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9:可哀想な妻

もう一度言いますが、夫は自分本位です。

いや……お花畑、か。

 そんなもしやとんでもない価値があるかもしれない小娘……いや、一応の妻宛ての話とは一体……。ギレッドラー伯は懐に手を差し込み、スッとまた出すと手紙を一応の妻に差し出した。表書きはされていないが、直接渡された一応の妻は不思議がる事も無く受け取った。裏にも差出人の名は無いが、封蝋に息を呑んだ。さすがに私でもこの封蝋を間近で見たのは初めてだ。


 王家を表す紋章というものがある。我が国の王家を表す紋章は二頭の鷹の間に王冠があるものだ。他国に寄って紋章は違うからこの紋章を見ただけで我が国の王家の手紙というのが誰しもが解る。

 この紋章とは別に、王族1人1人に与えられる紋章というものもあり、男性の王族は動物が必ず入ったもの。国王陛下ならば鷹と獅子と月桂樹の葉。王太子殿下ならば鷹と狼と楓の葉。第二王子殿下ならば鷹と犬と白樺の葉……といった具合に男性の王族は王家を表す鷹にそれぞれの動物が入った紋章。

 これに対し、女性の王族は花が必ず入ったもの。王妃殿下ならば鷹と百合の花。王太子妃殿下ならば鷹とガーベラの花。第一王女殿下ならば鷹とダリアの花……といった具合に。


 そして、我が妻が手にした封蝋には鷹と百合の花がデザインされている。王家を代表するものでは無い事から、公的な手紙ではなく私的な手紙だと察せられる。つまり我が妻は王妃殿下直々の手紙を貰い受ける事が出来る存在という事になる。何ということだ!

 父上をチラリと見れば父上も封蝋を目にして固まっている。父上、知らなかったんですね。あれか。金を引き出すだけの家として見ていただけか。


「おじさま、内容をご存知?」


「読まないのかい?」


「今、此処で、読むのです?」


 一応の妻が封蝋を確認するとギレッドラー伯に尋ねる。ギレッドラー伯が読まないのか確認すると、一応の妻がゆっくりと尋ね返す。ギレッドラー伯はニヤリと笑った。……えっ、怖い笑みなんだが。


「そうだな。イアンヌの病気について詳しい医者を他国から招くようだ」


 なんと、妻は病気持ちだったのか……。

 それで婚約者も持たずに17歳まで……。

 もしや、私への生意気な口の利き方は、病気に因る心細さの表れかっ⁉︎

 ああ、なんたる事だ……。私は、私という男はっ! 妻となった幼気な可憐な乙女に対して、寂しい思い、心細い思いをさせてしまっていただなんてっ!

 そうか、妻は可哀想な令嬢だったのだな。病気を抱えて婚約者が作れず、実の親に金と引き換えにされて私の元に嫁いできたというのに。私からの愛情を貰えると信じていたのに、その私には恋人がいて見向きもされない……。

 それではあのような生意気な事を言ってしまっても仕方ないではないかっ。

 ああ、きっと寂しい思いで私の関心を惹きたかったのだな。きっと今までは私に見向きもされないことで泣いていたに違いない。


 そうか。

 使用人達は、我が妻の病を知っていたからこそ、味方についたのか……。

 それならば致し方無い。うむ。レスタ達の気持ちも汲んでやろう。


 ああ、それにしても。我が妻は病を抱えてなんて可哀想な乙女だったのか。


 我が妻よ、このカイオスがあなたのその可哀想な境遇を支え、寂しい思いなんてさせないからなっ!


「私の病気……に詳しい、お医者様……」


 こうして見ると我が妻は確かにほっそりとしている。そうか、この細さも病が原因……。我が妻の顔が希望に溢れた輝きを見せている。そうか、病が治るかもしれない、という希望に満ち溢れているのだな!


「そう。だから暫く王宮に泊まるようにって」


「「「王宮に?」」」


 我が妻と父上と私の声が重なる。

 うむ。これは良いことではないだろうか。我が妻と父上と私の心が通っているからこそ、出来るのだから。


「これは王妃殿下直々の命ですから、反対はなされませんよう」


 ギレッドラー伯は何故か父上に言う。父上は悔しそうだったが、逆らえない事も解っているのだろう。頷いた。


「最低限の支度を整えておいで、イアンヌ。このまま連れて来るよう、言いつかっているんだ」


「かしこまりましたわ、おじさま」


 おおっ。なんてことだ。我が妻が私の居ない所に行ってしまうなんて……。私が居ない所ではとても寂しいに違いない。


「ギレッドラー伯、我が妻を1人で行かせるわけにはいきません!」


「は?」


 私が言えば、我が妻が首を傾げる。ああ、安心すると良い。我が妻よ。1人で寂しい思いなどさせやしない。私の愛を疑わなくても良いのだ。不安にならずとも良いよ。


「1人ではないですよ。イアンヌは私が連れて行く」


「ですが、我が妻は病を抱えて心細いと思いますから」


「イアンヌ、そうなのか?」


「いえ、別に」


「我が妻よ、そのように気を張らずとも良い。不安なのであろうに」


 我が妻は不思議そうな顔で私を見てから、少し思案するように首を傾げて。


「でしたら、レーリアを連れて行きたいですわ」


 何故だ! 夫である私が側に居るべきだろう!


「侍女か?」


「ええ、おじさま。侍女長ですの。彼女なら私の病気のことを良く知っていて支えてくれていましたから安心出来ます」


「いいだろう。王妃殿下には私から奏上する」


「よろしくお願いします」


 その挨拶で我が妻は支度に居なくなってしまった。ああ……我が妻よ、私が側に居てあげたかった。


「ところで」


 我が妻が見えなくなった頃合いで、ギレッドラー伯の声音が一段と低くなり、なんだか空気も冷えた気がする。私はゆっくりとギレッドラー伯を見れば、父上と私とを彼は交互に見た。


「な、何か」


 私が応えれば、ギレッドラー伯は貴族そのものの顔付き……つまり支配者の顔付きで、私に言う。


「随分と我が親友の娘であるイアンヌを虚仮にしてくれたようだな?」


 その声音に潜むのは、怒り。私は何故このような感情を向けられているのか分からない。だが、父上は「それは、その」と狼狽え始めた。


「カイオス・バンダリウム侯爵」


 冷たい声で私は呼ばれた事が有っただろうか。「は、はい」と声が裏返ってしまっても仕方ないと思う。


「ネリーという平民女性に子が出来たとか。おめでとう」


 私は、ネリーの名を聞いて、ようやく彼女の存在を思い出す。

 彼女は、私が偶々平民の生活の様子を知るために訪れた下町で出会った。身体は細いというより骨と皮だけのように思えた。髪もパサパサで肌はガサガサ。他の平民達を見てもこれだけ酷い者は男女問わず居なかった。

 私は彼女に声をかけ、事情を尋ねれば。父親を早くに亡くして母親と幼い弟の3人暮らし。母親は2人を育てるために必死に働いたが、疲れてしまったのか倒れた。そこで、ネリーが倒れた母親と幼い弟のために僅かでもいいから稼ごうとしている、と。


 そんな話を聞かされ私は何故だか彼女の姿に胸を打たれた。

 いや、健気さに惹かれた。

 そうだ。小さな頃に迷い込んだ野良の仔犬の震える身体や潤んだ目に、彼女は似ていたのだ。だから私は思った。この()()()()()()を助けてやりたい、と。


 可哀想な少女。

 私が彼女たち家族を支えてあげれば良いのではないか。そう思った私は、そこから度々この家族のためにネリーに会い、お金を渡し、施しは受けたくない、というネリーの気持ちに心打たれて友人付き合いをする事を了承してもらった。それの対価だ、と。

 やがて1年が経つ頃には、ネリーは私が渡した金で良く食べるようになったのか肉付きが良くなり……髪もツヤが出て来た。そして可愛く変化して、ネリーをこうしたのは私、という自負によって、ネリーをもっと可愛くしたい……と考え、そこから恋人へ。平民では結婚する者も多い年齢になったネリーに、直ぐに結婚は出来ないが恋人のままでいて欲しい、と頼み……。


 閨教育で娼館へ行っていた私は、ネリーの最初で最後の男として……それから今日まで、ずっとネリーとは恋人同士だった。

 そうだ。

 そのネリーが懐妊したのだ。

 私とネリーの子。

 それにしても、何故ギレッドラー伯はその事をご存知なのか。


「貴様っ! あの平民とは別れろ! ダメなら愛人にしろ! と言ったのに、まだ続いていたどころか、あの小娘より先に子を作っただとっ⁉︎」


 父上が私の頬を殴る。あ、そうだった。父上には内緒の付き合いだった。一度結婚したい、と言った時にもこうして殴られたのだっけ……。そう思いながら私は倒れ込む。


「あの小娘、と?」


 父上のカッとなった言葉に反応したのはギレッドラー伯。更に怒りが増したのか、空気がまた冷たくなった。父上は「あ、いや、その……」と狼狽えている。


「その暴言については後程、きっちり伺わせて頂きます」


 ギレッドラー伯が無表情で告げたところで、我が妻がレーリアと共に現れた。

 ああ、可憐な我が妻。

 君が正妻でネリーは愛人……いや、子を産んでもらったらネリーとは別れてもいい。その子どもと共に君と新たな生活を送ろう。そのためにも君の病が治るように、私が支えるからね。

 そういった事を我が妻に声を掛けようと思うより早く。


「イアンヌ。支度は済んだかい?」


「ええ、おじさま」


「では、行こうか。……ああ、そうそう。君が作った書類を、我が親友から見せてもらったのだが、中々に面白かったよ」


「まぁおじさま、あれをお父様から見せられたのですの? お恥ずかしいものを見せてしまいまして」


「いいや。とても面白かったよ。その書類、バンダリウム侯爵父子はご存知なのかな?」


「旦那様からの条件ですもの。直ぐに旦那様にお見せして、間違いが無いので署名を頂きましたわ。前侯爵様には見て頂く前に破かれてしまいましたけど」


「ほう、そうか。だが、現バンダリウム侯爵は書類をお持ちなのだな?」


「私も持ってましてよ。お父様のはお父様用ですの。旦那様のはどこにあるのか存じませんわ」


「では、イアンヌ用の書類は私が預かっておこう」


「よろしくお願いします、おじさま」


 書類。

 署名。

 私と我が妻と父上と、妻の父用にある書類……?

 一体、なんの書類だ?

 父上をチラリと見れば、真っ青な顔色でギレッドラー伯と妻を見ている。そんな父上の視線に気付かず、妻はギレッドラー伯に何かを渡した。先の会話通りならば、書類、のはずだ。私の署名入りの。


「では、バンダリウム侯爵、この署名がご自身のものであるかどうか、確認をしてもらおうか」


 ギレッドラー伯に差し出された書類の署名部分だけを確認させられる。ギレッドラー伯の指に誘われるように署名を見て「確かに私の署名です」と頷いてから、ギレッドラー伯の手で隠れていた書類の内容を確認して思い出した。

 我が妻に初夜の時に話したこの結婚に関する条件を羅列した契約書、だったことに。


 私がそれに気付いた時には、書類はギレッドラー伯の懐に収められ、ギレッドラー伯のエスコートを受けて妻とレーリアが去って行った後だった。……マズイ。あの契約書は、あの時の私に有利な条件しか書いていない。つまり逆を言えば、妻の不利になるものばかり……。あれを見れば、妻が虐げられていた、と思われても仕方ない条件ばかりだ。


 私の署名だ、とギレッドラー伯に認めてしまった以上、偽物の書類とも言えない。

 ああ、どうしたらいいのか……。


「この愚か者っ! ああ、お前などに爵位を譲るのは早かったのかもしれん! 契約書の中身は知らんが、どうせ碌なものでは無いだろう。クソっ。ギレッドラー伯の署名確認の時に、偽の署名だと言っておればまだ何とかなったものを……」


 父上にもう一度殴られ、激昂したまま父上は別邸へと戻ってしまった。


 私は、これから、どうなるのだろう。

お読み頂きまして、ありがとうございました。


夫、小娘呼びしていたくせに……って思うでしょうが、自分勝手な男なのです。お花畑思考の上に自分勝手……。手に負えない。


次話は主人公側の視点に戻ります。

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