境界滲出
二話!
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『————物質界の改竄に異常なし。境界遷移未確認。安定しています。瘴気濃度は一定。変動はありません。法則界への接続確認できません。自立駆動は行われていません。概念核システムは問題なく稼働しています。秋蜂様、以上で報告を終了します』
「了解した」
a/
目が覚めた。見上げる天井は仄暗く、ぼんやりと照明の輪郭が浮かび上がっている。
昨日の夜は早めに寝たのだけれど、どうも頭がぼうっとして意識はまだ半分現実に出てきていない。
寝ぼけ眼を擦りつつ、眠気覚ましも兼ねて顔でも洗おうかと思い立ち、ベッドから降りるとそのまま洗面所へと向かった。
鏡の前に立つと寝起きだけあって瞼が重そうな半閉じの目がそこにはあった。
鏡に写る顔を見る。十七年間に渡って使ってきた顔。見た目は平均より良い方ではないかと自意識過剰ではなく素直にそう思う。鼻筋は通っていて、目は二重で大き過ぎない。顔のパーツは在るべきところに収まっている。陶器のように白く血の気が薄い肌は偶に不健康そうに見られるが。
洗面所での用事をすませ、次はリビングのクローゼットへと向かう。
現在、私は一人暮らしをしている。朝の準備を手早く済ませるためにリビングに備え付けられていた物置をクローゼットとして利用していた。そこから制服とワイシャツを取り出す。制服は紺のブレザーに茶褐色のチェックの入ったスカート。
どちらもシワのない綺麗な状態だ。
私は制服を着ると、リビングのテーブルの上に置いてあるリモコンをテレビに向け電源ボタンを押す。
リモコンの向けられた先、薄型の液晶テレビは電源ボタンが押されてから数秒おいて、ボウっと画面が青暗く灯るとその後に私の住む地域のニュース番組を映し出した。
『午前七時のニュースをお伝えします。S県S市八瀬区の繁華街の路上で女性の死体が発見されました。年齢は————』
最近は何かと物騒だ。
私は連日報道される似たようなニュースに辟易し、そこでテレビを消した。
「行ってきます」
そしてそのまま家を後にした。
ガチャリと鍵を回す音が誰もいない部屋に響いた。
◇
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「おはよう青」
窓際に三人の女生徒が固まっていた。そこから溌剌とした声が、教室に入ってきた人物にかけられた。
「おはよう、今日も元気だな」
教室に入ってきたアオと呼ばれる人物は、どうにも眠気が抜けきっていないような気怠げな挨拶を返した。
「青はなんか気怠げだね。朝からこっちまで暗くなっちゃうよ」
「オレは朝弱いんだよ。文句言うな」
窓際の集団の中から声を掛けてきた女生徒——四衣姫菜は教室に入ってきた生徒——空木青に向かって駆け寄ってきた。その動きは軽快で、飼い主を見つけた小動物のようにも見える。四衣姫菜の格好は、上半身はワイシャツで、青と茶褐色のチェックの入ったスカートを履いている。顔は整っていて、美少女然としているが、それを嫌みとさせない朗らかな笑顔がとても印象的な少女だ。
教室に入ってきた生徒、空木青は駆け寄ってきた四衣姫菜に
「なんか用か?」
ぶっきらぼうに質問をした。
「いやぁ、重役出勤と思ってね」
「おい、オレは言われた通りの時刻に来たんだぜ。お前らに染み付いた奴隷根性の弊害をオレに向けられても困るんだがな」
そう言うと、アオは窓際の一番後ろにある自分の席へ座った。
アオ達のいる此処は、私立岬ヶ原高等学校の教室だ。詳しく言うならその三階に位置する二年S組の教室だった。
アオたちが通う此処は極東にある極一般的な高校だ。変わったところといえば、行事毎には積極的なところと特別クラスがあることくらい。その他に挙げるとするならば、学校の近くの坂の上に大きめの教会があることがこの高校の変わったところだった。
◇
「それで、何をやればいいんだ」
「んーとね、青には内装の手伝いをしてもらおうと思ってるんだよね。」
オレがヒメナに今日学校に呼ばれたのは、近々開催される学園祭の手伝いをする為だった。
「内装の手伝いか。で、具体的には」
「今、梨沙と結衣が切ってるダンボールあれにこの通りにペンキで塗ってくれればいいよ」
じゃあこれっ、とヒメナは佐藤梨沙と遠藤結衣が切ったと思われるダンボール片を渡してきた。
「どうも」
ダンボール片を受け取る。
「あとこれも、この説明の通り塗ってくれればオケーだから」
一緒に説明の書いてあるプリントも渡される。
「あいよ」
ヒメナの手からプリントとダンボール片を受け取った。手に持ったダンボール片は奇妙な形になっていた——これはなんの形だろうか、蝙蝠?
ヒメナに渡されたダンボール片はデフォルメされた蝙蝠のようなシルエットをしていた。これは内装で使う為のものだったが、そういえば自分のクラスが一体何をやるのか把握していなかったことを思い出した。
「なぁ、そういえばウチのクラスってなにやるんだ?」
自分で何のために使われるかわからない物体を作るのは少々気が引けたから質問した。
「えっ、青知らなかったの!!!」
そこまで驚くことか。ヒメナはオーバーリアクション気味に目を見開いて驚いていた。
「まぁ」
「ダメだよ、青く〜ん、ちゃんとHR聴いてたの?ウチのクラスはおばけ屋敷『来たれ、血に濡れた闇夜に踊る殺人趣向者の集いmarkⅱ』だよ。本当に気が抜けてるよ青くんは」
ぷんぷん、と口で怒るヒメナだが、流石にこんな名前のおばけ屋敷なら、仮に寝てようが忘れない。それと、くん付けはよして欲しい。
というよりこのタイトルは、一体誰が考えたのだろうか。来たれなのに最後が集いになってる辺り、怪しい海外商品を無理やり翻訳ソフトで翻訳したような、安っぽさとスリリングさが巧みに同居していて同じクラスとして辛い。
「誰だよこれ考えたの」
今から作業するに当たって、この端的に言って頭のネジが二三本外れて代わりに場末の工事現場で廃棄された鉄骨を差し込んだみたいな頭脳の持ち主をはっきりさせておきたかった。
自分が何を作っているか分からないというより、自分が確実にこの世界に害を成す何かを作っている予感しかしないのでは、些か以上に作業に支障を来すというもの。
しかし、当のヒメナは何故か黙ったままだった。
「本当に覚えてないの?」
「そうだけど」
覚えていないものは覚えていないのだから仕方ない。けれど、妙にヒメナの態度が気にかかる。
「えっとね、それ考えたの青なんだけど」
——瞬間、体を突き抜ける衝撃。
どうやら自分の頭の中には鉄骨が埋まっているみたいだった。
◇
「こんなもんでいいか?」
時刻は午後六時を過ぎたところ。
教室は差し込む夕陽に照らされていた。夕陽と机の影が織り成す陰影が一日の終わりを意識させるようで少し物悲しく、人を憂鬱にさせる。
教室でダンボール片にペンキを塗る作業を繰り返していた空木青は、教室の中央にいる四衣姫菜に話しかけていた。
「今日の分は取り敢えずそれでいっかな。梨沙と結衣ニャンも今日はここまでで良いよね」
四衣姫菜は同じく教室の中央にいるクラスメイト、佐藤梨沙と遠藤結衣に確認をとる。
「ウチはいいよぉ〜。てか結構造ったね」
若干茶色っぽい髪をして、制服を着崩している少女。第二ボタンまで開けられたワイシャツの襟元からは鎖骨が覗いていて、制服を押し上げる二つの塊を否応なく意識させる。そんな少しだらけた格好の佐藤梨沙は本日の労働の成果を見てそう呟いた。
彼女達が座っている教室中央、その周りには切ったダンボールの残骸が沢山溜まっていた。彼女らは青が登校するよりも前から学校に来ていた為、かなりの量の作業を、こなしていた。
「私もいいよ。あと結衣にゃんはやめろ」
姫菜の横に座っている、黒髪を腰よりも少し高い位置まで伸ばしているスラッとした体系をしていて、教室で小説でも読んでいるのがとても似合っていそうな少女、遠藤結衣は横に座っている姫菜の頭を鷲掴みにした。
「い、痛い、痛い。わかったから、もう言わないから許して。許して結衣にゃん。結衣にゃん様許して」
涙声になりながら必死に謝る姫菜。
すると謝罪が功を奏したのか、姫菜の頭は解放された。
「ありがとう、許してくれたんだ。結衣にゃん大好き」
姫菜は沈黙している結衣になんら違和感を抱くことなく抱き着こうとし、そのまま宙を舞った。
「いい加減にしろ!」
「グハッ」
背中から床に落ちる姫菜。けれど大して勢いは付いていなかった。しかし、姫菜は起き上がらない。
「演技はいいから早く片付けしよ」
無造作に床に打ち捨てられた死体、のようだった姫菜が動き出す。
「酷い。何が酷いかってそんな見た目なのに運動できるのが酷い。これじゃあ、深窓の令嬢、根暗文学少女詐欺だよ。こんなのってないよ、あんまりだよ」
「そこまで言うヒメの方が圧倒的に酷くて残念だ」
結衣は友人の残念さに溜息をついた。
「ま、そこがヒメッちの魅力なんじゃない。うちの学校でも人気高いしね。結衣にゃんも密かに人気があるって噂だけどな」
シシッと笑う梨沙。梨沙の言う通り、四衣姫菜は学校の中でも人気がある生徒だった。見た目もそうだが、それを鼻にかけない性格が男女問わず好まれていた。
「ああー、だから結衣にゃんじゃないって。リサも飛ばすよ」
睨みを利かす結衣。
「う、なんでもないです」
梨沙の表情が固まる。
「そ。それで、」
それで、と結衣は教室の隅にいる青に視線を移した。
「今日はこれでもう教室閉めるんだよね」
結衣は姫菜に、確認した。
「うん、そうだね。じゃあ青も今日の作業は終わりだから少し周り片付けといて。一応、明日も他の人が来てやる予定だから、道具とかは分かるように並べとけばいいよ」
「分かった」
青はそう言って、片付けを始めた。
「そういえば朝のニュース見た?」
梨沙が切り出す。
「死体が見つかったって奴か」
「そうそれ。この街に殺人鬼がいるって噂だよ」
窓から差し込む夕陽はいつの間にか消えていて、空には星と月が瞬いていた。
◇
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「それじゃ、またね。青明日からはちゃんと来るんだよ」
ヒメナはそう告げると友人と一緒に歩き出して行った。
頼りない電灯の下を一人で歩く。特にやりたいこともなく、無為に人生を回しているという感覚が最近は特に強い。
正直、オレには何が自分のやりたいことなのか全くわからない。現在高校二年生のオレは今までどうやって生きていたのかすらあやふやで、自分というものが空っぽで何もないもののようだった。
本来ならそこに満たされるべき熱がある筈なのに、オレにはそこに入るものが何もない。いや、あるとするならばそこには孤独と空虚しか入るまい。
誰もいない道路を歩いた。
空は冷たい。星の光も月の光も同じように。今は夏だっていうのに随分と。
——では四衣姫菜はどうだっただろうか。
其れはこの夏のように冷えていたかそれとも……
「バカらしい」
オレは一人で呟いていた。周りには誰もいないから聞かれなかったのは幸いだ。
しかし、夏の夜なのに些か静か過ぎる。虫の音すら聞こえてこないのは異常だ。
だからと言ってどうということもなく、オレはそのまま右へ曲がり、路地へ入り、其処で朱い塊を発見した。
脳裏に浮かぶのは教室での会話。
——『この街に殺人鬼がいるって噂だよ』
薄暗く湿った其処に横たわっていたのは手足の欠けた女子高生の死体だった。辺り一面は血の海で、綺麗な朱がぶちまけられていた。
————この切り口はとても綺麗だ。
体を欠損させた少女の顔は青白く、体の中にあるべき熱は全て闇夜に照らされる芸術へと変じていた。そしてその製作者にして鑑賞者はその後ろに佇んでいた。
「こんなところで何をしているんだい?君も、解体してあげようかお嬢さん?」
歪な笑みを浮かべたその男は薄暗い路地から月明かりの下へ姿を現した。
照らし出された髪は金色で精巧な顔立ちをした、青年だった。ただ、その気配は悍ましい。見た目の清廉さに反して滲み出る血の匂いは隠しきれていなかった。
殺人鬼というより寧ろ吸血鬼だな。とオレは場違いな感想を抱いた。
そして、金色の髪をした青年が此方に歩み寄ってきた。
二話!




