殺しの天使
毒キノコの生きる意味ってなんだろう。
アマニタ・ヴェロサを育んだ胞子の記憶は答える。
無力なるキノコたちが、非情なるニンゲンの無慈悲なキノコ狩りに対抗するための唯一の牙だと。
彼女たち毒キノコは、野生の獣などと違い鈍感なニンゲンに誤食を誘いやっつけるために存在するのだと言う。
キノコの森を守るために生まれてきたのだと言う。
馬鹿らしいと思う。
毒キノコが、毒でニンゲンをやっつけるなんて、それはつまり私が食べられるってことでしょう。
死んだらおしまいじゃない。
それよりも毒キノコとして天寿を全うして、胞子を撒き散らして新しい命を育むほうがそれほど素晴らしいことだろう。
私は美しい。森にできた水たまりに、自分の身体を映して眺めると惚れ惚れする。
透き通るような白い肌、ふわっと広がった純白のスカート、赤い瞳に、首元を彩るシルバーのペンダント、その全てがエレガントさに溢れている。
純白の天使の羽すら生えているのに、こんなに美しい純白の私が殺しの天使なんて信じられない。
しかも、ニンゲンに食べられるための特攻兵器として作られたなんて。
そうだ、私は食べられるために生まれてきたのではない。生きて、生き抜いて、次の命をつなぐために生まれてきたのだ。
私の命が終わるとき、私の身体が育む胞子が作る新しいキノコの娘たちは、きっと私と同じように美しい姿をしていることだろう。
母としてそれを見ることは叶わないけれど、自分の命が広がっていくのは想像するだけで嬉しいことだった。
それが生き物の本能だ、毒キノコだからって命を惜しんで、新しい命を育むことを望んで何が悪いの。
だから、他の毒キノコたちが、胞子が教える使命感に煽られるようにして「キノコ王国バンザイ」だの、「七生報国」だのと御託を並べていて盛り上がっていても、私には内心で舌を出していた。
なんで他のキノコのために、私が死ななきゃいけないのよ。
そう思っていた。
あの日が来るまでは――
※※※
「ニンゲンが来たらどうする?」
「えー、怖い」
クスクスと笑う。私は、彼女と話すのが好きだった。
彼女のキノコ種はシロマツタケモドキ、キノコ王国でも有名なマツタケ「赤松かほり」の近隣種なのだそうだ。
私達テングタケ科とはぜんぜん違う、キシメジ科の仲間なのに、彼女だけは私と同じように白くて不思議とよく似ていた。
まるで水面に自分の姿を映しているみたいだと感じて、近づいて声をかけると可愛らしい彼女から、とてもいい匂いがした。
白孤独ってあだ名を付けられるほど、あまりにも美しすぎる私は他のキノコに敬遠されてしまう孤高のキノコだけど、彼女とは不思議と話が合う。
彼女も他のキシメジ科と違って、肌が白いからなんとなく浮いてしまっているそうだ。そんな境遇までどこか似ている。
普通のキノコと毒キノコでは、全く違うけど。美しい私に似ているのだから、彼女だって美しい。
私が咲き誇る大輪の花の美しさなら、彼女はそっと野に咲く花のような可愛らしさがある。
二人で居ると、まるで最初から一緒に生まれてきた姉妹のように、心が通いあった。
親友というのは、こういうものかもしれない。次第に、一人でいる時間が減って、私は彼女と過ごす時間が増えた。
「ほら、ニンゲンがくるわよ、貴方はどうするの」
「キャー怖い怖い」
もちろん、ニンゲンが来るなんて言うのは本気じゃない。
ニンゲンが来るぞってのは、私たちの間では退屈な時間を埋めるための、楽しい怪談話のようなものだ。
「本当にニンゲンが来たら、私ならどこまでも逃げるわよ。私たち毒キノコは、君たちを守るために食べられろとか言われてるけど、まっぴらごめんだもの」
「うん、そうしたほうがいいわよ。私も逃げちゃうし、ニンゲンが来るってみんな脅すけど、実際に摘まれて食べられるキノコなんてほとんどいないんでしょ」
運が悪いキノコは、イノシシなどの獣に食べられたりもする。
それよりもずっとニンゲンは数が多いし、キノコ狩りは毎年甚大な被害をもたらすが、キノコの森はずっと続いているのだ。
それはきっと、本当に運が悪いキノコだけが食べられてしまうってこと。
私たちは運が良いもの。もし仮に、ニンゲンに見つかったとしても、二人で手を取り合って逃げればいいだけ。
他のキノコが食べられちゃっても、私たち二人だけは絶対に大丈夫。
そう思っていた。
「あっ」
私の視界から、突然彼女が消えた。
何が起こったのか、分からなかった。
「いやぁぁあああ!」
彼女の悲鳴が聞こえて、見上げるとそこには二本足で立つ、あまりにも大きな動物が居た。
ニンゲンだ。初めて見るのに、私にはそれが分かった。
あまりにも巨大なニンゲンが、彼女を摘み上げて彼女の白いスカートの中に鼻を突き入れるようにして匂いを嗅ぎまわり。
ニンマリと不気味に笑うと、無造作に持っていた籠の中に入れた。
「なにをするの! 返して返してよ!」
私は、逃げることも忘れて、ニンゲンの足にしがみついて言った。
キノコは無力だ、ニンゲンに物を言っても聞こえないし、何もできない。
ニンゲンは化物じみた大きな顔で、足元の私を見下ろすと何か言った。
『取り過ぎないように、こっちは置いておくかのう』
何、なんて言ったの?
私の友達をどうするつもりなの!
ニンゲンは、私だけを置いて森の奥に消えていった。
私は何も出来なかった、逃げることも戦うことも。
だけど、あのニンゲンの顔は覚えた。
ニンゲンにとってキノコの顔の判別が難しいように、私たちもニンゲンの顔をなかなか判別できないけど、あのニンゲンの顔だけは覚えた。菌糸に焼き付けた。
絶対に忘れない。
絶対に許さない。
※※※
近頃、キノコの森を荒らしまわっているニンゲンに対抗するため、毒キノコによる特別攻撃隊が結成された。
毒キノコがニンゲンを倒すってことは、つまり食べられて死ぬってこと。でも、分かっていて私は特攻に志願した。
バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!
ニンゲンに食べられやすいキノコたちが、私たち特攻隊に涙を流して万歳三唱してくれる。
それを見て、特攻隊のみんなも涙を流して誇らしげに敬礼して、大きくスカートを広げて出撃していく。
私はケッと思いながらも、純白のスカートをたくし上げて大空に飛んだ。
地上で私達を見送るキノコたちは、感謝の涙を流しながら、いつまでもいつまでも手を振っていた。
「あんたたちのために戦うんじゃないわよ」
キノコ王国のためとか、みんなのためじゃない。私が戦うのは、たった一人のあの子の仇を討つためだ。
きっと、あの子は煮えたぎった熱湯で苦しめられて、あるいは熱い鉄板の上で焼かれるかして、あの憎いニンゲンに噛み砕かれて死んでいったんだろう。
彼女の仇を討つために、私は命を投げ出す覚悟をしたのだ。
もちろん、私だけが死ぬわけじゃない。
ニンゲンに、たった一人の私のあの子を殺した報いを受けさせるのだ。
そのためになら死ねる。そう思ってしまえる私もきっと、毒キノコだったのだろう。
身体に蓄えた猛毒を使って敵を討つ。これが、食べられるキノコの姿形を似せて生まれてきた、私たち毒キノコの存在意味なのだ。
次のキノコ狩りのおり、私たちは他の食用キノコたちに紛れて、ニンゲンに捕まることに成功した。
これで食べられるキノコが減るだろうと、みんなはニンゲンの籠の中で自慢気だった。
でもまだ油断してはいけない。
ニンゲンの家に入ったときに、やはりキノコの選別が始まった。
ニンゲンは獣のような鼻が働かないが、バカではない。
入念にチェックを入れて、食べられるかどうかを調べる。
そうやって調べられると、たいていはチェックを突破できない。
ツキヨタケの静峰月夜は、ゴスロリスカートの中をマジマジと覗かれてほんのりとした黒い染みを発見されて、捨てられた。
せっかく特攻隊に志願したのに、「なんでよー」と悲鳴を上げながら、土間に捨てられてその命を無駄に終える彼女は哀れだった。
見目麗しいキノコである私は、見事に厳しい選別をクリアした。
そう私の身体は、完璧に白く美しい。黒い染みなんかどこにもない。毒が潜んでいるようにはとても見えないから、ニンゲンが騙されるのは当たり前なのだ。これから食べられて死ぬと分かっていても、私はそのことが嬉しかった。
フライパンとか言う鉄板の上で、他のキノコや野菜と一緒に油まみれになって火にあぶられても、ぜんぜん平気だった。
根性のないキノコは、あっけなく熱で死んでしまうのだけど、私たち毒キノコは意識を強く持つように訓練されている。
ニンゲンに噛み砕かれる瞬間まで、生きていたほうが毒が強くなると信じられているのだ。
私はそんな迷信どうでもよかったけど、あのニンゲンに「ざまあみろ!」と言ってやりたかったから、身を焼く熱の苦しみにも耐えた。
白い皿の上に乗せられて、ニンゲンの持つ細長い木の棒に挟まれて、口に放り込まれようとしたとき、私はまだ意識があることをキノコの神に感謝した。
「ニンゲン! お前は覚えていなくても、私はお前を知ってるぞ!」
ニンゲンの憎々しい大きな顔に向かって、私は吠えた。
私の身体にある猛毒は、上手く行けば大きな獣であるニンゲンをも殺すという。
ニンゲンは私の毒でのたうちまわり、苦しみ抜いて死ぬとき、きっと私の顔を思い出す。
ああ、あの時の白くて美しいキノコは、毒キノコだったのかと、気がついた時にはもう遅い。
その時のニンゲンのマヌケ面を見てやれないのが残念でならない。
「私と一緒に、貴方も死ぬのよ、アハハハハハッ!」
ニンゲンの赤黒い大きな口が開き、私を飲み込んでいく。
ガチャリと白い歯が噛みあわさる音と共に、私の意識も消え失せた。
※※※
午後のワイドショーが、今年も毒キノコの誤食による死亡事故の話で盛り上がっていた。
「行楽の季節ですね。キノコ狩りのシーズンですが、痛ましい事故のニュースが入りました。キノコ狩りで猛毒のドクツルタケと見られるキノコを食べた六十九歳の男性がお亡くなったそうです」
さっきまで芸能ニュースで爆笑していた司会者は、さも痛ましいと顔を顰めて、大げさに首を左右にふると続ける。
笑い声をあげていたコメンテーターたちも、空気を読んで押し黙った。
「保健所によるとですね、男性は午後六時頃に毒キノコを誤って食べてしまい、八時頃から吐き気や腹痛を起こして、病院に運ばれましたがそこで意識不明に陥って、手当の甲斐なくそのまま死亡が確認されたそうです」
ワイドショーの司会者が一息にそう言うと、コメンテーターは皆一応に、「恐ろしいですねー」と声をそろえる。
司会者は、その反応に満足気に頷いて、様々なキノコが描かれたフリップで、説明し始めた。
「このドクツルタケなんですが、殺しの天使と呼ばれているそうなんですよ。ねえ、そうですよね」
司会者は傍らにいた、キノコの専門家に話を振る。
キノコの専門家であるコメンテーターは、真面目くさった顔で頷く。
そうして彼は、愛おしげに純白の傘を広げた美しい毒キノコを手にとって、眺めながら説明する。
キノコの傘の下を覗きこむときだけ、彼に喜悦の表情が浮かんだ。
「ええ、そのとおりです。ほら、こんなに可愛くて白く綺麗なキノコなのに、人を殺す猛毒があるんです」
「可愛い……。あの、触って大丈夫なんですか」
おそるおそる聞く、司会者にキノコの先生は、ドクツルタケは触っても大丈夫ですよと笑ってみせる。
でも触るのも危険な毒キノコもあるので、真似はしないでくださいねと、付け加えるのも忘れない。
「毒キノコには、いろいろと間違った迷信があります。毒キノコは色が派手だとか、柄が縦に裂けるのは毒キノコじゃないとかね。ほら、このドクツルタケは柄が綺麗に縦に裂けるし、彩りも美しく毒がなさそうに見えます。味も見た目も、食用キノコのシロマツタケモドキなどと、素人目には見分けがつきません」
試しに食べてみますか、美味しいから毒だと分かりませんよと言われて、司会者は嫌そうな顔をする。
「そのせいもあって、昨今の死亡例は、ほとんどがこのドクツルタケによるものです」
「誤食の事故を避けるには、どうしたらいいんですか」
「そうですね、この手の食用キノコと似た毒キノコは、専門家ですら見分けが難しい場合があります。少しでも怪しいと思ったキノコは食べないこと、それしかありません」
「そうですか、ありがとうございました」
この手のワイドショーはお為ごかしのようなもので、何の注意喚起にもならない。話題が次のニュースに移れば、人は忘れてしまう。
だから毎年のように、キノコ、ニンゲンの双方に多大な犠牲を払っても、ニ種族間の相剋は永久に終わらない。
それは、命をつなぐ食物連鎖という名の戦争。
忘れてはならないのは、ニンゲンは一方的な勝者ではないということ。
毎年、ほんの数人だけど毒キノコによる死者が出る。
ニンゲンによって食べられて死ぬ莫大な数のキノコに比べれば、ほんの僅かではあるけど。
森の腐葉土を栄養として育ち、ニンゲンから見れば、動くこともできず物言わぬ大人しいキノコも、まったく無害ではない。
そこにはちゃんと、毒が潜んでいる。
そして、次の秋が来れば、何事もなかったかのようにキノコ狩りが始まる。
殺しの天使たちは、今日も森の奥深くで、静かに毒の牙を研ぎ澄ませいる。
天使の白い羽を広げて、ニンゲンたちが来るのを、じっと待っているのだ。