第9章 第2部 ユカリと明日香~二人の祈り
ただ、ヒロトにもう一つ大きな心残りがある。今、ヒロトは明日香のことを思い浮かべていた。明日香のヒロトへの愛する気持ちを、ヒロトは十分すぎるくらい感じていた。
「父にあってほしい」とまで言ってくれた明日香の気持ちに答えたかった。そして、明日香を真剣に幸せにしたいと思っていた。
しかし、その直後に相次ぐトラブルが起きて会社が休業状態になった。もう明日香に会わす顔がない。ずっと明日香と連絡さえ取らなくなっていた。
明日香のことだから、俺のこと、きっと今も心配してくれている。でも、なんて言えばいいんだ。
すると、ユカリが話しかけてきた。
「どうしたの?ヒロト、今度は今にも泣きそうな顔して・・・」
「いや、そんなことはないよ。元気さ」
ユカリは、きょとんとした表情をしていた。
『今は、ユカリに明日香のことを話すのは止めよう。いずれ時期が来たら...』
ヒロトは、今、明日香のことを話す時期ではない、そう思い、心のうちにしまっておいた。
ユカリは言った。
「じゃあ、今日は、二人で一緒にお祈りしようか」
二人は礼拝殿前に向かった。そして、歩きながらユカリは、ヒロトにアドバイスした。
「ヒロト、お祈りするときってね、大切な心掛けがあるのよ。それはね、相手の幸せ、愛の心を祈りに込めるのよ」
「相手の幸せ?」
「そうよ、自分のためでなく、相手の幸福を祈るの」
「自分のためはダメなのか?」
「う~ん、ヒロトは仕事をするとき、生活のためもあるけど、社会や人たちのお役に立ちたいって気持ちも当然あるでしょ。でもね、祈りはもっともっと純粋なものでね。見返りをもとめちゃダメなの。ただただ、純粋な気持ちで感謝の気持ちで、相手の幸せを祈るんだよ」
ヒロトは「なるほど」と思った。
そもそも、今回ばかりはユカリに助けられてばかりだ。
だから素直にユカリの言うことを信じよう、そう思った。
同時にヒロトは今、はっと気づいたことがあった。
『俺がトラブルばかり遭遇したのは、どこか人から見返りを求めていた。俺を冷遇した人たちに目返してやりたいという気持ちがあったからではないだろうか。
こんなに一生懸命にやっているのに、何でわかってくれないんだと、心のどこかで見返りを求めていた気がする。様々なトラブルの原因は俺の心の狭さだったのかもしれない』
そう思いながら、ヒロトはユカリの右手を左手で握った。
「え?」
ユカリはビックリした。
「ヒロトから手を繋いで来るなんて初めてだよ、でも嬉しいな」
そしてユカリもヒロトの左手をぎゅっと握り返した。
二人は手をつないだまま、礼拝殿前まで歩いていった。
そして、そこで手を離し、二人は一緒にお祈りした。
ヒロトは、ユカリとの出会い。ユカリと出会わせてくれた永森神社。多くの気づきを教えてくれた永森村の人たち、家族に感謝した。そして、東京で育ててくれた人、そして明日香・・・。
『ユカリ、オヤジ、母、そして明日香、みんな、本当にすまなかった、そしてありがとう』
ヒロトは、小さい頃からお世話になった家族、学校の同級生、先生、そして社会人になって知り合った数多くの人たちに感謝した。
しばらく時間が経って、ユカリはそろそろいいかなと思って、ヒロトの顔を覗いてみた。
するとヒロトはうっすらと涙を浮かべていた。
ユカリはそんなヒロトを静かにみて、ヒロトの気が済むまで一緒にお祈りを続けていた。
祈りが終わったあと、二人は再び手をつなぎ、8年前、あの風景画を描いた場所にいった。
「この町の風景、10年前と、全然かわってないな」
ユカリは久しぶりにヒロトとゆっくり話ができた。ユカリはガラになく少し緊張気味の様子だった。
ユカリの口数も昔よりずいぶん少なくなった。顔はもともと童顔で年齢よりも下に見えるが、大人の香りさえした。ユカリは手を放そうとしないし、ヒロトも放したくなかった。ユカリも同じ気持ちだということは伝わってきた。
あのときのような勝ち気だったユカリの雰囲気は感じられない。ユカリはすっかり大人の女性らしい振る舞いをしていた。
「ユカリは、これから将来、どうするんだ」
「私ね、今、芸大の大学院1年だけどね。このまま絵は描き続けたいの」
「1年半後は、いよいよユカリも社会人か。絵描きになるのか」
「うんうん、絵描きだけでは生活も大変なので、始めは美術館で働くか、美術の先生でもしながら、絵を描こうかなって思っているよ」
「そうか。ユカリと一緒に絵を描いたのは、ユカリが中3のときだったな。ユカリも相変わらず絵を描いていて、全然変わっていないしな」
「あ、それってまだ私のこと、子供だと言っているのかな」
「いや、俺も全然あの頃と較べてまったく成長していないし、ユカリのこといえるもんじゃないよ笑」
「いいんじゃないの、私たち、昔のままで」
「そうだな、でも、あの頃から俺、ユカリのことが好きだった。今になってようやくそれが身に染みてわかったよ」
「わたしもよ・・・ヒロト」




