私達は、本物を知る①
インターネットは恐ろしい。狭い狭いPC画面に、顔も知らない人々の声がつまっており、その膨大さたるや、私達が現実世界の日常で接する人数とは、比較にもならない。
そしてそれらは時として一斉に牙を向き、一人の対象を血祭りにあげる。
もしもその対象を経験してしまったらこう思うだろう。自分はみんなと違っていて、世界から見放されてしまった。これだけ多くの人間から敵視されたのだ。きっと現実でも同じに違いない。
近葉くんが壊れてしまった原因。それを上竜さんから聞いたのは、すべてが終わったあとのことだった。
私の初恋が、無惨に破れたあとのことだった。
じゃあこいつを運んじまおう。おう、こっち持てばいいんだな。長机が道具係の男子達に運ばれてゆく。体育倉庫の搬入口付近、搬入待機エリアは絶賛てんやわんや中である。
みんな本当に大変そうなんだけど、私には本当に楽しそうにも見えた。
「坂口くん、私も何か手伝いましょうか」
「賀来さん?あー、気持ちは嬉しいけど」
坂口くんは申し訳なさそうな、迷惑そうな声で言う。するとそこへ「別にいいじゃない」と、紺野くんが来た。
「じっさい猫の手も借りたいくらい忙しいし、賀来さんだって参加したいんでしょ」
「でもなぁ、搬入にも段取りってもんがあるだろ。正直かえって迷惑だったり」
「そんな言い方しなくても」
「だったら紺野、お前のスポットライト勝手に弄られていいの。思ったより繊細な道具だって言ってたじゃん」
「それは……」
ピリピリムードだといつケンカになるか分からない。私は大慌てで手を振った。
「無理だったらいいんですよ。忙しいところすみませんでした」
おう、すまんな賀来。ごめんね賀来さん。二人は辛うじてケンカすることなく搬入作業に戻っていった。
成り行きを見守っていた近葉くんは欠伸をしながら言う。
「ま、今さら脚本組に仕事なんかないって。あとはのんびり観劇と洒落こもうぜ」
「う、うん……」
頷きはしたものの、私はやっぱり不安だった。このまま何もしないで、私という存在はみんなの思い出に残れるだろうか。大人になった未来、同窓会なんかで、私のことは話題にあがるのだろうか。
輪の中に引き返すなら今のうち。近葉くんの言葉を思いだし、私ははっきり自覚する。
やはり私は、みんなに受け入れて欲しいのだ。
「じゃあ本番まで暇ってことで、楽屋を覗いてみましょー!」
「いやだから大人しく座っとこうって」
がー、かったるいなーもー。ブー垂れる近葉くんを引っ張って、搬入口を円型に囲むテントの一つに向かう。本チャンの楽屋は当然、本番直前のクラスしか使えない故のテント楽屋。今じゃ我が高校の風物詩だそうだ。
なんかお祭りみたいでこれもありですね。他愛もない会話を交わしていると、あっという間に演者組のもとへたどり着いた。
やー、ここは道具係よりピリピリしてますね。特に……。
「上竜さん!?」
「ゴゴゴゴゴキゲンヨウ、カクカクカクさん」
ロボットがいた。
ええーっ、なにこれ、いつもの余裕綽々な上竜さんはどこ行っちゃったのー!
「上竜さん落ち着いて下さい、リラーックス」
「ナニナニナニ言ってるのカクカクカクさん。ワタシはキンチョウナンカシテナイカクカク」
「してますよ!し過ぎて私の名前が変な語尾みたいになってますって!」
ちょっとちょっと近葉くん、これなんとかして下さいよ。私がコソコソと頼むと「なんで俺が」近葉くんはそれはもう嫌そうな顔をするので「い、い、か、ら!」私は背中を押して、強引に上竜さんの目の前に立たせる。
「チカハクン」
「あーいや、上竜、そのだな。なんつーか俺、どうすりゃいいんだ?」
「キスシテクレタラナオル」
「あれー、こいつ調子のってねー?本当はぜんぜん緊張してなくね?」
「好きでもない人にキスしてくれだなんて、緊張してない人は言いませんって」私が言うと、近葉くんはなんだか気まずそうに視線を外す。その理由は私には分からないし、あまり時間もないので「ほら早くリラックス出来るようなこと言ってあげて」とせっつく。
近葉くんはしばらくアーウー唸っていたが、やがて意を決したように、上竜さんに向かってズビシと指をさした。
「フハハ、温いぞ上竜。所詮はお嬢様育ちと言ったところかっ」
え、な、なにを。困惑する私の前で妙に芝居がかった近葉くんの台詞は続く。
「それに比べて俺は常に緊張の中にいる。緊張の中にいるゆえ緊張に慣れ、緊張しない。常在戦場とはまさに俺のこと。これは戦うまでもなかったようだなあっ」
「黙れ雑魚助っ、偉そうなことは勝ってからになさいっ。この震えは歓喜の震えよ。あんたの泣きっ面をまた拝めると、この腕が喜びにうち震えているわっ」
じょ、上竜さんまで、なんなんですかこれ。「いざ尋常に」って何を構えてるんですか。
もう何がなんだかパニック状態の私であったが、上竜さんの緊張には効果あったらしく、クスクスと笑っている。彼女はしばらくお腹を抱えて笑っていたが、やがて目もとの涙を拭い、私に向かって言った。
「小説よ」
「えっ」
「近葉くんの小説『お前に一太刀あびせる』に、こういうシーンがあるの」
「はあ……」
「あら、まだ読んでないの、それはいけないわね。あなたも小説を書いてるなら一度読むべきだわ。ちなみに見所は」
「ああーっと上竜、緊張は解れたんだろ、そうなんだろ?じゃあもう俺たち行くから。さ、賀来、行こうぜ」近葉くんが上竜さんの長くなりそうな話を封殺する。普段ろくに挨拶もしない彼は、ポカンと固まるみんなに「ではみなさんお騒がせしましたーっ」とペコペコ頭を下げると、脱兎のごとくその場から退散した。
「あ、待って下さい。それじゃあ上竜さん、みなさん、頑張って下さいね」
私も急いでエールを送り、近葉くんの背中を追った。
「それにしても仲いいんですねぇ」
追いつくなり、ちょっと拗ねた感じをアピールしてみる。自分としては本当に分かるか分からないかのさりげなさを演出したつもりだが、何か近葉くんの心にざわめくものがあったのか、彼の足がピタリと止まった。
「そう、見えるか」
「ええ、見えますけど……違うんですか」
「……」
あの、そんなシリアスな顔でジッと見られると私……。火照ってくる頬の温度をなんとか下げようと頑張っていると「はあ~」っという深い溜息が聞こえた。
「だよなあ」近葉くんはボリボリと頭をかく。
「ほんとなんだったんだよさっきのノリ。あの日から大して日も経ってないっつーのに、いくら劇が成功して貰わないと困るからって、あれじゃあ上竜も期待しちまうよな」
えっ、どういうこと。もしかして二人の間に何かあった?
「ええと、近葉くん?」
「賀来、俺さ、ちゃんとやるから」
いやさっきから近葉くんの言ってること、全部わかりません。
「やる……何をですか」
「前にちょっとした仕事をくれって言っただろ。それが完遂できれば、きっと何もかもうまくいく」
「仕事って、もう私たちにすることなんかないでしょう。いったい何をするつもりなんですか」
「だいじょぶだいじょぶ、悪いようにはしないから」
近葉くんの笑顔を初めて怖いと思った。
彼はちょっとクセがある。上竜さんが前に言っていたことを思い起こすほど、この時の彼の笑顔はボッチらしい、陰湿な印象を含んでいた。
「みんないいの。あの子とまた三年も会えないんだよ。寂しくないの!?」
一年生の中でも断トツの人気を誇る才多光くんは、演技力もなかなかである。
「寂しいわよ。でも仕方ないでしょう。それが、流氷の子供なんだから」
上竜さんは言うまでもない。緊張を解いてくれた近葉くん、本当にグッジョブです。
劇は開始から順調に進み、後半に差し掛かろうとしていた。観客の反応も上々で、声はあげないものの、みな食い入るように舞台を見つめている。
あ、さっき上竜さんの高笑いシーンではすっごい盛り上がっていたけど。調子に乗った観客の一人が「踏んでくれー、女王さま!」と叫び、アドリブの「黙らっしゃい、俗物が!」も大ウケだった。
そんな笑いあり、涙ありを、観客席から少し外れた関係者席で、私も楽しんでいる。楽しんでいる……そう、まるで一般客のように。制作に関わった人間ではないかのように。
この疎外感を、隣に座る近葉くんはどう思っているだろう。さっきからコッソリ伺っている横顔は、劇が始まってから一度も変わることなく、彼はただただ舞台に視線を送っているのみである。
はあ、やっぱり私の我儘なのかな。溜息は心の中で吐いたつもりだけど。まるで見透かすようにそのタイミングで、私の手に何かが触れる。
なんだろう、この紙。渡してきた近葉くんの横顔をもう一度見ると、彼は顔を舞台に向けたまま、小さく口だけを動かした。
「読め」
読め?何か書いてあるの。首を傾げながら、私は眼鏡に紙を近づける。辺りは当然うす暗いので心配だったが、舞台照明のお陰で意外とはっきり読み取ることが出来た。
「こ、これってまさか」
読んだ途端わたしの口から出たのは、息を飲むより喘ぐような声だった。それくらいとんでもない代物だったのだ。近葉くんの書いてきた文章は。
「ちょっとした大仕事だ。勿論やるかやらないかはお前しだいだけど、これだけは言っておく。お前にとって、これはみんなと打ち解ける最後のチャンスだ」
「私しだいって、そんなのっ」
酷い、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。確かに望んだのは私。だから選択するのも私。だけど平気でこんな背中の押し方をするのは、出来るのは、どんな精神構造をしてるんだろう。
どうしてこんな、失敗すれば私の学校生活が木端微塵に吹き飛ぶ方法を、躊躇なく提案してくるんだろう。
今や私の目には、近葉くんの姿が別人に見える。高校入学以来まったく関わることなく、脚本組に抜擢されて、初めて喋った。そして一緒に仕事をするうちに、暗いとか、コミュ障とか、彼の持つイメージは間違っていて、本当は繊細で優しい人なんだって理解した。理解したつもりになっていた。
けど今なら分かる。彼はやっぱり他の人とは違う、ヤバイ人間だったのだ。
「賀来」
彼の顔がこちらを向く。
「劇のラストまであと五分ちょっとだ。それまでに決めろ」
「ヒッ」と悲鳴を上げて後ずさってしまった罪悪感を、私は文章を読み込むことで紛らわす。
近葉くんの提案はとても飲めるものじゃないけれど、もしも万一やるのなら、私はこれを暗記しなくてはならないのだ。




