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夏バイトに行て機械娘にされてしまった  作者: ジャン・幸田
第一三章:今井兄弟戦中記
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消えた少女オ・クススク

 泰三が収容所の中に入るのを許されたのは事件から三日後の12月22日だった。事件現場に入ることを許された、この時に誠二の死亡を告げられていたため、強いショックで他の従業員に肩を持ってもらいながら歩いてきた。今回の事件で当時収容所にいた半数近い約2万人が殺害されていた。そのため収容所内には焼け焦げた遺体が転がっていたが、国連機構軍と自衛隊や警察によって収容作業が行われていた。あまりの遺体の数のため、臨時の火葬場で誰にも見送られることも無く多くの荼毘が行われていた。


 これより少し前、泰三はパワーローターのコックピットで骨になっていた誠二を出す作業をしていたが、その直後気を失ってしまった。いつも豪胆な社長で有名であったが、二人目の兄貴を失ったショックにはかなわなかった。


 泰三は特に被害を受けた第九地区を従業員とともに彷徨っていた。オ一家を探すためだ。本当なら今日引越しの予定だったので、探していた。僅か二ヶ月前に来た時は2000人いたはずなのに、聞いた話によれば排水路から脱出した380人と隠れていた女性や子供など8人を除いて全て殺害されたということだった。


 オ一家の住んでいた住宅は完全に廃墟になっていたが、それでも探していたところ国家情報局の係員キムから二人の死亡を告げられた。二人の死体は既に搬出された後だという。この話を聞いた泰三は「クススクは生きているのか? 生きていたらあの娘だけでも引き取りたい」と詰め寄った。


 だがキムは申し訳ないという表情で「わかりません。このように残骸と無残な遺体ばかりではわかりません。お気持ちはわかりますが諦めてください」といわれた。この日以降クススクは生存の見込みは無く死亡したというのが公式記録となった。


 しかしクススクは生きていた。キムの話を聞いた捜索隊が、早い時期に公民館の地下室の瓦礫の下から彼女の泣き声を聞いて発見していた。彼女も国家情報局の監視下にいたので身体的特徴からすぐに身元が判明した。しかし、松本所長は上からの指示で彼女を「身元不明の女児」として処理した。


 松本は係官が来る前に、クススクの身体に「2024年11月2日」と書き込んで、腕に嵌めていた収容者登録タグを切り外してすぐ隠匿した。そして係官にその誕生日の子供はいないしDNA鑑定してもどうせ両親は死亡しているし親族を探そうにも半島動乱の最中では無理だと話した。そのため係官は国籍不明として日本人孤児が収容されている一般の児童保護施設に移送することを決めた。


 この松本の故意によるクススクを行方不明にしたのは国家情報局の当時の中崎貫太郎局長が今回の襲撃事件の原因のひとつにノ一家の殺害目的だとして、わざと「死亡」扱いするように指示したのだ。折角生き残った三歳の彼女の身の安全を確保するため、日本人孤児として処理することになったのだ。


 中崎局長は「”奴ら”が殲滅されるまでクススクはあの時両親と一緒に死亡したのが公式見解だ。公文書にはそのように記載しろ。真実については国家機密に指定し封印しろ。クススクは行方不明で死亡したということだ」と指示した。これによりオ・クススクという幼い少女は公式に存在を抹消された。


 その後、クススクは「元の氏名は不明」であるとして、「万騎美咲」という名前で住民登録され日本人になった。この美咲という名前は彼女ら難民を助けるために戦死した白浜美咲にちなんでキムの提案で命名した。この時以来クススクという少女は履歴を抹消され美咲という少女に生まれ変わった。


 翌年二月、キムは美咲にひそかに会っていた。転属になるので彼女に別れを言うためだ。このときには記憶は両親を失ったショックのためか過去を思い出せなくなり、朝鮮語も話せなくなっていた。ただ「ママ、パパ、ミユキちゃんドコにいったの? 」と日本語で繰り返し言っていた。キムはその様子を見て泣き崩れた。


 4月になり美咲は遠く離れた広島に住む津田大輔記者の年老いた両親に養子に出されていった。以上の真実を津田美咲本人が知ったのは二十歳になってからだったが、美咲の義理の両親も身元は一切知らされていなかった。クススクが生きていることは絶対に秘密にしなければならなかったからだ。なぜなら亡くなった実母に兄がいて、いまや”奴ら”の指導者の一人だったからだ。だから国家情報局は記録を改竄して必死に隠していた。


 同じ年の四月、泰三は再び収容所跡に立っていた。日本政府主催の慰霊式典に参列するためだ。この日、今井誠二の生前の功績をたたえられ国民自由顕彰を受け取るためでもあった。この式典には生き残った難民のほか誠二のように散華した警備兵や職員の遺族も招かれていた。本当はこんなものを貰っても兄貴は帰ってこないが誠二とオ一家の弔いのためにきた。


 式典の後、泰三は誠二が亡くなっていたところにいた。ここにあったパワーローターの残骸は家に持って帰ったが、魂を忘れているような気がしたからだ。人間同士の殺し合いによって傷ついた大地が広がっていたが、そんなところでも春の日差しの中、雪が溶け新芽が出てきていた。


 「俺は兄貴のように戦うことは出来ない。また人々を守るために人殺しをする事も出来ない。しかし生き残った俺ができるのは兄貴が命をかけた勇気を伝えていくことだけだ。だが今は悲しすぎて娘にさえも伝えていくことは出来ない。許してくれ兄貴」とうずくまっていた。


 この年、人類と”奴ら”との戦いは完全に泥沼であり、2024年に次いで最悪の死傷者を出した。これが好転したのはノ・ヤンスクの脳髄から取り出された”奴ら”の技術的欠陥に関する情報などが解読され、人類側の猛反撃が始まって以降だった。

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