15:王太子殿下とお茶会
いつもの如くレーリアと2人でのんびり……と言いたい所ですが、そうはいきません。昨日届いたバンダリウム侯爵様からの手紙の件です。あの直後は取り敢えず見なかった事にして明日考えましょう、とレーリアに言ったんです。だってあのままだったらおじ様が何か怖い事を言い出しそうだったので。
「レーリア、一度帰った方がいいかしら」
「私個人としてもバンダリウム侯爵家の使用人としても、是非お願いします、と発言したい所ですが……奥様は帰りたいですか?」
「帰る、という表現はしたけど、バンダリウム侯爵様に会うのなら帰るというよりは、会うって気持ちなのよね。使用人の皆に会うためなら帰るという表現でもいいのだけど」
「奥様は……やはり旦那様の事を本当に何にも感じてないし、思っておられないのですねぇ」
しみじみとレーリアが言うので、頷いておく。バンダリウム侯爵様に思い入れなど有るわけがない。それにしても……本当にどうしましょうかね。そんな時だった。
「随分と久しぶりだな」
背後からかかった声に振り返る。黒と見間違う程の紺色の髪と寒い日の晴れた青空のような目に、この国では王族しか着る事が許されない高貴な色と言われている金糸の混じった薄紫の上着……。7年という月日で精悍な顔付きになったし背の高さは私の頭より1個分上だったのが2個分は上になってあの頃よりも胸板の厚みを出た逞しい姿に、少しだけ驚いてそれから頭を下げた。
髪の色は国王陛下似。目の色は王妃殿下のもの。彼の他の兄弟は髪の色が王妃殿下似で目の色が国王陛下のものか、両方とも王妃殿下似なので、この組み合わせは彼しかいない。だから直ぐに気付いたけれど、7年前の記憶と変わらない口調もただ懐かしいと思う。
「ご無沙汰してます、王太子殿下」
「ああ、来てやったぞ。私に挨拶すら無いとは薄情だな、アンヌ」
「ですから、私の名前はイアンヌでございますよ、殿下」
初めて会った時から王太子殿下はいつも私を“アンヌ”と呼ぶ。“アン”と呼ぶのがユラだけのように“アンヌ”と呼ぶのは目の前のこの方だけ。
「絶対アンヌの方が良い名だろう」
これも初対面の時から同じ。いつもこの方はこう言ってイアンヌよりアンヌの方が良い、と名前を変えろと無茶を言っていた。こんなやり取りすら懐かしい。
懐かしい、と思える程、会っていなかったわけではあるけれど。この方と初めて会ったのは、フラッシュバックと死にたがりという私の病が発症した事で責任を感じたユラが、こっそりと私の母の母国へと出立する前日だった。ユラと彼とその兄弟は本当の兄弟のように育ったから。王太子殿下にとって弟とも言えるユラが隣国とはいえ他国に渡るから、とお忍びでお別れを言いに来た。その際に私と殿下は知り合った。
そこから何故か私は王太子殿下の妹的立ち位置で10歳まで揶揄われ意地悪されながら、なんだかんだと年に数回お会いしていた。こうして再会して気付いたのだけれど。
「あの頃、ユラが居なくなって不安がる私のために“兄”で居てくださったんですね。私には実際に兄も弟も居たのに」
王太子殿下に笑いかければ、目を僅かに見開いてから目を細めた。そして殿下の背後にいるユラ……殿下の従兄弟を振り返り、それから私をまた見た。
「やはりお前は聡いな、アンヌ。お前には両親も兄弟も居るのに、ジュラストが居なくなる事に不安そうな顔だったからな。全く、血の繋がりもないのに、王太子を兄に出来るなんてお前くらいなものだぞ」
そんな事を言いながら、いつの間にか侍女としての立ち位置に戻っていたレーリアの事をチラッと見て彼女に下がるよう合図を出しながら、私の真正面に座る。ユラは相席せずに王太子殿下の背後に立った。
「ジュラストから話を聞いた。お前の結婚相手は随分と愉快らしいな」
その件が耳に入ってるんですか……。だからレーリアを下げたんですね。話が聞こえる範囲ギリギリでレーリアは下がってますからね。そこまで下げる事でレーリアがバンダリウム侯爵家の使用人である事を知らないフリをして下さっているんですね。お気遣いありがとうございます。
「愉快、と言うのかなんと言うのか……」
「父上がなぁ……。母上から話を聞かされて母上から叱られていた」
「えっ」
「貴族の婚約と婚姻だぞ? 国王陛下の承認が必要だろう。父上はバンダリウム侯爵家の領地経営の悪さを耳にしていてな。アンヌの病を踏まえても、アンヌならば領地を確認してくれるだろうって考えたらしくてな。それで婚約と婚姻を承認したらしい」
「ああ……成る程。陛下は国民思いのお方ですものね」
私とバンダリウム侯爵様との婚約と婚姻には、そんな陛下の思惑も有ったのか、と納得した。だからスムーズに陛下の許可が得られたのだろう。何の証拠も無くバンダリウム侯爵家の領地に乗り込むのは、たとえ陛下の命を受けた誰かといえど難しいものだ。
領主というのは、国からその地を任された者の事を言い、身分的には国王陛下の方が断然上だけれど、領地を守るためならば時として立場は国王陛下と同等にもなる。国王陛下だから、王族だから、と何でも思い通りにはならない。それがこの国の法。故に疑いが有るからといって証拠も無しにバンダリウム侯爵様を簡単にどうこう出来ない。無理やりに行動すれば、国王陛下といえど法の名の下に咎められる。そういう法律。
それを考えれば、確かに病気の件で無駄に記憶力は良いし、お父様直々の教えから数字に強いし、領地経営も学んだし、法律だけでなく色々と気を紛らわすために勉強している私ならば、ある意味ちょうどいいわね……。私の病気もご存知だけど性格もご存知の陛下だから、私が領地経営に目を向けるのは解っていただろうし、目を向ければテコ入れする事も解ってただろう。
「でも、何故陛下が王妃様に叱られるのです?」
陛下の采配は何も間違っていない。
王太子殿下は苦笑して教えて下さった。
「あんなロクデナシの男の元へ、白い結婚だろうと嫁がせるなんて……って物凄いお怒りなんだ、母上」
「あー……」
王妃殿下も国王陛下も、元々その地位に着く予定では無かった方達だ。生まれながらの王族である国王陛下はまだしも、元々は貴族……それも伯爵令嬢だった王妃殿下。王弟殿下の相手ならば身分的に何の問題も無かったけれど、思ってもみなかった事態により王妃の地位に着いてしまった王妃殿下は、それはそれは苦労をされたようで。
だからこそ、母の母国の王妃殿下には助けてもらった事も多い。その王妃殿下の親友である母の姉の事も当然ご存知で、だからこそ必然的に私の母を含めたハルファ子爵家の事もご存知なわけで。おまけに自国の者の事だし。そういった諸々を考えれば、王妃殿下が私の境遇に怒って下さる気持ちは、もったいなくも嬉しい。でも、国王陛下の采配は間違っていないと思いますけどね。
「王妃殿下に、私は領民の力になれて良かったです、とお伝え下さい」
苦笑する王太子殿下に言えば、王太子殿下は「伝えておく」と笑った。それから真剣な顔付きになって。
「それはそれとして、アンヌよ。そなたは夫であるバンダリウム侯に愛情はあるのか?」
「愛情どころか家族としての情も友情すら無いです」
「まぁそうだろうな。そうか。では、白い結婚で離婚を成立させても問題は無いわけだな?」
「有りませんが」
「が? 何か引っかかる事でも?」
「私はバンダリウム侯爵様と夫妻としてやり直す気など毛頭ないですが、バンダリウム侯爵家の後継は気になります。というか領民達とバンダリウム侯爵家に仕える使用人達の行く末でしょうか。私と離婚した後、バンダリウム侯爵様はネリーさんという平民の恋人を妻に迎え入れるつもりだったようですが……。考えずとも、貴族の妻に平民はなれません。他家と養子縁組をして妻に迎え入れるにしても、その手回しをしていないように見受けられたのですよね。となれば、後継の件を考えれば何処かの家と婚姻しなくてはならないでしょう。果たして宛てが有るのか、と」
「そこはアンヌが気に病む事は無い。もう私どころか国王陛下と王妃殿下と宰相の耳に入っている一件だ。アンヌが考える事ですら無いのだよ」
「左様でございますか。……では、後は私がバンダリウム侯爵様にお会いし、決着を付けるだけ、でございますね?」
「ああ。愛人の問題と子の問題は、王家が口を挟む事は出来かねるからな。あくまでも個人的な問題で、言うなれば夫婦の問題になる。だから、それだけはアンヌに頑張ってもらうしかない」
「かしこまりました」
「近々、バンダリウム侯と前侯爵にアンヌが侯爵家に帰る事を王妃殿下直々に手紙に認めてくれるだろう。母上と日程を調整し、疾く決着して此処へ戻って来い。決着が付き次第、アンヌは自分の病の治療に専念せよ」
それで王太子殿下の話は終わり、王宮の侍女が淹れたお茶を飲み、腕の良い料理人が作った美味しいお菓子に感謝しながら、昔のように揶揄われ……ひとときを過ごした後、王太子殿下を見送ってから、ユラとレーリアと再び席に着いて先程の話をきちんとレーリアに話しました。
「奥様……」
「ん?」
「という事は、王妃殿下は奥様の後ろ盾だとバンダリウム侯爵家に突き付けているわけですよね……」
「そういうことになるわね」
要するに、余計な事をすればただじゃ済まない。私の言う事を聞くように、という王妃様の脅し……。でもあの父子はその辺をご理解してくれるのでしょうか。理解、してくれると信じるしかないですね。
そんな事を考えながら日程を調整し、私がバンダリウム侯爵家へ足を踏み入れるのは、5日後の事でした。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話(前後編)で完結します。