12:庇護しなくてはならない妻
私の愛する妻は病持ちだった。
それ故になかなか婚約者も出来なかった、のだろう。
それを哀れんだ父上が妻に手を差し伸べたのに違いない。
ああ、それなのに私は平民の愛人風情ばかりにかまけて愛する妻を大切にして来なかった……。妻には悪いことをしたっ。だというのに妻は健気に私を待ち続けていてくれたのか。こうなれば、一刻も早く我が愛しき妻の元に馳せて病が治るまで側に居てあげなくては……っ。
「レスタよ」
「……はい」
「何故、我が愛しき妻が病持ちだったと言わなかった。まだ17歳という若さで病持ち……。夫である私がいなくて寂しかったに違いないのに」
私がレスタを睨むように言えば、レスタは蔑んだ目を向けてきた。主人に対するものではないぞ!
「何を仰っておられるのか……。奥様のことをお話しようにも“奥様”と言った途端に聞きたくない! と怒鳴って私との会話をやめるお方に、奥様の病気についてどうお話しろ、と?」
「ぐっ」
そ、そそそそれは。
ま、まぁ確かにちょっとは、そういった態度を取っていたかもしれんが……。
「旦那様は一応仕事はして、侯爵として社交も一応こなしておりましたし、領地は……まぁおざなり程度でしたけれども、一応奥様のご実家から借金をされている自覚もあったようでしたので、最低限のことをして下さっているのならそれでいいか、と思いまして、以降旦那様に奥様の話をする事はやめました」
「だがっ。愛しき妻は寂しかっただろうに」
「いいえ、全く、全然、一向に寂しがってなど」
「は?」
そんなわけはない。まだ17歳という若さで私の元にやって来たのだ。彼女の愛する夫である私が居なくて毎日寂しい思いをしていたに違いない。
「そのようなわけがあるかっ。まだ17歳といううら若き乙女が夫が不在で心を痛めていたに違いないっ。ああっ。私としたことがっ。なんて可哀想なことをっ」
「そもそもの話、旦那様は全然全く一向に、奥様と顔も合わせない、話もしない、家に帰って来ない、存在そのものを無視して蔑ろにしていたではございませんか。そんな旦那様のどこに寂しがる要素がある、と?」
「いやっ。健気に私を待っていたに違いない! 私には解る!」
「何を仰っているのやら。それに、何も交流していないので愛情どころか普通の人としてのなんらかの情すら奥様は旦那様に抱いてませんよ。全く無関心です。第一、旦那様にも愛情など抱く要素など無かったでしょうに、どこをどうしたら愛しき妻などという言葉が出てくるんですか」
「レスタ! いくらなんでも言葉が過ぎるぞ!」
「言い過ぎでクビになっても構いません。どこをどうしたって奥様は旦那様に愛情どころか家族としての情も友情すら抱いてない、と断言出来ますね。仮に明日奥様にお会い出来たとして、旦那様が愛してるなどと仰ったなら、奥様は塵を見る目つきで旦那様を見られるか、即刻目の前から消えてくれと仰られるかどちらかだと思われます」
全く、執事のくせに私に対して無礼だぞ。確かに少しばかり交流して来なかったが、これからじゃないか。ああ……愛する妻が、私の居ない事に寂しがっているのが目に浮かぶようだ……。
「愛しき妻よ……」
「だ・ん・な・さ・ま! そこまで奥様に対して仰るのであれば、先ずは仕事と愛人をどうにかして下さいっ。奥様は仕事をしない男はお嫌いのようでしたし、最初から愛人がいるような旦那様を尊敬している素振りは有りませんでしたよ」
全くうるさいやつだな。とはいえ、仕事をしない男が嫌いならば、働こうではないか。仕事が出来る所を見せて妻には惚れ直してもらうとしよう。愛人……ああネリーか。そうか。確かに愛する妻はまだ17歳のうら若き乙女……。男女のアレコレなど知らぬし、結婚に夢を持っていてもおかしくない年頃か。ううむ。しかし……
「ネリーは我が子を身篭っている。簡単に切り捨てられない……。はっ。そうか。ネリーが子を産んだら、私と愛する妻でネリーの子を育てれば良い!」
「何を仰っておられますか。奥様が17歳のうら若き乙女だと旦那様が仰ったのでしょうが。そんな可憐な乙女に、自分の子でもないのに育てろ、と随分酷なことを」
「むっ。酷だと言うか」
「逆にお聞き致しますが、旦那様がもし、他の男の子どもを産んだのだけど育てて欲しい、と言われたらお育て出来ますか」
それはっ……出来ない、な。
「無理だ」
「そういうことでございます」
「しかし、貴族は血を繋がなくてはならない。私の子であるならば自分の腹を痛めた子でなくとも育てるのが貴族の妻というものではないか」
「それはその方が産めない身体であるのでしたら、そういうこともありましょうが。当主の血を確実に……つまり子として、繋ぐ必要はなく、当主の血縁者でも構わないわけですから旦那様の血縁者の中から探せば良いわけです。まぁ愛人に子を産ませてその子を庶子ではなく嫡子として届け出るのがこの国では当たり前ですけども。別に血縁者だってそう出来るわけですからね。必ずしも愛人を持つ必要も無いわけですよね。そもそも、奥様は産める身体・産めない身体以前の問題でしょうに」
ま、まぁ正論ではあるが……。確かに愛人は必ず要るわけでは無いけれども……。
「ん? 愛する妻は産めない身体ではないのか?」
「それは知りませんが、奥様のご病気は産めない身体ではないことだけは確かでございます。というか、閨を共にしていないのに、産める・産めないの判定は付きません」
それはそうだ。私はか弱い妻を初夜から放ったらかしにしていたのだ。……ああ、我が妻よ。済まない事をした。
「取り敢えず、ネリーは我が子を身篭っている。産まれるまでは手を切るわけにはいかない。生まれてから考える。あと、愛する妻に手紙を出すから王宮に届けろ。見舞いに行く。そして病が治り次第、初夜をやり直し、妻と家庭を築くぞ!」
レスタに指示を出せば、レスタは大きくため息をついてから、便箋と封筒と封蝋を準備した。……なんというか、最近のレスタは私のことを随分と軽んじてやしないか? 私は主人だぞ?
まぁいい。今は可愛い愛する妻への手紙だ。
「全く……結婚してからずっと放ったらかしにしておいて、今更家庭を築くだの、交流もせずに過ごしてきて、どこをどうしたら愛しいだの、と仰ることが出来るのか理解しかねますね。おまけに自分だったら他の男の子を育てるなんて出来ない、とか言うくせに、初夜を放ったらかした上に顔も碌に合わせなかったのに、愛人の子を我が子として育てろなんて義務を果たさずに奥様にばかり負担をかけるなんて……全く我が主人ながら情けない方です! その上で奥様の価値がただの子爵令嬢では無かった事を知った時点でいきなり愛する妻とか……どこをどうしたらそんな都合の良い思考になるのやら。大体、この半年以上の間に夫妻で揃っての夜会に招かれていたって奥様をお連れになられた事などなかったくせに。旦那様がご結婚されている事は結婚式に招待された方達はご存知なのに、妻同伴の夜会に奥様をお連れしない時点で、夫婦仲が悪いと思われていることにもお気づきでないのがいっそ、不思議でございますね。大旦那様は、旦那様の子育てを間違えたとしか思えませんねぇ……」
レスタが私に聞こえる声でぶつぶつと独り言を呟いているが、所々否定出来ない部分もある。確かに愛する妻を放ったらかしにしてきてしまったのだから。だが、やはり主人に対して不敬ではないか? 言い過ぎだと思うのだが。
ネリーが我が子を産んだらネリーとの関係を断ち、我が愛する妻と親子3人で家庭を築いていこう。可憐な妻も私ときちんと夫婦になれることを喜ぶに違いない。そして世間では、病弱で可憐な妻と、その妻を支えて妻を大切にする私の姿を見て美しい夫妻だ、と褒め讃えるに違いない。
病気に罹って可哀想な妻は有名になるだろうが、この私が妻を支え慈しみ、そして世間の目から守るのだ。ああ、か弱い妻とその妻を支える私……。もしかしたら演劇の話の元にもなってしまうかもしれない。健気な妻と凛々しい夫なんて題名の演劇などどうだろうか。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
旦那視点書いてると疲れるのは何故だ……。
次話は主人公側の話に戻ります。