3:毎日何とか疲れてます
さて。旦那様と結婚してから1週間。
私はとにかくやれる事を書き出してレスタに渡した。実家では自分の部屋の掃除や廊下の窓拭き。玄関に飾る花を自分で摘んで飾る事もしたし、料理長やメイドと料理もお菓子も作った。ついでに言えばそこそこに裕福だから誘拐未遂もあったので、護身程度に体術と剣術も習い、馬さえ乗れる。無論馬の世話までバッチリだし、何だったら庭師と共に花壇を造る事も菜園という事で野菜を育てるために土作りから出来る。
とにかく、疲れさせて夢も見ないように睡眠が取れるように家族も使用人も皆が知恵を絞ってくれた。勉強は、1度家庭教師と共に本を読めば記憶に残るから直ぐに終わってしまうので、お父様の手伝いで領地経営も覚えた。書類仕事も計算も得意。
客観的に見れば天才的な完璧令嬢。……と噂された事は一度も無い。
それもこれも、私の死にたくなる病と不眠症が原因。何しろ、一旦フラッシュバックが始まると、誰が居ても何処に居ても大声で叫び出してのたうち回る【奇人変人令嬢】が私の通り名だから。領民は子どもから大人まで皆が知っているはずだ。
でも家族はそんな私を見捨てなかった。
急に大声を上げて叫びながらのたうち回る【奇人変人令嬢】なのに、根気よく私のフラッシュバックに付き合ってくれる。
失敗した事を思い出して大声で謝り
失言した事を思い出して大声で謝り
謝るだけじゃ気が済まなくてそこが家だろうと庭だろうと外だろうと蹲り頭を抱え、挙げ句には羞恥に負けてゴロゴロ転がる。そしてその記憶がまた上塗りされて、また同じ事の繰り返し。
悪循環のループもここまでくると喜劇の様相。
そんな私をお父様もお母様もお兄様も弟も呆れ果てて見捨てる事なく、大丈夫だと声をかけ続けてくれた。
いっそのこと、私を見捨てて自室に閉じ込めてもらった方が世間体には良かったはずなのに。
フラッシュバックが治って冷静さを取り戻す度、私を見捨ててくれ、と、閉じ込めて監禁してくれ、と泣いて縋る私を、それでも家族も使用人達も「気にしなくていい」と笑ってくれる。
ここまで私を愛し支えてくれる家族と使用人を置いて、死にたい気持ちに駆られても、行動に移せるわけがない。
「お前は人より記憶が良いだけ」
と、常に無愛想だけど家族を大切にしてくれるお父様。
「あなたは失敗や失言を後悔する気持ちが人より大きいだけよ」
と、優しく穏やかに言うお母様。
「失敗や失言だけの記憶だけじゃなく、きちんと勉強の記憶も楽しい記憶も残っている。寧ろ勉強の内容が1度で覚えられるなんて羨ましいぞ」
と、頭を撫でながら笑うお兄様。
「嫌な記憶だけじゃなくて良い記憶も沢山覚えているのなら、いつだって楽しい記憶を姉様から教えてもらえますね」
と、無邪気な弟。
「お嬢様の病気を代わってあげられませんが、支えることは出来ますよ」
と、励ましてくれる使用人達。
だからこそ私は死にたい気持ちを押し殺して生きる事に必死になる。だから、前バンダリウム当主様が「お前の娘の通り名では結婚相手など見つかるまい。持参金を弾んでくれたら貰ってやる」と丁寧な言葉遣いと上位貴族らしい飾られまくった言葉で結婚を押し付けられた時、一も二もなく頷いた。
こんな私でも家族と使用人達に恩返しが出来るので有れば、と。
そんなわけでアレヨアレヨと婚約をすっ飛ばして結婚したわけだけど、結婚当日の夜に“妻”の務めを果たさなくて良い、と宣った旦那様に歓喜して、1年という短い期間が過ぎれば実家に帰る事も歓喜して、私は好きにさせてもらう事にした。
レスタとレーリアが家事はさせられない、とお断りされたのでそれは受け入れる。たった1年しか居ない妻の我儘をこれだけ受け入れてくれるのだから文句は言わない。旦那様からは、旦那様の名前に傷が付かないならば何をしても良い、と許可を得られたらしい。レスタからの報告だ。
「うーん。じゃあ何をしようか」
悩む私。いつ、フラッシュバックに襲われるか解らないので何処かに出かけるなど出来ない。
「孤児院訪問はいかがでしょう?」
レーリアの提案は嫌じゃないけどフラッシュバックという一点がネック。私のフラッシュバックに纏わるやらかし具合を既に話して有るのに、それは不味くないだろうか。バンダリウム当主様の名前に傷付いたら困るでしょう?
「寧ろ、構いません。奥様はお年から行けば学園に通っている年齢でしょうに学園にも行かず、バンダリウム家に嫁いで下さったというのに」
いやいやいや。レスタよ、何か勘違いしているようだから話すけど、私が学園に通っていないのは【奇人変人令嬢】の噂通りの私を周囲に見せて、ハルファ家の名に傷を付けたくなかったからだよ? 勉強自体は全然問題無いし。
「奥様はそう仰いますが、結婚した妻を放ったらかしなのは許されない行為です! バンダリウム家の当主という自覚が有りません」
うん。レスタ、結構怒っているんだね。私は気にしないけどね。でも、孤児院訪問がオッケーならそうしようかな。
「孤児院訪問がオッケーならそうするわ。万が一のフラッシュバックが起きた時は、私を速攻で馬車に押し込んで頂戴。バンダリウム家の名に傷を付けるわけにはいかない」
ということで、私の病気の話をした次の日……つまり結婚2日目は孤児院を訪問。結婚翌日は侯爵家の庭を走ってた。バンダリウム家の使用人にはレスタとレーリアから話をしてもらったからね。私が走っていても奇異には思ったみたいだけど、誰も何も言わなかった。フラッシュバックはどちらも起きなかった。普段は思い出さないように暗示をかけているからね。その暗示が緩んだ瞬間、フラッシュバックは襲う。
3〜4年前からだいぶ暗示をコントロール出来るようになったおかげで、フラッシュバックするのはだいぶ減ったけれどね。それでも突然やってくる。それがフラッシュバックの怖さだよね。
それから次の日は馬の世話や花壇の整備。ついでに何故か護身を習いたい、という使用人達のお願いを引き受けた。使用人達と護身の勉強をしながら身体を動かしたけれど。実はその夜は寝る前にフラッシュバックが起こった。大声を上げる瞬間、ベッドに伏せる理性だけが有った。実家でもある程度の年齢にいったらこうして隠していたなぁ……と思い出す。
ただ、程なくして隠しながらフラッシュバックに耐えていた事に気付いて家族から叱られたので、直ぐにやめてしまったけれど。
ゴロゴロと転がり叫び続けたけれど、幸いレーリアやレスタや他の誰にも気付かれないまま、いつの間にか夜が明けていた。
翌朝レーリアが私の元を訪れた時には何事も無かったような顔をした。久しぶりに一睡もしなかった。それからその次の日から昨日まで執事であるレスタから相談された事を引き受けた。
「本当に奥様は素晴らしいです。侯爵領の過去10年間の領地収支を見た後でこの地区とあちらの地区はやけに税収の金額が少ない。どういうことか、と瞬く間に問題点を指摘されてしまうのですから」
レスタ自身は気付けなかった事が悔しそうだが。それは執事として、こうした領地経営に関しても本来なら彼は関わっているはずだから、だろう。
ただ先代のバンダリウム侯爵……つまりお義父様はレスタに関わらせなかったようだし、現在の当主……つまり一応の私の旦那様は、領地経営どころか屋敷内の事すら放りっぱなしのようなので、屋敷内の家政は侍女長のレーリアが采配を振るえても、例えば夜会の招待状に対する返信や逆にバンダリウム侯爵家で開催する夜会の準備等もレスタがアレコレとやっていた、らしい。普通は執事が下地を作って当主がそれに色付けをする……的な形で夜会の準備一つ取っても二人三脚なのだが。
まぁそれをやろうにも現当主サマは愛人の元に居るか、一応王宮勤めなので仕事行ってるか、で、元からあまり侯爵邸に帰って来なかったらしい。それでも私と結婚するまでは多少なりと帰って来ていたらしいけど、気紛れで帰って来るから、その際にお願い出来る事をお願いしていたら、領地まで現状を見ていられなかった、と。
あの方、当主である必要があるのでしょうか? あら、いけない。皮肉な事を考えてしまいました。
「本当は前バンダリウム当主か旦那様が気付くべきことだけどね」
レスタからの真っ直ぐな称賛を照れと共に受け入れて私は現在、侯爵家の領地へお忍びで向かうべく、レスタと2人で馬に乗っている。馬車ではないのは、時間短縮とただ乗っているだけではフラッシュバックする可能性を考えたから。
レスタも馬に乗れるそうなので馬にした。徹夜したあの日からはフラッシュバックに襲われていない。誰も気付いてないみたいだから言わない。
ああそれにしても1年こんな調子で大丈夫かな。でも私のためにアレコレ知恵を絞ってくれるレスタ達使用人のために、頑張りたい。だから領地視察も大したことじゃない。そう思っておこう。
お読み頂きまして、ありがとうございました。