8:娶りたくなかった妻
今話・次話は旦那視点です。自分本位な旦那の考えなので自分本位が嫌いな方は読み飛ばして下さい。
私はカイオス。バンダリウム侯爵家の当主だ。30歳になる今年まで妻は居ない。いや、妻に迎えたい女性は居るのだが、彼女は平民で父上から散々反対された。彼女は25歳。平民でも少々行き遅れと言われてしまう年齢だが、私が20歳の時に出会ってからずっと恋人関係だから、問題ない。殆ど妻のようなものだ。子どもさえ出来れば、父上も許してくれる……と思って、割と早くから男女の関係になっていたのだが、30歳になる今年まで全く妊娠しなかった。
私に婚約者が出来て結婚する事が決まってしまった、と話したら、妊娠した。
多分、ネリー(事実上の妻の名だ)は妊娠し難い身体なのだろう。だが、やっと妊娠してくれた。しかし、もう私は結婚をしてしまった。かくなる上は結婚した妻と白い結婚を貫き、1年後に離婚してネリーを私の妻として侯爵家へ連れて行く、だろう。それに子が生まれるのが判れば父上も反対などすまい。
そう思ってこの考えを友人達にしたら大反対された。平民が貴族……それも上位貴族の妻など無理だ、とか、結婚する妻を蔑ろにする事を最初から決めているなど有り得ない、とか、散々な事ばかり。誰も私とネリーの真実の愛を祝福してくれないし、賛成してくれない。
だが、妻になった少女(30歳の私からすれば17歳など少女だ)は、あっさりと私の条件を受け入れた。子爵家の娘だから、侯爵である私に逆らう事なんて出来ないのだろう。とはいえ、あまりにもあっさり過ぎていたので、少しくらい彼女の条件も認めてやるか、と言えば、後日契約書を作成された。読んでみても私に有利な条件しか無いので、さっさとサインした。そんなわけで結婚した日からずっと妻には会わなかった。
妻はその実家から、金を引き出すだけの存在だ。
だというのに。
結婚して瞬く間にレスタを含めた使用人達を掌握したらしい。どんな手を使ったんだ。その上領地視察をして、不正を暴いただと? 小娘にそんな事が出来るわけがない。だが、仕事をしている私のところに金を持ってきたレスタがそんな分かり易い嘘を吐くとも思えない。レスタの弱みでも握ったのか? いや、たかが子爵家の娘がレスタのような出来る執事の弱みなど握れるわけが……
ああ、そうか。
解ったぞ。
レスタめ、いや、使用人達め、17歳という小娘の年齢に絆されて、この私が正妻を顧みられるように嘘を吐いて小娘を意識させようという魂胆だな。小娘も私に顧みられるよう使用人達を嘘泣きでもして掌握したか。下位とはいえ、さすが貴族令嬢だな。使用人達の心を掌握する程度のあざとさや浅はかな知恵はついている、か。
全くバンダリウム侯爵家の使用人とも有ろう者が、小娘ごときの浅はかな知恵に乗せられるとは……。だが、このカイオスが騙されるわけがない。とはいえ、使用人達はネリーという私の事実上の妻を平民だ、と貶める。ネリーを妻として認めないのは頂けない。いや、そうか。考えてみればネリーと会うのはいつもネリーの家だ。侯爵家へ連れて行ったことがない。という事は、妻ではなく愛人として見ているだけなのか。ふむ。ネリーが妊娠したわけだし、侯爵家へ連れて行き、妻だと認めさせるか。
いや、だが、たとえ下位といえど貴族の令嬢が妻なのは認めているようだ。父上が持ってきた縁談だしな。それに金をあの小娘の実家が出している。確かに金の出所がそっちならば、ネリーよりも小娘を立てるだろう。だがそうなると、レスタ達使用人全員が、私とネリーの敵という事になる。これは厄介だぞ。
ふうむ。父上にレスタ達使用人が小娘に誑し込まれた、と訴えるか?
いや、そうなると、何故そのような事に、と父上から問い詰められる。いや、そうか。父上はあの小娘の家から金を出させるために縁談を用意してきたわけだから、ネリーの事が判れば私が父上に怒られる、かもしれないな。
それに、もし父上が使用人達が誑かされた事を認めたとして、レスタ達をクビにした場合。あの小娘が去った後、ネリーを妻に迎えた時に侯爵家が回らないのは困る。使用人達を総入れ替えにでもすれば、ネリーへの負担は酷くなるだろう。かと言って誑かされた使用人達がネリーを迎え入れるだろうか。
さすがにバンダリウム侯爵家の家政について全く知らないネリーに、新しい使用人達の教育など難しいはず。おまけにネリーは子を身篭っている。そんなネリーに負担はかけられない。となると、レスタ達が小娘に飽きるまで待つべきかもしれないな。
取り敢えず、仕事をしている事でレスタも私がネリーの元に居る事はあまり口にしない。まだ正常なのだろう。それならば、もう少し様子を見ようではないか。
そう思っていたところで、父上からのお召しだ、とレスタが慌ててやって来た。どうやら王宮から使者が来るらしい。
王宮⁉︎
一体、どういう事だ!
慌てて久しぶりにバンダリウム侯爵家に帰れば父上が見えた。父上とのやりとりでお飾りの妻に用事が有る、という事が分かった。そう言われて半年ぶりくらいに父上の隣に立つ名ばかりの妻を見た。
なんていうか、元々下位とはいえ貴族の令嬢。可愛い顔立ちをしていた、とは記憶しているが、今は知性の見える煌く眼差しと言い、白く柔らかな曲線を描く輝く頬と言い、小ぶりながら通った鼻筋と言い、赤く色づく小さな唇と言い。……とても綺麗なのだ。悔しいことに。
ネリーは、元々美女というわけではなく、可憐では有ったものの、なんていうか認めたくないが、私の金で裕福な平民が食べるような物ばかり口にしていた所為か、この10年程で丸くなった。胸や尻だけでなく全体的に丸く横に増えた。だが、この名ばかりの妻を見ればどうだろう。
まだ17歳という年齢だからか、少々胸は寂しいものの腰は細く腕も細い。指は爪までも艶々としていてほっそりと長い。身体にピッタリなドレスライン……コルセットが更に腰を細く見せているにしても……を見るに、可憐と言うのは、この妻にこそ似合う表現だと思い、思わず「妻……」と呟いた。だが、私がこの名ばかりの妻にちょっとだけグラついていたら、口を開いた妻はとても、とても生意気で。可憐なんて表現は、すぐ様吹っ飛んでいった。
全く、なんだこの可愛げの無い女は。
やはり私の妻はネリーだけだ。
そう、思っていたのだが……。
「イアンヌ! 久しぶりだな!」
王宮からの使者が到着し、エントランスホールで出迎えた相手が……大物だった。何故か王宮で偉い地位にある、第一宰相補佐様が使者で、しかもこの可愛げの無い小娘に気軽に声をかけた。一体どういうことだ⁉︎ 確か、社交界デビューも果たしてない変わり者小娘じゃあなかったのか⁉︎
「えっ。ギレッドラーおじさま⁉︎ おじさまって王宮勤めは聞いておりましたが、ただの文官では有りませんでしたの⁉︎」
小娘が第一宰相補佐様であるギレッドラー伯に驚きの声を上げているが、おじさま呼ばわりだ。父上にどういうことか? と視線を向ければ、父上自身も呆然としている。父上も知らなかった……?
「おおっ、イアンヌには言ってなかったなぁ。私は爵位こそ伯爵だが、代々王宮勤めをしている家柄で、ギレッドラー伯という名前は、今は第一宰相補佐官だなぁ」
「えっ。宰相様の第一補佐⁉︎ おじさま、そんなにお偉い方でしたの?」
「そうなんだよ。結構お偉い人だったんだ」
「だって、おじさま、お父様の所にフラリと遊びに来ているだけでしたのに」
「そりゃあ友人の家にわざわざ第一宰相補佐の肩書き背負って行かんだろ」
何っ⁉︎ 小娘の父親は、ただの金持ち子爵なだけでなく、第一宰相補佐様と友人だと言うのか⁉︎ しかも、この親しげな言い方は、余程の仲だぞ⁉︎ 爵位も地位もギレッドラー伯の方が断然上なのだから、たかが子爵の、しかも令嬢がこんな話し方をしていい相手では……ない。
もしや、この小娘は金だけでなく、それ以外にも価値が……⁉︎
「ぎ、ギレッドラー伯。このような所ではなんですから、どうぞ、サロンの方へ」
あ、父上が“侯爵”だった頃の顔つきに変わった。
「いやいやいや、前バンダリウム侯爵、構わないでくれ。今日はイアンヌに言付けを預かっただけだ」
ギレッドラー伯は父上に“貴族”の微笑みを向けた。小娘とは全く違う。父上は爵位が“侯爵”だったが、その当時でもギレッドラー伯の方が偉かった。何故なら父上は王宮の文官勤めでも地位はそこそこであって、ギレッドラー伯のような高い地位など得た事は無いまま、私に爵位を継がせたから。今は、爵位すら無いから立場は断然ギレッドラー伯の方が上。
私も、王宮勤めの文官では有るが、地位すら与えられていない。つまり、ギレッドラー伯とは王宮で会っても私が挨拶をしようと、ギレッドラー伯は挨拶を返さずとも問題無いくらい歴然とした地位の差がある。
そのような方に気軽に声をかけられる小娘の価値は……。正直なところ、父上より上、にならないだろうか。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
尚、あくまでも自分勝手な夫視点なので、レスタ筆頭に誰もネリーを愛人と見做してはいても、平民だ、と貶めてません。そもそも、レスタ以外、ネリーに会った事がある使用人は居ないし。ただ長い付き合いの恋人というか愛人がいるって使用人達は認識をしているだけです。