第5章 第5節 揺れる思い ~ 絵に込められた想い
明日香は、数日後、再び一人であの美術館に入った。
『今日は私一人だけ。もう一度よくあの絵を確かめてみたい』
明日香が気になっていたのは、美術館2階の奥にある風景画。そう、ヒロトが目を潤ませて見つめていた絵だ。
明日香は今、その風景画の目の前に立っていた。
明日香は、絵の案内を見た。
「永森村、由加里・・・」
そして、その絵をよく見ると、青年が一人描かれている。その絵は間違いない、ヒロトだ。ヒロトの優しさ、そしてどことなく孤独で寂しそうな雰囲気が絵からにじみ出ていた。
明日香は、絵の価値を見定めるほど絵には詳しくない。でも、明日香はその絵を見て、作者のユカリが、どうしようもないくらいの恋心をもってその青年を描いていたことがびんびんに伝わってきた。
すると、隣に中学生か高校生くらいの女子生徒二人がやってきた。そして、二人はその絵について話し出した。
「見て、この絵だよ。昨年、コンクールで最優秀賞を獲ったという噂の絵」
「へえ、よく描かれているじゃない」
「絵もきれいだけどね、ここに1人男子がいるでしょ」
「うん」
「審査員たちにはね、この男性の描き方、本当に心から慕って、恋していないと描けない絵なんだってさ・・・」
「初恋の相手、恋心を込めて彼を描いた、それが決め手になったんだよ・・・実はこの絵って、私と同じ15歳のときに二人で書いた絵を元に、18才になって恋している彼を想って描いたって話だよ」
「いいなあ、私もそうゆう出会いしてみたいなあ」
「でもね、この絵のタイトルが「想い別れし恋人」だよ。結局、結ばれなかったんだよね」
「そうね。でも、本当に純粋な気持ちがないと、こんな感性的な絵なんてかけないよね~」
「何だか見ているだけでも心が締め付けられそうになり、素敵な恋をしたくなってくるね~」
「私も恋人とロマンチックな出会いをして、絵を描きたいな~」
明日香は、女子生徒の会話を横で聞いていた。
そのとき、ちょうど、美術館の職員がこちらに向かって歩いていることに気づいた。
明日香は、美術館の職員にこの絵について質問してみた。
職員は質問に答えた。
「この作品はね、作者が中学3年生のときに書いた絵を、3年後、もう一度書き直したものなんです。
再度、描き始めたときは、彼はもう別れていなかったけど、彼への思い出として、もう一度しっかり描きたいと思って、描いたんです。
本当に彼を愛していないとこのような絵は描けないです。いや、恋心だけではこのような絵は描けません。
絵を書いた彼女がその村を愛し、村の景色、山、湖、木、全ての自然の思いと一体となって彼を愛してくれているかのような、そんな気持ちが伝わってくるんです。本当に深く愛していないとこのような絵は描けないです。
実は私もこの絵に感動し、惚れているんです。この絵に描かれている彼に、『私だけではないよ、この村のすべてが君を愛してくれているんだよ』
そんなメッセージが込められているのが絵から伝わってくるんです。こんな素敵な絵を描いてもらった彼女と出会えて、彼は本当に幸せ者だったと思いますよ」
明日香は美術館の職員の話を一通り聞いた後、もう一度その絵を眺めてみた。
確かに、山、川、森林、田んぼ、街並み、草木の一つ一つに、作者の深い愛の思いが伝わってくる感じがした。
そして、その絵に映っている男性がさらに引き立っていて、まるで『永森村の見える風景全てが彼を愛してくれている、私だけではないよ。みんながヒロトを愛してくれているんだよ・・・』
作者がこの絵を描いたときの感情が明日香の心にも流れてくるようだった。ユカリの恋心と、村と自然を愛する想い。そしてその村のすべてがヒロトを励まし、いつも応援しているよ・・・。
この作者はヒロトにそれを伝えているようだった。
明日香は思った。間違いない、この絵の作者がヒロトの別れた彼女で、この絵に描かれている青年が若き日のヒロト。
こんな素敵な絵を描くユカリさんって女性、きっと今もヒロトのことを想っている。そしてヒロトも忘れられるはずがない・・・。ここまでヒロトを純粋に描ける女性を・・・。
私だってヒロトのことを深く愛している。でも・・・
明日香は絵の前で下を向き、悲しい表情をしていた。
・・・
明日香は、職場でヒロトと会っても、何事もなかったかのように接した。
今、私がヒロトにできることはヒロトを仕事で支えること。仕事には恋愛や私情を持ち込まない。それがヒロトの幸せになるから。だからヒロトのために、仕事のときは感情を出さず、ヒロトが安心して仕事ができるよう、支えていくこと。
明日香はそう考えるようにした。




