11:病の原因
過去になりますが、少し残酷な描写があります。
ちょっと長めです。
「彼は……ジュラスト元殿下」
「ジュラスト……?」
「ええ。覚えていないかしら。悲劇の王子殿下、と言われたこの方を」
私が切り出すとレーリアは目を見開いた。ある程度の年齢の人なら誰もが知っているだろう。悲劇の王子殿下。そう言われたジュラスト元殿下の事を。
「それは、あの前国王陛下と前王妃殿下の間にお生まれになられた王子殿下、で、ございますか?」
「ええ」
レーリアがユラを見た。
彼、ユラは……悲劇の王子殿下と言われるジュラスト。現国王陛下の兄であった、前国王陛下夫妻の間に生まれた第一王子。それが彼の出自だった。
彼は私が3歳までは、間違いなく第一王子だった。当時の彼は5歳。現国王陛下夫妻は王弟殿下夫妻と呼ばれていて、王弟殿下夫妻の間には子どもが2人いらした。その頃はまるで3兄弟のように育ったらしい。彼が4歳の時に、彼の母ーー前王妃殿下が懐妊され、宿下りをされていた。彼の母は隣国……私の母とは違う国の王女殿下というご身分だった。
前王妃殿下は体調を崩されていたので、安定期に入られると直ぐに母国へと旅立ち、母国で静養を兼ねて出産まであちらにいらっしゃる予定だった。無事に第二子をご出産された前王妃殿下を国王陛下は国境までお出迎えされる事になり、当時5歳を迎えた彼共々迎えに行く予定だった。
ところが、彼は前夜から熱を出してしまい。前国王陛下も迷われたようだが、彼の是非、母と妹を迎えに行って欲しい、という言葉に押されて王弟殿下夫妻ーー現国王陛下夫妻に、彼を託して迎えに行かれた。そして、そこで悲劇は起こった。
「ユラのお母様であらせられる前王妃殿下の母国で政変が起こったの。水面下でかなり事が進んでいたらしくて。王族は皆、その首を……」
私はそこで、話を一旦止める。この辺はある程度の年齢の人ならば知っている話だ。チラリとユラを見れば、凪いだ顔で話を聞いている。その表情が私は辛い。
「前王妃殿下も嫁いだとはいえ、かの国の王族。命を狙われた」
そして、前王妃殿下はかの国の刺客に襲われ、息絶え。お生まれになられたばかりの彼の妹君も、お二人をお迎えに行かれた前国王陛下も刺客の手にかかった。一国の王を、王妃を、手にかけた何人もの刺客は、前国王陛下の護衛だった騎士様達が仕留めたが。……前国王陛下夫妻も妹君も助からなかった。護衛だった騎士様達も大半は命を失われ……僅か数名の生き残りの騎士様達によって、王弟殿下ーー現国王陛下夫妻と彼に悲報が届いた。
「本来なら、彼が国王の座に着くのだけど、当時の彼は5歳。しかも王太子の位でも無かった。そこで繋ぎとして王弟殿下ーー現国王陛下が、即位なされた。ここまでは知っているわね?」
「はい」
その後、彼は叔父夫妻と従兄弟達と共に育っていくはずだった。けれど、政変が起きた前王妃殿下の母国は、どうやら新国王の座に着いた男ーーこれが、前王妃殿下の従兄弟で野心を持っていたーーは、自分以外の王族の血が残っている事が気に入らなかったらしく、彼の命も狙った。
「それで、彼は王位継承権も王族も返上して平民になった。同時に彼は気が触れた事にしたのよ」
「気が触れた?」
「両親と妹を失い、自分も命を狙われた事で、おかしな言動を取るようになった」
その最たるものが、女装をして自分を女だと思っている、だった。そんな目眩しがもちろん効くとは思わない。彼の身には、かの国の新国王が許したくない王族の血があるから。
「でも。彼がそういう風になった、ということを利用して彼は女装して刺客の手を逃れる事にしたの。同時に、現王妃殿下が秘密裏に我が家に彼を匿う事を命じられた。現王妃殿下は、王妃の位に急遽着いた事で、色々困った事を私のお母様の母国の王妃殿下に助けられた、と仰って。お母様のお姉様……私の伯母様は、あちらの王妃殿下と親友でね。時期を見て、彼をお母様の母国へ逃すおつもりで、その間、我が家に彼を匿うように、と」
そこまで話して、ようやくレーリアは納得した、と頷く。
「つまり、奥様とこちらさまは、そういった事で幼少からご存知だった、と」
なんえ呼びかければいいか分からないのか、レーリアはユラを“こちらさま”と呼びかけた。
「ええ。その頃、彼は7歳。私は5歳だったわ。もちろん、その時の私はそんな事情なんて知らなくて、彼をただの遊び友達だと思ったの。その時の彼は噂に合わせて女装していたから女の子だと思ってたし」
そう。彼は目眩しで噂通りに女装していた。彼が自分は女になりたい、というのであれば良かった事だろうが、そうではなかったので、女装をしている自分に荒れていた。「こんな格好したくない!」と。彼がそう言っていた事で初めて私は彼が女の子じゃない事を知った。だからといって友達をやめる気はなかったが。何か事情が有るのだろうと思っただけだ。
「それでも彼は女の子の姿をやめなかったのだけど。いつも通り私と彼で下町に行った時の事」
私は領地で伸び伸びと遊んでいたのだけど、子爵令嬢だから護衛と侍女が居た。彼にも王妃殿下がお付けになられた侍女兼護衛が居た。女の子だから侍女兼護衛だったのだろう。下町で平民の子と混じって遊んでいたいつもだったけれど。その日は皆で遊ぶのではなく、子爵領内のお店をあちこち見る予定だった。
ただ、私が少しだけ好奇心で路地に入ってしまった事が運命の分かれ道だった。
「私の護衛と侍女も彼も彼付きの護衛兼侍女も路地に入った私を慌てて追いかけてきたのだけど。一足遅く私は拐われた」
「そう、俺の代わりに、ね」
ずっと喋っていたから、喉が渇いていたのだけど、彼はそれに気付いてお茶を淹れてくれた。一口飲んだタイミングで、続きを彼が喋り出す。
「結局、俺の両親と妹を奪ったあの狂人は俺が生きている事が許せなかった。そして俺がアンの家に匿われている事を突き止め、刺客を送ってきた。その刺客に雇われた破落戸がアンと俺を間違えて拐った」
レーリアはずっと黙って聞いているだけ。でもさすがにそこは息を呑んで、辛うじて悲鳴を上げるのを抑えた。
「そして破落戸に連れて行かれたのが刺客の所で。アンは殺される寸前だった。俺達は直ぐにアンの後を追いかけていたからね。アンの侍女に助けを呼ばせて、アンの護衛と俺と俺の護衛3人で破落戸とアンを追いかけたところで、アンは殺される寸前。アンの護衛と俺の護衛が破落戸と刺客を倒さんと乱闘になった」
「その時に刺客が私を人質にしようとしたのだけど。一足先に私は彼の護衛兼侍女さんに助けられ……そして」
「アンの目の前で彼女は刺客の手にかかって息絶えた。その時に彼女はアンに暗示をかけた」
私は彼の言葉に目を伏せる。
「暗示?」
レーリアの先を促す問いかけに彼が答えた。
「アンに、自分が死ぬのは、アンが好奇心で勝手な行動を取ったから。アンが勝手な行動を取らなければ、俺が危険に遭う事も無かった。自分も死ぬ事は無かった。だから、アンの罪は忘れてはならない。全てを。どんなに小さな事でも失敗は全て覚えている事。それが罰だ、と」
「では、奥様のご病気は……」
「あの時の護衛兼侍女の死ぬ間際の言葉が引き鉄だ。まるで呪いのように彼女の言葉がアンを追い詰めた。……その時の刺客は、アンに暗示をかけた護衛に道連れにされた。アンはあの時の出来事以降、些細な失敗ですら忘れてはいけない、と全てを覚えておく事にした。それがフラッシュバックの原因」
私の家族も使用人達もそれを知っているからこそ、私を見捨てなかった。……そう。私は理解していた。何故、私を彼らは見捨てないのか、を。
「私は私の罪を忘れてはいけないから全ての出来事を覚える事にした」
「その罪の意識がフラッシュバックとしてアンを苛む。その、繰り返し。俺はアンの母親の母国に逃げるまでの1ヶ月の間、アンの暗示をなんとかしようと思った。でも子どもの俺に出来る事はなく。いつか、アンにかけられた暗示による病を治す、と誓ってアンの母親の母国へ逃げた。あの国は俺の家族を奪った狂人がいる国とは国交が無かったから、この国と同じように刺客を送り込むのは容易じゃなかった」
国交が無い国の人間は国境を越える際に国境の警備隊による取り調べが入る。国交の有る国の人間は、簡単な身体検査と入国する理由を聞かれるだけの入国審査なのに対し、少し厳しめだ。
それは、国交が有る事で相手国を信頼している、と見せる事が出来るし、万が一何かあっても国交の有る国に責任を負わせられる。
対して国交の無い国は、何かあっても責任を負わせる事がかなり難しい。向こうとしては、そちらの責任。こちらは無関係という姿勢を取れる。
だから、国交の有る国と無い国への入国審査の対応に差がある。
「その入国審査をやり過ごして入国しても、背景がそれだから自然と監視体制に入ってしまう。そんな中で怪しい行動は取れない。かといって入国審査を受けない、いわば密入国者は、その場で捕まって牢屋行き。刺客なんて目立つ行動は避けたがるから、結果的に国交の無い国での仕事を避けたがる」
そうして彼はようやっとあちらの国で安心して暮らせるようになった。とはいえ、元凶である彼のお母様の従兄弟が生きている限り、完全なる安心は出来ない。……が、悪い事は出来ないというのか、成る程、そういう結末を迎えたのか、という結末を迎えた。
かの国の簒奪者は、自分以外の王族の血を許さない、と血祭りに上げたわけだが、今度は犠牲になった王族を慕う者達の報復を恐れて猜疑心に陥った。
「報復を恐れて王族を慕う者達もまた血祭りに上げようとしたけれど、一応、王位に着きたかった奴は彼らを血祭りに上げてしまえば、国が立ち行かない事も理解していた。自分を国王として認める人間が居ないのも許せなかった。だから血祭りに上げる事をやめた。俺も殺せず臣下達にも命を狙われるかもしれない、と思い……」
猜疑心に陥った簒奪者は、誰彼構わず疑った。毒殺を恐れて毒見役を3人雇い、3人全員が無事だと判断してから食べる。護衛を疑い付ける事はしない。人が背後に立てば即座に斬りかかれるよう帯剣は常。そんな日々を送っていたが、毒味役が変わらないことに油断していた。毒味役はそれだけが仕事だ、と。おそらく毒味役も入れ替わりがあればまた違ったかもしれないが、猜疑心に陥り人を信用しない割に、その辺が杜撰だったのか、それともあまりにも精神に異常をきたしていたからこそだったのか、真相は不明だが、毎日変わらない毒味役達が暗殺者に変わったのである。いや、簒奪者を屠った英雄と言うのか。つまり毒殺ではなく3人によって息の根を止められた。
それが前国王陛下一家を襲った悲劇から10年が経った時のこと。私13歳。彼が15歳の時だった。簒奪者は僅か10年しか王位に居られなかった。いや、10年も国王として君臨していた、と言うべきか。
簒奪者が暗殺された後は、誰を王位に着けるか、と権力者達の思惑が入り乱れたが、彼は早々にお母様の母国の王位継承権も放棄していたため、彼は巻き込まれなかった。結局、彼の遠い親戚が王位に着いた事で、かの国の政変は落ち着いた。
こうして彼は本当に落ち着けたのだ。
「アンの母親の母国に渡った俺は、ずっとアンの暗示を解くために、病気を治すために、色々と研究した。そこでその向こうにある国では、アンのような心の病に詳しい医者が多い事を知って、そちらの国に渡って教師を得て、勉強した。ようやくその教師から一人前の医者として認めてもらったから、叔父上……この国の国王陛下に連絡を取って帰国したんだ」
ぎこちない手つきで私の頭を撫でるユラ。彼は私にくれた約束を守るために、この国に戻って来てくれた。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話は、旦那サマ視点です。