八重編③
「どうだ?」
「俺はもう少し薄味が好みだ」
そうか。今度はもう少し塩を減らそう。そう考えていると大和がじっとこちらを見ていた。ああ、あれは慌てているな。さっきのは無意識の言葉だったからな。意識しだすと面倒だからいやなのに。
「何を慌てているんだ? 今度はちゃんと薄味にするぞ」
「…………いい、のか?」
「何がだ? これは君のために作ったんだから、君の好みが一番だろう。また食べてくれるか?」
「………………まあ、お前がそこまで言うなら…………」
大方感想を言いすぎたと慌てていたのだろうが、今度はなんだ。
「ああ。君に食べてもらいたい」
彼は料理の才能は皆無だが母親によって日々美味しいものを食べているから味覚は信用できる。他に食べてほしい人もいないのでちょうどいい。
大和はびっくりしたような顔でこちらを見つめてくるもすぐに横を向いた。
「……時間があればな。俺は普段勉強で忙しい」
無意識の行動は優しさを感じられるのに意識するとこうか。その優しさを苦手と感じてしまう自分にはうっとうしいことこの上ない男だ。
彼の妻となる人は大変だな。まずこの男が相手の気持ちに気づくかどうか。自分の気持ちになんてもっと気づかないだろう。可哀想に。
「そうだな、君は医者になるのだったな。まあがんばれ。自分はまだ将来なんて分からん」
さて皿を洗うかとキッチンへ向かおうとすると大和がぽかんと間抜けな顔でこちらを見ていた。
「なんだ、どうした?」
「八重、お前看護師になるんじゃないのか?」
「看護師?」
首を傾げる。いきなりなんだ。疑問に感じている自分を見てなぜか大和は動揺している。
「言っただろう、看護師になるのが夢だと」
「そんなことは言ってないと思うが」
記憶にない。
「3歳のときに言っただろう!」
「……は? おい、どれだけ昔のことなんだ。そんなこと覚えていない。そもそも夢なんてものは変わるだろう」
何を言うかと思ったら。呆れてその場から離れようとするといつの間にか隣に来ていた大和に腕を掴まれた。
「もう離れるな」
「…………」
そんなこと分からない、と言おうとしたのに彼の顔を見て言うのをやめた。
避けていたことがよっぽどトラウマになっていたらしい。あれに関しては完全に自分の都合だったので強く言えない。もし大和に嫌だったと話してもきょとんとされるだけだ。「それくらいで」とか言われたらまた避けたくなる。
しかし職場も一緒だなんて御免こうむる。完全に大和がその気であるほうが驚きだ。
「落ち着け。別に自分が看護師にならなければ離れるということはないだろ。今だって一緒にいるじゃないか」
ぺし、と掴んでくる手を叩けば自由になった。大和は何か言いたそうだったが無視して台所へ進む。
一緒にいるといっても、やはり自分達は異性だ。どちらかに恋人、あるいは配偶者ができればおそらく自然と離れていくだろう。大和の彼女に嫉妬されたくはないし、今はあまり想像できないが自分に恋人ができたら大和と過ごす時間はきっと短くなると思う。料理だってその人のために作るのだろうし。理想などないが将棋や囲碁などができる人ならありがたい。
「…………手伝う」
「やめろ。触るな。皿が割れる」
のっそりと自分の隣に来た大和に早口で言葉を浴びせる。包丁を握れば出血、皿を持てば割る、電子レンジを爆破しレシピ通りに作ってもダークマターになる人間をこの場に近づけさせたくはない。
そもそも彼は医者になるのだから指は大切にすべきだ。そう言えば少しだけ後ずさったが部屋には帰らなかった。
その場に立っているだけ。正直邪魔だったが気を落としている様子なので放っておく。
やはりその背の高さを認識すると縮め、と呪いをかけたくなる。それか寄越せと発言したくなる。他のことは言えば直してくれるがこれだけはどうしようもない。自分が慣れる日は来るのだろうか。
それにしても、彼の恋人は料理ができる人ではなければダメだろうな。医者の妻など大変だ。
「…………一局、いいか」
皿を洗い終えて拭いて仕舞ったところ、ぼそりと告げられた。なんだ、それを言いたくて待っていたのか。了承の返事としてこくりと頷く。避けるのをやめて言いたいことを言い出したら将棋もだんだんと勝ってきた。まだ少し大和のほうが勝率が高いがハンデをつけるほどではない。
「また自分が勝つ」
「む。次は俺が勝つ」
自分の言葉に眉を吊り上げた大和を見てなぜか笑みがこぼれた。
まあ、彼と一緒にいること自体は悪くない。苦手だが嫌いではない。あんなに避けていたときでも、嫌いになったことはなかった。将棋ができる貴重な人材だ。自分が傍にいられるのも後いくらか分からないが、いられる限りはいよう。大和も望んでいるのだからそれでいいはずだ。
次は後日談です。