第1章 第1節 あの思い出の階段で~ヒロトとユカリ
「ねえ、ヒロト、起きている?」
「ヒロトのせいで、今日も眠れないよ~」
「ヒロトのバカ!また眠れなくなるじゃないの」
「眠れない・・・」
「眠れない・・・」
ヒロトははっと目覚めた。朝だった。
なんだ、またあの夢か。
俺はヒロト。1年前まではITエンジニア業を営んでいた。
今は、白金でコンサルタント業を営む傍ら作家として本を書いている。
ヒロトは布団から起き上がり、洗面所へ行って顔を洗った。それから自分の部屋に戻り、机の上に置いてある本を見つめて挨拶した。
「おはよう」
それは、まるで恋人に語るかのように話しかけていた。
・・・
ユカリは今、夢を見ていた。
「一体何時まで絵を描くつもりだよ。もう眠いよ」
「今日は眠いから、絵を描くの、終わりにしようよ」
「眠い、眠い・・・」
その夢はいつも同じ場所。大自然に包まれ星空がとてもきれい。目の前には青々とした湖が見える田舎の山頂。
そして、あたしの隣にはいつもあの人がいる。あたしは彼と寄り添い、同じ夜の星空を眺めていた。
そして、次に気づくとあたしが12才の子供に戻ってある絵を眺めていた。その絵には、あたしがいつも大切に想っていたあの人が描かれていた。そして、あの人の隣にはあたしがいる。
そう、その絵の光景は永森神社のある山頂。あたしとあの人が寄り添って、きれいな夜の星空を眺めていた。そして、あたしはその絵の中に吸い込まれていく...。
そこで目が覚めた。
あたしはユカリ。今日は、おばあちゃんの実家で宿泊している。
そこで、ユカリは目を覚ます。ユカリはクスッと笑った。
「またあの夢か...」
ここに来ると、そう・・・また、あの人の夢を見る。
ユカリはベットから起き上がり、部屋の壁に飾ってある絵を見て挨拶した。
「おはよう」
二人は同時に思った。
ユカリ「あたしは幸せだった。あの人が側にいるだけで・・・」
ヒロト「俺は幸せだった。ユカリがいてくれるだけで・・・」
ヒロトは、机の上の本を手に取った。
ユカリは、壁の風景画に手をそっと当てた。
ヒロト ユカリ「そう、それは今から15年前・・・あの思い出の階段から始まった」
ユカリは絵の題名を、ヒロトは本の題名を同時に見つめていた。
本と絵には同じ題名がつけられていた。
『眠れない天使のように...』
******
ヒロトは高校1年生。今は夏休みの早朝の6時すぎ。
ヒロトは新聞配達のバイトの帰りに一人の女の子と出会うことになる。
ヒロトはバイトが終わった後に、よく通る道がある。
それは永森村の山頂に続く階段の道だった。そして山頂には神社があった。
普通は、通り道として神社の階段を登っていく人はいない。
大抵は、山沿いにある道を通り、ぐるっと回って山の反対側に行く。
しかしヒロトは、あえて辛い坂の階段を走って山頂まで登っていく。
ヒロトは、自宅から新聞配達の仕事場まで走って通っていた。
もちろん、学校があるときは自転車で行く。
今は夏休み、陸上部の練習も兼ねて、あえて走って仕事場まで通うようにしていた。
平地をただ走るより階段の上り下りをすることで瞬発力もつく。
ヒロトはそう思い、あえて階段の道を走るようにしていた。
山頂にある神社の名は永森神社。
ヒロトは、新聞配達を終えた帰りに永森神社の階段を通る。
・・・
今、ユカリは、山の麓と山頂の神社を結ぶ長い階段途中の踊り場にいた。
ユカリは、おばあちゃんに買ってもらったばかりの、ずっとほしかった白のワンピースを着て、麦わら帽子をかぶっていた。
髪型はショートヘアで顔は小さく、背は中学1年にしては低く、クラスでも一番低かった。
背が低く、細身で童顔なのでよく小学生と勘違いされ、ユカリは小学生に見られることをとても気にしていた。
ユカリは木に引っかかった赤色の風船を取ろうとぴょんぴょん跳ねていた。
しかし、ジャンプしても風船までは、届きそうになかった。
・・・
ヒロトは、神社のある山頂から麓に向かって階段を走っていた。
その途中・・・。
「おや?こんな朝早くから」
ヒロトは、何やら麦わら帽子をかぶった女の子が風船を木の枝にひっかけてしまい、取ろうとしても取れず、困っていることに気づいた。
「よおし!」
ヒロトはさらに早く駆け出して女の子のいる場に向かった。
「ぱしっ」
ヒロトは軽くジャンプして、枝にひっかかっていた風船を難なくキャッチした。
『よし!きちんととれた』
助走してジャンプしなくても取れるのではないかとヒロトは思ったが、かっこいいお兄ちゃんの姿を演じようと茶目っ気がして、わざわざ走ってジャンプし、風船を取ってみせた。
それから、ヒロトはにこっと笑って、女の子に風船を渡そうと、女の子の手の近くまで風船を近づけた。
女の子は、白のワンピースに麦わら帽子をしていた。
背は低く、どうやら小学生だ。
『しかし、小学生にしてはおしゃれなワンピをしているな・・・』
ヒロトはこう思ったあと、女の子に声をかけた。
「ほら、こんどは風船を放しちゃだめだよー」
女の子は、ヒロトをじーっと見ていた。
『ん?』
ヒロトは、女の子がじーっとヒロトを見つめ続けていたので、どうしたのかな?と思った。
すると、女の子はヒロトから風船を取って、御礼を言った。
「ありがとう、おにいちゃん」
「あ、いえいえ、よかったね。お嬢ちゃん!」
ヒロトはそう返事を返した。
すると、女の子は急にムッとした顔をした。
『え?』
ヒロトは先ほどまで、じーっと見つめていた表情とは全く違う表情をした女の子をみてギクっとした。
今度は、女の子は怒った表情でヒロトをじーっと睨むように見ていた。
ヒロトは、女の子が何か気に障ったかなと思って、質問してみた。
「お、お嬢ちゃん、どうしたのかな?」
ヒロトがそう言ったら、女の子はさらにムッとした顔になり、怒ったような口調でヒロトに言い返してきた。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんって、あたし、小学生じゃないもん!
これでも中学1年なんだから!」
すっかり、小学生と勘違いしたヒロトは、心の中で思った。
『なんだよ、風船なんか持ってて。
しかも『もん』だなんて。ガキって思われても仕方ねえじゃねえか。
それに、普通、風船を取ってあげたら喜ぶんじゃないか?』
ヒロトは内心、そう思いつつも、面倒はゴメンとばかり謝った。
「ごめん、ごめん。俺が悪かったから・・・」
『何で、風船を取ってあげたのに謝らなければならないのか、困ったガキだな』
ヒロトは、謝りながらも内心そう思っていた。
すると、女の子はさらに反発してきた。
「ああ~!ほら、今また、あたしのことガキみたいって思ったでしょ!」
ヒロトは、内心を読まれたのかとびっくりした。
『ああ、そのとおりだ。ほんとにガキじゃねえか』
そんなヒロトの本心が聞こえたかのごとく、女の子はさらに言い返した。
実はヒロトは表情に心の様子が出やすいタイプだった。
ヒロト自身はそのことに気づいていないが、本当に顔に見事に現れる。
その表情から女の子はヒロトの思っている本心に感づいたのである。
「お、お嬢ちゃん、俺ね、別にそんなふうに見ていないよ」
ヒロトは、嘘の言い訳をした。
さらに女の子はヒロトにきつく言い出した。
「あ~、ほら、また、お嬢ちゃんって言った。
やっぱりガキだって思ってたでしょう!」
『あ~あ~、何でこんな子供に振り回されないといけないのか。
それに、初対面の人にずいぶん馴れ馴れしいことを言う女の子だな』
ヒロトは、早くここから立ち去りたいと思い、どうしようか考えた。
『ええい、面倒くさいから、ただひたすら謝りまくって、さっさとここを離れよう』
そう思ったヒロトは、女の子にただひたすら謝ることにした。
「本当にごめん、このとおり謝るから、ね、ね、許して」
ヒロトは謝って、頭を下げた。しかし、女の子は怒りが収まらなかず、火に油だった。
「君、何でお嬢ちゃんって呼んだだけなのに、そんなに謝る必要あるの?
やはりガキだと思って、適当に謝れば収まりつくんじゃないかってきっと思ってたのね。
もう、絶対、許さないから!!」
今度は、女の子は腕組みをして、斜め目線でヒロトを睨みつけた。
『なんなんだよ、この女の子』
ヒロトは、すっかり女の子のペースに巻き込まれてしまった。
ヒロトは、もう、言い返す言葉もなく、呆然とした。
『親切に風船を取っただけなのに。何でこんなに怒られて、謝らないといけないんだ。もう勘弁してくれよ~』
ヒロトは、ずっと下を向いて黙ってしまった。
「ぷっ」
なんだか女の子は噴き出すような声を出した。
ヒロトは顔をあげて女の子の顔を覗いてみた。
「ぷっ、あははは」
女の子は急に大笑いした。
ヒロトは、女の子の気分を害したとばかり思っていて、ひたすら謝っていたが、今度は女の子は急に大笑いした。
どうやら、女の子はヒロトをからかっていただけだということに、ヒロトはようやく気づいた。
ヒロトは、小さな女の子にすっかり騙されていた。
ただ、根っからこだわらない性格をしていたヒロトは、思わず自分を自分で笑ってしまった。
「あははは」
「あははは」
二人は、その場でしばし笑っていた。
「まいったな、俺、すっかり騙されたよ」
「お兄ちゃんって、馬鹿正直ね。でもおもしろかったわ。」
「おもしかったって・・・。大人をからかうもんじゃないよ」
「何よ、お兄ちゃんだって高校生くらいじゃないの」
「俺、高校一年、君、小さいけど中1でしょ。
3つも違うよ。3つも違えばもう大人と子供」
「あ~、また小さいって言った~」
ヒロトはぎょっとして、言った。
「また、振出しにもどっちまうのかよ」
今度は、女の子は少し間を置いて答えた。
「ま、いいか。風船とってくれたしね」
そして、女の子はにっこり笑って言った。
「よし、じゃあ、これで、ゆ・る・し・て・あ・げ・る」
ヒロトは、ふう~って息をした。
安堵したヒロトを見た、女の子は
「そうだ、御礼にこの赤い風船、おにいちゃんにあげるよ!」
といい、風船を差し出してきた。
さすがにヒロトは風船をもらったって困る、そう思った。
「いや、俺、風船なんてもらっても困るから」
「はい、あげる!」
女の子はヒロトの話をまるで聞かず、次に強引にヒロトの手を掴み、風船を握らせた。
「あたし、これで帰るから!それじゃあ、バイバイね~」
そういって、女の子は走って階段を降りていった。
『ったく、俺の話を聞いているのか』
ヒロトは、再度「ふ~」っと小さく息をし、手で握っている風船を見つめた。
「赤い風船か・・・」
ヒロトは風船を持ったまま、女の子が去っていくのを眺めていた。
そして、20mほど下ったあと、女の子はまた、ヒロトの方に振り返った。
「くすっ」
ヒロトは、女の子が少し笑った顔をしたのがわかった。
「ばいばーい!ありがとね、おにいちゃん!」
ヒロトも笑顔で返した。
「ああ、バイバイな!」
最後にお互い笑って、その場を去っていった。
『ずいぶん勝手な女の子だったな。
でも、明るくって、元気のいい女の子だったな』
ヒロト自身、最初は困ったものの、最後は晴れやかな気分になっていた。
(続く)