の体に腕をまわして愛おしそうに抱きしめながら、皇后が問いかけた。
「はい、お母さま。お気遣いありがとうございます。」紗奈は答えながら、目はオフィリアを追っている。感情を失くして反応が乏しくなった紗奈が、小さい子には表情を緩める様子に、エドウィナはやはり子が欲しいのね、と皇后は得心した。
オフィリアはテーブルの上のケーキに目を奪われて、早く食べたくて仕方がないようだ。「お母さま、早くお席について!お姉さまはここ、リアはここね。」急いで紗奈を席に着かせようとするオフィリアの魂胆が丸わかりで、そのかわいらしさに紗奈は本当に久し振りに微笑んだ。
「オフィリアはどのケーキが好きなの?」「ルシャのケーキ!」「ルシャ?」思わずスニシャの方を見上げた。スニシャは微笑みながら頷く。「エドウィナ様もお好きなルシャの実で作られたケーキございます。」続いてケーキをとり分けようと手を伸ばすのを、紗奈が遮った。
「よい。私がする。オフィリア、この一切れが大きいわ。これにしようか?」「うーん、こっち!こっちの方が大きい。」オフィリアが紗奈が示したのとは反対側の一切れを指さす。それを皿に取りわけて、オフィリアの前に置いた。
「お母さまとお姉さまは?」すぐに食べたいだろうに、皇后と紗奈がまだケーキを選んでいないので、オフィリアも手をつけない。まだ5、6歳だというのに、よくしつけられている。「私はいいわ。エドウィナは?」「わたしはオフィリアが食べたあとでいただきます。オフィリア、先にお食べ。」紗奈が妹の背中をやさしく撫でると、「はい!」と元気に返事をして、オフィリアがケーキを頬張った。
「美味しい?次はどのケーキにする?」甲斐がいしく妹の世話を焼く紗奈に、スニシャは軽い違和感を覚えた。事故に遭う前、エドウィナ皇女は弟妹たちにあまり関心がなかった。姉の代わりに妹や弟の世話を焼きたがったのは、第一皇子のルドウェルだ。
おかげで末っ子のオフィリアは兄のルドウェルにとても懐いている。そして同じくらいエドウィナにも懐いた。スニシャが覚えている限り、エドウィナが小さい子供の世話をしたことはない。なのに事故から目覚めてからの皇女は、別人のように慣れた手つきで小さい弟妹に接した。それがスニシャには不思議でならない。
エドウィナの変化は、皇后もすぐに気づいた。そして、娘は子供を生んで母になりたがっているのだろうと慮った。事故に遭っただけでも辛いのに、婚約まで解消されて・・・。もう結婚なんてしなくてもいい。これからはずっと傍にいて、静かに暮らしてほしいと心から願っていたのに。
スニシャからエドウィナに子供を生めるかどうかを聞かれた(スニシャの誤解だが)と報告を受けて、考えが変わった。子供が生みたいなら、早く嫁がせなければならない。オフィリアの世話を焼く様子を見る限り、エドウィナはいい母親になりそうだわ。
ケーキを食べ終え、久し振りに会った姉にはしゃぎ過ぎたオフィリアは、紗奈に持たれて眠ってしまった。皇后はオフィリアの侍女たちに目配せして下がらせ、次いで人払いをした。
オフィリアが侍女に抱かれてテラスから去っていくのを目で追いながら、紗奈の瞳からはどんどん感情が消えていった。皇后は無表情になった娘の顔を見て、小さくため息をついた。
「エドウィナ。大切な話があります。皇国の第一皇女として、聞いてほしい。」
【皇国の第一皇女として】という言葉に紗奈の肩がピクっと震えた。この世界に来てから、皇室に生れた女性がどのような一生を送るか学んだ紗奈は、とうとうきたかと身構えた。
クライストンの皇太子との婚約は事故で解消されたけれど、紗奈はまだ25歳。エナの体で目覚めて皇女となった以上、政略結婚は避けられないと覚悟していた。
「あなたのおじい様とおばあ様がいる北王国の隣りに、サイラスという王国があるの。そこの国王がまだ独身で、あなたとは同年代らしいわ。サイラスは国の西側が海に面していてね。エドウィナはまだ海を見たことがないでしょう?それにね、・・・」母の話は終わらない。
祖父母の国の隣りの国で、国王が同年代と聞いた紗奈の、この政略結婚の第一印象は【悪くない】だった。
「・・・だからね、王妃としてサイラスに嫁ぐのもいいと思うのよ。海も山も森もある自然が豊かな国らしいし。それにね・・・」さらに皇后が続けようとするのを、紗奈は右手を上げてさえぎった。
「どうしたの、エドウィナ?何か聞きたいことがあるの?」
「わたくし、嫁ぎます。」
「そう言わないで・・・って、ええっ??」
「お母さま、わたくしサイラスに参ります。」
あまりにあっさり紗奈が結婚を承諾したので、皇后は拍子抜けした。
紗奈は紗奈で、エナの体で目覚めてからたくさんの愛で包んでくれたこの世界の両親に。忠義を尽くして世話をしてくれた側仕えたちに。どうせ政略結婚をするなら、オルドネージュ皇国に恩を返したいと思っていた。
「お母さま。わたしがサイラス王妃となることで、オルドネージュにどんなメリットがありますか?」
「・・・」
まさか、ないとは言えない。
サイラスを選んだ理由が、エドウィナと年齢的に釣り合う独身の王族を探したけれど、あなたのお父さまがほとんどの国を滅ぼしちゃって、サイラスの国王しか残ってなかったなんて・・・言えない。
皇后は黙って紗奈を抱きしめた。




