一話 奴隷の少女フィアル 後編
「惚れ薬ですか。分かりました」
エルトは淡々として答えたが、「ただし」と付け加えた。
「惚れ薬の使用には制限があることは知っていますね?お売り出来る薬の効果は微弱なものになりますが」
すると、女性はすぐに首を横に振った。
「それでは足りません。他の店に行っても相手の気を惹く程度の弱い薬ばかりで、それじゃ駄目なんです。確実に、深く惚れさせたいんです!」
そう言って女性はエルトに迫った。女性の目には何か強い感情がうずまいて見えた。それは執着による焦りや精神の不安定さだとエルトは感じた。
しかし、エルトはあくまで冷静に応えた。
「分かりました。それではご希望通りの効力のものをご提供します。ただし、ここで買ったことは絶対に他言しないで下さい。それから、規定以上の量の惚れ薬の使用にあたってこちらとしては責任を負いかねますが、それでもよろしいですか?」
「はい」
女性は二つ返事で答えた。もう待ちきれないという様子だ。
「在庫がありますので、ただ今持って来ます。少々お待ち下さい」
エルトはそう言って調合室に向かった。
エルトは部屋の棚の下の引き戸を開け、中から一つの小さな箱を取り出した。中を開けると一つずつ紙で包装された錠剤が三つ入っていた。エルトはその箱から一つ薬を取り出して調合室を出ようとしたが、ドアの前にフィアルが立っていた。
そして、フィアルが少し厳しい口調で言った。
「主様、それを売るべきではありません。そんなことをしてもあの女性のためにはなりません」
フィアルは強力な惚れ薬を売ることに反対した。
「そうかも知れないね。でもこれはあくまで商売なんだ」
すると、フィアルの表情はますます険しくなった。
「お金のためですか?いくら個人経営とは言え私は……。いえ、すみません。私が意見してよいことではありませんでしたね」
フィアルははっと冷静になってエルトにわびた。奴隷である自分に主のやり方を意見するなどおこがましい真似をしたと反省した。
しかし、エルトはフィアルを責めなかった。
「良いんだ。確かに君の言うことは間違ってはいない。でもね、僕はただ利益が欲しくてこんなグレーな商売をするんじゃない」
「どういう、ことですか?」
フィアルは困惑して首をかしげた。
「僕はこれまで似たような用件を二度聞いてきた。一般に売られている以上の強い惚れ薬を売って欲しいと。一回目は大成功だったんだ。客は惚れさせた相手に何度もアプローチして、相手のことを思いやりながら接し、一週間ほど経って薬の効果が切れた時も、相手に認めてもらえてそのまま結ばれた。そのお客からお礼の手紙と上等な杖まで貰ったよ」
フィアルは少し驚いた。
「そんな例もあるのですね。いや、本来そうあるべきなのですが、惚れ薬と聞いて私にはあまり良いイメージが無いので」
「うん。でも二回目の客はそうはいかなかった。薬の効果が切れた時、魔法薬で惚れさせられ、操られたことに怒り狂った相手に刃物で刺されて殺されてしまった。その時は結構大きなニュースになっていたね」
フィアルはわずかに息を飲んだ。
そして、エルトは少し咳払いして続けた。
「つまり何が言いたいかと言うと、結局は本人次第なんだ。そして、何かの力を頼って事を成し遂げれば、それ相応の対価、つまり報いが求められる。お礼の手紙によると、一人目の客は薬が切れるまでの一週間、どうやったら薬が切れた時に相手に受け入れてもらえるか、許してもらえるか散々悩んだらしい。それこそ死ぬほどね。そして方法はともかくして、結果的にうまくいった。二人目の客はきっとそれを怠って自分の欲求にしか従わなかったから、その報いを受けたのだと僕は思う。あの女性が惚れ薬を使ってどうなるか、それは僕には分からないし、それを左右させる権利も無い。僕はあくまで人と人の縁を結ぶ手助けとなる薬を作り、売るだけ。それが僕のポリシーなんだ」
フィアルはエルトの話を聞いて、自らその言葉を何度も頭の中で繰り返して噛み砕いた。そして、ふと微笑んだ。そこにはもう懐疑と嫌悪の色はなかった。
「なるほど。主様らしいですね」
「えーと、それはどういう意味だい?」
エルトは困惑して後ろ首を掻いた。
「お気になさらず」
フィアルはそう言うと、エルトに会釈をしてさっと調合室を出ると、急に廊下から階段を駆け上がって行った。
エルトは一体どうしたのかと思いつつ、取り敢えず納得してもらえたのだと判断して店内に戻って行った。
「お待たせしました。こちらが惚れ薬でございます。使用時にはこの錠剤を手に取り、惚れさせたい相手のこと念じながら水などの液体に溶かし、相手に飲ませて下さい」
そう言ってエルトは惚れ薬をカウンターの上に置いた。
「ああ、ありがとうございます。やっと願いが叶います」
女性はそう言って歓喜して頭を下げた。女性は一見きれいな人なのに、何が彼女にそこまでの執着を抱かせているのだろうとエルトは思ったが、それを詮索するだけ無駄なことだと割り切った。
「この薬は強烈な効果を発揮し、一時は相手に強い恋心を抱かせることが出来ますが、その効果は持って一週間です。その点に注意して下さい」
「はい。大丈夫です、必ず一週間の内に彼に心から愛してもらえるよう頑張りますから」
そう言って女性はまさに天にも昇ると言わんばかりの恍惚とした表情で答えた。
エルトはカウンターに置かれたレジ(この世界のレジスターは魔力によって動く魔導具の一つなので、金属製の長方形の箱のような形をしている。計算等は浮かび上がる光の文字盤で行う)
「それでは料金二万三千エーカになります」
と、エルトは文字盤に打ち込んだ数字を指先でひっくり返して女性の方に提示した。
女性は財布を取り出して支払いを済ませようとした。しかし、突然エルトの後ろの廊下からばたばたと誰かが階段を下りてくる音が聞こえて手を止めた。
すると、廊下からフィアルが顔を出した。手にはペン(ここで言うペンとは先端からインクが出続ける魔法が施された羽ペンである)と何やら書かれた紙を持っていた。
「待って下さい。あとこれにサインをして下さい」
そう言ってフィアルはカウンターの前に持っていた紙を置いた。
その紙にはこう書かれていた。
誓約書
私は法定基準を上回る効力の魔法薬を購入、使用するにあたり、
・魔法薬によって引き起こされることに一切の責任を負う。
・魔法薬の入手経路を秘匿する。
・返品をしない。
上記のことを約束することを誓う。
夏の月 七日 名前:
それを見て、女性は固まった。頬に汗がにじんでいるが、それほど怖気づいたようにも見えない。自分に突き付けられた責任を再認識させられて動揺しているようだ。
エルトはフィアルの突然の行動に慌てた。
「ちょっと、何をやっているんだ?こんな客を圧迫するようなこと」
フィアルは謝るかと思いきや、エルトの目を真っ直ぐ見つめて言った。
「確かにこういうことは自己責任で、私たちが干渉すべきではないと言うのは分かります。でも私は、それなら当人にその責任を正確に認識させるだけの責任が私たちにあると思います。それにこうした方が、私たちが安全だと思いませんか?口約束よりも記述に基づく誓約の方が因果の拘束力が強いですから」
エルトはなるほどその通りだと思った。フィアルは本当に賢い少女だ。エルトはその柔軟性と機転に感服せざるを得なかった。
「仕方ないな」
エルトはそう言うと改めて女性の方に向き直った。
「サイン、頂けますか」
すると、女性はわずかにためらう素振りを見せたが、やがてペンを執った。
「分かりました。サインします」
そして自分の名前を誓約書に記入すると、財布から一万エーカ札を三枚取り出した。
「はい、三万エーカお預かりします」
エルトはレジに数字を入力してお釣りを渡そうとしたが、女性は惚れ薬をだけ受け取って店を出ようとした。
「お客様、お釣りを」
エルトが声をかけると、女性はエルトたちに向き直った。その表情はある種得意げな色が浮かんでいた。
「お釣りは要りません。それが私の覚悟です。受け取って下さい」
女性はそう言って店を出て行ってしまった。
「彼女、大丈夫でしょうか?」
フィアルがエルトに話しかけた。
「さあね。僕たちの仕事はここまでだ。後は彼女がどういう結果をもたらそうと関係ない。……でも」
そう言ってエルトはカウンターに置かれた誓約書を手に取った。
「少なくとも相手の恨みを買って殺されるような結末にはならないんじゃないかな」
それを聞いて、フィアルは安心した。
「すみません、また勝手な真似をして」
フィアルが謝ると、エルトは小さくため息を吐いた後、右手を彼女の頭の上にぽんと置いた。
「本当に、君には驚かされてばかりだ。でも、君みたいに前向きで素直な子が店に来てくれて良かったと思っている」
するとフィアルは少し頬を染めて微笑んだ。
「それなら良かったです」
「君の方こそ、僕にうんざりしやしないか?」
「どういうことですか?」
フィアルはきょとんとして尋ねた。エルトは手を離すとばつの悪そうに目を逸らした。
「僕のようなニヒルで人間嫌いな男に買われて、窮屈だったりするだろう。だらしなくて迷惑をかけることも多いと思う」
エルトがそう言うと、今度はフィアルが彼のほおを両手で挟み、顔を自分の方にぐいっと向けさせた。
「な、何だ?」
「私は、主様に買われたことを嘆いたりしませんよ。確かに故郷の村を追われて奴隷の身となったことは辛いです。今でも元の生活に戻りたいという思いは確かにあります。しかし、主様が私を一人のハーフエルフとして扱ってくれること、私を責めたりせずに話をちゃんと聞いてくれることがすごく嬉しいんです。だから、これからはあなたの僕として全力で尽くさせてもらいたい。そう思います」
フィアルがそう言うと、エルトは少し眩しそうに目を細めた。
「君は強いな」
「ただ合理的な考えが得意なだけです。主様も強くてとてもお優しい方です。ただ、他人より繊細で、物事を深く考えすぎてしまうから距離を取りたがるのだと思います」
そして、フィアルは優しく微笑んだ。全てを包み込むような温かい笑みだった。
「私なら大丈夫ですから、いくらでも頼りにして下さい。食べ物と住む場所、そして自由を与えて下さるお礼です」
そう言うとフィアルは二階の掃除に戻ると言って店の奥に消えていった。
エルトはしばらくその場に突っ立っていると、やがて近くの椅子にへたりと座った。そして、どこか自嘲気味に「はは」と笑った。
「思いがけず、優秀な奴隷を雇ったものだな」
そう言って天井を仰ぐ。
エルトは今まで自分が何のために魔法を勉強して、何を心に秘めて独りの道を突き進んで来たのか、時々分からなくなることがあった。でも、これからはフィアルの無垢な優しさに報いるために生きたいと、この時初めて思ったのだった。