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誰がために腹は鳴る  作者: 亀吉
初仕事はホットミルクの味
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 小鳥の鳴き声が朝の青空に響き渡る。

 開け放った窓から身を乗り出したチロは、すううっと胸いっぱいに爽やかな空気を吸い込んだ。


「んー……! よっし、支度支度!」


 満足気に窓を閉めて室内に引き返すと、タンスを開けて服を取り出す。

 迷わず選んだのは、昨日買ったばかりのショコラカラーのエプロンドレスだった。


「……えへへ」


 それを着たチロは嬉しそうにその場でくるりと回った。裾にフリルの付いたスカートがふわりと舞い上がる。


(お世辞だったかもしれないけど……)


 ──可愛いですよ。


(……あんな事言われたら、着ちゃうよね)


 ファズから掛けられた言葉を思い出せば、自然と頬が緩んでいく。

 ご機嫌で着替えを終えたチロは次に鏡台の前に座った。引き出しからヘアブラシを取り出すと、丸鏡に映る自分の姿を確認しながら寝癖を直し始める。

 そうして髪がある程度落ち着いたのを確認すると、ヘアブラシを片付けて立ち上がった。


「これで良しっと、……時間も大丈夫だね」


 壁に掛かる小さな振り子時計を見上げれば、時刻は間も無く七時を迎えようとしているところだった。

 階段を下りて厨房へ向かう。中を覗けば既にファズが立っていて、チロは一度深呼吸をすると笑顔で声を掛けた。


「おはようございます、ファズさん!」


 その元気な声にファズが振り返る。


「おはようございます、チロさん。あの部屋には慣れましたか?」

「はい、……あの、本当に有難うございます。服の他にも鏡や時計を買って下さって……」


 チロはぺこりと頭を下げる。

 昨日「ポワル」を出た後も二人は様々な店を回った。

 チロとしては服を買ってもらえただけで充分だったのたが、ファズは「あの部屋は使っていなかったので色々足りないでしょう」と、あれこれ買っていった。

 流石に申し訳ないとチロが遠慮をしても「雇い主としての責任は果たすべきですから」と涼しい顔で会計を済ませてしまうので、最終的には甘えることにした。

 ──その結果、従業員用にしては非常に住み心地の良い部屋がチロには与えられたのだった。


「気にしないで下さい。接客をして頂くので身嗜みは大事ですし、時間は守ってもらわないと此方も困りますからね。……と、早速ですが仕事の説明をしましょうか」

「あ、お、お願いします!」

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。朝食でも食べながら聞いて下さい」


 そう言うとファズは、手元のフライパンで焼いていた目玉焼きとベーコンをパンに載せた。

 カリカリに焼けたベーコンの上で半熟の目玉焼きが湯気を立てる。

 その魅惑の光景に自分の腹が鳴るのを聞いたチロは、少し照れながらも皿を受け取り、あーんと大きな口を開けてパンに齧り付いた。


「お、おいひい……」


 もぐもぐと頬張りながら、思わず感嘆の息を漏らした。

 ベーコンの濃い塩味を目玉焼きの黄身がまろやかにして、そこにパンの柔らかな甘みが見事に調和している。

 幸せそうにパンを食べるチロの傍に、ファズは牛乳を注いだコップを置いてやった。


「ではまず、この店についてお話しします」

「はひ、おねふぁいしまふ」

「……無理に返事しなくて良いですからね。──この『紅灯亭』は前にも少し話しましたが料理店です。開店時間は午前十一時から午後二時と、午後七時から午後十一時までになっています」


 それを聞いたチロは頬張っていたパンを飲み込んで首を傾げる。


「二回に分かれているんですか?」

「はい。昼はランチを、夜はディナーとお酒を出しています。お客様は夜の方が多いですね。メニューも時間帯で分かれています」

「成る程、……覚えられるかなぁ」


 僅かな不安がぽそりと零れ落ちる。

 と、聞き逃さなかったファズは緩く首を振った。


「昼はランチセットと軽食類だけですし、夜もディナーセットとお酒やおつまみが数種類だけです。セット内容は日替わりですから、その日だけ覚えていれば良い話ですよ」

「あ、それなら大丈夫かも……」


 気持ちが軽くなったチロは息をつき、安心して残りのパンを食べていく。

 ハムスターのようにもくもくと頬張るチロを見て、ファズは目を細めるとフライパンを洗い始めた。


「因みに今日のランチは胡桃パンとマッシュポテト入りチーズオムレツです。スープはミネストローネになっています」

「むぐ、……」


 食事中だというのに想像するだけで食欲が湧いてしまう。

 これは流石に色々と駄目だと思ったチロは、今食べているパンで何とか抑え込む事にした。ベーコンの端は特にカリカリしていて美味しい。


「ああ、あと起きるのは今日くらいの時間でお願いします。店の準備や買い出しをお願いしたいので」

「ん……分かりました、頑張ります!」


 最後に牛乳を飲んで朝食を終えたチロは笑顔で答える。

 すると、ファズが洗い物の手を止めて、真っ直ぐに此方を見つめている事に気付いた。


「……ファズさん?」

 

 深い紅色を見つめ返せば、吸い込まれそうな気分になってくる。

 そのまま赤い瞳をぼんやりと見つめていると、ファズの顔が近付いてきた。


(えっ……!?)


 鋭い雰囲気はあるものの、整った顔立ちが間近に迫ってきて、チロの鼓動が速まっていく。頬がじわりと熱を帯びる。


(ち、近い近い……!)


 突然の急接近に頭の中が真っ白になる。

 これは一体どう反応すべきかと、ぐるぐると思考を巡らせながら硬直していると、ファズがふと自分の口元を指さした。


「白ひげ」

「……へ?」

「出来てますよ、立派なのが」

「……、……!!」


 そう言われてチロは先程飲んだ牛乳を思い出す。慌てて口元を拭ってファズを見れば、既に洗い物を再開させていた。

 

「う、ううーっ……! もう、私はまず何の仕事をすれば教えて下さいっ!」

「はいはい、じゃあまずは……」


 恥ずかしさを誤魔化す為に大声で言うも、ファズはあっさりと受け流して仕事を説明し始める。


(もう! ……よーし、仕事をバッチリこなして、ファズさんを驚かせてやるんだから!)


 その余裕たっぷりの態度を悔しく思いながらチロは内心で拳を握り、改めて労働へのやる気を滾らせた。


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