第4章 第3節 明日香との交際 ~ ヒロトの孤独な背中
ある若い男性社員と先輩の会話である。
「今度、秋本さんを食事に誘ってみようかなって思っているんですよ」
「やめとけ。人事部の部長から聞いたんだが、秋本さんはあのアキモトグループの社長の一人娘だぜ。
アキモトグループはうちの取引先でもあるから、部長からも若い社員たちが変な素行をしないように注意されてんだ」
「そうだったんですか、これでは高根の花ですね」
明日香は、上場企業の社長令嬢だった。父は創業者でもあり、一人娘の明日香には十分な教育を施してきた。
創業者ならではの教育のためか、明日香はけっして人を見下すことはせず、謙虚で賢く、美しく育っていった。
明日香は、父の会社のアキモトグループに入社して社長秘書ができるよう、教育されてきたが、
「父のそばだと甘え心が出てしまうので、他の会社で社会の厳しさをしっかり勉強したい」
という明日香の強い希望があって、他の会社を選ぶことになった。
シラトリシステムでは、明日香は礼儀正しいだけでなく、新人とは思えないほど的確に仕事をこなしていた。英語も堪能で海外からの電話での対応も見事にこなした。
さらに明日香が他の部署に入ると部署内の雰囲気がガラッとかわり、明るくなった。
いつも素敵な笑顔で接し、どんな人にも差別せず対応し、気配りも仕事も本当によくできた。まさに社内では、女神のような存在だった。
・・・
今、明日香は、一人の男性が少し気になり出していた。
休憩時間や昼食時間でも黙々と仕事をしている一人の男性がいる。
明日香は、中沢先輩と特に仲がよかった。
社長令嬢という見方をされて特別扱いされるのが明日香にとっては苦痛だった。
そんな社員が多い中、中沢先輩は、ただの先輩・後輩として付き合ってくれた。
言葉には出さないが、中沢先輩が明日香にとって一番話しやすい先輩だった。
明日香「あの~中沢先輩。早川さんって、どのような人ですか」
中沢先輩「ああ、彼はね、請負契約で働いている人よ。プロフェッショナルの腕、特にデザインのセンスが優れていてね。確か年は23歳、今年24歳だったけな、あれでも社長なのよ。社員なしの一人社長だけどね、確か白金に事務所を構えているよ」
明日香「そうですか。彼だけ、何だか他の若い社員と違って見えまして・・・」
中沢「なあに?彼のこと気になるの?」
中沢先輩は少しニヤニヤして話した。
明日香「え、いやですわ、中沢先輩、そうゆう気持ちではなくて笑。以前に早川さんが参加していた会議に出て議事録を書いたことがあるんです。新人社員さんと同じくらいの年なのに、部長さんたちにもどんどん発言し、主体的に会議を進めていて…何かこう、彼だけ違う世界で生きているような感じがしまして・・・」
中沢「違う世界にいるのは、秋本さんと一緒かもよ~。やっぱ似たもの同士で気になるんだ~」
明日香「私は違う世界にいるという気持ちはないのですが笑・・・」
中沢「ただ、彼はね、同年代の社員が仕事が終わった後に飲みに誘ってもまったく反応しないのよね。
女性社員が食事やカラオケに誘っても一度も来たことないしね。女性に興味ないんじゃないかなあって、男性社員からも言われているよね。同じ背広を続けて着て出社したり、寝ぐせを直さず会社に来たり、どっか抜けているところも多いのよね」
明日香「そうだったんですか」
中沢「でもね、仕事では協調性もあってね。まじめで信用はある人よ」
それを聞いて明日香は、ヒロトが気になる理由が少しわかってきた感じがした。
ヒロトは、父の若い頃の姿と似ている、特に仕事に対する姿勢・・・。そう思った。
父は仕事一筋で自分に厳しく、小さい頃から、家庭的なことで父と楽しい会話をした記憶がほとんどなかった。母は明日香が小さい頃に離婚し、明日香が高校1年のときに父は再婚した。そのため、小さい頃は母親がいなく、父は仕事で相手にしてもらえず、日々、葛藤のようなものもあった。
ただ、明日香は大学に入り、社会の厳しさを次第に知るようになってから父の仕事の厳しさと創業者としての孤独を理解できるようになった。そして、言葉や態度には出さないけど娘への愛情にも気づいてきた。
いつの日か、明日香は、父を尊敬の目で見れるようになっていた。
『23歳と言えば、新人とほとんど変わらないのに・・・』
明日香は、中沢先輩にヒロトのことを聞いてからよけいに気になりだした。
ただ、ヒロトは、挨拶をかわすときや仕事のとき以外で明日香に話しかけることは全くなかった。
他の同じ年ごろの社員とヒロトは明らかに違っていた。ヒロトはとにかく仕事熱心だった。休憩もほとんどとらず休憩室にいても常に書類や本を読んでいる。若い人たちの雑談にもまったく入ってこない。
また、他の若い男性社員はよく明日香に話しかけていたが、休憩室や会議室で明日香とヒロトが偶然二人っきりになっても、ヒロトは本や書類を眺めていて、自分からは一切声をかけて来なかった。
ただ、中沢先輩が言われるとおり、人間関係が悪いわけではなさそうで、むしろ、良好だった。
時には若い社員がヒロトを煙たがる声を耳にすることがあったが、ヒロトは若い社員が仕事で困っていたら積極的に助言し、ヒロトの責任感の強さと人柄を誰もが認めるようになっている様子だった。
明日香は、仕事熱心なヒロトの姿に、幼い頃の父の面影を感じていた。
『私の父も、あんな感じだったかな・・・』
ただ、そんなヒロトの背中が、孤独でどこか寂しそうに感じていた。