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誰がために腹は鳴る  作者: 亀吉
記憶も無い、金も無い。食欲は有る。
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 重たい目蓋をゆっくりと開いた。

 意識がふわふわと定まらないまま、天井の木目を見つめる。


(──……あれ?)


 最後にある記憶と違う景色に気付き、徐々に意識が確かなものになっていく。

 そうして違和感に戸惑いながら体を起こすと、掛かっていた毛布が静かに落ちた。そこでチロは自分がベッドに寝かされていたことを知る。 


「ここは……」


 毛布を手繰り寄せて辺りを見回す。

 一人用と思われる大きさのテーブルに椅子、小さめのタンス、レースのカーテンが掛かった窓からは日光が射し込んでいる。特に怪しいところは無く、何の変哲も無い部屋のようだった。

 それに安心したチロは息をつく。

 

 ──ぐうぅぅぅ。


「……あー」


 どうやら体も安心したらしい。盛大に鳴り響いた腹の音に苦笑すると、取り敢えずこの部屋の主に礼を言おうとベッドから下りた。


 ドアをそっと開けて、辺りを伺いながら廊下に出る。この部屋以外にもドアが三つ。そして、下の階へと続く階段を見つけた。

 窓から太陽が見えるので、家主がまだ寝ているとは考えにくいが、念の為にあまり足音を立てないようにして階段を下りていく。

 そうして一階に着いたチロは、下りた先の内装を見て目をぱちくりとさせた。


 玄関を入ってすぐに広い空間。その空間の殆どを埋めるのは幾つかのテーブル。二人用、四人用ほどと大小様々である。天井からは開いた花を逆さにしたような形のランプが下がり、レースのカーテンが掛かった窓の際には花が飾られていた。 


(これ、お店……?)


 どう見ても民家の内装では無い。

 興味深く見渡していたチロだったが、ふと鼻先を擽っていった匂いにハッとして振り返った。


(な、何これ、すっごい良い匂い!)


 確かに香ばしく、仄かに甘さも混ざった小麦の──焼き立てのパンの匂いに誘われて、腹どころか全身で食べ物を欲しているチロの足は自然と其方へ向かっていく。

 そして、辿り着いたのは奥の部屋。そこは調理台に食器棚、大きな水瓶に立派な石窯──誰が見ても「厨房」と答えるような部屋だった。

 しかし、人の姿は見えない。留守なのかと一瞬思ったが、赤の他人である自分を置いて家を空けるのは、余程の世間知らずかお人好しだろうと考え直す。

 と、予想が固まる前に、チロはその意識を視界の隅で捉えた物の方へと向けた。


「あっ、パン!」


 調理台の端に置かれた籠、そこには綺麗な焼き色が付いた丸パンがこんもりと盛られていて、見れば分かるそれを思わず声に出してしまった。

 それほどまでに腹が減っていた。そして、焼き立てのパンを前にして更に腹が減った。

 魔法のようにふらふらと引き寄せられる。

 しかし、その手がパンに伸びる事は無かった。というよりも伸ばせなかった。


「い……いや、いやいや! これは流石に駄目でしょ!? 泥棒じゃん!!」


 チロは残っていた理性を総動員させて、自分の欲求に言い聞かせる。

 が、駄目だと思う程に膨らむのが欲求というものである。それこそ、発酵途中のパン生地のように。

 手を伸ばせば届くパンの山。立ち去ろうにも未練が断ち切れない。


「そこで何をしているんです?」

「ひゃわっ!?」


 食べたいけど食べられない。そのジレンマに歯噛みしながら睨み付けていると、背後から声を掛けられた。

 驚き慌てて振り返ると、そこには長身の男性が籠を抱えて立っていた。

 紅茶色の髪を無造作に結い上げた男は深紅の瞳でチロを見つめている。その涼やかな眼差しは蜥蜴のように鋭い。

 突然の遭遇に頭が真っ白になったチロだったが、ふと男の声に聞き覚えがあることに気付いて首を傾げた。


「あ、あの……貴方は、昨日助けてくれた……?」 


 その問い掛けに男はこくりと頷く。


「はい、助けたと言っても声を掛けただけですけどね」

「そんな……私、凄く助かりました! それにベッドまで貸して下さって……」

「目の前で気絶した女性を放っておくほど、非情ではありませんから。お気になさらず」


 淡々とした口調。眉一つ動かない無愛想さからはとても情に厚いようには見えないが、実際に救われたチロはそうは感じなかった。


「で、でも、何かお礼を──」


 ──ぐきゅるる。


「「──……」」


 調理室に響き渡る腹の音が会話を遮った。

 やがて音は消え、静寂が訪れる。


「……~っ!!」


 数拍の間を置いて、チロは一気に顔を赤らめた。誤魔化せない程に盛大に鳴った腹を押さえるも意味は無い。

 そろそろと男を見上げて反応を伺うと、男は笑いも馬鹿にもせず、やはり無愛想な顔のままで言った。


「……良ければそのパン、食べて下さい」

「えっ!」

「ついでに今からこれでスープを作りますけど、飲みますか?」


 そう言って男は抱えていた籠を見せる。そこには土まみれの玉ネギが入っていた。艶のある茶色の皮に覆われた実はどっしりと重量感があって、ろくな知識も無いチロにすら良質な物だと分かる。

 しかし、パンだけでも充分有難いのに、スープまでご馳走になるのは厚かまし過ぎやしないだろうか。

 そんな不安を抱いたチロは一度首を横に振りかけたが、


 ──ぐうぅぅぅ。


「……お言葉に甘えさせて頂きます」


 三回目になる腹の虫の必死の訴えを聞いて、恥ずかしさで泣きたくなりながらも、素直に頭を下げたのだった。


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