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ファズを追って路地裏を抜け、大通りに出たチロは思わず足を止めた。
昨日は夜だった所為で人通りも少なく、店も飲食店以外は閉まっていたので分からなかったが、明るい今は沢山の人が行き交っている。様々な露店や屋台も見えた。
「わあ!賑やかで良いなぁ」
「チロさん、此方ですよ。はぐれないで下さいね」
「あ、はいっ」
つい意識があちこちに持っていかれそうになるが、ここでファズとはぐれては意味が無いと慌てて後を追う。
しかし、小柄なチロは何度も人波に流されかけてしまい、その度にファズを呼び止める所為で徐々に声が枯れ始めた。
「ファ、ファズさー……けほっ、うー……」
あまり小さな声では人混みに掻き消されてしまいかねないので、なるべく大きい声で呼ぼうとする。
と、少し先を歩いていたファズが引き返して此方に向かってきた。人混みから頭一つ分飛び抜けているので良く目立つ。
やっぱり大きいなぁ、と見上げていると、傍に来たファズはクロークの隙間から覗くチロの手を掴み取った。
「えっ?」
「すみません、最初からこうすれば良かったですね」
チロが理解するよりも先に、ファズはチロの手を取ったまま再び前へと歩き出した。
背が高い上に目付きが鋭いファズが足を踏み出せば、只ならぬ迫力に周囲が道を譲っていく。
(わ、わーっ……!)
しかし、今のチロはその光景よりも、繋いだ手に気を取られていた。小さな自分の手を覆う、大きなファズの手を見つめる。
(ファズさんの手、おっきくて温かいなぁ……って、私の手べたべたしてないかな!? 汗とかかいてないよね!?)
恥ずかしさで悶々とするチロを余所に、ファズはずんずんと道を突き進んでいく。
その背中を追い掛けていれば、やがて開けた所に辿り着いた。噴水がキラキラと水飛沫を上げて、周囲にはベンチが置いてある。
大通りよりは人の数も少なくなり、少し安堵したチロが息をつけば、足を止めたファズがふと振り返った。
「此処は街の中央に位置する広場です。序でにこの街の事を説明しておきましょうか?」
「わ、是非お願いします!」
「分かりました。そうですね……まず、この街はプレジールと言って、西大陸では最大の城下町と言われています」
始まったファズの説明を聞き逃すまいと、チロは真剣な表情で耳を傾けた。
この城下町──プレジールは空から見ると逆扇型になっていて、頂点に位置する一番奥には城が、その手前に貴族街、そして更に手前が庶民街となっている。
貴族街から奥に行くには許可証が必要だが、店や市場は庶民街の方が品揃えが豊富なので、用事が無い限りは関係が無い。
街の大半を占める庶民街は東西南北に分かれていて、各地区では治安も大分違う。
「私達が通って来た東地区や貴族街が近い北地区は治安が良い方ですが、西地区は女性一人では行かない方がまず身の為です。西地区に用事が出来た時は、必ず私に言って下さいね」
真っ直ぐに見つめてくる紅い瞳には有無を言わせない威圧感がある。
しかし、最初から反抗する気の無いチロが素直に「分かりました!」と答えれば、ファズの雰囲気が心なしか安堵したように緩んだ。
「さて、他に何か質問はありますか?」
「え? ええと……」
そう言われると、何か無いかと気になってしまう。
辺りを見回したチロは、広場のあちこちに見える屋台を指さした。
「あれは何の屋台ですか?」
「クレープですね。隣はソーセージで、その隣は薬草茶。この一帯は路上販売が特に多いんですよ」
「おや、ファズじゃないか!」
被さって来た声の方を向けば、ふくよかで人の良さそうな女性が屋台の傍で笑っていた。
彼女と面識が無いチロが首を傾げる横で、ファズは軽く会釈をする。
「どうも、エイミーさん」
「あっはっは! 相変わらず愛想が無いねぇ……と、そっちの子は誰だい?」
「!!」
エイミーと呼ばれた女性の視線が、ファズの隣で二人の会話を聞いていたチロに向く。
チロは不意に注目された事に動揺するも、最初が肝心だと慌てて頭を下げた。
「は、初めまして、チロです! 昨日からファズさんの所でお世話になってます!」
「ええっ!?」
「えっ?」
明らかに驚いているエイミーに、何か変な事を言ってしまっただろうかと不安になる。
しかし、エイミーはすぐに笑顔になると、ファズの肩を勢い良く叩いた。
「……っ」
「何だい! ファズ、遂にアンタも良い子を見つけたのかい! 良いねぇ、礼儀正しくて可愛い子じゃないか!!」
ファズが肩の痛みに顔を顰めるのも構わず、エイミーは嬉しそうに弾んだ声を上げる。
きょとんとして会話を聞いていたチロだったが、自分がファズの恋仲だと思われていると気付くと顔を赤らめた。
「ち、違います違います! 私はただ、ファズさんの店で働く──」
「照れなくても良いんだよ! 仲良く手を繋いでデートだなんて、アタシみたいなオバサンから見たら微笑ましいったら!」
「え? ……あっ!」
そう言われたチロは、今までファズと手を繋いだままだった事を思い出す。此処は人混みも酷くないので繋ぐ理由は無い。
恥ずかしく思ったチロは慌てて手を離そうとしたが、それよりも先にファズの手が握る力を込めた。
(えっ!?)
思わず顔を上げるも、ファズは何事も無かったような表情でエイミーと世間話を交わしている。
その変わりようの無さに勘違いかとも思ったが、互いの手はしっかりと繋がって離れる気配が無い。
(な、何で? ファズさん!?)
内心で戸惑い過ぎて言葉にならず、赤い顔で口をパクパクと動かす。
と、そんなチロをファズは横目で見ると、誰も気付かない程度に目を細めた。
「では、私達は買い物があるので」
「ああ! デートの邪魔して悪かったねぇ、お詫びにこれ持っておいき!」
そう言うとエイミーは自分の屋台から厚紙で出来た逆円錐型の入れ物を持ってきた。
渡されたそれの中身を覗き込んだチロは「わあっ!」と明るい声を上げた。
「長年愛されてるウチの一品、バターミックスナッツだよ!」
アーモンドにカシューナッツ、ピーナツにヘーゼルナッツ。屋台に設置された大鍋でバターと共に炒られたそれらは、香ばしさの中に濃厚で食欲を煽る匂いを漂わせている。
女性としてはカロリーが気になるところだが、チロはその問題を思い付くことも無く、満面の笑みをエイミーに向けた。
「有難うございます、エイミーさん」
「どう致しまして! デート楽しんでおいで!」
「あっ、その私達は……」
訂正しようとするも、屋台に客が来た事に気付いたエイミーはチロの言葉を聞く前に「いらっしゃい!」と接客に戻ってしまった。
流石にそこに割り込むわけにはいかず、チロは困り顔でファズを見上げる。
「ファズさん、何で手を離さなかったんですか。デートも否定しないし、エイミーさんってば勘違いしちゃってますよ?」
すると、ファズはチロを真っ直ぐに見つめ返しながら言った。
「すみません。チロさんの反応が面白かったので、つい」
「……はい?」
思わず間の抜けた声が漏れる。聞き間違いかと反応に困っていれば、ファズはチロの手に握られた容器からアーモンドを摘んだ。
カリッと小気味いい音を立てて噛み砕くと、繋がったままの手を引いて歩き出す。
「さ、デートの続きと行きましょうか」
「……っ! ファズさ、むぐっ」
からかわれているのだと漸く気付いたチロは声を荒げかけるも、徐に何かを口の中に放り込まれて口を閉ざす。
反射的に頬張れば、硬い歯応えの後にナッツの濃厚な香ばしさと、バターによって引き立てられた仄かな甘さを味わえた。
(お、美味しい! 幾らでも食べられちゃう!)
この味が街中の屋台で売っているとは思えない。少し良い値段の酒場で定番メニューとして掲げられていても納得がいく。
(うーん……これは、この辺りの屋台を制覇したくなるなぁ……)
エイミーの屋台やファズが先程教えてくれた屋台の他にも、この広場には沢山の屋台が客を待っている。此処に来る途中の通りでも数え切れない程に見かけた。
(……、……出来なくはない、よね?)
食欲の炎が静かに燃え上がる。
密かな野望に気を取られたチロは文句を言うのも忘れ、大人しくファズに手を引かれたまま人混みを歩いて行った。