銀星と黒翼~アクション重視編~
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後書きの下に他の参加作品へのリンクが貼られています。
初めて来てくださった方、本編未読でも内容理解に困りません!
※タイトルを少し変えました。
飛来した氷片を剣の一振りで払い、地面の微かな振動を足裏に感じて右へ跳躍。
次の瞬間、ドンッと彼が先程まで立っていた場所に先の尖った石柱が生えた。
「っ!!」
避けた先にも石柱が乱立する。冷静に両翼を広げて宙へと飛び上がった。
そこへ深緑の蔦の群が大蛇の様に襲いかかる。くるりと宙返りで避けると、蔦の大蛇はそのままの勢いで地面にその頭をめり込ませた。
地面にめり込んだ蔦の大蛇は、パラパラと土片を落としながらゆっくりと頭を上げ、へこんだ地面を前に鎌首をもたげて、麗しき黒翼の青年――シヴァを睨み上げている。
ゆらりとした緩慢な動きの後、蔦の大蛇はまたもや恐ろしい速さでシヴァに向かって突撃してきた。
宙を舞う三日月の様なしなやかさで、ひらりとその圧倒的な質量による攻撃を避けたシヴァは、顔に掛かった長い黒髪を乱暴に払った。
「くそっ、目を覚ませ……ウル!」
翼を広げて宙に浮かぶ彼の藍色の瞳が睨む地上には、頭に金色の蜘蛛の王冠を乗せた、虚ろな瞳の銀星の少年がいた。
――――………
時間は少し遡る。
エルフの王国、緑深きシリエールの緑樹の森の端、王国を守る女王の結界の内側ギリギリのところに二人、エルフではない青年と少年がいた。
気を抜いているように見えて、しっかりと周囲に意識を向けている青年は、この世のどんな宝玉も叶わないであろう美しい瞳をしていた。
日の光に当てられて、群青に、濃紫に、そして藍色に煌めく比類無き至宝。警戒の鋭い色を乗せ、魅力的に輝いている。
風に揺れるポニーテールの長髪は、青白い肌によく映える青みを帯びた黒だ。
そしてその背中に抱かれた黒い黒い翼。彼の名はシヴァ。シリエールに滞在している客人の一人である。
彼は群青の波形の紋様が描かれた金の霊弓テンペスタを片手に、腰のベルトに下がった黒い剣を揺らして歩いていた。
その隣、辺りを警戒して、きょろきょろと銀の星の様な瞳を忙しなく動かす少年がいる。
全体的に華奢な印象で、大きな目と細い首、襟足に触れるほどの長さのふんわりとした薄紫の髪も相まって、彼を知らぬ者が見れば少女と間違いかねない容姿をしていた。
彼はウルーシュラ。シヴァと共に長い戦いに挑む用意をするため、同じくシリエールに滞在している客人だ。
ほっそりとした白い手には紫の柄の長杖がある。精霊である彼の半身、霊杖ウラヌリアスだ。
「どうして僕らなんだろう?」
「森の四方に怪しい動きがあって、王下三弓じゃ一ヶ所分足りないからだろ」
「女王様に信頼されてるってことだから嬉しいけど……緊張するよ」
「何もないといいけどな」
今日の未明、シリエールの森の四方で魔物と思われる影が確認された。
万が一本当に魔物であった場合、女王の結界に包まれたここに接近、又は最悪の場合として侵入するほどの魔物ということになる。と言うわけで腕が確かな者を四方へ派遣することとなったのだ。
まず国の入口である南側には、王下三弓で最も強いとされる咆哮将軍ミレイシア。
西に裂牙将軍レイニール、東にその弟穿爪将軍リンドリスが派遣された。
そして残る北側に客人であるが、かなり腕の立つシヴァと素晴らしい魔法の腕を持つウルが、と言うわけである。
「この辺りだな……何か感じるか?」
「いや、何も。と言うか何で僕に訊くんだ? 君の方が気配には敏感だろう?」
「魔物相手じゃ精霊の感覚の方が鋭いだろうからな。いつもぼんやりしているお前でも、気づけるんじゃないか?」
「僕はそんなにぼんやりしてないぞ!!」
シヴァが肩をすくめて言った言葉にウルは憤慨して反論する。それを喉を低く鳴らす笑いで軽く受け流し、シヴァは歩を進めた。
ふんっと鼻息荒く口先を少し尖らせたウルは、しかし置いていかれては困ると彼を追いかける。
小鳥の囀りが聞こえる森は、いつも通り暖かな日が差してとても穏やかだ。ふわふわとした地霊たちが木々の合間を飛び交っている。
「特に変わったことは無いけどなぁ……」
ウルは辺りを見ながらそう呟いた。
「まあ、無いに越したことはない」
そう答えてシヴァは漆黒の双翼を先まで広げて伸びをした。日の光に照らされて艶々と濡れた様に光る美しい翼を眺めて、ウルは微笑む。
「君の翼は本当に綺麗だ」
「……あのなぁ、お前、突然そういうことを言うのやめろよ」
「え? 僕そんな変なこと言った?」
きょとんと首を傾げた彼にシヴァは溜め息を吐いて首を横に振った。
その時だった。
「……?」
項に視線を感じ、ウルは振り返った。どこを見ても風に緑葉を揺らす木々しか目に入らない。
(気のせいかな……)
相も変わらず穏やかな森である。その時ウルは微かな違和感を覚えた。
「……地霊たちは?」
「ん? どうした、ウル?」
「地霊たちがいないんだ。さっきまで……あれ……?」
ざわり、と嫌なものがウルの背を駆け下りる。本能が告げる危機と不快感。この感覚は。
「シヴァ!!」
「そこだっ!!」
ウルが声を上げると同時にシヴァの手が霊弓テンペスタを引き、瞬く間に青雷の矢が放たれた。
まさに迅雷、と言った速度で宙を駆け抜けた矢が一本の木の葉が生い茂る枝へ突っ込んでいく。
『ギャッ!』
短い濁った悲鳴が上がり、ドサッと枝の狭間から人の頭ほどもある金色の何かが落ちてきた。
シヴァの矢は見事その中心を射抜いており、しばらく突き刺さったままだった青雷の矢はパシッと金色の何かに電気を流して姿を消した。
「何、これ……」
「見たところ蜘蛛だな」
ウルは恐る恐る覗き込んで、その姿が本能に与える不快感に顔をしかめた。反対にシヴァは冷静にそれを観察している。
シヴァが「蜘蛛」と判断したその魔物はひっくり返って腹を見せていた。
金色の甲殻に覆われた八本の脚は、未だピクピクと痙攣しており、それと同様に、口から張り出した二本の鉤型の牙も細かい動きを繰り返している。
落下の衝撃で幾つかが飛び出して潰れている八個の目は紅玉の様で、ギザギザと規則的に突起が並ぶ背中(シヴァがわざわざ抜いた剣でひっくり返した)も相まって、酷く下品な王冠の様だった。
「気持ち悪い」
「そうだな。だが、多分これは目撃された魔物じゃない」
「え?」
シヴァが藍色の目を細めて放った言葉にウルは目を丸くして動きを止めた。
「弱すぎる。この程度じゃ自力で結界を越えられはしないだろう」
「そう言えばここ結界の内側だもんね……じゃあ、これを操ってる強い魔物がいるってことだよね?」
ウルは霊杖ウラヌリアスを握る手に力を込め、辺りに目を向ける。地霊たちは未だ戻ってきていない。つまり、ここにはまだ危険があると言うことで……
「っ、炎よ!」
低木の茂みからカサカサと金色の蜘蛛がこちらへ向かってきているのに気づいたウルは、そちらへウラヌリアスの頭を向けて力ある言葉を放った。
言葉に込められた魔力が宙を駆け、途中から紅蓮の炎に姿を変えて蜘蛛に襲いかかる。
『グギギッ!!』
精霊の炎は魔物を焼き尽くす。蜘蛛はその甲殻の一部すら残さず消えた。
「やるな」
「ほらね、僕はぼんやりしてないって言っただろう」
「くくっ、まだ引きずってたのかよ」
「笑うなよっ、ほら、まだ来てる!」
「知ってるさ!!」
答えると同時に振り返る。そのまま勢いをつけた黒い剣を縦に一閃。シヴァに飛びかかろうとしていた蜘蛛は空中で真っ二つになり、飛んできた勢いのままに二つに分かれた身体はシヴァの両側を抜けて地面に転がった。
重たい音と、少し湿った音がしてウルは顔をしかめつつ、自分の方へ向かってきた蜘蛛を片付け始める。
炎を走らせ、水流で巻き上げる。その水流にシヴァが矢を打ち込み、蜘蛛を一網打尽にした。
魔法を使い続けているうちに、ウルはいちいち力ある言葉を放つのが面倒になってきた。
言葉を放たなくとも、この程度の攻撃魔法ならば威力はあまり変わらない。
(よし)
目と手とで魔法を操ることに決めた。ウルの魔法を行使する速度が格段に上がり、剣と弓を使い分けて戦っていたシヴァがぎょっとして振り返る。
「最初からそうしろよ……」
「礼儀として力ある言葉を放つように教えられたの!」
「何だそりゃ……」
礼儀や行儀に煩い兄姉たちの教育の賜物である。
しかし実戦ではこちらの方が圧倒的に有利だ。何を放つか、どの程度の魔法を発動するか、敵に悟られることがない。
「それにしてもっ、多い、なっ!!」
「息が切れてるぜ。休憩するか?」
「馬鹿にするなよ、僕はまだやれる!」
金色の蜘蛛は次から次へと湧いてきた。ウルは短く息を吐き、魔法を放ち続ける。
シヴァは息を少しも乱していない。鮮やかな剣捌き、体捌きは流石としか言い様がなかった。
その時だった。
「「っ?!」」
突如として背後に現れた強大な気配に、ウルは振り返る。そこでは彼が背を預けていたシヴァが動きを止めており、全身を緊張させた彼の視線の先に新手がいた。
黒々とした全身鎧の両肩に、禍々しい金色の蜘蛛を乗せている。明らかに蜘蛛より強力な魔物、蜘蛛を操っている存在だ。
黒鎧の魔物が放つ気味の悪い魔力が、それの足元の芝を枯らしている。
この強大で不気味な気配の主だ、とウルが身震いした直後、彼の背後で芝を蹴る微かな音がした。
「あっ……」
まずい、と慌てて張った透明な魔力の防御壁は黒鎧の魔物が腕をサッと振ったことによって破壊された。
普段のウルならば、こうも易々と破壊されることはなかったろう。黒鎧の魔物の強大な気配に気を取られたのがいけなかった。
蜘蛛の気配が霞み、それに気づいてから慌てて張った防御壁は酷く脆かった。
砕かれた防御壁の欠片が魔力粒子となって消えていく。ウルが発した短い声に気付いたシヴァが振り返る。
それと同時に金色の蜘蛛がウルの頭にしがみついた。その重さに首が痛む。
「何をっ……」
「ウル!!」
蜘蛛のギラギラ光る前脚が二本、浅く、しかしザクッと派手な音を立ててウルの左右のこめかみに刺さった。
(シヴァ……!)
――――殺セ――――
響き渡ったのは、金属板を引っ掻く様な不愉快な命令の声だった。
ガクンと下がったウルの頭がゆるゆると持ち上がる。金色の蜘蛛は下品な王冠のごとくウルの頭の上に鎮座していた。
ふっと自分を見た銀星の瞳に、シヴァは一歩後ずさる。まずいことになったと彼はすぐに理解した。
ウルの瞳に常に煌めいている星の輝きは無かった。それは底無しの虚、灰色の目には不気味に渦を巻く曖昧さと明確な殺意がある。
霊杖ウラヌリアスを握った手がスッと持ち上がった。ふわりと舞う薄紫の魔力粒子には黒いものが混じっている。
次の瞬間ウルの背後に、大量の水晶の剣の様な氷片の群が現れた。その向こうから黒鎧の魔物がシヴァを見ている。
それと同時に緑蔦の大蛇が地面を突き破って現れた。
(ウルの意識を乗っ取りやがった。これが狙いかよっ!!)
ウルが左腕を伸ばし、バッと手をシヴァに向けて開いた。それを合図として氷片の群が風を切って襲いかかってくる。
舌打ちをしてそれを避け、避けきれないものは剣で払い落とした。
大蛇の来襲、宙返りで避け、その先で地面が乱暴に隆起する。
「ちっ……」
氷片が頭をかすった。反射で頭を少し下げたために、鋭い刃の様なそれはシヴァの髪数本と髪紐を裂いて通り過ぎていく。
はらり、と艶のある黒の長髪が解けて流れ落ちる。それを手で乱暴に払い、シヴァは地面を蹴った。両翼に力を込め、勢いよく飛び上がる。
森の木々より高く飛び上がったシヴァを虚ろな目で見上げ、ウルはウラヌリアスを一振りした。
一瞬の間を置いて溢れ出した紅蓮の炎の竜が、身をくねらせて昇ってくる。シヴァは竜に突撃するようにして降下し、その熱い鼻先に近づいたところでくるりと身を翻した。
巻き上げるような熱風の螺旋を翔降りていき、目指すのはウルの後ろでこの馬鹿げた戦いを眺めている黒鎧の魔物だ。
「おらぁぁぁっ!!」
振り上げた黒剣。風を切る音がその刃と同じ様に鋭く鳴る。黒い両翼を力強く羽ばたかせ、シヴァは黒鎧の魔物に肉薄した。
嗤った、と感じた。全身鎧の冑の後ろには黒々とした闇が満ちているだけで、表情など見えようはずもないのに。
「なっ?!」
指先まで鉄甲に覆われた魔物の手がくいっと何かを引き寄せる仕草をした直後、蜘蛛の糸に引かれる様にしてウルがシヴァと魔物の間に飛び込んできた。
焦ったシヴァは振り下ろしかけだった剣を慌てて引き、翼を広げて降下の勢いを殺す。
しかし首を切り落とすつもりでの降下の勢いがそれだけで止まるはずもなく。
「ちっ……!」
ウルの手にあるウラヌリアスの頭の紅玉に手を付き、ぐっと力を込めてそこを基点に身体を縦回転させる。
その勢いで彼は黒鎧の魔物の後ろに回り込むことができた。
(今度こそ……っ?!)
何かがシヴァを後ろからがっしりと掴んだ。両肩と腰にめり込む感触からして、恐ろしく太い植物に違いない。
ふわりと視界の端に黒の混じった薄紫の魔力粒子が舞う。ウルが魔法を使ったことの証左。
そう悟った時には、シヴァは黒鎧の魔物から引き離され、背後の森へと投げ飛ばされていた。
一瞬で状況を理解した頭。まずい、と身体に緊張が走る。
広げた翼では勢いを殺しきれず、彼はそのまま一本の木に背中から突っ込んだ。
「がはっ……」
肺の空気が無理矢理に吐き出され、一時呼吸が困難になる。背中の痛みよりも主張が激しいのは左の翼の骨が複雑に折れた痛みだろう。
「げほっ、ごほっ……っはぁ、厄介だな……」
シヴァを捕らえて放り投げたのは、ウルの魔法が生み出した蔦の群で作られた大蛇であった。
ゆらりと鎌首をもたげた大蛇の向こうでウルが虚ろな灰色の目をしてシヴァを見ている。
その後ろには黒鎧の魔物。満足げにウルの肩に手を置き、明らかにシヴァを嗤っていた。
(……ウルを、何とかするしかないな)
シヴァは痛みに呻きつつ立ち上がる。ウルを見据えたまま左手で腰のポーチを探ると、良いものが指先に触れた。
(よし)
それを手の中に隠すようにして取り出すと、シヴァは黒い剣を握り直して構える。
「ウル、悪いな。少し、怪我させる」
その言葉の後、彼はダンッと地を蹴ってウルに突撃した。
途端襲いかかってくる緑蔦の大蛇。身を翻し、その巨躯を支えるのに必要そうな部位を見極めて通り過ぎざまに鋭い斬撃を入れていく。
それに気づかなかったのか、ウルは大蛇を操るようにウラヌリアスを振った。それに従おうと動く大蛇。
直後、ぐらりとその巨躯が傾ぐ。
「ふっ……!」
左の翼が折れてしまったので脚力だけで跳び上がり、倒れかけている緑蔦の大蛇に乗り、その上を駆ける。
大蛇が倒れてくるのを見上げたウルは、同じくそれに気づいて地面を滑るように移動する黒鎧の魔物が命令を出さないのか呆然と立ち竦んでいた。
(狙い通り。みっともねぇな、ウルの背後で逃げ回りやがって)
シヴァは剣を鞘に納め、倒れゆく大蛇の上から手の中の物をその端をしっかりと握り締めてウルへ向けて放った。
ひゅるり、と飛んだのは銀色の細い縄である。エルフ特製、投手の意を酌んで動いてくれる優れものだ。
銀の細縄は立ち竦んでいるウルをぐるりと三周、次の瞬間にはその身体をギリッと締め上げてシヴァが引き上げるのに丁度良い具合になる。
「……ぐっ、お前っ、意外と重いなっ!!」
文句を言いながら、シヴァは細縄を両手でしっかり握り、一本釣りの様な形でウルを宙へと浮かばせた。
そのままシヴァは大蛇が倒れると同時に地面へ飛び降り、一瞬遅れてウルが地面にドサッと落下する。彼の手から離れたウラヌリアスがふわりと薄紫の魔力粒子の塊になって消えた。
(腕の骨くらいは許せよ)
ウルは伏したまま呻いているので、しばらくは害は無いと判断し、シヴァは黒鎧の魔物に目を向けた。
そこへ金色の蜘蛛が飛び込んでくる。苛立ちをぶつけるようにして蜘蛛を切り払うと、今度は黒鎧の魔物が迫ってきた。
その手には赤黒い歪な長剣があり、ブォンと低い音を立てて振り下ろされる。シヴァはそれを黒剣を傾けて受け流し、地面にめり込んだ長剣の先を軽く踏んで跳躍した。
しかし、そこで思いもよらないことが起こった。黒鎧の魔物の両肩に乗っている金色の蜘蛛はてっきり飾りだと思っていたのに、それがキシャーと動いてシヴァに飛びかかってきたのである。
「なっ、ぐっ……!」
肩に取り付いて、頭に上ってこようとする二つの蜘蛛を、地面にしっかり着地せず転がることで振り落とし、シヴァは顔を上げた。
そこへ、赤黒い長剣の切っ先が迫っていた。
――――………
(どうしよう、何も見えないし何も聞こえないよ……)
そんな暗闇でウルの意識は立ち竦んでいた。身体が動いている漠然とした感覚はあるのだが、それは明らかに自分の意思ではない。
頭に乗った金色の蜘蛛に刺されてすぐこうなったので、恐らく操られているんだろうと推測する。
(多分、シヴァと戦わされてるんだよな)
自分が相手ではシヴァは下手な手を打てずに苦戦するだろうと考え、そこで「うーん」と首を傾げた。
(……どこかの骨を一、二本くらい折られそうだな)
うん、絶対そうだとウルは頷く。死なないようにはしてくれるとは思うが。
(どうにか意識を取り戻さないと、ぼきぼきになっちゃう。よし、どうしよう?)
魔法を使おうと試みたが無理そうであった。ウルは唸る。
(……あ!)
思い付いた。
ここは意識だけの場所。自分は蜘蛛の力によって意識の奥の方に押しやられているはずである。
ならば、普段触れ合えない彼に会えるかもしれない。
(よしっ……来て、ウラヌリアス!!)
真っ暗な空間に、紅色の魔力粒子が舞った。
『……ウルーシュラ』
(助けてウラヌリアス。今ね、右腕がすっごく痛い気がするんだ! 多分折れちゃった! 急がないと、僕もシヴァも危ないかも)
姿は見えないが、愛しい半身、霊杖ウラヌリアスの声がした。ウルは何だか猛烈に、曖昧なのに痛い気がしてならない右腕に迫り来るような恐怖を覚えつつ彼に助けを求める。
『まったくもう、君もシヴァも、うっかりしすぎじゃない? 仕方無いなぁ』
(う、ごめん……)
『いいよ。ボクは君のためだけに在るんだし。気持ち悪い魔物なんかに使われたくないもの』
(ありがとう、ウラヌリアス)
『ふふ。いいよ、ウルーシュラ』
ぐるぐると魔力粒子が渦を巻き始める。それは深い紅の奔流。ルビーの様な紅粒の竜巻だ。
『行って、ウルーシュラ。ボクの力が君の意識を守る。その間に君があいつを押し退けて。君ならできるから』
(うん、ありがとう。行ってくる!!)
とんっと背を押され、ウルは勢いよく飛び出した。
パチッと目が覚めて、最初に認識したのは右腕の猛烈な痛み。
やっぱり、と思いながら視線を巡らせると、離れたところでシヴァが地面を転がり、そこへ黒鎧の魔物が長剣片手に迫っていた。
「っ!!」
名を叫ぼうとしたのに喉は嗄れていた。頭から外れて傍らに転がった金色の蜘蛛がギラギラと日光を反射して目を刺す。
縛られていることに気づいたが、それを認識した直後銀の細縄ははらりと解けた。その直後、喚んでもいないのにウラヌリアスがその姿を現す。
「けほっ、っ……!!」
掴み取ったウラヌリアスを掴み、視線に力を込めて魔法を放った。薄紫の魔力粒子が細い帯のようになって地面すれすれを駆ける。
(間に合え!!)
振り下ろされる禍々しい長剣。薄紫の細帯は勢いよく白い炎に変化した。そのまま一直線に黒鎧の魔物に肉薄する。
聖なる精霊の白炎は、黒鎧の魔物の深紅のマントに絡み付いて、一気にその全身を包んだ。
『ギギィッ!!』
突然の事に黒鎧の魔物はのけ反り、赤黒い長剣の切っ先はシヴァから逸れ、地面にめり込む。
ハッとした表情を浮かべたシヴァがウルを見た。ウルはニッと笑って見せる。彼は苦笑して声無く「たすかった」と唇を動かした。
ウルはウラヌリアスを支えにして立ち上がる。両こめかみが痛み、そこから血が流れ出しているのが分かった。
ふわりと治癒魔法を発動する。癒しの力が黄緑色の光となって全身に纏わりつき、折れた右腕と痛む頭を重点的に治し始めた。
(ふう……)
「おい、ウル」
「あ、シヴァ」
トン、と軽い足音で顔を上げると、先程まで結構離れていた位置にいたはずのシヴァが隣に来ていた。
小首を傾げて先程の場所に目をやれば、黒鎧の魔物はテンペスタの矢で両肩を木に縫い止められている。
しかし巨大な金色の蜘蛛が盾の様に黒鎧の魔物を守っていたので、仕留めることはできなかったんだなと察した。
「俺も治してくれ。左の翼が折れた」
「うわ痛そう。分かった、すぐ治す」
顔をしかめたウルは頷くと、シヴァの背後に回り、ウラヌリアスの頭をその黒い翼に向ける。
治癒魔法を発動すると、黒い羽根に被われた翼の内部で骨がパキッと小さな音を立てながら治っていくのが分かった。
ついでに他の細かな傷も治癒して、ウルは満足げに頷く。
「治ったよ。どう?」
「んー、あー、折れてないって最高だな」
シヴァは黒い両翼をバサバサと動かしてそう答えた。その動きで大きな黒い羽根が一枚抜け落ちる。
それをなんとなく拾い上げたウルは、振り返って不思議そうな顔をするシヴァにこっくりと頷いた。
「……やっぱり、君の羽は綺麗だな。」
「…………褒めたってあいつの首をはねるくらいしかできないぜ」
目をそらして肩をすくめた彼にウルは挑戦的に微笑む。
「それでいいよ。僕も協力するけどね」
その言葉を受けぱちくりと目を瞬いたシヴァは、次の瞬間その藍色の目を細めて艶然たる笑みを浮かべた。
「さっさと片付けて帰ろう」
「了解」
そうして二人は魔物に向き直った。
金色の蜘蛛がこちらを向いて威嚇している。ようやく矢を抜いた黒鎧の魔物がその後ろで長剣を構えていた。
「まーた隠れてやがる」
「ますます嫌な気持ちだな、あんなのに操られてたなんて」
「よし、行くぞウル」
シヴァが地面を蹴った。夜闇から生まれた様な艶を持った両翼が力強く羽ばたき、彼は勢いよく宙に浮かび上がる。
ウルがウラヌリアスを振り、薄紫の魔力粒子が幾筋もの光の帯となって黒鎧の魔物に襲い掛かった。
キシャーと前脚を二本上げる金色の大蜘蛛。どう足掻いても宙を舞うシヴァにその牙は届かない。
ここでウルの魔法の一つ目が大蜘蛛に届いた。ぐるりとその悪趣味で下品な身体を取り巻く魔力の帯。次の瞬間それは暴力的な白銀の薔薇の蔓に変わった。
『ギシャッ!!』
細剣の様に優美な鋭さで、白銀の薔薇の蔓は大蜘蛛を切り裂いていく。そしてその上を越えて黒鎧の魔物に迫る二つ目の魔法。
「凍てつけ!!」
確たる威力と結果を求めて放たれるのは力ある言葉。途端、魔力の帯は巨匠の傑作も斯くやと言わんばかりに美しい麗氷の乙女に姿を変えた。
乙女の透き通った冷たい腕が背後から黒鎧の魔物を抱き締める。
『グッ、ギギギッ……』
黒鎧の魔物は逃れようとするが、自身より大きな麗氷の乙女に全身をがっしりと捕まえられていては抵抗する術も乏しい。精々むなしく身を捩る程度。
「シヴァッ!」
「分かってるさ!」
その時シヴァは丁度黒鎧の魔物の真上にいた。霊弓テンペスタを引き、バチバチと弾ける青雷の鏃をその頭に向けて。
鋭く澄んだ弦音の直後、青雷の矢が麗氷の乙女に抱かれた黒鎧の魔物の冑の中心を貫いた。
シヴァはそのまま降下。テンペスタを左手に握ったまま、黒剣を抜いて黒鎧の魔物の首目掛け横凪ぎの一閃。
黒い長髪を揺らしてスタッと彼が着地した次の瞬間、コロンと黒い冑が地面に落ちた。
『グギャァァァァァッ!!!!』
胴体から首が離れたと言うのに、黒鎧を纏った身体は立ったままだし冑は耳障りな悲鳴を上げた。
「うるさいよ!」
到達した三つ目の魔法。ウルの言葉と共に発動した聖なる浄化の白炎が魔物の首を焼いた。魔物の悲鳴が途切れる。
「……ふぅ。これで終わりだな?」
解けた長髪を風にさらして、さやさやと揺らしながら、剣を鞘に納めたシヴァが振り返った。
ウラヌリアスを魔力粒子の塊にして還したウルは満足げに笑んで頷く。
「やったね。お茶の時間に間に合うよ」
その言葉にシヴァは苦笑した。
「お前、本当にマオの菓子が好きだな」
「だってすごく美味しいよ?! 彼、本当にすごいよ……」
「はいはい。ジジが食い尽くす前に帰ろうな」
「うん!」
そうして二人はいつも通りに仲良く話しながら、ふわふわした地霊たちが戻ってきた緑樹の森を歩き出したのであった。
――――………
エルフの女王が守る緑樹の森の王国シリエール。
ウルとシヴァが黒鎧の魔物を倒した時、南では咆哮将軍ミレイシアが黒狼の魔物を焼き尽くし、東西では裂牙将軍レイニールと穿爪将軍リンドリスが悪夢の魔物の心臓を貫いて倒していた。
女王の下に強者の集うここを陥落させるのは容易ではない。しかし、どんな時代でもそれを試みる者はいる。
シリエールに迫り来る冥界の魔王軍。今にも枯れ落ちそうな紅薔薇色の髪をした壮年の魔王は、果たしてそれを成すことができるのだろうか。
冥界の皇帝は独り、冷たい玉座で苛立ちを隠さずに軍の行方を睨んでいた。
感想、ご指摘は今回はアクション面においての物をお願い致します。それと、本編をまだお読みでない方は何卒本編もよろしくお願いします。