14-02 贈り物の人形
薫の記憶は8歳から13歳までは全くないが、今でも8歳より前の記憶も本当のものか疑問に思うことがある。8歳まで薫媛という少女であったはずだが、その記憶は全てアーカイブに納められているので、自分の事と思えないのだ。
記憶の中の父は画期的な核融合理論の基礎を作った科学者で50歳、母は専業主婦、年老いた祖父母と弟もいた。そして近所で飼われていた白い太った猫と近所の玲華お姉さんとよく遊んでいた。あの日の直前、安っぽい反日ドラマに感化され日本が嫌いで嫌いで行くのを嫌がって母を困らせていた・・・
しかし、あの頃と今を結ぶ記憶がない。今は日本人なので、反日的な思想を持っていたことを消去していないので、たぶん本当の事だと思った。唯一、それを証明するのは6歳の時に撮った家族写真だけだった。
主治医の水沼が言うように確かに”今の”自我の前には別の自我が存在していたようだ。5年も寝たきりなら身体が動くはずは無いのに普通に動かせるからだ。脳を含む上半身の多くが人工の臓器に置き換えられているが、下半身はオリジナルのままだということなので、目覚めてからすぐ歩き回れたので、別の”自我”が自分の身体のリハビリをしていたのかもしれない。
後で聞いた話であるが、内臓のうち人工臓器の再現が難しい生殖器と心臓と肝臓は複製臓器で、あとの臓器が大部分を機械化臓器に置き換わっていたという。だから身体が成長している間、何度も”調整”名目で適正化の苦しい手術を受けなければならなかった。
また機械脳は本来は機械の制御用として開発されたもので、大陸で”奴ら”によって機械化された人類の電脳を参考に作成されたが、薫の機械脳は特殊なものであった。電子部品と合成タンパク質で構成されたもので、誰の脳細胞も使用せずに完成したものだった。だから薫の機械脳はアンドロイドやガイノイドのための制御装置と構造が一緒だった。ただ違うのは生身の肉体を持っていることだった。
では自分の自我というのは一体なんだろうか? その事を確かめることは薫は出来なかった。消された”自我”の事を考えると自分もそうなる運命なのかと恐ろしくなるからだ。しかし、今のわたしはプログラムに過ぎないのなら、私の存在てなんだろうと悩んでいた。機械であって機械ではなく、人間であって人間ではないからだ。
「会長、お孫さんの自我ですがあれで完成形でいいと思います。相当残酷だと思いましたが、あなたの自我は作られたものといいました。悩むでしょうけど、将来真実を知るよりもいいと思われます」
主治医の水沼は薫の祖父、江藤英樹に連絡していた。薫は大脳皮質を病気の為にやもうをえず視神経と眼球を摘出したため、ほぼ寝たきりだった。こうしてまで生かしていた理由を、口が悪い者は薫の父が持っていた画期的な核融合システムの特許権を彼女が相続したので、それを管理したいのだと指摘したが、孫娘がどんな状態になっても回復する可能性があったので、莫大な治療費を負担してきたのだ。
最近になり大陸で暴れまわっている”機械娘”の電脳の技術情報がもたらされたので、機械娘の電脳を参考に模造した機械脳を薫に移植し自我の再現に成功した。
「それにしても薫は自分に起きたことを理解しているのかね? まあ君のことだからあらかじめ機械脳のアーカイブに入力しているだろうけど。ところで薫はいつ退院できるのかね? 」
「都合がよければ、今週中に出来ます。可哀想な話ですが彼女の自我は書き換えられます。もし会長や社長夫妻に反逆的な態度を取られるようでしたら、こっちで何度でも書き換えられます」
「水沼技師長。それは理解している。だが、これからは自我の書き換えは不要だ。薫の機械脳にある自我の書き換えプログラムは削除したまえ。薫はワシの孫娘だが人形でも機械娘でもない、一人の人間だ。これからは誰かにプログラムを書き換えることなく自分で換えていく人間であってほしい。これ以上、薫をモルモットにしないでくれ」
「わかりました、仰せのようにします」
英樹は以前にも別の自我の薫と対面した事があったが、失敗作の烙印を押され消されてしまった事を思い出した。特に三番目の自我はあまりにも精神的に脆弱でいつも泣いていた・・・ もう、薫の人格が何人も作成されるのはたくさんだと思っていた。
薫は五年ぶりに江藤家に戻ってきた。五年前に発病するまで暮らしていたが、その時の記憶を完全に失っていた。聞いた話では毎日泣いて過ごしていたということであったが、アーカイブにも記録されていない。どうやら薫媛の大脳皮質を切り裂いた時に消えてなくなったのかもしれない。
当時の江藤家は東京にあったが、サイバーテックグループが”奴ら”との戦いを継続するため事実上政府の管理下に置かれていたので、経営者も管理下におかれていた。江藤家の住宅は質素で一般家庭と変わらない大きさであったが、警備隊が厳重に配備されていた。何度もテロのターゲットになっていたからだ。
「会長と社長はお仕事に出かけられています。あなたのお部屋はこちらになります。とりあえず、皆さんがお帰りになるまでお休みください」と、家政婦に通されたのが薫媛が発病するまで過ごした部屋だった。生憎、江藤家の家族は全員出かけていたのだ。普通の少女なら怒るところであるが、その時、薫はまだ感情がフリーズしたままだった。
寝具や勉強机などは新調され高級なものであったが、自分のものという意識がなかった。とりあえず薫は椅子に腰掛けた。
「ここが私の部屋なの? 確かに私の脳にはそう刻まれているわ。でも感情がわかない、やはり私はプログラムにすぎないからなの」薫の機械脳には日本人の女子中学生が身に付いている知識や、家族に対する礼節、他の人とのコミュニケーション方法などが記憶されていたが、感情までは入力されていなかった。会長の指示でそれは自分で構築していくプログラムに書き換えられていたからだ。
ぼんやりと自分の机を眺め、この光景も電子的に解析された情報を読み取っているだけと思っていたところ、ひとつの古い人形が目に飛び込んできた。それは中国の祖父母に買ってもらったチャイナ服を着た人形だった。それを見たとき「老大爺、老太太」といって泣き崩れてしまった。薫の機械脳に人間的感情が芽生えた瞬間だった。




