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俺はWeb小説家をやめる  作者: TOBE
54/62

俺は大作家の恋を知らない⑤

 その庭園は西洋風であり、和風でもあった。舶来の植物をわびさびの調和でもって散りばめた風景は、最後の一ピースを中心に据えることにより、完成していた。

 柔らかな日差しの中で、細い指が物語の一片をめくる。


「秘密の花園」


「あら」思わず口にした言葉に彼女は顔をあげ、興味深そうに言った。「秘密の花園を読んだことが?」

「ああ」俺は少し恥ずかしさをおぼえて、鼻の下を擦った。「男子高校生にしちゃ、珍しいよな」


「いいえ、素敵じゃないですか。私も前にここで借りました」


 彼女の言葉に「おや」と思った。貸し出し名簿には恋愛小説ばかり記録されていたが。

「先生に薦められたんです」賀来は懐かしそうに細めた目を、書人館へ向けた。

 俺は時々、自分の想像力をコントロール出来なくなる。得体の知れない力が俺の意思とは関係なしに、過去の幻影を見せるのだ。

 上品に口ヒゲをたくわえた紳士が、本を片手に彼女のいるテーブルまで歩いていく。表情は、ああ……。


「美しい思い出だ」


 背を向けると、賀来が不思議そうに声をかけてくる。


「クズさん?」

「俺は中にいるよ」


 邪魔しちゃ悪い。そう思った。




 日曜日の朝、勉強机の上で、俺は最後の一冊を閉じた。


「面白かったですよ、先生」


 今日が休みをいいことに、の徹夜だった。時計を見るとまだ早い。書人館に行く前に一眠りしようと思い、いや、と思い直した。

 眠れるわけがない。恐らく今日、俺はあの金庫を開けるのだから。

 このまま出るとしよう。ゆっくり歩いて行こう。

 俺は背伸びを一つして、身仕度にとりかかった。

 家を出て、書人館に向かう途中。橋の上で足を止め、川を泳ぐハヤを目で追っていると。


「よぉ」

「藤原さん?」


 数分後、俺はセダンの助手席にいた。

「いいか?」ハンドルを片手に、藤原さんがタバコを掲げて見せる。

「ええ、どうぞ」俺は頷いてから、気まずさに視線を外した。「すみません、俺なんか乗せてもらって」

「なんかって、どういう意味?」火をつけながら、藤原さんがきいてくる。


「いや、なんつーか。藤原さんは俺みたいな素人作家、嫌いでしょ」


「はは、まさか」藤原さんは心底驚いた顔をして「君と同じさ」と言った。


「才能なくって、それでも出版業に携わりたくて、今じゃ書く方じゃなくテコ入れする方にまわってる。それが俺」


「作家を目指してたんですか」そうきくと、彼は未練を断ちきるように深々と煙を吐いた。


「ああ、そうさ。だから仕事上はドライに振る舞っていても、個人的には応援してる。君みたいな若者のこと」


 それからはしばらく、二人とも黙っていた。書人館へ続く多くの景色が後ろへ通り過ぎた頃合いで、藤原さんはようやく口を開いた。


「それに君はそこらの素人作家とは違う気もしているんだ」

「え」

「金庫を開けてくれるんじゃないかって、下心さ。さぁ、ついた!」


 セダンが駐車場に入り、エンジンが止まった。

「で、今日は何を調べるんだい」館に入るなり、藤原さんが期待のこもった口調できいてきた。業界人として純粋な興味があるんだろう。社の売り上げうんぬんではないと、信じたい。


「ええ、また貸し出し名簿を見てみようと。あ、その前に藤原さん。一つ聞いておきたいんですが」

「なんだい」

「俺、星ヶ峯先生の作品、ぜんぶ読んだんですが、彼は本当に『硬派』の評価をうけていたんですか。いや、俺もそう思っていたし、世間一般でもそういうイメージだと知ってはいるんですが」


 俺の問いに対し、藤原さんは「ほう」と、感心したような声をあげた。

 彼の説明によれば、星ヶ峯主はたしかにその生涯の大半を、純粋に推理を楽しむ作品、つまり『硬派』な作品を書くことで過ごした。しかしその実、作品の半分は晩年の短い期間に書かれたものであり、その作風は前半とは明らかに毛色を(たが)えていた。だからなるほど、『硬派』な作風であった期間は長いものの、それは一貫してそうであったとは言い切れないのである。


「およそ五年弱のうちに十冊。これが、ベテラン作家にとってどれほど旺盛な活動であったかは分かるだろう。だから君の言う通り、我々業界人の評価は真逆になっている」

「硬派、失礼な言い方をすれば無機的だったものが、人情かいま見える作風になったと」

「そうさ。君も後半を読んでそう思ったからこんな話をしたのだろう?」


 カウンターに入りながら、藤原さんは昔を思い出すように遠い目をする。「彼は晩年になってようやく、本当の自分を見つけたのかもしれない」


「何がきっかけだと思いますか」

「さぁなあ。歳をとった、と言えばそれまでだし、世間のニーズに応えるうちに変わっていったのかもしれない」

「それもあるかもしれませんね」

「それも?」

「貸し出し名簿を見てみましょう」


 俺は倉庫のドアを開け、中に入った。デスクへ行き、前と同じように引き出しからバインダーを取り出す。パラパラとめくり、とあるページを開いて藤原さんに見せた。


「先生の17番目の作品が刊行されたのはこの年ですよね」

「ああそうだが。何かあるのか」

「この頃の先生は半年に一度は本を出すほどハイペースで執筆に取り組んでいた。となると17番目に取り掛かった時期はちょうどこの辺り……」


 俺はバインダーを手元に戻し、ページの上を指でなぞっていく。すると見つけた。目当ての人物名と目当てのタイトル。探していた変化の「境い目」が、そこにあった。


「見つけましたよ藤原さん。金庫の番号、いま分かりました」

「マジか!?ど、どれ」

「まぁ、慌てずに。せっかくだから裏をとりましょう」

「裏?開くか試してみりゃ分かるんじゃないの」

「ええ、ですが――」


 ――ミステリーのフィナーレは証拠の提示が定番でしょ。

 密室トリックを暴く探偵のように。俺はひとさし指を立ててそう言った。



「おーいモブ男くん、これでいいか」

「ええ、これだけあれば充分ですよ」

「しかしこんなものが証拠に繋がるのかね」


 藤原さんは不審そうに、車で運んできた道具を見ている。書人館の門前に並べられたのは、大量の、白のペンキ缶とハケ。


「まあやってみましょう。それに、やりたいことでもありますし」


 今一度おれが見つめる書人館は、よく見ると所々、白が薄くなってすすけていた。


「あるべき姿で逝かせてやりたいんです」

「そうか」


 藤原さんもそれ以上は何も言わず、何度もくぐったであろう門を、労しげに撫でていた。


「うっし、いっちょうやるか」俺の気合いと共に、作業が始まった。俺はハケにペンキを馴染ませ、黙々と門を塗っていく。


「おい、本当に手伝わなくていいのか」

「むしろ手伝わないでください」

「は~、作家っつーのはやっぱ変わってるねぇ」


 意味が分からない、というように藤原さんが首をひねる。するとそこへ、近所に住んでいるのだろう、二人の少年達がやってきた。


「お兄さん達なにやってんの。ここはもうすぐ壊されるんだよ」


 きたきた。カモがきた。俺は心の中でニヤリと笑い、彼らに向き直る。


「それは分かっているんだけどねぇ。どうしてもやりたくなってねぇ。趣味みたいなもんだしねぇ」

「えー、僕も前にお家の壁を塗れって言われたけど、めんどくさくて逃げちゃったよ」

「そいつはもったいないことをしたね」


 俺は努めて深刻そうな顔を取り繕う。


「大きな物を一色に塗る機会なんてそうそうありゃしないのに。特にこの屋敷を見てみろ。見事に白一色だろう?俺はさっきからそこのおじさんにせがまれても、ちっとも塗らせてやりはしないんだ」


 そこで俺はチラリと藤原さんに目配せする。すると意図を悟った彼は一瞬、吹き出しそうな顔になり、慌てて真顔を作っていった。


「なーいいだろ。俺にもちょっとだけ。そこの角っこだけ塗らせてくれよ」

「やなこった。つってもそろそろしつこいな。分かったじゃあ少しだけ。そこの角っこだけですよ?」


 俺が口を尖らせて言うと、藤原さんは何本かあるハケのうち一つを掴み、白ペンキにひたすと、嬉々とした(てい)で俺とは反対部分の門に駆け寄った。「おほっ」とか、「ふむふむなるほど」とか、わざとらしい歓声が聞こえ始め、俺も吹き出しそうになる。

 しばらく二人でペタペタやっていたが、やがて後ろから「あのさ」と聞こえて、俺達は顔を見合わせた。


(うわ藤原さん、すっげー悪い大人の顔)

(いや君、鏡を見たら同じもんがうつっているぞ)


 心での会話を済ませ、崩れた顔を整えて振り返る。


「なんだよ。まさか塗らせてくれって言うんじゃないだろうな」

「そ、そのぉ」


 少年達はもじもじと言いあぐねている。「用がないなら邪魔するな」と言わんばかりに俺たちが背を向けると、辛抱たまらなくなった彼らは声を揃えて叫んだ。「ちょっとだけ、僕達にもちょっとだけ塗らせて下さいっ」

 俺たちは互いにしか見えない小さなガッツポーズを作った。

 その後、近所の子供たちがやってきては「塗らせてくれ」とせがんだ。ついには通りすがりの塗装屋さんなんかも「手本を見せてやる」と参戦する始末で、ちょっとしたイベントのような有様になった。


「うわぁこれ、どうなってるんですか」


 書人館にわらわら群がり、一心にペンキを塗る人々を見て、あとからやってきた賀来が歓声を上げた。俺はペンキの入ったバケツを片手に彼女の前に立つと「やあ賀来」と、すっとぼけた挨拶をした。


「これ、クズさんが始めたんですか」

「そうだけど、塗らせないぞ?ただでさえみんな塗る場所を取り合ってるんだから」


 澄まして言い終わると、賀来がなんだかお腹をおさえてフルフル震えていることに気づいた。彼女は爆笑を堪えていた。


「分かりましたよ、クズさんの手口。トム・ソーヤでしょう?」

「知ってたか」


 マーク・トウェインの小説、トム・ソーヤの冒険。そのワンシーンで主人公のトムが、今回と同じようなことをやっている。するなと言えばやりたくなる。手伝うなと言えば手伝いたくなる。人間心理を巧みに使い、彼は友人たちにペンキ塗りの仕事を押し付けるのだ。


「昔、先生が私に同じ手口を仕掛けてきましたもの」


 お世話になってるお礼がしたいのだと、賀来が自ら手伝いを買って出ると、先生は「君は引っ掛けがいがないね」と苦笑していたという。それがとても面白くて、よく覚えているのだと、彼女は語った。

 確信を得た俺は小さく頷く。


「そしてペンキ塗りが済むと、先生は賀来に初めて本を薦めた」

「ええ。『トムは僕の分身みたいなものさ。子供の頃から憧れているんだ』そう言って」

「先生にとって、それは告白の代わりだったんだろうね」

「え」


 その日、賀来の表情を見ていた先生は、自分の中にある感情を初めて自覚した。しかしそれは伝えてはならない感情だった。彼はもどかしい思いを小説にこめ始め、探偵が助手に恋心を抱く描写も、ちょうどこのころ、17番目の作品から始まっている。


「トム・ソーヤのヒロイン、ベッキー・サッチャーは賀来、お前だよ」


 彼女の顔が驚きに変わると同時、書人館からお盆を持った多江さんが出てくる。「みなさん、お茶が入りましたよ」

 お盆の上にはたくさんの湯飲みと、山盛りのおはぎが乗っている。

「おほおっ、そいつぁありがたい」職人のおじさんたちを皮切りに、人々が多江さんの周りに集まってくる。


「あっ、私、手伝います」


 賀来はすぐに多江さんのもとへ駆け寄り「お疲れ様です」と言って湯飲みを配り始めた。

 笑顔を向けられた者は疲れなど吹き飛んでしまっただろう。俺は人々の輪から少し離れたところで、過去に先生が抱いた感情を、なぞっていた。




 次の一文を追いかける毎日だった。自分で作り上げた殺人鬼を追いかける人生だった。恋をし、家庭を築き、そういった普通の幸せを追いかける世間一般を尻目に、ただひたすら、血みどろの世界を綴った。

 こんな人間もいるんだろう。数多のトリックを思いつく頭脳の代わりに、自分は恋する心を授からなかったのだ。確信めいたニヒリズム、ナルシズムは、老人と呼ばれる歳になっても消えず、このまま墓場まで続くのだと思われた。

 それが、どうだ。

 初めて彼女を見たとき。陽射しの中で本に向けられた微笑みの、柔らかさを知ったとき。あまり頑丈でない心臓は早鐘を打ち、しなびた全身に血が巡るのを感じた。

 一目ぼれ。後になって考えればそれは明らかに一目ぼれだった。ただ物語の中でうぶな少年たちのほとんどがそうであるように、老人は初めての感覚が何を示すのか分からず、途方にくれた。

 いや実際は違ったかもしれない。直感的に理解したその思いを、認めまいと、無意識のうちに目を反らしたのかもしれない。

 だってそれは罪深いこと。おぞましいこと。孫ほども齢の離れた女性にそんな思いを抱くなんて。

 彼が取れる手段は一つしかなかった。日増しに膨れ上がる思いを小説にしたため、昇華しようとした。しかしああ、なんということだろう。いつしか物語は彼の想いでいっぱいになり、あふれそうになり、人目につけば一瞬で悟られてしまうほど、熱を帯びていき――。


「死を悟った時、先生は自分の想いの結晶、最後の作品を、永遠にここへ封じたというわけか」


 金庫の前で藤原さんが感慨深そうに言う。

 俺は首を振った。


「永遠に、とは決まってないでしょう」

「最後はベッキーに託す、か」


「賀来さん、無理しなくていいのよ」多江さんが苦しそうに言って、藤原さんに顔を向けた。「開けない選択肢もある。あなたもそれでかまわないわよね」


「え。あーまあ、そりゃあ残念ですけどね。最後の作品は契約も交わしていませんし」


 自分にとやかく言う権利はないといいつつも、藤原さんは未練たらたらに頭をかく。

 そして三人の視線が自然と賀来へ集まると、彼女は毅然としてこう言った。


「多江さん、私は嬉しいんです」


 兄はなんと罪深きことを、妹は震えている。賀来はそんな彼女のそばに行き、そっと肩に触れた。


「幼すぎて分からなかったけれど、あの時の感情は、私の方もきっと――」


 多江さんの目が見開かれ、ついで涙が落ち「ありがとう」と、口元を押さえた。

 俺が「トム・ソーヤの冒険」を渡すと、無言の頷きを返し。賀来は背表紙を見ながら一つ一つダイヤルを回していく。そして五つ目の数字が中央に下りた瞬間、カチャリ、待ち焦がれたような軽やかさで、解錠の音が響き渡った。


「おおっ、すごいぞモブ男くん。本当に開いた!」


「本当に開けるのか」小躍りする藤原さんに苦笑しつつ、俺は賀来にもう一度問う。「まだ引き返せるぞ」

「まさか」彼女は笑った。


「この中にあるものは、私の宝物です」


 ああ、また。金庫の扉に手を伸ばす彼女に、俺の目は再び幻を見ていた。

 手を取り合い、洞窟を探検するトムとベッキー。二人のたどり着く場所には間違いない、きっと宝物が眠っている。

 金庫から取り出された原稿の束。一枚目、一行目に書かれたタイトルは「初恋」


「ああ、これは」


 一目みただけで分かった。それは、星ヶ峯主が最後に書いた作品は――。


「恋愛小説です」


 賀来は涙を浮かべ、宝物を抱きしめた。




 賀来と多江さんは相談の上、「初恋」を世に送り出すことを決めた。先生の想いは彼と、彼を知る者だけの秘密にしようかと迷ったらしいが、それでも多くの人に読んで貰うことを選んだのである。

 あなたの想いは恥ずべきことではない。天国にいる彼に、そう伝えたかったのだという。

 俺は大作家の恋を知らない。彼の心境を推し量るには、人生経験と、作家としての経験が足りていない。

 ただ、書籍となった「初恋」を読んで感じたことは、思ったよりもずっと、幸福に満ちているということだ。戸惑いや恐れを差し引いても、いや、それすらも新鮮で心踊らされる日々が、そこには綴られていた。

 自分の想いに向き合っている。その点で、彼は今の俺よりも一歩、前に進んでいたのである。


「そりゃあ君とは条件が違う」


 本を閉じるとその向こうで、老人がニヤリと笑っていた。


「久しぶりだね、モブ・モブ男くん」

「久しぶり?」


 パソコンで俺の小説を読んでいた彼は、勉強机に置いてあったペンでメモ帳に何か書くと、それを破り、紙片を俺に渡す。


「こうして君が僕を想像するように、僕も君を想像していたよ。彼女を導いて金庫を開けてくれる人物をね」


 自分と同じ思考回路を持ち、自分よりも臆病な人物。彼は俺をそう評した。


「羨ましいよ。叱ってやりたいくらいだ。彼女に想いを寄せられて、他の子にも好かれているというのに」


 老人は窓辺に立ち、自分の帰るべき夜空を見上げている。

 メモ書きを読んでみると、そこには「セリフが不自然」「独りよがりの文章」と、ダメだしが書いてあった。

 俺は苦笑しつつ最後にきく。


「恋はいいものですか、何も失いませんか」


 こたえはなく。見ると既に彼は消えていた。俺は手元の「初恋」に視線を戻す。

 作家は文章で語る。それが答えだった。




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