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「はー……さっぱりした……」
寝間着用のワンピースに着替えたチロは、まだ濡れている黒髪を拭いながら、自室の天井に吊るされたランプを見上げる。
蔦のような植物を編んで作られたハート型に、大きめの丸い石が入っているそれは『ホオズキ』という異国の植物をモチーフにしている──とは、購入した店の店主曰く。
そして、中の丸石は『蛍光石』と言って、衝撃を与えると光り、再度衝撃を与えると発光を止めるという不思議な鉱石らしい。
その原理を利用して作られたこのランプは、下がる紐を引くと中の石に衝撃が加わって、部屋を自由に明るく出来るようになっている。
「うーん……やっぱり綺麗だなぁ」
優しい灯りを見上げてしみじみと呟く。
火を使うランプよりも高値だったが、ファズが「どうせなら良い物を買いましょう」とチロの遠慮を押し切って購入しただけはある。
そうして有難さを再確認していれば、ふと自分の手首に残る痕に気付いた。
相当強く蔦に捕まえられていたのだろう、薄く青紫色になったそこは自分で見ても痛々しい。
「ファズさんが助けてくれなかったら、私、どうなってたのかな……」
呟きながら手首を撫でていれば、蔦が燃え盛る光景を思い出した。そして、初めて会った時に不自然に燃えた煙草の炎も。
火気が無い森の中で突然あれほどの炎が現れる事も、煙草の小さな火種が勢い良く燃え盛って人に襲い掛かる事も、普通ではあり得ない。
そうなると、今のチロが出せる答えは一つしかなかった。
「……ファズさんって、魔法使いなのかな」
──魔法。
素質のある者が使えるという不思議な力。
熟練者は無から有を生み出す──とまで言われている魔法を使えるならば、あのように火気の無い所から火を生み出す事も、火の勢いを操る事も可能だろう。
(でも、あの姿は?)
頬に浮かぶ紅の鱗と、鋭く細い金の瞳。
あの時ファズは「力を出し過ぎただけ」と言っていたが、それ以上の事は結局聞けていなかった。
聞いてみるべきか、聞かないべきか。
迷いながらベッドに腰掛けた時、自室のドアが軽くノックされた。
「チロさん、今大丈夫ですか?」
「……! は、はい、どうぞ!」
正に今、思っていた人物の声が聞こえてきて心臓が跳ね上がるも、平静を装って返事をすれば、ファズがドアを開けて入ってきた。
その手にはスプーンと、どっしりとした大きめの瓶がある。
「『デビルツリー』の実ですが、ジャムにしてみたんです。上手く出来たので、店に出す前にチロさんに食べてもらおうかと」
「え、良いんですか!?」
パッと目を輝かせるチロに、ファズは頷いて瓶の蓋を開けた。
途端、果物らしい甘い香りが部屋中に漂う。
スプーンで瓶から掬ったジャムは、とろりと艶やかな薄桃色をしていた。
その甘美な光景にチロが目を奪われていれば、ジャムがたっぷりと乗ったスプーンが口元に差し出された。
「さ、どうぞ」
「……へ?」
チロの唇から間の抜けた声が漏れる。
しかし、目の前の男の表情は至って真面目だった。
きょとんとしたまま見つめ合って数秒、差し出されたスプーンの意味を理解したチロは頬を染めてたじろいだ。
「あの、えっと」
「あ、垂れそう……」
「え、駄目っ!」
それを聞いたチロは、今までの恥じらいは何処へやら、咄嗟にスプーンに食い付いた。
目の前で美味しそうな物が無駄になる。それをチロが見過ごせる筈が無い。
「──っ、ふあぁ……っ!」
感嘆の溜息と声が同時に零れる。
林檎のような、しかし、それよりも濃厚な甘さと共にシナモンの香りが広がる。僅かに残っている果肉はしっとりとした歯応えで、このジャムだけでも充分食べ応えがありそうだった。
「凄い、凄い美味しいです! たっぷりと甘いのに口当たりは優しくて……!」
「それは良かった。はい、もう一口どうぞ」
「わーい!」
乙女の恥じらいより、美味への食欲。
万歳をしたチロは差し出された二口目に躊躇い無く食い付き、極上の甘さに緩んだ頬をもぐもぐと動かした。
「明日はこのジャムを使って、パイでも焼いてみようかと思います」
「良いですね! ……あ、これってお肉には合いませんか?」
チロの唐突な提案に、ファズは三口目を差し出そうとしていた手を止める。
「肉、ですか?」
「そうです! 豚肉を林檎と煮込んだりするじゃないですか。これだけじゃ甘過ぎるから、塩辛いのと……そうだ! 今日パルマさんから買った、あの『ショーユ』と一緒に煮込むとかどうですか?」
次々とアイデアを出すチロの表情は生き生きとしている。
輝く翠玉の瞳をきょとんと見ていたファズだったが、眼差しをふっと緩めると、チロの頭を優しく撫で叩いた。
「それは良いですね、試してみます。良いアイデアを有難うございました」
「はい!」
自分の意見が少しでも役に立ったのかと嬉しくて、チロはジャムを食べた時以上の笑顔で答える。
屈託の無いその笑顔を見たファズは、小さな頭をもう一度撫でて、座っていたベッドから腰を上げた。
「お休み前に失礼しました。では、また明日」
「はい、また……」
そこまで言ったチロの脳裏に、燃え盛る炎と、頬に紅鱗を浮かべたファズの姿が蘇る。
半端に止まった言葉を不思議に思ったのか、出て行こうとしていたファズも足を止めて振り向いた。
「どうしました?」
「あ、あの……」
果たして問い詰めて良い事なのか。既の所で膨らむ迷いが言葉を濁らせる。
しかし、その態度で何かを察したのか、ファズは傍まで引き返してくると、戸惑っているチロを見下ろした。
「……何ですか?」
問い掛ける声は吐息のように小さい。
それがまるで「聞かないでくれ」と願っている気がしたチロは、そっと息を呑み、笑顔で誤魔化した。
「明日のご飯も楽しみにしてますね」
「……ええ、期待していて下さい」
それでは、と今度こそ部屋を出て行ったファズを見送る。
そして、ランプの紐を引いて灯りを消すと、深い溜息と共にベッドへと倒れ込んだ。
「はー……。……」
仰向けに寝転がり、首元に掛けているペンダントを何と無く翳してみる。
つるりとした木のトップを指先で撫でてみれば、焼印の僅かな凹凸を見つけた。
「……まだまだ、分からない事ばかりだね」
──自分の事も、ファズさんの事も。
(それでも、少しずつ分かっていけたら良いな……)
そう思ってチロは目を閉じる。
静かな暗い部屋に、微笑むような月明かりが窓から射し込んでいた。




